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スカーレットオーク  作者: はぎわら 歓
第一部

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22/47

22

 ペンション『セレナーデ』の前に立つ。冬と違って木々は青々とし爽やかだった。真夏だというのに、気持ち良いそよ風と木陰があって避暑地に最適だ。――スカーレットオークはどうなってるんだろ。

見回りたい気持ちもあるが和夫と小夜子に早く会いたかった。


「今日は玄関から入ろう」


 直樹はペンションのドアを開けた。直樹がフロントのベルを鳴らす。小夜子がやってきた。直樹はそっちのけで緋紗に向かってくる。


「緋紗ちゃん! いらっしゃい」

「小夜子さん、お久しぶりです」


 小夜子は少しふっくらしていて大きなおなかを抱えていた。


「大きいですね!」

「ふふ。まだまだ生まれないけどね。元気なのよ」


華やかさは変わらないが、ますます威風堂々として力強かった。


「少し日に焼けたの? 紫外線気を付けないとだめよ?」


 小夜子は妹をたしなめるように笑う。


「どれくらいいるの?」


 直樹も緋紗も口を開く前にどんどん小夜子が聞いてくる。


「三泊四日の予定です」

「そうなの。あっという間ねえ」


 緋紗は小夜子にお土産を渡した。


「あの。これ。少しですけど」

「あら。まあ。いいのに。でも嬉しいわ」

「テーブルに着いてて」


 二人でテーブルに座ると和夫が席にやってきた。


「やあ。緋紗ちゃんよく来たなあ」

「こんばんは。お久しぶりです」

「ゆっくりしてってくれよ。またな」


 忙しい時間帯なので和夫はバタバタと厨房へ行ってしまった。


「二人とも緋紗に会えてうれしそうだね」

「私も嬉しいです」

 ――こんなに歓迎してもらえるなんて。

 緋紗は久しぶりのペンションを眺めた。


「木に囲まれるっていいですね。直樹さんの仕事場はもっと素敵でしょうね」

「そうだね」


 答える直樹はなんとなく寂しげに感じた。――ん?

 少し気になったが小夜子がグラスワインを一つ運んできたのでそちらに目を奪われる。


「直君は運転だもんね。これ緋紗ちゃんにサービスね」

「ああ。すみません。ありがとうございます」

「ごゆっくり」


 小夜子は優雅に去って行った。

 夏野菜がふんだんに使われたカラフルな料理が並べられる。また金目鯛の押し寿司など伊豆まで行かないと食べられないものもある。他にも客は四組程あってペンションは相変わらず賑わっていた。少し残念なのはピアノの演奏がないことだ。


