三章・英知の魔弾(3)
「ベロニカ殿!?」
「行かせん!」
「ぬうっ!!」
彼女の方へ駆け寄ろうとした元聖騎士は、しかし鍔迫り合いを仕掛けたノコンによってその行動を阻まれる。
すると、凄まじい膂力を前に元聖騎士の方が徐々に押し込まれていく。
(なんだこの力は!? いや、力だけでなく腕もある……!! どうしてこんな辺境に、これほどの使い手が……ッ!!)
だいたいカウレのせいである。
だが、かつて聖騎士だった者の意地に支えられ、彼も凄まじい剛力を発揮してノコンを押し返し始める。
「ぐ、ぐぬおおおおおおおおおおっ!!」
「むぐうっ!?」
敵ながら見事な気迫。ノコンもまた己の衛兵魂にかけてそれに応えようとした、その時である。
「この野郎!」
「いい加減にしやがれ!!」
部下達とココノ村の住人達が背後から襲いかかり、男を武器や農具でメッタ打ちにしてしまった。たまらず元聖騎士は昏倒する。
「ふむんぐっ!?」
「お前達!!」
「皆さんに助けて頂きました! でも、お邪魔でしたか!?」
「いや、よくやった! 卑劣漢相手ならこちらは団結して臨むしかあるまい!」
「はい、隊長!」
「ノコンさん、他の連中もナスベリ達がやっつけてくれたぞい!」
「おお……!」
たしかにビーナスベリー工房の三つ子によって三人の魔法使いは捕らえられ、主犯格の正裁の魔女もすでにナスベリとアイビーが無力化していた。流石だ。ノコンは二人に駆け寄って頭を下げる。
「ビーナスベリー工房の皆様、ご助力に感謝いたします!」
「気にしないでいいわ。こちらの事情もあるから」
「は?」
「カ、カタバミ、大丈夫!?」
親友の顔色が悪いことに気付き、慌てて駆け寄って行くナスベリ。レンゲもカタバミに寄り添って心配そうに見つめていた。
彼女達は知っているのだ、カタバミの秘密を。
カタバミは脂汗をかいて頭を振る。
「わ、わからない……もしかしたら、まずいかも……」
「三つ子! 今すぐ近くの街から医者を連れて来て!」
事情を察したアイビーが指示を出す。三人の魔法使いに魔力封じの手枷と鋼鉄の足枷を嵌めて完全に無力化した三つ子達も、その一言で状況を察しホウキを召喚した。
「すぐに行きます!」
「大変だぁ」
「ここから一番近いのはトナリだよ!」
そうして飛び立った三人を見送ってから、アイビーは地面に落ちていたもう一つの魔力封じの手枷を拾い上げた。
カタバミのことも心配だが、先にこの娘を無力化しておかないと安心できない。
「ベロニカ……いえ、オトギリ。探したわよ」
「!? 知って、いたの……」
「知らなかったわ、今まではね。でも、念願叶ってあの子に繋がる手がかりを得たからか、貴女はこの間のヒョーゴとオカヤマの争いに介入した際にミスをした。あの場所で魔素を使ったでしょう? これまでは使っても上手に痕跡を隠していたのに、浮かれて後始末が雑になった、そのせいよ」
“これまでは”
その一言で、オトギリと呼ばれた少女も理解する。
「知らなかった……? 違うよね? 確信を持っていなかっただけじゃない! ほとんど知っているのと同じだった! そのくせ私を放置して遠巻きに眺めて、滑稽だと嘲笑っていたんでしょ!?」
「どうしてそうなるの? 本当に思い込みの激しい子ね。聞いていた通りだわ」
「聞いていた!? 内通者がいるのね! 誰よ、吐きなさい! 殺してやる!! 必ずお前もそいつもこの手で裁いてやるから!!」
しかし、いくら吠えてもすでに彼女の腕には魔力封じの手枷が嵌められてしまっていた。おまけに近くにアイビーがいては魔素も使うことができない。
自分に対して強烈な殺意を剥き出しにする少女を前に、アイビーは嘆息する。
「事情は後でゆっくり聞かせてあげる。ともかく、貴女をここに置いておくわけにはいかないし一旦うちの支社にでも……って、この魔力は!?」
突然、焦りの色を顔に浮かべるアイビー。同時にナスベリも、そしてオトギリも高速で接近してくる強大な魔力を感知した。
凄まじい怒りによって乱れた力を。
「ナスベリ、一旦オトギリを隠して!!」
「アハハハッ!!」
まだ足枷を嵌めていなかったことが災いした。オトギリはアイビーよりも先に動き出し、ナスベリの横をすり抜けてカタバミの近くに駆け込んでしまう。
そして振り返った。
それだけ。
でも、たったそれだけにあと一押しが加われば十分だった。彼女は今まさに北の空から姿を見せた魔力の輝きに向かって叫ぶ。
「最悪の魔女の娘! 聞きなさい! 貴女の“弟妹”は私が殺しました!」
瞬間、世界が歪んだ。
そう錯覚するほどの膨大な魔力の放出。大地が揺れ、森がざわめき、それを見た者全員の心臓が恐怖で握り潰される。
「ひっ……」
その正体が自分達のよく知る少女だと気付いた者達でさえも青ざめた。そして次の瞬間、流星が彼等の間をすり抜けてオトギリに直撃する。
衝撃波が“上”に噴き上がった。
「ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!」
哄笑を上げながら魔力障壁と魔素で盾を作り、スズランの突撃に押されるまま村の外へ脱出するオトギリ。衝突の瞬間に魔力封じの手枷を盾にして、壊れるのと同時に素早く術を使ったのだ。一瞬でもタイミングを誤れば全身が塵になっていたほどの危うい賭け。
しかし彼女はそれに勝った。
「やられた!」
アイビーが振り返ると、すでに視界の中に二人の姿は無く、一番近くにいたカタバミはレンゲ達に引き寄せられて無事だった。他の村民にも怪我は無い。激昂していてもやはりあれはスズランなのだ。衝撃波による被害が発生しないよう魔力障壁で進路上に壁を作り、周囲を守りながら通過したのだろう。
でもオトギリを連れ去られてしまった。というより、そうなるように誘導された。あの土壇場でまさかの機転。スズランの戻って来るタイミングも最悪だった。
(伊達に三柱教の最高戦力と呼ばれてないか……!)
