二章・死天使、襲来(2)
「ひ、ひええええええええええええっ!?」
「ワシら飛んどる!!」
「危ないから顔出さないで! 落ちても助けられないかもしれないよ!」
馬車の荷台を魔力糸で吊り下げて運びながら、私は隣のソコノ村へ向かって飛んで行きます。全速力だと皆を振り落としてしまうためスピードはギリギリまでセーブ。これでも四十分近く短縮できるはず。
想定通り、通常の移動からしたら“あっという間”と言っていい短時間で私達は目的地の上空に辿り着きました。
そこで衝撃的な光景を目にします。
「な……なんだよありゃあ!?」
「そんな……!!」
村全体が円形に陥没していました。本来は麦畑が広がる平坦な土地。地形上水害に縁が無く、大雨が降っても水はけが良いためすぐに外へ流れて行く。そういう場所だったはずなのに。
地盤沈下によって逃げ場が無くなったため、大量に噴出した地下水はどんどん村の中へ溜まり続けています。逃げ場を求める人々の姿が屋根の上に。すでにその足元にまで水が迫っている状態。
さらに噴出する地下水が高い水柱となり土砂降りの雨のように彼等の頭上に飛沫を撒き散らしていました。あれでは体温が下がり、水かさがこれ以上増さなかったとしても命を脅かされてしまう。
「ううあん!!」
「!」
ベンケイさんの指差した方向を見ると、巨大な岩が村の外れに鎮座していました。他が沈んでいるのにあれだけびくともしていません。たしかソコノ村の名物で“神様の靴”と呼ばれている巨岩ですね。どうやら地上に出ていたのはごく一部だけで、地下にはさらに大きな本体があったようです。だから沈まずに済んだのでしょう。
たしかに、あの上なら他の場所よりも安心できそうです。私は荷台ごとココノ村の皆とベンケイさんをそこに下ろしました。そしてすぐに陥没したソコノ村の方へと爪先を向けます。
「危ないから皆はここで待ってて! 私が生き残ってる人達を連れて来たら、持って来たタオルと毛布で暖めてあげて!」
「わかった! スズも気を付けるんだよ!」
「うん!」
「スズ! ぼくは何をしたらいい!?」
「モモハルは皆を手伝ってあげて! でも、もしかしたら別のことを頼むかもしれないし絶対ここを動かないで!」
「わかった!」
「待ったスズちゃん! 別のことってなんじゃ? 危ないことだったら、何もモモハルにやらせんでもワシらが喜んで手伝うぞ!!」
ムクゲさんの問いかけに、答えたのは私ではありませんでした。
「いや、違うんだムクゲさん! 多分スズちゃんはモモにしか頼めねえことを頼むんだと思う!!」
モモハルの肩を掴んで頷くサザンカおじさま。
ありがとう。私も頷き返します。
「モモハルにしか出来ない? なんじゃそりゃっ」
「そいつぁ後で話すよ。気ぃ付けてな、スズちゃん!」
「うん! 行って来る!!」
私は再び空中へ。低空飛行でゆっくり飛び回り、次々に屋根の上の人々を魔力糸で持ち上げます。まったく便利な術ですわ。教わっておいて良かった。
「う、うわわっ!?」
「なんだこの子、魔女か!?」
「なんか見えないもんに持ち上げられとる!!」
「アンタら知らないのかい!? 隣のココノ村のスズちゃんだよ! 天才魔女っ子で有名なあの子だ!! 来てくれたんだね、ありがとう!」
「どういたしまして!」
笑顔で答えつつ、同時に私はモモハルのことも考えていました。
やっぱりもう限界だったのです。あの子に自覚が無くとも、周りがそれにまだ気付いていなくとも、こういうことが一つ起これば露見してしまう可能性は高い。
何故ならあの子は“神子”だから。その特異な力は隠そうとしても隠しきれるものではありません。いつかは必ず明るみに出ます。
でも、どうかここがその場所ではありませんように──少しでも長く、あの子が普通の子供でいられるようにと祈りました。
けれど、その祈りは無情にも打ち砕かれます。
「あ、ありがとう!」
六人目の人を魔力糸で持ち上げた直後でした。私は一旦引き返そうと皆のいる大岩の方へ針路を変えます。
ところが、まるでその瞬間を、私の意識が術の制御で手一杯になる時を待っていたかのようなタイミングで異変が起こりました。突如として眼下の水が盛り上がり生物のように動いて襲いかかって来たのです。
「なっ!?」
慌てて回避しつつ、効率を優先した自分の愚かさを呪います。六人も同時に抱えているせいで魔力障壁が展開できません。まだ私はそこまで器用ではないのです。
「ひっ!? ひいいっ!!」
「なんなんだい!?」
次々に襲い来る水は私だけでなく救助した人々まで狙っていました。そのせいでさらに意識を散らされた私は、直後、水の怪物に背後から飲み込まれ水中へ。
(んうッ!?)
