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スカーレットオーク  作者: はぎわら 歓
第一部

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23/47

23

 暑くなってきたので泳ぎに出かけることにした。


「歩いて行けるところなんだ。水着着ていこう」

「え。そんな近場にあるんですか?」

「タオルだけあればいいから」

「じゃあ。着てきます」


 直樹もハーフパンツの水着に変えてTシャツを着た。緋紗が身体にタオルを巻きつけてやってきた。


「すぐそこだから水着のままで平気だよ」

「ええ。まあ」


 水着姿が恥ずかしいのだろうか。


「見せてくれないの?」

「それが買いにいったらもう変なのしか残ってなくてですね」


 直樹は言い訳をしている緋紗のタオルを剥ぎ取る。


「きゃ」


 ヒョウ柄のビキニだ。


「すごいね」


 直樹もびっくりした。


「もう。取らないでください」


 軽く怒って緋紗は直樹からタオルを取り返した。


「ごめんごめん。勿体つけてるのかと思って」

「これとフリフリレースしか残ってなかったんです」

「似合ってるよ。ヒョウ柄」


 家を出て裏側に回り小さな獣道のようなところに出た。少しだけ草が刈ってあって人が一人通れる細道だ。


「切れるような草はないから大丈夫だと思うけど、一応気を付けて」

「はい」


 三分ほど歩くと小さくゴォーという滝の音が聞こえてきた。


「滝……ですか?」

「うん。小さい滝壺があるんだよ」

「そこで泳ぐんですか。人が来るんじゃ」

「誰も来ないよ。観光から外れてるしね」


 話しているうちに滝が見えてきた。有名な滝とは違って高さもあまりなく滝壺も径が数メートルで深さも二メートル程度だ。


「夏に良くここで泳いでるんだ。静かでいい場所だよ」


 緋紗は滝を見ていた。


「泳げる?」

「得意な方じゃないですけど一応泳げます」

「大丈夫そうだね。ちょっと筋とか伸ばして」


 直樹がそういうと緋紗もアキレス腱やら肩やらを回し始めた。


「眼鏡外して」

「はい」


 手を引いて水辺に連れていく。


「冷たい!」

「滝の水はちょっと冷たいかな。ゆっくりおいで」

「先に行っててください。もうちょっと慣らします」


 滝の水は慣れないと冷たい。


「うん。僕は泳いでるよ」


 直樹はゆっくりと水に沈んでいった。――冷たいな。

 水の中で身体を伸ばしてからゆっくり浮上する。ゆるゆる泳いで浮かんで空をみた。少しずつ緋紗が水に入ってきた。――一気に入っちゃえばいいのに。


「早くおいでよ」


 緋紗のそばに行って抱き寄せてそのまま泳いだ。


「きゃあ」

「力入れないで」


 冷たさに慣れてきたのか泳ぎ始めた。


「こっちおいで」

「待って」


 滝の裏側に誘う。


「ほら。ここ」

「わあ。なんかダンジョンっぽいですねー」

「だろ」

「宝箱でも置いときたい感じ」

「開けるとミミックだよね」


 二人で岩のくぼみに座って笑った。少しキスをしてまた水の中に戻る。一緒にもぐって水の底をみた。全身が青白くなった緋紗は精霊のような人間離れしたような雰囲気で美しかった。