三つ子を遣いに出したことも裏目に出た。いや、しかしカタバミのことを思えばあれは最善の選択だったはず。ともかく今は追うしかない。
「行くわよナスベリ!」
「はい!」
魔法使い達は無力化してある。後は衛兵隊に任せてもいいだろう。そう考えて彼女達がオトギリとスズランを追いかけようとした時──またしても空から気配が近付く。
「……ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!?」
「へっ?」
ぎょっと目を見開いたアイビーの頭上からモモハルとクチナシが降って来る。
そのクチナシが空中でクルリと回転しながら剣を振り抜くと、音が消失して二人は軽々と地面に降り立っていた。
「あ、あれ?」
凄い高さから落ちたはずなのに、どうして? 首を傾げるモモハル。彼等はスズランのホウキにしがみついて戻って来たのである。しかし危険に気付いたクチナシが村の手前でモモハルを抱えて離脱した。そして慣性でここまで飛んで来た、というわけである。
「モモ! 無事だったのね!?」
「おにいちゃん!」
レンゲとノイチゴがモモハルに駆け寄る。
「お父さん達は!?」
「みんなはね、ソコノ村の人たちとあっちにのこってるよ。でも、村中が水びたしだから歩いてこっちにつれてくるって言ってた」
「誰も怪我はしてない?」
「うん」
よかった……そう呟いてホッと胸を撫で下ろした母親の肩越しに、モモハルは苦しんでいるカタバミの姿に気付く。そして妹にしがみつかれたまま駆け寄って行った。
「おばさん、だいじょうぶ!?」
「わ、わかんない……大丈夫じゃ、ないかも……せめて、この子だけでも……」
「弱気にならないでカタバミ! すぐにあの子達がお医者さんを連れて来るから!」
「そうよ、あなたが挫けちゃだめ!! がんばって!!」
「ううっ……」
ナスベリとレンゲに励まされ、それでも苦痛に喘ぎ続ける彼女の腹をモモハルはジッと凝視する。
そして、なんとなく理解した。
「そっか」
今度は自分の手の平を見つめる。
きっと、この力はこういう時のためにあるんだ。
「おにいちゃん?」
「だいじょうぶだよノイチゴ」
モモハルはさらにカタバミに近付き、屈んで、その右手の平をお腹に当てた。
「モモ……くん……?」
「いたいのいたいの、とんでけっ!!」
彼と、そしてカタバミの全身が光で包まれる。
カタバミは自分の中に暖かい力が流れ込んでくるのを感じた。
「えっ、これ……!?」
「もしかして、例の力を使ったの!?」
そして光が収まった時、カタバミの体から苦痛は一切消え去っていた。お腹の中からは確かな熱と鼓動を感じる。生きている。新しい命は無事だ。
「よかった……ありがとう、モモくん」
「へへっ」
これでもうだいじょうぶ。
スズラン、よろこんでくれるかなあ? 呆然と自分を見つめる村の住民達の視線の先で、少年は得意気に笑うのだった。
──高速で景色が流れて行きます。視界は真っ赤。怒りで気が変になりそう。脳内では同じ自問自答を繰り返してばかり。
弟妹? 私に? お母様のお腹に子供が?
それを殺した? この人、この女が?
だったら殺す。殺して、殺して、殺して殺して殺して殺して殺し尽くしてやる!
絶対に殺す! 引き裂いて、すり潰して、細胞の一片だって残しはしない!