呼吸ができない! 他の人達も危ない! そんな思考のせいで一瞬パニックに陥りかけました。
でも次の瞬間、脳裏にナスベリさんの顔が浮かび上がります。そうですね、術の制御は冷静さを保つことが肝心! そう教わりましたよね!
行けっ!!
私は魔力糸の制御に集中して思いっきり糸を伸ばしました。落下する寸前の方向と距離は覚えています。当てずっぽうでもあれだけ大きな岩の上にならきっと乗せられるはず。
トッという感触が糸の先に。多分あの人達を届けられたんだと思います。でも確かめている暇はありません。今度はここから反撃に出ないと──うぐっ!?
(締め付けられる!!)
急に水圧が上がりました。さらに私の動揺を誘おうとする策でしょう。いくつもの死体が周囲に集められて来ます。恨みがましい目で私を見つめる死者の群れ。
こ、この、悪趣味な!! とりあえずホウキを握る手に力を込め、水中から脱出しようとする私。
ところがその瞬間、おそらくは敵にとっても予想外のことが起こったのです。
音が、消えました。
「えっ!?」
それまで水中にはいくつもの音が響いていました。私の手足がもがく音。何かと何かがぶつかる音。水流の音。吐き出した気泡が昇っていく音。むしろ水上よりもうるさかったくらいです。
それらの音が唐突に“消えた”と思った瞬間、私を押し潰そうとしていた水が真っ二つに断ち割られました。硬い物を鋭利な刃物で切断した時のように、流動体であるはずの水が滑らかな断面を見せたのです。そして私には傷一つ無し。
何が何だかわかりませんでしたが、私はその一瞬のチャンスを使って空中へと飛び出しました。そして一旦高度を大きく取ってからあの大岩を見ると、さっき送り届けた六人とお父様達、さらには剣を抜いたクチナシさんの姿が目に飛び込んで来ます。
まさか、あの距離から剣で!?
信じられません。でも驚いている暇はありませんでした。敵はまだ諦めていなかったのです。それどころかさらに悪辣な一手を。
「う、うわあっ!!」
「きゃあっ!!」
「た、たすけ──」
「そんな!?」
水が意志を持って襲いかかり、まだ屋根の上にいた人々を次々に水中へ叩き落とし始めました。明らかに私を誘うための陽動。
わかっていますが、これでは乗るしかありません!
「今、助けます!!」
急いで高度を下げ、魔力糸で拾い上げて行きます。しかし水面に浮上できた人達はともかく、水中にいる人達は水が濁っていて全く見えません。
さらに次々と水の矢が生成され浴びせかけられました。やはりこの状態では魔力障壁の展開は無理。全力で回避するのが関の山。
「しかたない!!」
「スズ!?」
同じ過ちは犯せません。四人を引き上げたところで一旦岩の上まで退避。救助した人達を下ろし、そして再び水上へ戻ろうとする私。
ところが──
「うわああああっ!?」
「くっ!!」
一際大きな波が立ち、大岩に向かって押し寄せて来ました。背後に皆がいる以上これを防がないわけにはいきません。
「皆、動かないで!!」
全力で全周囲に魔力障壁を展開して皆を守ります。しかし津波はそのドーム状の力場に絡み付き、ついには障壁全体を覆い尽くしました。これはまさか私と根比べをするつもりですか? こちとら魔力は無尽蔵ですよ!
いや、違う。
「ああああっ!!」
ベンケイさん達ソコノ村住民の悲痛な叫びで気が付きます。障壁を覆った水の中に人がいるのです。生きて、もがき続ける人達が、こちらを見て助けを求めています。
敵は“彼等を見捨てるのか?”と私に選択を迫ったのです。
「こ、の……ッ!!」
駄目です。流石にもう抑え切れません。私の中で膨れ上がった怒りが出口を求めて暴れ出しました。制御を外れて溢れ出た魔力が足下の大岩を震動させます。
けれど、その瞬間、再び音が消えたのです。
「──」
「……あっ」
私はついに目にしました、その一閃を。
直前まで鞘に納められていたクチナシさんの長剣が、彼の右手で横一文字に空間を薙ぎ払いました。いえ、気が付いた時には薙いでいた、というべきでしょう。所作が全く見えませんでしたから。
さらに言うならそれは薙ぎならぬ凪ぎでした。消えたのです、刃が空を切り裂いたのと同時に全ての音が。
そして私の中の怒りも、あまりの美しさに一瞬で鎮められてしまいました。
「水が!?」
おそらく今の一閃でクチナシさんが“斬った”のでしょう。障壁を覆っていた膨大な量の水が、それを操っていた何らかの力を失ってただの水に戻りました。囚われていた人々が次々に落下を始めます。
「危ない!!」
岩に落ちそうになった人々を咄嗟に魔力糸で受け止めます。けれど水中へと落ちて行く人達までは間に合いませんでした。自分だけでは手が足りない。そう判断した瞬間ついに私は叫んでしまいます。
「お願い、モモハル!」
「!」
「水の中の人達を助けて!」
「わかった!」