「ぷはあっ」


 水面に顔を出して息を吸う。


「ちょっと上がろうか。唇が紫になってるよ」

「そうですね。ちょっと休憩したいかも」


 水から上がって草むらに寝っ転がった。直樹は計画していた悪戯を実行することにした。


「直樹さんは泳ぐの上手ですね」

「うん。一番得意なのは水泳なんだ。中高、部活が水泳部でね」

「へー。そうだったですか。てっきりピアノかと……」


 直樹がぐったりしている。


「どうしたんですか?」


 呼び掛けたが返事をしない。


「直樹さん?直樹さん!」


 緋紗が頬をたたく。――痛いな。

 緋紗は四つん這いになり、必死になって肩を揺らす。

 直樹は息を止めた。


「息してない!」


 緋紗は慌てて人工呼吸を始めた。――鼻ふさがないと。

 直樹はそう言いそうになるのを堪えた。――そろそろやめないとまずいか。

 緋紗が息を吹き込んできたときに直樹は舌を差し入れた。


「きゃ」


 緋紗は驚いて顔をひっこめた。


「気づいたんですか」


 緋紗がホッとした顔を見せた。


「うん。ありがとう。助かったよ」

「良かった……」


 力が抜けた緋紗は真っ青な顔で足をガクガクと震わせていた。――やばいな。相当本気にしたな。

 このまま黙っていようか悩んだが正直に演技だったことを話すことにした。


「緋紗。ごめん」


 少し間をおいて言う。


「今の冗談なんだ。まさか本気にするとは思わなくて」

「え」


 緋紗がの顔が険しくなった。


「嘘だったんですか!?」

「うん。ごめん」

「ひどいです。なんでそんな。すごく心配したんですよ!」


 今までの緋紗とは全く別人のように肩を震わせて怒っている。


「本当にごめん」


 なかなか許してくれない。心から反省したのだが、とても機嫌を直してくれそうになかった。直樹は意を決して最終手段をとることにした。直樹は緋紗の後ろから両肩に手を置く。


「緋紗。怒っててもいいから。僕と結婚して」

「え?」


眉間にしわを寄せて怪訝な表情を見せる。


「今なんて言いました?」

「『僕と結婚してください』って言ったんだよ」


緋紗をまっすぐに見つめる。


「結婚してください」


濡れた唇をかすかに動く。


「はい」

「良かった」


直樹は呆然としている緋紗にそっと唇を重ねた。


 帰り道、緋紗は地面が雲のようにふわふわ浮いているように感じられた。まるでエデンの園にでもいるみたいだった。世界に直樹と自分しかいないような錯覚すら起こしてしまう。――プロポーズ?

 なんだか信じられない気持ちだった。


「危ないよ」


ぼんやり歩く緋紗の肩を直樹が抱く。ぐらついて直樹の腰に手を回してしがみつくと、今更ながらに腰回りや臀部もしっかりしていて逞しい。

 改めてドキドキしていると家に着いた。


 ぼんやりしている緋紗を直樹は浴場に連れていき一緒にシャワーを浴びた。少し焼けたのかビキニの跡がついていた。緋紗はさっきから無口でそわそわしている。直樹も言いたいことを言ったので一緒になって黙っていた。着替えて少し落ち着いたので直樹は適当にパスタをゆでた。


「緋紗。お昼食べよう」

「あ、はい。ありがとうございます」


 黙々と食べた後、緋紗と寝室にいった。


「ごちそうさまでした。美味しかったです」

「そう。よかった。疲れてるなら少し横になる?」

「あ、いえ。平気です」

「ぼんやりしてるね」

「すみません」

「ううん。考えてる?」

「いえ。あのすごく嬉しくてなんだか現実感がなくて」

「本当は嫌なんじゃないかと思ったよ」

「そんなことないです。ただ、私にも言いたいことがあって」

「なに?」


 緋紗は少し呼吸をして直樹を見て言った。


「好きです」


 そしてうつむいた。――ああ。先そっちだった。


「ごめん。気が付かなくて。僕も緋紗が好きだ。ずっと一緒に居たい」

「ほんとに?」

「私、直樹さんが私のことを好きじゃなくても会えるならそれでいいと思ってました」


 直樹は緋紗がいじらしくなって抱きしめた。


「好きだ。こうしていたい」


 緋紗も直樹を強く抱き返した。


 二人でスーパーに買い物に行き、夕飯を緋紗が作った。


「美味しいね。緋紗、料理できるんだ」

「え。料理できなくてもよかったんですか?」

「うーん。考えなかったな」

「私、一応器作ってますから料理にも関心があるんですよ?」

「そうだったね。ごめんごめん」

 ――良かった。美味しくできた。


 あまり派手な料理はできなかったが冒険はせずにいつもの和食を作った。なんだか新婚気分で緋紗はウキウキする。


「甘くなくて美味しいよ」

「私も甘いのが苦手で砂糖は使わないです」


 食べ物の好みも似ててよかったと緋紗は思った。


「明後日、帰る日だね」

「早いですね。あっという間」


 緋紗は残念そうに言った。


「小夜子さんが夜来いって言ってたな」

「少し早めに行って散歩してもいいですか?」

「うん。いいよ」


 なんとなく緋紗が懐いた猫のように直樹のそばにいる。――これが恋人ってことか。

 直樹は今まで一人で自由に過ごしてきた充実感とまた違った満足感があると思った。緋紗がそばにいることがとても自然でずっとこうしてきたかのような気持ちにすらなった。直樹が緋紗の頬を撫でると、緋紗は直樹の指先にキスをする。そして指を軽く噛んで吸い付いたりなめたりした。――ネコ科ぽいな。

