悪魔と神の秘密の取引
真夏の日差しがコンクリートを熱し、気温は観測史上最高記録を達していたある日、紫色の少女はその熱せられたコンクリートに倒れこんでいた。
道行く人は彼女を見ることなく、通り過ぎる。その光景はとても滑稽で、振り向いて彼女を見る人すらいない。
そこへ一人の水色髪の少女が立った。
急に立ち止まった少女に周囲の人は見た。何故そこで足を止めたのか。そう思っている人が大半だった。
「行き倒れですか?」
そう水色髪の少女は問いかけた。
「ヤクが見えるですか?」
「は? ああ、そういうタイプの方でしたか。というか、こちらの頭が痛くなってきました。どうやらワタチの苦手なタイプの分類ですね」
そう言って、鞄からミネラルウォーターを取り出し、それを倒れている少女の頭に振りかけた。
周囲の人はその行動に驚き、全員が避けて歩き始めた。
「頭が痛いですか。でしたらヤクがその頭痛を引き受けます……おや?」
倒れている少女は頭が濡れているのもお構いなしに起き上がり、水色髪の少女を見て、疑問の表情を浮かべた。
「不思議です。貴女からは頭痛を食することはできません」
「当然です。ワタチは悪魔です。相反する存在の貴女から何かを取られるほど、ワタチは甘くないですよ」
「悪魔……」
そう聞いて、倒れていた少女は地面にペタリと座り込んだ。
「そうですか。ヤクの神生はここで終わりですね。悪魔に喰われるとは思いませんでした。人生は有限、神生は無限と言われてますが、案外一瞬ですね」
そういうと、水色髪の少女はため息をついた。
「ここで貴女を喰う理由が見つかりません。というか神を喰っても腹痛を起こすだけです。とりあえず貴女が他の人間に見えないのなら、場所を変えましょう。ワタチの店はいかがですか?」
☆
水色髪の少女に連れられてやってきたのは、路地裏にひっそりと建てられているまるでお化け屋敷のような雑貨店だった。
入口の外にも商品が置いてあり、骸骨のネックレスから目玉のキーホルダーなど、どれも悪趣味なものばかりだ。
「悪趣味なお店ですね。さすが悪魔です」
「お褒めいただきありがとうございます。ワタチのことは店主さんとでも呼んでください」
「わかりました。ではヤクのことは疫病神と呼んでください」
その自己紹介に店主は目が点になった。
「え、あ、え? 疫病神?」
「はい。疫病神です」
日本の文献を探れば疫病神とは病を振りまく悪魔というものが殆ど。つまり、疫病神が目の前にいて喜ぶ者はいない。
「神なのに悪魔扱いされている不憫な方でしたか。同情も込めてお茶を淹れますよ」
「お構いなくです。それに疫病神と言っても色々います。例えば悪魔であるあなたが良い例ですね」
店主はお茶を淹れて疫病神に出した。二人ともお茶をすすり、そして話を続けた。
「ワタチは伝承通りの悪魔です。このキーホルダーも最近女子高生に人気の恋愛成就のお守りで、願った人の夢に必ず登場することでその人のことしか考えられなくなる呪いがかけられています」
「思った以上にやばい悪魔ですね。とはいえ、直接危害を加えていません。まあ、ヤクは危害も加えない疫病神です」
「危害を加えない疫病神?」
疫病神は右手にお茶を持ちながら、店の商品を一つ一つ眺めながら話した。
「人間の大半は善人であり、ごく一部が犯罪者。疫病神という区分にも善神と悪神がいて、多くが悪神になっています」
「それは何故ですか?」
「生きるのが楽なんです。伝承の疫病神は病を振りまくことで満たされます。一方でヤクは病を取り込むことで空腹を満たします。代わりにその病を一時的に引き受けます。楽なのは前者でしょ?」
そういうと、疫病神はお茶を置いて手首を振ったり、首を回し始めた。先ほどまで倒れていたとは思えないほど動きが機敏になっている。
「動いて大丈夫なのですか?」
「病を消化できれば問題ありません。ただ、空腹になるだけです。先ほどはうっかり強烈な胃腸炎を食べてしまったので、動けなくなりました」
疫病神は髪をかき分けた。そこには発熱時につける冷却シートがついていて、それを剥がした。