「しばらくピアノはなしですね」

「うん。たまにバイトで弾ける人を募集してるんだけどイマイチ進まないらしいよ。小夜子さんの好みがうるさくてね」

「そうなんですか。難しいもんですね。じゃあ直樹さんのピアノは合格なんですね」

「さあね」


 笑う直樹にとワインを飲んだせいかリラックスしてきた。 


「直樹さんのピアノもすごく素敵でした」

「ありがとう」


 直樹は何でもないという顔をする。


「演奏も素敵だったけど弾いてる姿も素敵で。他の女の人が直樹さんを見てるのがなんだかすごく嫌で……」

「僕は演奏に集中してたからそんなこと全然気が付かなかったよ。緋紗は案外気にするんだね」

「みたいですね」


 自分でもこんなに嫉妬心や猜疑心があるとは知らなかった。


「直樹さんみたいに落ち着けたらいいですけど……」


 年齢が思っていたよりも近かったのに、自分の幼さでまた直樹が遠く感じてしまう。


「僕も別に落ち着いてるわけじゃないよ。あんまり物事に感動がないだけで。緋紗が岡山でフラフラしてるんじゃないかっていつも心配してるよ」

「やだ。そんな。フラフラしてません!」

「わかってるよ。遊んでないことぐらい。でもね。僕も意外と嫉妬深くて独占欲があるってことだよ」


口には出さないが、窯焚き後の打ち上げで、緋紗と谷口の親密さに不愉快さを感じていた。


「緋紗といるといろんなことを感じられるんだ」


 直樹の目がとても優しかったので緋紗はぽーっとなった。――私はドキドキしてしまうけど……。

 頬杖をついている直樹がとてもセクシーで見ていると顔が熱くなってきた。


「ワインおかわりしない?」

「いえ。もう。独りで飲むのも」

「そう。じゃ帰ったら一緒に飲もうか」

「はい」


 食事もほとんど済み客もまばらになった。最後の客が去った時に和夫と小夜子がやってきた。


「緋紗ちゃんいっぱい食べた? あんまり飲まないじゃない」

「ごちそうさまです。もうおなか一杯です。とっても美味しかったです」

「そう。よかった。明日もくる?」

「いや。今夜くらいの予定だったから」

「えー。もう一回くらい来なさいよ」

「うーん」


 小夜子と直樹は相変わらず似た者同士のような仲がいいんだか悪いんだかわからない関係だった。和夫が緋紗に、こっそり耳打ちする。


「相変わらずだろ?二人とも」

「似てないような似てるようなですよね」

「女王様と王様だからな。俺は家来だ」


 結局、緋紗が帰る前日に寄ることになった。


 満たされたいい気分で帰ってきた。


「風呂ためるから書斎ででも待ってて」


 直樹は緋紗を書斎に通して風呂の用意をする。バスタオルをかごに出してから戻った。


「あ、借りてます」


 緋紗は漫画を読んでいた。


「そんなの読むの?」


 直樹の一番好きな漫画だったが少しマニアックな内容だ。


「ええ。一番好きな漫画でずっと持ってたんですが手放しちゃって」

「そう。それ読んでる人少ないよね」

「そうなんです。女友達なんかこの漫画家さえ知ってる子いなかったですよ」

 ――緋紗もマニアックだなあ。


 同性の友人でもなかなか趣味が被らないうえに、まして女性ではなおさら皆無だろうと思っていた直樹には、緋紗の存在が今更ながら不思議だった。


「僕も一番好きな漫画なんだ」

「ほんとですか?」

「そろそろお風呂に入れるよ。はいっておいで。僕は酒の用意でもするよ」


 直樹が風呂を勧めると緋紗がバッグから小さな包みを取り出した。


「これ使ってください」


 丁寧な梱包を外すと中に二個、高さ十二センチくらいで筒形の備前焼のグラスが入っていた。


「緋襷? 作ったの?」

「はい。春の窯に入れさせてもらったんです。直樹さんと私の」

「綺麗な赤色だね。軽く洗って使おうか」

「はい」

「タオルこれ使って」

「ありがとうございます」


 多少の説明をして直樹はその場を離れた。寝室に小さなローテーブルをだし、氷とジンとベルモットを用意した。

 緋紗のミニグラスを洗ってみる。水に濡れると緋色がより鮮やかに輝いた。――綺麗だ。


 二つを見比べていると緋色が途切れているところがあった。――藁を巻くって言ってたな。


 グラスを二つ合わせて眺めているとぴったりと模様もボディも合わさる部分があった。どうやら二つのグラスは二個まとめて藁を上から巻きつけて焼いたようだ。少しだけ大きさが違っていて、大きいほうが小さいほうを包んでいるようだ。

 直樹は赤い色とロクロ目をなぞって、緋紗がロクロを回す様子を思い出した。


 風呂から上がり寝室に戻ると直樹がグラスを運んできた。


「あ、お先に頂きました」


 緋紗は白いノースリーブスのワンピースを着てベッドに腰かけている。


「うん。僕も入ってくるから漫画でも読んでて」


 緋紗はテーブルの上の二個のグラスを眺めた。――壊れなくてよかった。

 松尾にグラスを二個作って窯に入れたいと頼むと快く応じてくれたのだが、普通必要な作品の個数の二割余分に作らないと壊れることもあるので四個は作れと言われた。しかし緋紗は二個しか作らなかった。他の代わりを作ってもしょうがないと思ったし、これが壊れたらそれまでというような気持ちがあったからだ。一応緋襷の景色が得られて炎が激しくなり過ぎない場所に置いた。――綺麗に焼けてよかった。