 昼間のヒョウ柄の水着を思い出してくすりと笑う。


「なんですか?」

「いや。なんでも」


 咳払いをしてごまかしたが緋紗は怪訝そうに見る。


「明日も泳ぎに行こうか」

「もうあんなことしないで下さいよ」

「うん。本当に反省してるから。もうしません」

「ほんとに怖かったんですからね」


 緋紗は口を尖らせた。


「好きだよ」


 耳元でささやいた。


「私もです」


 抱き合いながら緋紗が『好き』と何度か口にした。ずっと言いたかったのだろうか。言葉は二人にとって記号でしかなかったが改めてそう言われると直樹も緋紗をいつもより抱きしめる力が強くなる。――緋紗に燃やされてしまってもいい。

 いつもとほとんど変わらない行為なのに深く相手に入り込む気がする。恋人として初めて過ごす夜だからかもしれない。愛し合った後二人は緋紗の焼いたグラスのように抱き合って眠った。


 今朝は隣に直樹がいた。緋紗は眼鏡をはずした直樹の睫毛を見ながら、

「ダーリン。おはよう」 と、小さく言った。――言っちゃった。

 一人でにやけていると、「おはよう。ハニー」 と、直樹が目を閉じたまま答える。


「やだっ、もうっ。直樹さんっ」


 緋紗は中に潜った。直樹も潜ってきて緋紗を抱きしめる。緋紗は嬉しくて照れくさくてたまらなかった。こんなに甘ったるく幸せな朝は初めてだった。


 ゆっくりと二人で甘い時間を過ごす。何をしていても楽しかったし何もしなくても楽しかった。ペンションへ行く時間になり緋紗は最後の日に着ようと思っていた赤いノースリーブスのワンピースに着替えて腕をみた。――Tシャツの跡がついてなくてよかった。


 このワンピースが着たくて、夏は日焼けに気を使った。夏の陶芸の仕事は主に粘土づくりだ。粘土は最初から滑らかではなく砂や石、ゴミが混じり、すぐ使える状態ではない。水簸と言って、石やら砂やら粘土やらが混じっている状態から粘土質だけを取り出していく。水をふんだんに使い泥をかぶるようなことも多々あるので、屋外でやる夏の作業にぴったりなのだ。

 毎年、緋紗はTシャツの形そのままに日焼けをしていた。いつもはそれを気にすることもなかったが、今年の夏は直樹と過ごすことになったので、初めて日焼け止めを使って仕事をしたのだった。少し化粧もしてみた。――眼鏡どうしようかな。

 外してみたほうが良さそうなのではずしておいた。多少、視界はぼやけるが何とかなるだろう。

 支度が出来たころ直樹がやってきて「赤がよく似合うね」と、言ってくれたので嬉しかった。


「ちょっと座って」


 ベッドに腰掛けるように言われたので座った。緋紗の後ろに直樹が座って何か首につけた。


「プレゼント」

「え」

「洗面所に行ってきていいですか?」

「どうぞ」


 鏡の前に立ってみる。小さいリンゴ形の台にルビーが散りばめられたペンダントだ。――なんて可愛い。


「気に入ってくれたかな」


直樹が照れ臭そうに言った。


「本当はプロポーズするときに渡したかったんだけど……」

「嬉しいです。私の誕生石知ってたんですか?」

「え。ルビーって7月だよね?先月、誕生日だったの?」

「はい」

「ごめん。知らなかった」

「いえ。言ってなかったですよね」


 年齢は教えあっていたが誕生日には触れてなかったし必要だとも思っていなかった。


「石の色で選んだんだ。似合うと思ったし。指輪も考えたけど陶芸の邪魔になるといけないから」


 緋紗は単に誕生石で選ばれるより嬉しく思ったし、陶芸のことまで気にしてくれている直樹に自分への愛情を感じた。


「すごく嬉しいです。いいんですか?」

「ずっとつけてくれるかな」

「もちろんです」


 緋紗はそっとなぞりながらここに直樹の気持ちが結晶化してることを想像する。


「直樹さんはいつなんですか?お誕生日」


直樹は少し間をおく。


「実は緋紗と初めて会った日が誕生日だったんだ」

「ウソ!言ってくれたらよかったのに」


 緋紗は驚いて目を丸くした。


「いやあ。誕生日を気にする歳でもないし。初対面の男に『僕の誕生日なんだ』って言われても困るだろ」


 直樹は笑った。


「それはそうですけど」


 せっかくの誕生日を祝えなかったことが今更ながらに残念な気がした。


「今思うと緋紗との出会いがプレゼントだったかもしれない」


見つめ合い、また口づけを交わす。ぬくもりを感じ合った後、身体をそっと離した。


「ありがとうございます。一生大事にします」


 腕を初めて組んで、二人は出かけることにした。

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