20.よかった
キュクロプスの拳に殴り飛ばされるノーラ。
ほんの一瞬の出来事だったのだが、レオンにはまるで世界がスローモーションにでもなったかのように、全ての動きがはっきりと見えた。
「ノーラ!」
レオンは急いで呪符を手に持ったのだが間に合わなかった。
「…っ!」
ノーラは木に体を打ちつけ、小さくうめき声を上げる。
彼女の体は下にずり落ちていき、そのまま地面に倒れこむかと思われたが、なんとか片膝をつくだけに留まった。
相当な威力のある一撃ではあったが、気絶したりすることもなく無事だったようだ。
「よかった…無事だったか…!」
その姿を見てレオンはホッと胸をなで下ろす。
「………」
体勢を整えたノーラは、木にぶつかった時に落とした剣を拾う。
その際に違和感を感じて一瞬だけ剣の剣身に視線を落としたが、すぐに顔を上げてキュクロプスを睨みつける。
「ウゥゥ…ウオオオオオォォォォォォ!」
ノーラが無事だったことが気に入らなかったのか、キュクロプスは忌々しそうに彼女を見る。
そして、ここぞとばかりに片膝をついた状態の彼女へ追撃しようと、雄たけびを上げながら走り始めた。
「な…待て!…クソッ!コイツじゃあ出したところで時間稼ぎにも…そうだ!」
レオンは手にしていた呪符に魔力を込める。
その呪符に描かれているのは土の壁を作る魔方陣だ。
キュクロプスの目の前に先程よりも大きな土の壁が現れ、前方の視界が遮られる。
この土の壁は先程、キュクロプスの一撃で粉々にされていたのと同じ魔法だ。
通常の魔法使いであれば、より多くの魔力を消費してもっと硬くて強い土の壁を作る。
けれども、レオンの魔方陣は込められる魔力の総量が決まっているので、その方法で土の壁を強化することはできなかった。
「オオオォォォォ!」
面積が大きくなった分厚みが減って脆くなっていたのか、土の壁はなんの抵抗もなくキュクロプスの体当たりで崩れ落ちる。
キュクロプスは壁を破壊しながらも、スピードが落ちる気配がない。
「オォォアアァァァァ…アッ!」
そのままノーラ目がけて一目散に突撃するかに思われたが、何かに躓いてつんのめってしまう。
キュクロプスの足元には、土でできた小さくて硬い壁ができていた。
「っし!かかったな!小さい方の壁は見えなかったろ!」
そう叫ぶレオンの手には、最初に発動した呪符の他にもう一枚呪符が握られていた。
ただの土の壁では止まらないキュクロプスを止めるため、大きな土の壁をブラインドにして、ちょうど足がかかるように小さな土の壁を展開していたのだ。
レオンの思惑通り壁に足を引っ掛けたキュクロプスだが、なんとかして転ぶまいと残った片足で踏ん張っている。
そこにアリアから魔鋼糸が飛んできて、キュクロプスの腕に絡みついた。
「…これで!」
彼女は魔鋼糸を引っ張る。
本来なら馬鹿力を持つキュクロプスの体は、この程度ではびくともしなかったかもしれない。
しかし、今のキュクロプスは片腕しかなくて左右のバランスが取りづらく、しかも体勢を崩している。
アリアの魔鋼糸に引っ張られるがまま、キュクロプスの体は斜めに傾いて転倒した。
「アアァッ!」
キュクロプスは全力で走っていたせいで、手もつけず地面に体を強く打ちつける。
「ナイスだ、アリア!…つってもここからどうすっかな…」
どうすればキュクロプスを倒せるのかと、レオンが悩みながら新たな呪符を取り出す。
すると、剣を構えずに立っていたノーラが一歩前に出た。
「…私がやる…」
そう言って彼女は手に持っていた剣の剣身を根本からへし折り、柄の部分を投げ捨てた。
「!?おい、嬢ちゃん!何やって…」
そんな彼女の行動に驚いて騒ぐロクテ。
ノーラは折った刃を持って振りかぶるとキュクロプス目がけて投げた。
ものすごスピードで一直線に飛んでいく刃。
キュクロプスの額へ吸い込まれるように当たると、貫通して頭部に突き刺さった。
「ア…アァ…」
キュクロプスは弱々しい声で唸ると、事切れて力なく地面へ突っ伏した。
激しい戦闘の末のなんともあっけない幕切れだ。
地面に横たわるキュクロプスが立ち上がることはもうない。
皆それは理解していたのだが、キュクロプスを撃破したという事実にどうしても感情が追い付かないのか、その死体に近づこうとする者はいない。
そんな中、徐に歩き出したノーラがキュクロプスの顔の前までやって来ると、額に突き刺さっていた刃を引っこ抜く。
赤ではなくて緑色の血が流れ出る。
彼女はキュクロプスが完全に死んでいることを確認して、レオン達のいる方へと振り返った。
「…もう、大丈夫…」
そう言って手に持っていた刃を投げ捨てるノーラ。
「…お…お…おおおおおお!」
しばらくの間があって、ようやく目の前の光景を受け入れることができた一人の男が叫んだ。
伝播するようにこの場にいた者達が一斉に声を上げ始める。
「やった…あのキュクロプスから生き残ったぞおお!」
「ほんとに…俺はもうダメかと…」
