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スカーレットオーク  作者: はぎわら 歓
第一部

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20/47

20

「よーし。軽く片付けよう」


 松尾が最終確認をし、すべての焚口を泥で栓をする。


「お疲れ様です。今から打ち上げですよ。これます?」


 緋紗は直樹をこれからの打ち上げに誘う。


「いいのかなあ」

「もちろんいいと思います。疲れてなければ」

「じゃお邪魔するよ」


 松尾の妻の美紀子がやってきた。


「ご苦労様です。こちらへどうぞ」


 工房で打ち上げが始まった。


「ここにでもどうぞ。私は奥さんの手伝いをしてきます」


 緋紗は直樹を席に促してから、美紀子のほうへ向かった。


「あら。緋紗ちゃん。座ってていいのよ?」

「いいです。運びます」

「彼氏放っておいていいのかな」


 美紀子が笑って言った。


「え、と、あの。大人の人だしいいと思います」


 照れ笑いをしながら料理を素早く運んだ。打ち上げの席で、直樹は松尾と鈴木と盛り上がっているようだった。木材の相場について談義がなされている。緋紗も運び終わって席に着いた。


「お父さん、全部用意できたわよ」


 美紀子もグラスにビールをつぎ始めた。


「よし。じゃあ乾杯するか。お疲れさん。乾杯」

「乾杯」

「乾杯」


 グラスを鳴らしてビールを飲んだ。

 直樹は松尾と鈴木に挟まれるようにして座っていた。もう打ち解けているらしく話が弾んでいるようだ。――大人だな。もう仲良く話してる。

 そこへ美紀子も参加してより賑やかになっていった。緋紗は谷口の隣に座った。


 緋紗と谷口は倉田百合子と同じく陶芸センターの同期で、谷口が先に松尾に師事したので兄弟子にもあたる。二人とも少し人見知りなところや好みが似ていて、緋紗にとっては男の知り合いの中では親友のような存在だった。谷口も自分と緋紗が似た気質で遠慮なく本音を話せる知己だと思っている。


「宮下さん、大友さんとは結婚するん?」


 谷口が小声で聞いてきた。


「ううん。そんなんじゃないよ。まだ知り合って間もないし。こっちは好きじゃけど」

「ふーん。なかなかお似合いじゃけどな」

「そう? 谷口君はどうなん。生活」


 谷口は三年前スピード結婚をした。それでもう二児の父親だ。


「毎日大変じゃけどなんとかって感じ」


 まだ若くやっと松尾から独立し、これからという時の結婚だったので緋紗には衝撃だった。谷口の仕事は、主に作家や窯元から焼く前の商品の注文を受け作ることだ。湯呑などの小さなものは単価が低いが、壷など大物になってくると単価も高くなってくる。備前にだけある『賃引き』と言われる職人的な仕事だった。


「自分の作品作る暇ある?」

「今はないなあ。なんか子供見とるとそういう前にあった欲求みたいなのが減ってくるんよ」

「そんなもんかね」


 陶芸センターに入った当時は二人とも二十歳前で色々やりたいことや野望があったように思う。

「宮下さんも結婚して子供できたら変わるよ。しかも変わるんが嫌じゃないんよね」

「そうなん」

「大友さんって、なんか大人っぽおってええやん。ほかに宮下さんでええと思う人おらまあ」

「ちょっとー。失礼なんなあ。でも大友さん私と同じネトゲにおるんよ」

「すごいやん。せっかくじゃし捕まえとかれ」


 二人で笑った。谷口との気楽なおしゃべりは楽しかった。


「私はそろそろ失礼しますね」


 美紀子が席を立った。時間は一時半を過ぎたところだ。


「ごちそうさまでした。とても美味しかったです」


 直樹は恐縮して頭を下げる。


「あら。よかった。こちらこそ頂き物をすみません。また是非おいで下さいね。みんなはまだまだ飲んでってね」

「ごちそうさまでした」

「お疲れ様です」

「おやすみなさい」


 みんな立って挨拶をすると美紀子は笑って自宅へ戻っていった。面倒見が良く、優しい美紀子がいるから厳しい松尾の指導に耐えられることも多々あり、みんな彼女を敬愛している。


