第七章 5
「・・・どうして・・・ここに・・・・いるの・・・・? アナタは・・・至高天に・・・・・」
涙声ながら、必死に確認する。まだ、もしもこれが夢であったらと思うと、怖くて素直に喜べなかった。
「ああ、確かにそんなくだらないところに行っちまったな。あいつらが次から次へと試練なんざ押し付けてくるから、いらん回り道をしちまった。そうじゃなきゃ、お前の助けもあって、百年も経たずにここに来られたんだぜ?」
「どうして・・・そこにいなかったの?」
「お前がいないあんな所、どうでもいい」
信じられないことを言う。至高天こそ全ての存在が望む世界であり、そのために試練を受ける存在がいるというのに、それを男は全否定した。
「俺が居たいのはお前の隣だ。俺が欲しいのは、お前からの愛だけだ。それ以外からの愛なんてものは、俺には不要だ。俺にとっての至高天は、お前と共にあるこの世界だ」
至高の愛を、名誉を、富を、救いを得られたと言うのに・・・・男はその全てを捨ててでも、少女のいる底辺世界へと降りてきた。ただ一人、少女だけを求めていた。
強く少女を抱きしめる。もう離さないようにと強く抱く。そして、感謝の言葉を続ける。
「・・・お前が毎日祈り続けてくれたから、俺は諦めずにあの暗闇を乗り越えられた。お前が常に背を押してくれたから、歩くことができた。決して、届いた奴だけに至高の愛とかを押し付ける存在のおかげじゃない。お前が俺を支えてくれたんだ。お前だけが・・・こんな俺を想い続けてくれた」
そう、少女の祈りは決して無駄ではなかった。これまでの人間が試練を乗り越えられなかったのは、誰も祈る者がいなかったことにも理由があった。
誰かから祈られることもなく、自分だけが救われることを願っていた者が・・・救われる道理などはなかった。
「お前の流した涙が、暗闇に駆ける星の光になって、行き先を示してくれた・・・・照らしてくれた。愛する女が涙を流しながら祈ってくれているのに、あんなところで終われるかよ」
そっと涙を拭う。優しく拭われていく手に、少女の永き悲しみの色が少しずつ落ちていく。
男の執念はとにかく凄まじかった。今までの人間はただ救いを求め、それがあまりにも遠すぎると、あっけなく心は砕けて闇に飲まれたのに対して、男は違っていた。元々希望や救いなど求めてはいなかった。絶望を塗り替えようなどとは思っていなかった。絶望であることを受け入れ、その中で求めていたのは――――
「お前に・・・幸せになって欲しい。だから、俺はここにいる。お前を愛したい。伝えられなかった言葉を伝えたかった」
ただ一人、孤独な少女の幸せだった。
少女以外の全てを捨てた、狂気に染まった利他的な願いだった。だから、どれほど遠くても諦めることはなかった。なによりも大切な存在が傷つけられ、孤独に震えて泣いているというのに、自分だけが潰える訳にはいかなかった。
どれほど絶望的でも、どんなに遠くても、そこに終わりがあるのなら、少女へと辿り着くという想いを貫き通した。ただ一言、絶対に伝えなければならないという、男の強き意志が時空を超え、神をも動かした。
「愛している、アンギル。これからずっと、終わることなく・・・お前を愛し続けていく」
「・・・わたしも」
話している間、男から送り込まれた記憶と感情に、ようやく少女もこれが現実であると信じられた。
「わたしも・・・・アナタを愛しています・・・ずっと・・・・側で愛させてください・・・・・・」
男の首へと手を回し、踵を浮かせて口づける。別れた日からずっと求めていた存在を味わう。
少女の心が震える。強い喜びが、地上でもらえた幸せが、今度は自分の世界でもらえる。その嬉しさが心の中から弾け出る。その想いが、少女の背から翼となって再び現れる。それはこれまでの不完全な翼ではなく、左右から広がる大きく美しい、白銀の輝きを取り戻したココロだった。
地において連理の枝であった二人が、天においても比翼の鳥となった瞬間だった。
舞い散る羽根は、再び出会った二人を祝福するかのようだった。
「・・・うれしい・・・・うれしいっ! また、アナタと出会えるなんて・・・・・夢を見ているみたい・・・・・」
「夢は見るだけじゃなく、他に何があるとおもう?」
舞い散る羽根を見ながら、最愛の女性へと問いかける。腕の中の彼女は分からないらしく、視線で男に解答を求める。そんな愛らしい天使の彼女へ、男は微笑みながら答えを言う。
「叶えるものさ。アンギル・・・左手を出してくれないか?」
言われるがまま、少しだけ身体を離して、大人しく左手を上げる。
男はどこかから出したモノを、その指に通していく。
「これって・・・」
自身の薬指に通されたものを見てアンギルは驚いた。それは指輪だった。エンゲージリングの次に貰う指輪と言えば・・・・
「生きている時に渡せなくて悪かった」
「あ・・・」
アンギルが求めていた夫婦としての証。創り上げたかった家族の種だった。
訪れるはずがないと思っていた未来が
断絶したはずの未来が、男によって再び繋がれた。
ここから始まる、新たな二人の未来が。
「アナタは・・・どこまでわたしの願いを叶えてくれるの? もう、言葉じゃ言えないくらいにうれしいわ・・・・っ!」
気づけば、悲しみの色から喜びの色へと涙は変わっていた。
「違うぞ? これはな・・・お前と俺で叶えたんだ。二人だからできたんだ・・・・・二人ならできるんだ」
もう一度強く抱きしめ、離れていた距離を埋める。
「アナタ・・・」
「・・・アンギル」
見つめ合う二人に、それ以上の言葉はもういらなかった。
「・・・んっ」
互いに顔を近づけ、永く悠久の間できなかった口づけを重ねていく。別れていた時間を取り戻すかのように、二人はそうしていく。飽きることなく、何度も何度も・・・・・・
終わりの季節で一度は消えた男の軌跡が、強引なまでの意志によって、再び彼女と交わり、新たな軌跡を生み出した。それは、始まりの季節となって、この世界を変える風となる。