「ハァ~…魔力が切れて力入んないわ…」
「ハ…ハハハ…」
そんな仲間達の様子を見たロクテは、緊張の糸が切れたようにその場に座り込んだ。
「う゛っ…!」
すると突然、ベニスが嗚咽混じりの涙を流し始める。
「おい!どうしたベニス!しっかりしろ!お前…」
彼の足はレオンが応急処置を施していたが、急にベニスの容体が悪化したのかと心配になったロクテが慌てて立ち上がり駆け寄って来る。
「…いや…すまねえ…!足が片方なくなった俺ぁ、ここで囮になるしかねえもんだと…あいつに食われる覚悟を決めてたんだが、安心したら急に…」
ベニスはロクテを片手で制すると、手で涙を拭う。
「…ああ!みんな無事でよかった…本当に…!」
ロクテは笑顔でベニスの背中をポンと叩き、全員がキュクロプスから生き延びれたことを嚙みしめるように呟いた。
そんなふうに商隊の護衛達が喜びを分かち合っている中、レオンは一枚の呪符を手にノーラへと近づき、魔法を発動させていた。
「ノーラ、本当に大丈夫か?かなり飛ばされてたし、どっか痛いとことかは…」
ノーラへ治癒魔法をかけながら、レオンは彼女に問いかける。
目立った外傷こそないものの、強く体を打ちつけていた彼女のことが心配なのだろう。
「…いい、大丈夫…」
いつも通りの口調でノーラが答える。
どうやら見た目通り大きな怪我はしていないらしい。
「そ…そうか?ならいいんだが…でも念の為、次の街に着いたら治療を受けた方がいいかもな。」
ノーラに怪我がないことに安堵しつつ、レオンは魔法陣への魔力の供給を停止した。
「…レオン…これ…どうする?」
レオン達の近くにいたアリアが、キュクロプスの死体を見ながら言う。
「ん?あー…こんなデケえの持ってけないよなあ…でもコイツは素材としてかなり高く売れるし…うーん…」
どうしたものかと頭を悩ませるレオン。
すると、彼らの下にロクテや他の商隊の護衛達が近づいてくる。
「よお!俺はユング商会に雇われてるロクテだ。キュクロプスに襲われてもうダメかと思ってたんだが…嬢ちゃんたちのおかげで助かったぜ。ありがとよ!」
そう言ってロクテはノーラとレオンとアリアに向かって頭を下げる。
他の護衛達もそれぞれ感謝の言葉を口にしながら、ロクテと同じように頭を下げた。
その様子をアリアはぼーっとしながら、ノーラは不思議そうに見ていた。
「お…おう!俺はレオンってんだ。そんでこっちがノーラでこっちがアリア。…その…大した治療はできなかったが足は大丈夫か?」
自己紹介を終えたレオンは、片足で立っているベニスの方を見ながら聞いた。
「ああ!血も止まったし、おかげで出血多量で死ぬことがなくなった。むしろ、こんなとこで応急処置を受けられただけでもありがたいぐらいだ!」
ベニスは「ありがとう」と個人的にレオンへの感謝を伝えると、笑顔を見せる。
「そういやあお前達、この倒したキュクロプスはどうするんだ?」
ロクテがキュクロプスの死体に目をやった。
「…実は俺らもどうしようか困ってるんだ。なんせ、こんな大物に出会うなんて思ってもみなかったし…魔石だけ取り出して後は燃やそうかな?」
今のレオン達にはこのキュクロプスを街まで運ぶ手段がない。
そのため魔石だけを取り出して後は燃やそうかという結論に至ったのだが、そんなレオンの返答にロクテは少し考えてから口を開く。
「そいつはもったいねえな…そうだ!そのキュクロプスをどうするかは俺達に任せてくれねえか?お前達は命の恩人だし、悪いようにはしねえから。」
「そうだな…じゃあ頼む。ノーラ、アリア、それでいいか?」
その提案にレオンは少し悩んだが、結局のところ自分達では魔石以外を捨てるという選択肢しかなかったので、ロクテに任せてみることにした。
「…ええ…」
「…おっけー。」
ノーラとアリアもそれに同意する。
「よっしゃ!ベニス、クルト、カール!お前達はキュクロプスを解体してくれ。」
ロクテは仲間の護衛達に指示を出す。
「それと、バロンの旦那に危険がなくなったことを知らせて呼び戻さねえとな。アルノ!」
「はいはーい。」
アルノと呼ばれた魔法使い風の男が、間の抜けたような声で返事をした。
「いつものアレ、頼んだ。」
「あいよ。もう魔力がすっからかんだけど、今回だけは恩人のために頑張りますか。」
アルノはそう言うと、ブツブツと何かを呟いて手に持っていた杖を上に掲げる。
「…爆ぜよ!【エクスプロード】!」
次の瞬間、杖の先に炎の球がが現れた。
魔法で生み出された炎は通常、赤い色をしているのだが、アルノが魔法で生み出した炎は美しいエメラルドグリーンだった。
緑色の炎は天高く舞い上がると、炎の球を中心に爆ぜて周囲へエメラルドグリーンの炎をまき散らしながら落下し、魔力というエネルギーを消費しきったのか上空で消えていった。
「た…たまやー…」
そんな誰に向けたものでもないレオンの呟きを聞いたノーラは、不思議そうに彼の顔を見ていた。




