第六章 16
そして、二人の時間は終わる
涙で目を腫らした少女が、覚悟を決めた顔で男を見る。
「・・・いい?」
「いつでも構わない。で、どんな風にするんだ?」
男はいつもと変わらない調子で話していた。それが、少女を気遣ってのものだというのはもう分かりきっていた。最後まで男はぶれることなく、人生という舞台を演じていく。
「その・・・初めてだけど、貴方となら上手くいくと思うわ」
「・・・初めて?」
「ええ。いつもは逃げる人間を無理やり肉体と魂に切りわけるから、この方法を使うことはなかったのよ」
「つまり・・・そっちのほうが俺には楽ってことだな?」
「聞くかぎりでは、とても強い快楽を味わって逝くらしいわ」
「・・・やばい薬じゃないだろうな? それなら苦しくても切られる方を・・・って、それだとお前が嫌な思いするか・・・・じゃあ、やっぱそれでいいや」
「ふふっ、最後まで気にしてくれてありがとう。でも大丈夫よ? だって、それは・・・・わたしにキスされることだから・・・・・」
最後だというのに、指で唇に触れる少女の姿がどうにも男をそそる。逆に最後だからこそ、本能的に遺伝子を残そうとして、そう感じさせるのかもしれなかった。
「ああ・・・吸魂的なやつか・・・・・それなら喜んでされるし、これまでしていないことが有難い」
「脱力すると思うから、シートに仰向けになって。そうしたら、わたしが貴方の上に重なってキスするわね?」
「・・・抱くとかじゃないよな?」
「ち、違うわよっ! それは昼間の休憩でたくさんしたでしょっ?!」
「いや、なんというか・・・・すまん。最後に締まらなくしてしまって・・・・・」
「もう・・・確かにずっと抱かれていたいけど・・・・そういう訳にもいかない訳で・・・・・」
「えっと・・・・とりあえず横になるな」
顔を真っ赤にしながらそんなことを言われると、そうしたくなってしまうので大人しく横になる。それを見て、少女もすぐに身体を重ねてくる。お互い、こんな時だと言うのに心音を高く鳴らせていた。照明器具に照らされる、至近距離からの見つめ合いは息もかかるほどで、もう少し明るければ互いの瞳の中に自分が映っているのが見えただろう。
「・・・最後に何か言い残したいことはある?」
「そうだな・・・・好きだ、――――」
貰ったばかりの名前を呼ばれる。それが嬉しくて仕方がなかった。名前があって、呼ばれることがこんなにも嬉しいとは思わなかった。
思わぬ言葉に綻んでしまう。
「生まれ変わっても、必ずお前に会ってみせる。だから、それまで悪いが待っててくれ」
疑うことなく未来を信じる笑顔に、少女の胸が熱くなる。また出会える未来。男がそう言うのなら、そういう未来は必ず来るのだと、心からそう思えた。
「俺は言ったが、お前はいいのか?」
「・・・少し長くなるわよ?」
「時間があるのなら言っちまえ。俺に言葉を残せる最後だぞ?」
――最後。そう言われると、言わずにはいられなかった。
「・・・愛してる・・・・ずっと、―――だけを愛し続けていくわ・・・・生まれ変わっても・・・・永遠に・・・愛しているわ・・・・・・―――の魂は・・・・これからずっと、わたしが見守るわ・・・・・だから・・・『今は』さようなら・・・・・また、会いましょう?」
男の名前を呼び、最後の言葉を伝えると、少女は泣きだしてしまう前に唇を重ねた。
これまでと違い、男から命を奪う行為。
少女の中に男の命が流れ込んでくる。愛しい存在の命が自分の中で満ちていく感覚に、言いようもない悦びを感じてしまう。甘美を超えた甘さに、少女は夢中になって男の命を受け入れていく。
男も、少女の中へと包まれていく感覚に悦びを覚えていた。優しく、暖かく、慈愛に満ち溢れたその中は、この世では決して味わうことができない快楽を与えられる。少女の心の中は、蜜よりも甘い男への愛で、永遠に満たされていた。
自然と涙が流れた。涙を流しながら、お互いを求めあい、溶けあっていく悦びに浸っていく。互いの名前だけを心の中で呼びあい、溶けあっていくほどにそれは強くなっていく。そこには悲しみも苦しみの感情もなく、一つになる悦びだけがあった。
そのまま意識までも溶けていきそうになった時、男は少女の心を見てしまう。それは悠久の時を、独り涙を流して過ごしている少女の記憶だった。信じていた世界は壊れ、救いたかった者は救えず、どこにも居場所がなかった孤独の記憶だった。終わることを許されず、救われることもなく、孤独と絶望の中、独り泣き続けている少女の心だった。それは、男の想像を超えた世界だった。
誰も、少女の涙を拭わなかった。
誰も、少女の心に寄り添わなかった。
誰も、少女を見ようとしなかった。
誰も、少女を受け入れなかった。
誰も、少女の側にはいなかった。
何も、少女は持っていなかった。
何一つ、少女は貰うことができなかった。
ただの一つとして、傷だらけの少女を慰めるものなどはなかった。