「困ったものです。この冷却シートや病を食べすぎた時の一時しのぎとして飲む胃腸薬はスーパーで売ってますが、ヤクは普通の人に見えないので買えません。残りが少なくなってきました」
「見える人間はいないんですか?」
「ヤクを祀っている神社の方には見えますが、お使いを頼むのは少々気が引けます。神御用達の雑貨店が日本では富士山の頂上しかないのが最悪ですね」
と、ため息をつき、貧乏神は店主を見た。
店主は右手に冷却シート。左手に胃腸薬を持っていた。
「おっと、これは商品ではありません。日本では薬品を販売する際には特殊な免許が必要です。なので、これはワタチがただ持っているだけです」
そう言って、一歩疫病神に近づいた。
「ですが、それは買い手が人間だった場合に限ります。相手が人ならざる者でしたら、このルールは適用されません。他から見たら、なぜかこの両手にある物品が無くなり、代わりにワタチの手にはお金が置かれていることになっても問題ありませんね」
その言葉に疫病神は唾を飲んだ。
「足元を見て高額で販売するくらいなら、神社の人間に頼むです」
「せっかくの収入のチャンスに、そんなことはしませんよ。ただ、ほかの薬局と違ってこれは薬局から買い取ったものになります。なので、手間賃を上乗せしてくだされば結構ですよ」
そう言って冷却シートと胃腸薬を机の上に置いた。隣には紙とペンを置き、それぞれの定価の値段を書いた。
「別に商談ではありません。これはメモです。だってここには誰もいなくて、ワタチが独り言を言っているだけですからね。さて、もしもこれが欲しいと言ってくる人ならざる者がいたら、いくらでお渡ししましょう」
疫病神はその言葉を聞き、額に汗を出しながら、ペンを取った。
「この額なら何とか出します」
定価の倍の額。疫病神にとってそれがギリギリ出せる額なのだろう。
「ではさらにその半額にしましょう」
「へ?」
悪魔の提案で疫病神は驚いた。
「ワタチは悪魔です。目先の利益も大事ですが、安定した収入が今回は良いと判断しました。安くした以上、他から購入なんて考えていませんよね?」
「さすが悪魔ですね。ですが、その額なら神社の方に頭を下げる必要もないですし、富士山に登ることを考えたら百倍マシです」
そして疫病神は懐にある財布からお金を取り出し、胃薬と冷却シートを購入した。
☆
店の外まで見送る店主と、見送られる疫病神。その間の会話は決して友人同士の会話というわけではなかった。あくまでも客と店主の関係である。
「なぜ都合よく胃薬と冷却シートがあるんです?」
「胃薬の中には面白い薬草が使われていました。これ以上は秘密です。冷却シートは偶然ワタチの近所に住む人が熱を出したので、忘れる前に買っただけです」
「そうですか。ではもしその熱が下がらなければ、ヤクの神社に来てください。特別価格で治しますよ」
「え、タダで治してくれないんですか?」
「こっちはお金を払いました。でしたら、そちらも何かあった際にはお金を払うべきでは?」
「そうですね。これは一本取られました」
そんなやり取りが続き、やがて別れの時。しかし二人にとって今日からの関係であり、これからお互い支えあう存在になる。
「まさかワタチが神に商品を売ることになるとは思いませんでしたね」
「ヤクも悪魔と取引をすることになるとは思いませんでしたです。同僚に怒られないか心配です」
そして二人は軽く頭を下げた。
これは、人間には見えない神と悪魔が知らないところで取引をしている、日常のほんの少しを切り取った物語である。
こんにちは!
いとといいます!
この度はご覧いただきありがとうございます。
本作は現在更新中の作品の前のお話という感じで書きましたが、登場人物だけここにきて、話はここで完結してます。
この作品中に登場する疫病神は一般的な疫病神とは異なって、あらゆる病を食する神様となってます。
食べた代わりに空腹は満たされるけれど、病にも罹るというなかなかハードな人生(神生)を送ってますが、それを選んだのは彼女自身です。きっと人間が好きな良い神様なのでしょうね。
ということで、少しでも楽しいと思ってくださったら嬉しいです。また、今更新中の「ツカレ神につかれて!」もどうぞよろしくです!