 二時半を回るころ松尾があくびをする。


「わいもそろそろ寝るわ。後は好きにして。緋紗は三日休みな。水曜日からけー」

「わかりました」


 またみんな立ち上がって挨拶をした。


「じゃ。大友君もまたよかったら来られ」

「ありがとうございました」


 直樹も立ち上がって礼をした。


「まだ飲む?俺は嫁が起きたら迎えに来てもらうつもりだから六時まで飲む」

「僕も同じようなもんなので付き合います」、


 兄弟子の鈴木と谷口はまだまだこれからのようだ。緋紗は朝から窯を焚いているのでそろそろ帰りたかったが直樹がどうするのかが気になりちらっと見た。


「僕もそろそろお暇します。ありがとうございました。楽しかったです」

「私も失礼します」


 直樹に便乗する。


「宮下さんは朝からじゃもんな。お疲れ」

「またな。おつかれ」


 二人に手を振り直樹と帰ることにした。


 街灯もろくになく、月明りで何とか目の前の道が見える程度の明るさだ。それでも緋紗は慣れた道なのだろう飄々と歩いている。


「遅くなっちゃいましたね」

「うん。こんなに夜更かしするのも何年かぶりだよ。同窓会ですら十一時には帰ってたしね」

「健全ですね」

「みんな若そうだったけどもう結婚してるんだね」

「備前って女の人が少ないから見つけるとパッと結婚する男の人多いですよ。谷口君なんか入院した時の担当の看護師さんと結婚しましたもん」

「へー。じゃあ緋紗も引く手あまたかな」

「あはは。同期の女の子はみんなモテてましたけどねー。私はイマイチです。女らしくないからでしょうね」

「なるほど」


 納得している直樹に、怒ることなく緋紗は機嫌よく笑っていた。


「谷口君とは仲いいんだね」

「同期なんです。陶芸学校の。親友みたいなもんです」

「そうか」

「直樹さんは窯焚きどうでした?」

「なんかすごく良かったよ。あんなに高温の火を焚き続けるとテンションも高くなるだろうね」

「でしょ?」

「鈴木さんが大昔の窯焚きの話をしてくれたな」


 しゃべりながら歩いているとホテルが見えてきた。


「じゃ直樹さん、おやすみなさい。お疲れ様でした」


 ぺこりと頭を下げて緋紗はふらっと帰ろうとした。


「ちょっと。待て。緋紗」


 直樹は緋紗の手をつかんだ。


「危ないだろ。一人でこんな夜道」

 緋紗はきょとんとしている。

「え」

「もうすぐそこなんで大丈夫ですよ」

「いや。送るよ」

「えー。そうですか? ありがとうございます」


 緋紗は機嫌よく頭を下げた。――危なっかしいな。

 直樹は鈴木の言っていた『窯焚きハイ』を思い出した。何日も火を焚き続けるとランナーズハイのような現象が起きるらしい。

もっともっと古い時代。今よりも窯が何倍も大きく共同窯であった時は、体力消耗を防ぐため男たちは風呂に入らず一か月近くも火を焚き続けることがあり、常に躁状態だったとか。


「窯焚きってほんとに興奮するみたいだね」


 直樹はたしなめるように言った。


「そうですよ。男の人は勃起しながら焚くこともあるそうですよ」


さらっと言ってのける緋紗に直樹は少し困った。――うーん。

 返答に詰まっていると緋紗のアパートの目の前に立っていた。――ああ。よかった。着いたか。

 緋紗は鍵をガチャガチャ開けて直樹の手を引っ張り、狭い玄関に引き入れた。


「直樹さんは興奮しなかったですか?」


 暗がりでレンズの奥の目が光った気がした。


「窯焚きのせいで有名な作家とその息子の嫁が間違いを犯す文芸作品があるそうです。絶版みたいで読んだことないんですけど」

「そうか。じゃここで」

「何もしないんですか?」


 緋紗が鋭い目つきで聞いてくる。――参ったな。

 さっきから緋紗の好戦的な態度と、身体の汗と松脂や土埃やらの匂いが直樹を刺激していた。


「ごめんね」


 努めて冷静な直樹の強固な態度は緋紗を諦めさせた。――そんな顔をして……。

 緋紗は下を向いてお預けを食らった猫のような顔をしている。

 口をとがらせる緋紗が愛しくなって、思わず直樹は軽く口づけた。離そうとした途端、緋紗は腕を首に絡ませ、強い力で直樹を引き寄せた。ぐらっと傾いて床に転がってしまった。


