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スカーレットオーク  作者: はぎわら 歓
第一部

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4/47

 食卓には新鮮なマグロの刺身が並んでいる。


「今日はごちそうだね」


「飲むか?」


 颯介が聞きながらもうすでに焼酎を注いでいた。


「ああ、うん」


「ほらいただきましょうよ」


 母の慶子が促した。


 直樹は母と二人暮らしだ。父は去年他界し、兄夫婦は歩いて十分の距離に住んでいる。それほど行ったり来たりはしないが週末は常に兄夫婦が聖乃を連れて来、賑やかな食卓を囲む。


 聖乃が刺身に手を出そうとしている。


「あら。お刺身なんか食べられるの?」


 慶子が少し皿をひっこめた。


「そうですねえ。もう一歳だから生魚いけると思うんですけどねえ」


 早苗は食べさせたいようだったが颯介が反対した。


「だめだめ。おなか壊したらどうするんですかねえ。きよのちゃん」


 娘に対する過保護っぷりにみんな辟易する。あんなに遊び人でチャラチャラしていた颯介からは想像もつかなかった。


「じゃあ一歳半にね」


 早苗はヤレヤレというように聖乃の口へマグロの角煮を放り込んでやった。


 食事もほぼ終わりカチャカチャと慶子と早苗が片付け始め、颯介は聖乃の相手だ。直樹も食器を下げた。


「いいわよ。飲んでてー」


 姐御肌な早苗がそういうので直樹は従った。座って飲んでいると颯介が再び車の中での会話を持ち出す。


「で、どうだったんだよ」


 直樹とは違って目じりの下がった柔らかい目をキラキラさせて聞いてくる。――またか。最近飲むとしつこいよなあ。


 簡単に引き下がりそうにないので台所をちらっと見て少し話した。


「バーで飲んでたら隣に女の子が座ってね」


「おお!ベタな出会いだな!」


 ――ほっとけよ。


「それでそれで?」


 ――野次馬だな。


 苦笑いしていると早苗がやってきた。


「あら、楽しそうじゃない。仲間に入れてよ」


 ――義姉さんまで混じるのかよ。


「聖乃はばあばがお風呂に入れてくれるってー」


 毎週、慶子は聖乃との入浴を楽しみにしている。


「ささ、きよちゃん『ばあば』とお風呂いきましょうー」


「ばあーあ」


 聖乃は嬉しそうに抱っこされて風呂場へ向かった。


「続き話せよ。」


 母と娘が去った途端に颯介は急かす。


「えーっと。なんだっけ」


「バーだよ、バー」


 ――……。


「なんとなく話が盛り上がって次の日会う約束をしたんだ」


「バーに行くなんて珍しいわね」


「うん。いつもならすぐホテルに直行するんだけどね。講習会で知り合った人に岡山市に泊まるって言ったらオペラのチケットをくれてね」


「オペラ~?」


 颯介と早苗が同時に発した。小柄な颯介と大柄な早苗がハモると、ちょっとしたオペレッタのようだ。


「なに、なに観たの?」


「そんなの何でもいいよ」


「カルメン。結構いい席で迫力があったから楽しめたよ」


 隣の席にいたのが緋紗だとは話さなかった。


「オペラの話はまた今度にしようぜ」


「そうね」


「んー、で。美術館でデートした」


「美術館か」


「どんな人なの?」


 直樹は努めて冷静に緋紗の特徴を話した。


「ボーッィシュな感じの子で陶芸家の弟子をしてるらしい」


「へー。なんか変わってそうだな」


「で、どうするのこれから?」


「一応来月末に、広島に行くからまた岡山でご飯でも食べようと約束したよ」


「連絡先ちゃんと聞いたか?」


「ああ聞かなかった」


「えー!」


「おいおい」


「名刺渡しといた」


 颯介と早苗は『こりゃだめだ』というように顔を見合わせ、勝手に納得したらしくそれ以上突っ込まなかった。


「お風呂あがったわよ~」


 母が聖乃を連れて出てきた。


「じゃあそろそろお暇しようか」


 早苗が眠そうになってる聖乃を抱いた。


「そうだな」


 颯介も空のグラスを台所へ運んで背伸びをした。


「じゃ、お袋また」


「直樹またな」


 そう言って帰ろうとした颯介だが少し戻って直樹に耳打ちした。


「とりあえず女は怒らせてもいいけど泣かせるなよ」


「肝に銘じとくよ」


 直樹は素直に聞いた。慶子が、「もう母さんは寝るね。パジャマ出しといたからお風呂適当にどうぞ」と、寝室へ向かった。


「うん。おやすみ」


 満足げに寝に行く母を見送って残りの焼酎を飲みほした。


 ここ何年も同じように過ごしてきた生活に何か変化が起きそうだ。日常が変わるわけではないのだが、直樹の中に緋紗という存在が色濃く残った。




  緋紗のぼんやりした休日が過ぎ、また陶芸中心の生活がやってくる。今日は窯出しだ。千二百度以上に焚き上がった窯が、常温近くに冷めるには一週間前後かかる。今回は松尾の展示会の予定もあり、少し早目に出すことになった。


