24.青天の霹靂
「…んぅ…!」
朝、窓から差し込む光に照らされて若い女が目を覚ます。
ベッドの上で上半身を起こし、両手を上げて指を組みながら体を伸ばして意識を覚醒させる。
「…ふふ。」
どんな内容だったのかは忘れてしまったが、なんだかいい夢を見たような気がしたと彼女は頬を緩ませた。
彼女はベッドから下りて朝の支度を始める。
寝ぐせ交じりの栗色の髪を櫛で梳かし着替えを済ませた後、部屋を出て調理場へと向かった。
調理場からはトントンと小気味よいリズムを刻みながら食材を切る音が聞こえてくる。
「おはよう、イメルダ。今日も早いのね。」
調理場によく見知った人影を見つけた彼女は声をかけた。
「おや、おはよう。もうすぐ朝ごはんができるから子ども達を起こしてきてくれないかい?」
イメルダと呼ばれた白髪交じりの老婆はその手を止め、微笑みながら女の方を見て言う。
「わかったわ。」
女は踵を返して調理場を出ると、自分の部屋の隣にある大きめの部屋へと入っていった。
部屋の中には十数台のベッドが置いてあり、その上で気持ちよさそうに子供たちが眠っている。
ここは何らかの理由で親を亡くしたり捨てられたりした子どもたちが暮らす孤児院だった。
「おはよう、みんな!もうすぐ朝ごはんの時間よ!」
窓際へと歩み寄ってカーテンを開けながら、女は大声を上げて子ども達を起こす。
「うぅん…」
「ふわぁ~あ」
「あ…おはよう、お姉ちゃん…」
眠そうな目を擦りながら起き上がる女の子、大きな欠伸をしながら体を伸ばす男の子、実はもう既に起きていたけどベッドの上でぼーっとしていた女の子…
「…むにゃ…もうちょっとだけ…」
ここにいる子ども達の中では比較的年長者な十歳くらいの男の子は、まだ眠たいのかそんなことを言いながら布団の中に頭を潜らせていく。
「そんなこと言ってたらお寝坊さんになっちゃうわよ、ブリッツ。」
女はそう言って男の子の布団を引っぺがす。
「ううっ…」
ブリッツという名の男の子は観念したようで、窓から差し込んで来る光に眩しそうにしながらベッドから起き上がった。
「ブリッツ、お寝坊さんだー!」
彼の隣のベッドで寝ていた小さな男の子が、けらけらと笑いながらブリッツへと指をさす。
「なっ…ちゃんと起きたじゃんか!」
「お寝坊さんだー!」
ブリッツは反論するが、なおも男の子がからかってくる。
「あーもう!ウィルうううぅぅぅぅ!」
「わー!」
怒ったブリッツがベッドから下りてウィルと呼ばれた男の子へ近づくと、ウィルもベッドから下りてブリッツから逃げ出す。
そのまま二人の追いかけっこが始まった。
どうやらよくある朝の光景のらしく、他の子ども達は二人のことを気にする様子はない。
「ウィルもブリッツもケンカしないの。そんなことしてたら朝ごはんがなくなっちゃうわよ?」
「…ちぇ…わかったよ。」
「…はーい。」
女がほほ笑みながらブリッツとウィルの頭をなでると、彼らは途端におとなしくなった。
「ふふ…それじゃあみんな、朝ごはんを食べに行きましょうか。」
子ども達はぞろぞろと女の後をついていき、大きめの長テーブルの両脇にいくつもの椅子が置かれた食堂へとやってきた。
長テーブルの上には、いくつかパンの入ったバスケットが等間隔で並んでいる。
「おやみんな、おはよう。」
「「「おはよー!」」」
テーブルの端の方では、イメルダがクズ野菜と干し肉でできたスープをお玉ですくって皿に盛りつけているところだった。
子ども達はイメルダに挨拶をして、自分の分のスープを取って席に着く。
スープが子ども達全員に行き渡ったのを確認して、女とイメルダも自分の皿にスープを盛って席に着く。
「それじゃあみんな、いただきましょうか。」
食事の前にお祈りを済ませた子供たちは、女の言葉を皮切りに目の前の食事へとがっつく。
「あ、それ僕が食べようと思ってたのに!」
「ヘヘ!早い者勝ちだ!」
「あー!マリーがスープこぼしちゃった!」
「うえええええん!」
「大丈夫?マリー?」
騒がしい朝の食卓で次々と起こる出来事に、女とイメルダはパタパタとせわしなく動きながら時間が過ぎていく。
朝食が終われば子ども達はしばらく勉強の時間。
女が読み書きと簡単な計算を子ども達へ教える。
「うーん…これどうやるの?」
「ああ、それはね…」
ただ、女一人で年齢も性別もバラバラな子ども達全員を見るのは難しいので、理解の早い年長の子がまだまだ未熟な年少の子に手ほどきをすることもある。
「それじゃあ今日はここまでにしましょう。」
「「「はーい」」」
子ども達の勉強の時間が終わり、女は一度自分の部屋へ戻って外出の準備をしてから、昼食の準備をしていたイメルダへと声をかける。
「それじゃあ行ってくるわね、イメルダ。」
「今日も領主様のとこで手伝いかい?」
この孤児院があるのは都市部ではなく地方にある小さな村で、田舎の地方貴族が治める土地だ。
そのような土地では、大人であっても読み書きや計算が苦手な者も珍しくない。
そんな中で学があるこの女は、書類仕事を任せられる領内でも貴重な人材だった。
「ええ、明日のお昼には帰って来るわ。」
「そうかい。気を付けていってらっしゃい。…無理はしないようにね。」