ホウキに跨った私は木々を魔力障壁で弾き飛ばしつつ一直線に低い軌道で森の中を駆け抜ける。けれど唐突に視界が開けたと思った瞬間、見えない何かが首に絡み付いて来た。
「ぐうっ!?」
それは目の前の女の攻撃。
「大人しくしていなさい! あなたには母親の元まで案内してもらいます!」
ギリギリと見えない手で私の首を締め上げる彼女。そして私の全力の突撃を完全に防ぐほど強固な魔力障壁。いったいこの女、何者!?
瞬間、私の脳裏に古い記憶が蘇る。
初対面じゃない。彼女とは以前にも一度会っていた。
「──こ、のぉっ!?」
「なっ!?」
私の気合の声と共に、首に絡み付いていた何かが弾け飛んだ。思い出した、魔力障壁で防げないこの異質な攻撃のことを。対処法もね。瞬間的な高圧高密度の魔力放出。それで弾くことができる。
しかし、その勢いで飛行制御が乱れ、もつれ合って墜落する私達。
「くうあッ!?」
「うっ、くっ、わぷっ!?」
幸いにも下は湖。二人とも水飛沫を上げながら水上を二度三度バウンドした挙句水中へ。どうやら南のタザー湖まで来てしまっていたらしい。
「ぷあっ!!」
ホウキを使って空中へ躍り出る私。もう、最近こんな目に遭ってばかりですわ!
でも、水に浸かったおかげで少しは冷静さを取り戻せました。ついさっき蘇った記憶もその一因ですけれど。
「貴女……」
相手は水に持ち上げられて浮上してきました。水を自在に操り、足場にして、その上に立って私を見つめてきます。信じられないといった表情で。
「何故……どうして貴女が、魔素を使った攻撃への対処法を知っているのです? それに今のやり方は、奴があの時見せた以外には他の誰も、一度だって……」
「こちらからも訊かせてください。どうしてソコノ村にあんなことを?」
確信しました。彼女です。実行犯はあの男でしょう。けれど首謀者は彼女。魔力の強さが桁違いですから、さっきの男の部下だとは考えにくいです。
おそらく地下水脈を利用したのでしょう。大量の水を自在に操る力を使って地盤の陥没と洪水を発生させた。ココノ村を襲った地震は、実際にはその時に生じた震動が伝播して来ただけだったのです。そして標的にソコノ村が選ばれた理由は──
彼女には真相を隠すつもりがありませんでした。あっさり、正直に私の考えを裏付けてくれます。
「どうして? どうしてですって? 都合が良かったからに決まってるでしょう。あの村の地下には地底湖がありました。簡単だったでしょうね沈めるのは。ほんの少し水を暴れさせて支えを崩すだけでいい。案の定、クチナシとお前は餌に食いついた」
やっぱり……たったそれだけ。そんな些細な理由で、彼女とあの男は大勢の命を奪ったのです。
もう、させません。
「相変わらずですね、教会の犬」
「……ははっ」
私の言葉を聞いた彼女は歓喜の笑みを浮かべます。先程から“まさか”とは思っていたのでしょう。その疑念が確信に変わった喜び。
「やはりか、そこにいたのか、そんな姿になってまで私の目を欺いていたのか! 最悪の魔女ヒメツルッ!!」
「別に貴女など眼中にありませんでしたわ、お犬さん」
そうです、私と彼女は過去に一度だけ会っています。やっと思い出しました。なるほど、だから私を狙って来たわけですね。
だったらせいぜい喰らいついて来なさい。もう二度と、他にその牙は向けさせません。
「会いたかった! 殺したかったよ!」
何も見えません。見えませんが巨大なものが彼女を覆い、膨れ上がります。なんとなくそれを感じ取れる。
(なんですの? いや、まさか──)
一つだけ心当たりがありました。去年の秋、三つの課題をクリアしてビーナスベリーの社員となった私とクルクマにアイビー社長自らが明かしてくれた世界の秘密。
この世界には“魔素”と呼ばれる物質が存在する。
自然界のいたるところにそれはあると教えられました。普段は拡散していて目には見えない微粒子。ある程度集まっても素養の無い人間には視認が難しい。そして、それからは魔力を抽出することも可能だと。冷蔵箱などビーナスベリー工房の製品の一部には魔素を吸収して魔力に変換する装置が搭載されているそうです。ただしその構造はトップシークレットで外部には絶対に情報が漏れないよう厳重に管理されている。変換装置搭載の製品には秘密を守るための自壊装置まで必ずセットで仕込まれる。
そこまで徹底して守られてきた秘密を、彼女が何故?
(いや、そもそも変換装置らしき物が見当たらない。それにあれは魔素を魔力に変換しているというより、魔素自体を操っているのでは……)
認識できず詳細も不明の物質。だから魔力障壁で防ぐこともできない。今のところ可能な対策は高圧の魔力噴射で弾くことだけ。なんとも心許ない話。正直言って一年前の戦いより厳しいかもしれません。
だからといって弱気になんかなるものですか。こういう時こそ強がりましょう。婆さん、貴女のお得意のセリフを使わせてもらいますわ。私はホウキを握り締め、目一杯の不敵な笑顔で言い放ちました。
「やれるもんなら、やってみな、ですわ!!」