 二個のグラスに自分と直樹を投影していた。


 直樹が寝室に戻ると緋紗が手首に何か軟膏のようなものを塗っている。


「どうかした?」

「あ。いえ。これ前にもらったスギのオイルの練り香水なんです」

「へー。嗅がせて」


 スギの爽やかな香りに少し柑橘系の甘酸っぱい香りが混じっている。


「いい香りだね。手作り?」

「はい。オイルが減ってきちゃってどうしようと思ってたら友達がこれの作り方教えてくれたんです。少しオレンジオイルも混ぜちゃいましたけど」

「なくなったら送ってあげたのに。でもすごくいい香りだし緋紗に似合ってるよ。僕にも少しつけさせて」

「えーっと。どこがいいかなあ」


 少し迷ってからTシャツから覗いている鎖骨のあたりに塗り始めた。


「匂いはそんなに強くないのでこの辺でいいと思います」


 確かにほのかに香る。


「いいね。最近『エゴ』にも飽きたし僕にも作ってくれないかな」

「そうなんですか。あの香水すごく似合ってますけどね」

「うーん。外にいるときは平気だけど家に帰るときつく感じるんだ」

「じゃあ、これあげますよ。とりあえずですけど。うちに帰ったらまた作れるし」

「いいの? 嬉しいなあ。大事に使うよ」


 緋紗が練り香水の入った容器を直樹に渡した。


「一応、直射日光と高温になる場所は避けてください」

「ありがとう。じゃ飲み物作るよ」

「もしかしてマティーニ作るんですか?」

「うん。オリーブなくてごめん」

「いいです。楽しみ」

「混ぜて冷やすだけだけどね。ベルモット多いほうがいい?」

「えーと。ドライ気味でお願いします」

「うん。僕も同じだよ」


 直樹はビーカーのようなガラスのコップに氷とジンとベルモットを注いでマドラーでくるくる混ぜた。そして二個の備前焼きのミニグラスに注いだ。


「乾杯」

「乾杯。美味しいー」

「そう。よかった。緋紗は強いね」

「そうでもないです。好きですけど」

「陶芸家の人ってみんな強いのかな。この前の打ち上げ、鈴木さんなんかすごい量飲んでてびっくりしたよ」

「ああ。鈴木さんは酒豪ですよ」

「何か食べるものほしい?」


 そういえばおつまみも何も出してないことにしばらくして気づいた。


「いえ。私あんまり食べながら飲まないんです。おなか一杯になっちゃうから」

「緋紗といると楽だよ」

「そうですか?」

「うん。好みが似てるから。でもしてほしいこととかあれば言ってくれるかな。僕はあんまり気が利く方じゃないからね」

「もう十分です。私こそなんでもしてもらっちゃって。なんでして欲しいことがわかるのかなあっていつも思います」

「そろそろ寝ようか」


 二人ともほど良い酔い加減だった。


「そうですね。ちょっと片付けます。」

「いいよ。下げるだけだから」

「そうですか。じゃ、歯を磨いてきます」

「うん。どうぞ」


 直樹が酒とグラスを下げて戻ると緋紗もベッドに戻って座っていた。


「眠い?」

「少し」


 機嫌よく答える彼女の肩を軽くつかんでキスをする。リラックスしていて滑らかな口づけを交わす。何年も付き合ってきたような慣れ親しんだ気さえする。


「もう寝る?」

「ううん」

「同じ匂いがするね」


 直樹は緋紗の手首を嗅いだ。



 早くに目が覚めたが恥ずかしいのでじっとしていると、直樹が軽く伸びをして起き上がった。


「おはよう」


 声を掛けられて、今気づいたように緋紗も「おはようございます」と顔をのぞかせた。


「よく眠れた?」

「はい」

「着替えたら台所においで」

「わかりました」


 直樹が部屋を出たので起き上がり、寝相とか大丈夫だったろうかと見渡した。特に問題なさそうなので、身支度を整えてから台所に向かった。


 小さなテーブルに水とトーストとプレーンオムレツと綺麗にカットされたトマトが出されている。――あ。男の人にご飯を作られてしまった。

 緋紗は綺麗な色に焼かれたオムレツを眺めた。直樹がコーヒーを入れてきて椅子に座る。


「食べよう」

「いただきます」


 緋紗はトマトを食べてトーストをかじった。フォークでオムレツを割るととろりとした半熟の部分が出てきた。


「上手ですね」

「ペンションで鍛えられたかな。独り暮らししてた時期もあったしね」


 緋紗の周りの男たちも料理自慢が多くいる。食器を作ると同時に料理を作ることにも関心が湧くのだろう。実際に美味しいのだが、客に出すことを意識して作る直樹はさすがで、仕上げが綺麗だった。


「美味しい」


 緋紗は柔らかいオムレツを堪能した。


「よかった」


 直樹は微笑んで緋紗の食べる姿をみた。


「水着持ってきた?」

――あの水着か……。


「ええ。一応。海にでも行くんですか?」


 どうやら泳ぎに連れて行ってくれるらしい。


「お盆って泳ぐと海に引きずられてしまうんじゃないですか?」

「海じゃないから大丈夫だよ。その話ってクラゲ避けのための迷信じゃないの?」

「えー。霊ですよ」

「わかったよ。海はいかないね」


 緋紗は少しほっとしてコーヒーを飲んだ。一緒に軽く片付けてのんびり話をした。抱き合う時間ももちろん大事だがゆっくりと話せるこの時間が緋紗にはとても愛しかった。好きな本、ゲーム、音楽、映画色々。同じものが好きだとこんなに楽しいのかと思うくらい盛り上がった。

今まで色々な人との出会いで世界が広がったことがあったが、直樹といると世界が深まる気がする。緋紗は身体だけじゃなく心も一つになりたいと願う。直樹さんが好きとこっそり心の中でつぶやいた。

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