29
早苗に出産祝いの品を選んでもらい直樹はペンション『セレナーデ』に向かった。
『もしもし。大友です』
『あ、お。少々お待ちください』
そばに緋紗でもいたのだろう。和夫は少しして話し始めた。
『すまん。ちょっと立て込んでて。珍しいな電話よこすなんて』
『出産祝い持ってきたんですけど下の駐車場で渡しましょうか。後五分で着きます』
『えーっと。わかった。行くから待っててくれ』
『はい』
ペンションから離れた駐車場で直樹は待った。しばらくして和夫がやってきた。
「おっす。元気か」
「ええ。まあ。これお祝いです」
「ありがとうなあ。いやー直樹が祝ってくれるなんてなあ」
「それぐらい、さすがにしますよ」
「小夜子も喜ぶよ。会ってやってほしいんだが」
「また今度にしますよ。そうそう子供陶芸教室始めたらしいですね」
「ああ。よく知ってるな」
「ええ。チラシ見ましたよ」
「緋紗ちゃんは黙っててほしいと言っててな」
「そうですか」
直樹はペンションのアトリエがある場所に目をやった。
「会いたいか?」
和夫はまっすぐに直樹を見て訊いたが直樹は首を振る。
「今はよします」
「そうか。緋紗ちゃんって変わった子だな。欲がないのはやっぱ伯母さんが震災で大変な目にあったからかね」
「え。そうなんですか?」
「ああ。知らないのか。なんでも伯母さんは阪神淡路の震災で夫を亡くしてから十年一人で過ごして亡くなったそうだよ。子供もいなかったから緋紗ちゃんをよく可愛がってたようでいつも人生の大事なものついて話してたらしい。そういう人の話を聞いて育ったんだ。普通の女の子とやっぱり違うだろうな」
和夫の話をじっと聞きながら、直樹は緋紗の純粋な率直さと欲のなさを思い出した。
「緋紗は若いけど大事なものを知ってますからね」
「うん」
「で、どうするんだ。今年の冬は来るか? 今、緋紗ちゃんがいてくれてるから人手が足りてることは足りてるがな」
「しばらく来ませんよ。緋紗にも内緒にしておいてください。俺もすこし計画があるので。緋紗はどうですか?」
「元気だし陶芸教室も軌道に乗りそうだよ。とにかくよく頑張ってる。薪まで割ってくれてさ」
直樹は緋紗が薪を窯に投げ入れる様子を目に浮かべた。
「あんな子滅多にいないよな」
「小夜子さん以外にでしょ」
「まあそうだな」
和夫は照れ臭そうに頷く。
「夏までにまた来ます。それまで緋紗をよろしくお願いします」
「おう。まかせとけ。お前も頑張れよ」
直樹は軽く会釈をして去った。和夫は少し雰囲気の変わった直樹を見て「ちゃんと迎えに来いよ」と心の中でつぶやいた。
静岡にも寒い冬が訪れた。緋紗はまた新年をこのペンション『セレナーデ』で迎えた。ただ直樹はいなかった。近所の神社に初詣に行き手を合わせて祈る。――直樹さんが健康で怪我をしませんように。
自分のことは祈らなかった。子供陶芸教室も、ペンションの評判と知名度によって少しずつ賑わってきた。和夫と小夜子のおかげで少しは見通しが立てられそうだ。――何年くらいで独り立ちできるだろう。
あまり時間ばかりもかけられないが焦ってもしょうがないので、とりあえず小夜子が完全復帰できそうな時期までペンションで働かせてもらう予定だ。和夫にしてみればペンションの従業員で良ければ正社員として受け入れるつもりだが、緋紗はやはり陶芸をメインに働いていきたかった。二人の夏の出来事を聞いて、小夜子もその方がいいと言ってくれている。
直樹が森を捨て緋紗が陶芸を捨てて一緒になっても、きっと破綻すると小夜子も思ったらしい。――とりあえず自分のことを知ってもらわなきゃ。
緋紗は東京で有能な営業マンだった和夫に色々アドバイスをもらい、空いた時間には営業活動をしたり、また陶芸教室のブログを書いたりした。とにかく毎日が充実している。いつか直樹のそばに『飛ぶ鳥のまま』居られるようにという思いが原動力の源だった。