山土で封をした入り口を鉄鎚で開ける。温度差による冷め割れをさせないように頑丈に封をしているため簡単には開けられない。なんとかレンガを一つ緩め引き抜いた。むわっと熱風がくる。――あつつ……。


 もう慣れているはずの熱風だが、今回はなんだか初めて味わう熱波のように感じた。――いつもより早く開けるからだ。きっと。


 また作業に集中する。入り口が全部開いて中に入れるようになった。


「先生。開きました」


 師の松尾ががライトを照らし火前の焼けを確認する。


「まあ狙い通りじゃな」


 備前焼は薪で焼く。全国の窯業地では電気やガスなどで焼かれることも多いのだが、備前焼は土と炎によって景色が決まるので釉薬によって変化する陶磁器とは一線を画す。緋紗がほかの窯業地をふらっと見てきたが備前に舞い戻ってしまったのはこの炎のせいだろう。窯を焚きながら、炎をこんなに見て感じられるのは備前しかないと思う。絵を付けたり釉薬を調合して掛けることも楽しかったが窯に詰めてからの楽しさが他の産地にはなかった。――窯焚きが一番興奮すると思う。


 残念なのは窯の規模もやはりほかの窯業地と違い個人でも相当大きいため、窯を焚く頻度が年にせいぜい二回程度なのだ。ただ岡山県内には備前焼作家が何百人もいるらしいからどこかしら窯に火が入っていることだろう。


 炎が直接当たる火前の最初の作品が出てくる。ゴロゴロとした壷や窯変の花入れが棚板に乗せられた。


「気を付けて運べよー」


 この辺の作品は窯の中でも希少で高価な部類になるので扱いが慎重だ。


「じゃ、あとはおめーが、じわじわ出してけ。熱いけ、ゆっくりでええ」


「はい」


 松尾はこれから伊部駅に到着する客の迎えに行くのだった。常連の目利きの客は窯出しと聞くと、まだ手入れもなされていないのに物色しにやって来る。


 残りは緋紗が少しずつ出していった。窯を開ける前の温度計の表示は百八十度だった。まだまだ熱波が顔をひりつかせる。素手で触ることなどできない熱さだ。――今回また早く開けたなあ。


 窯に入って作品を一枚の板に乗せて出てくるのにおよそ五分。一分で汗だくだ。これを何度も繰り返す。窯場がいっぱいになってきたので出すのをしばらく中止して整頓をする。なんせ何千点もあるので楽ではない。少し水を飲んでTシャツを着替えた。午後からはこの窯からでた作品を磨くアルバイトが何人か来る。備前焼は作ることから焼くこと、仕上げることまで複数の人が係ることが当然だ。誰が来るか聞いていないが、おそらくいつもの主婦連中と陶芸センターの生徒だろう。


「どんな?」


 松尾が様子を見に来た。


「三分の一は出せました」


「おう。じゃ飯にせられ」


「お昼帰ってきていいですか?着替え、もう少しほしいんで」


「好きにせい」


「はーい」


 緋紗はあと一枚の着替えではちょっと心もとないので動きたくなかったが帰ることにした。自転車で五分のところにアパートを借りているのでさほど億劫でもないのだが。着替えをもう二枚トートバッグに詰めてから昼食にした。弁当箱に詰めた煮物とポテトサラダを食べる。――帰ると疲労感が増すよなあ。


 モチベーションが下がらないうちに急いで食べてまた仕事場へ向かった。着いてもまだまだ休憩時間が残っていたので今回の作品を物色した。――あ、きれいな緋襷。


 この窯には緋紗が作ったものも多く入っていた。主にビールグラスだ。叩いて柔らかくした藁を二百点ほどのビールグラスに巻いて焼いた。窯から出しているときは見る余裕などないし場所によっては灰被りでくすんでいるので、後の手入れ時に『良い焼け』などと判断することが多い。緋襷のビールグラスを手に取ってみた。もう、ほんのりあったかい程度だ。慎重にグラスを戻しているときに手伝いたちがやってきた。


「こんにちはー。お願いしますー」


「緋紗ちゃん、こんにちはー。まだ弟子やってるの。頑張るねえ」


「もうちょっとお世話になるつもりです」


 顔見知りの石川達だ。四人組の主婦たちはもう勝手がわかっているので窯から出た作品を作業台に運び、各々砥石をかけ紙やすりをかける。ざらつきがなくなった焼き物を今度は洗い場に運び、洗って水漏れすることがないか検査をする。こうやってきれいに仕上がった焼き物が『作品』となるのだった。


「今回はまた明るくていい色じゃねえ」


 備前焼にも明るいオレンジ色から黒っぽい渋めの色まで色々ある。一般的なイメージは渋くて黒いのかもしれないが。松尾の作品は明るい焼けのものが多い。――ああ山にも違いがあるって言ってたな。


 何気なく大友の言葉を思い出しながら緋紗は再び窯の中に入っていった。

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