「大丈夫よ、もう子どもじゃないんだから。」
女が外出しようとすると、イメルダが一言声をかける。
この孤児院で幼少期を過ごした女はイメルダにとって娘も同然の存在であり、どうしても心配になってしまうのだろう。
女はそれを少し疎ましく感じつつも、昔と変わらぬ彼女の優しさを嬉しくも思っていた。
子ども達にも外出すると告げ、女は孤児院を後にする。
そして暖かな日差しが心地よい農道をしばらく歩き、この辺りでは比較的大きな屋敷へとやって来た。
そこは領主の館だった。
小さな門に取り付けられていた呼び鈴を鳴らすと、使用人らしき人物が出てきて彼女を館の中へと誘導する。
「おや、君か。それじゃあ今日も頼むよ。」
領主のいる執務室まで連れてこられた女は、いつも通り領主へ挨拶して自分の仕事場へと向かう。
机の上に山積みになった書類と格闘して、全て片付けるころには陽が落ちて夜になっていた。
領主の客人ではなく使用人という扱いになっている彼女は、他の使用人たちと共に夕食を取り、使用人が使う寮の一部屋を借りてこの日はそこで寝泊まりをする。
次の日の朝、女が仕事場に向かうと新たな書類が積まれていたのだが、先日よりも遥かに小さな山だったためか昼前に仕事を終える。
これで彼女が今回領主に任された仕事は全て終えた。
「そうか、ご苦労。いつもながら素晴らしい働きぶりだな。できることならうちの娘にしたいくらいだ。」
女が帰宅する旨を伝えるために執務室へやって来ると、そこにいた領主の口からそんな賛辞が飛んできた。
「お褒めにあずかり光栄です。」
「…そうだ!君はいい人はいるのかい?」
いかにも今何か思いついたというような顔で、領主は女へと質問してくる。
「いい人…ですか?」
女は質問の意図がわからず、きょとんとした顔でそう聞き返した。
「ああ。もしいないのであれば、ウチのピーターなんてどうだい?身内贔屓かもしれないが、あれは聡明な男だ。年も君とそう変わらないしな。」
ピーターというのはこの領主の次男の事だ。
彼は以前都市部の学校に通っていたというだけあって賢く、現在はその頭脳を活かして次期領主である長男の手伝いをしている。
「え…ええ!…はっ、失礼しました。私とピーター様では身分が…」
「そこは安心したまえ。私が長男のデイビッドに家督を譲ってしまえば、次男のピーターは平民扱いになるから何の問題もない。」
「ええと…その…申し訳ございません。私には孤児院の子ども達がおりますので…」
「ハッハッハ!そうか。気が変わったら教えてくれ。まあ、いつでもというわけにはいかないがな。」
女に断られたにも関わらず、領主はあっけらかんと笑っていた。
きっとそこまで真剣に言っていたわけではなかったのだろう。
「そ…それではお先に失礼いたします。」
「うむ。次もよろしく頼む。」
女はパタパタと執務室を出て、使用人たちに挨拶を済ませると領主の館を出て帰路に就く。
「ピーター様…かあ…」
女はピーターと領主の館で何度か顔を合わせたことがある。
記憶の中の彼は知性的で、女が仕事でわからないことを何度か教えてくれたりするなど、誰にでも分け隔てなく優しかった。
それにその端正で優しそうな顔立ちは、きっと世の女性達が放っておかないだろう。
と、女は自分がピーターのことばかり考えていることに気づき、頬を赤く染める。
今まではなんともなかったが、領主にあんなことを言われ変に意識するようになってしまった。
「…次はもうちょっとおめかししようかな…」
そんな女の呟きは風に乗ってどこかへと消えていく。
結局彼女は孤児院に着くまで、ピーターのことが頭から離れなかった。
「「「おかえり!お姉ちゃん!」」」
「ふふ。ただいま。」
元気よく出迎える子ども達に、女の顔が思わず綻ぶ。
奥からイメルダもやってきた。
「おかえり。あなたにお客さんが来てるよ。」
「お客さん?」
心当たりがなかった女は首を傾げる。
「ええ。今応接室で待ってもらってるから、行ってきてちょうだい。」
彼女はイメルダに言われるがまま、応接室というには少しばかり粗末な部屋へと向かう。
応接室の扉を開けると、扉に背を向けるようにして三人の男女が椅子に座っていた。
「すみません、お待たせしてしまって。」
女は部屋に入って扉を閉めると、そう言って三人の正面へと歩いていく。
「本日は私に御用があると伺ったのです…が…」
三人組の男女、その中央に座っていた女性の顔を見た瞬間、女は言葉を失った。
呼吸のしかたを忘れてしまい、陸の上で溺れるような感覚に陥る。
脳裏にたくさんの景色が浮かんでは消えを高速で繰り返し、頭は働いているのに何も考えられない。
その女性から視線を外してしまえば幾分か楽になるのだろうが、女の視線は彼女に釘付けになってしまい、目を逸らすことすら許されないような気がしていた。
「………エレナ………」
例の女性が小さな声で呟く。
何を考えているのかわからない表情のない声に、女―――エレナの心臓がどきりと刎ねたような気がした。
「…ノー…ラ…」
客人としてエレナの目の前に現れたのは、死んでしまったはずのかつての仲間、ノーラだった。




