第9話 旅の謡姫
「寝床、増やした方が良さそうね。フィアー、貴方も一応人間なんだから寝ときなさい。」
「そうさせて貰う。」
サンディはフィアーが一応という言葉に反論するかと思ったが、フィアーにとっては安眠出来る時間の方が貴重だった。盗賊に死神と怖れられるほど返り討ちにしてきたという事は、裏を返せばそれだけ狙われてきたという事でもある。襲撃の邪魔を何度も邪魔をされれば盗賊もフィアーを始末しようとするのは盗賊からすれば当然の成り行きだった。結果としてはフィアーの死神の渾名が盗賊たちに広まり、フィアーはピンピンとしている訳である。そして義賊と言ってもソアラも盗人、フィアーの盗賊内での手配書を目にしていたようだ。盗賊にとっては金で動く保安官などより、よほど厄介な相手という事になる。寝込みを襲われる事も珍しくなかったフィアーにとって安眠は親から貰った名前があった頃依頼の貴重な時間だった。
「なんなら見張り、代わりましょうか? 」
「夜中にルリちゃんが起きると不安がるかもしれないから、あんたは側についててあげなさい。お、じ、さ、ま。」
ハリーは自分でルリにサンディを姉の娘と教えてしまっておいて苦笑した。やはりサンディにおじさま呼ばわりされるのはくすぐったい。ハリーは店に戻るとルリの傍らに座った。ルリの横ではソアラが爆睡している。背中にエオリアを背負ったままなので寝返りが打てず寝難そうだが、寝ている年頃の少女に触れるのも躊躇われた。これも娘をもった所為かもしれないとハリーは自嘲した。この日は結局、その後は何事もなく夜が明けた。翌朝、ハリーとルリ、そしてフィアーは朝食を摂っていた。ハリーは別に摂らなくてもいいのだがルリの手前、そうもいかない。普段は不規則なフィアーもそれに付き合わされた格好だ。そしてソアラはといえば、まだ床の中に居た。ある意味、夜行性のような生活を送っているのだから仕方がない。そんな最中、店先に一匹の馬が乗り付けた。
「俺が送れるのはここまでだ。こっから先の方法は自分で探してくれ。」
「いえ、助かりました。」
馬の上から男女二人が降りると男は店の中に入っていった。
「サンディ、馬車を引き取りに来たよ。」
男はこの町にフィアーが運んだ馬車の持ち主が派遣した馭者だった。何度か荷物を運んだ事もありサンディとは旧知の中でもあった。
「お疲れ様。おじさんが後釜をやるの? 」
「いや、俺は馬車を取りに来ただけだ。最近、この辺は盗賊が増えたって、もっぱらの噂だよ。それに、うちの商会の仕入れ品を買い占めて邪魔してる金持ちが居るらしくてね。うちも商売だし、この町の人たちの生活が懸かってるのは承知してるから人も商品もなんとかするけど注文は早めにした方がいいよ。」
「御忠告、ありがとう。これ、次の注文ね。」
「あいよ。んじゃ、またな。」
男はサンディから注文書を受け取ると馬車を駆って街へと帰っていった。
「どうやら、厄介なタイミングで窺ってしまったようですね。」
商会の男と一緒に来た女性はポツリと呟いた。
「確かに長居はしねぇ方がいいな。」
独り言のつもりが返事をされたので女性は少し驚いたように辺りを見回し、フィアーの姿に二度、驚いた。
「死神… 妙な所でお会いしますね。」
どうやら女性はフィアーの知己のようではあるが近付こうとはしない。フィアーも自ら近づく事はしなかった。
「そんなに妙か? お互い流れ者なんだから何処で会っても不思議じゃねぇだろ、謡姫ミスティさんよぉ。」
「私はただの吟遊詩人ミストレイル。その… 愛称で呼んで頂くのは構いませんが、その… 謡姫というのは辞めていただけませんか? 」
「えっ!? ミストレイル様っ! ウギャっ! 」
ミスティの声に大慌てで店を飛び出してきたソアラだったが、その場に居たフィアーの姿を見てヘタり込んでしまった。
「ごめんなさいね、煩くて。ハリー、ソアラを運んで。二人とも、立ち話もなんだから店にお入りなさい。」
店から出てきたサンディがフィアーとミスティに店に入るよう促した。ゼノヴァは砂漠の町だけあって埃っぽい。喉にも悪そうなのでミスティとしても助かるので店に入った。店の中ではハリーに運び込まれたソアラが柱の陰から悔しそうに震えながらミスティの姿を眼で追っていた。その脇でルリがソアラの頭を撫でている。
「何がしてぇんだ? 」
震えるソアラの背中からエオリアが尋ねた。ルリは初めてソアラと出会った時に知っているので驚く事はない。
「だ、だって、究極可愛いサンディさんと究極美しいミストレイル様が居るのに…なんで究極怖い死神が一緒なのぉ~。」
「ん? 究極可愛いのはルリじゃなかったのか? 」
「ルリちゃんは至高の可愛さなのっ! あぁ、みんな尊い… 。死神さえ居なきゃ天国なのにぃ。」
怖れてはいるが、ソアラがフィアーと直接会ったのは初めてである。フィアーから先に盗賊に手を出した事はない。だから、ソアラとずっと一緒に居るエオリアにも、ソアラが何故、これほどフィアーを怖れるのか、不思議に思っていた。