「危ないよ」


 直樹が怒ったように言っても、緋紗は堪えず唇に吸い付いてくる。


「だめだってば。明日、朝寄るから。ちゃんと鍵をかけて寝るんだよ」


 つまらなさそうにしている緋紗にそういって直樹は外に出た。これ以上そばに居たら抱いてしまうだろう。しばらく外で待って緋紗の鍵をかける音を聞いてからホテルに向かった。

 急いで部屋に戻りシャワールームに入った。直樹の身体にも煙の匂いがこびりついている。手を見ると松脂が付着し黄色くなっていた。指を鼻に持っていき匂いを嗅いでみる。懐かしい香りがする。初めて緋紗と会った日を思い出す。少年のような純粋な目をしていた。さっきの濃厚なキスと汗の匂いは、今までの彼女を更新する。直樹は忘れかけていた劣情を思い出していた。

 

 寝坊したが八時前には起きた。――昨日は飲みすぎちゃったかな。

 なんとなく頭が重い気がする。直樹が帰ってから言われるとおりに鍵を閉め、シャワーを浴びて寝た。ベッドに腰かけて夜のことを思い出してみる。――なんか……いい感じだったけど残念。

 淡い記憶をたどりながら、もう一度ベッドに横になると携帯電話が鳴った。――直樹さんだ。


『もしもし』

『おはよう。起きてた?』

『おはようございます。おきてます』

『これからそっちに行こうと思うんだけどどう?』

『えっと。いいです。はい』

『十分したらここを出るよ』

『分かりました。待ってます』

『じゃあとでね』

『はい。また』


 急いでベッドから出て着替える。たいして散らかってはいないが顔を洗ったあと、掃除機をさっとかけた。

呼び出しベルの音に急いでかけつける。


「はーい」


 ドアを開けると薄いブルーのシャツを着た爽やかな直樹が立っていた。緋紗はまぶしく感じて目を細めて直樹をみた。


「おはよう」

「おはようございます」

「あの。上がってください」

「いいの?」

「ええ。どうぞ」


 直樹を部屋に通した。緋紗のアパートは築四十年の古いものだったが二DKで一人で住むには十分な広さだ。


「広くていい部屋だね」


 直樹が座って部屋を眺めた。緋紗の部屋にはパソコンと本と備前焼くらいしかなかった。


「古いですけど」


 本棚の写真たてに直樹は目をやる。


「お母さん?」

「それ伯母なんです。私が高校生の時に亡くなっちゃったんですけど」


 珈琲を差し出しながら緋紗は答える。


「ありがとう。よく似てるね」

「ええ。母より似てるって言われます」


 ショートカットで黒のワンピースを着た伯母とショートボブのセーラー服姿の緋紗が並んで写っていた。


「緋紗はゴールデンウィークは休み?」

「いえ。窯出しのご案内で仕事なんです。もう、お盆まではまとまった休みはないですかね」

「そうか。僕も休みがあまりなくてね。夏まで会えないと思うんだ。出来るだけペンションを手伝うつもりでね」

「ああ。小夜子さんもう大変そうですか?」

「ううん。まだまだ本人曰く平気らしいけど、無理は禁物だよね」

「ええ。ほんとにゆっくりしててほしいですよね。私もお手伝いできたらな。よろしく伝えてください」

「うん。二人とも会いたがっていたよ」


 緋紗はペンションで過ごした日が懐かしくなっていた。


「夏には学生のバイトが来るからそれまでかな」

「直樹さんも無理しないでくださいね。体力使ってるんですから」

「うん」


 頷いてコーヒーを飲みほし立ち上がる。


「じゃ今日はこれで帰るよ」

「もう――」

「ごめんね。できたら土曜日ログインするよ」

「駅まで送ります」


 緋紗は少しでも一緒に居たくて送ることにした。


「疲れてないの?」

「平気です」


 コーヒーで少し頭がはっきりしてきた。立ちあがる直樹を見てキスくらいしてくれるだろうかと期待したが、素っ気なく玄関に向かって行った。緋紗も立ち上がってあとに続く。外に二人で出るととてもいい天気で雲一つない蒼天だった。

 駅まで二人とも特に何も話さなかったが、いつの間にか手をつないでいて優しい気持ちが流れていた。――一緒にいられたらなんでもいいか。

 緋紗はのんびりした気持ちになって歩いた。嬉しい時間はすぐ過ぎ去ってしまう。もう伊部駅前の交差点に来てしまった。交差点を渡って駅に着く。電車が来るまでもう五分だ。


「もういくよ」


 直樹はそういって繋いでいた緋紗の手を取って口づけする。


「同じ匂いがするね」


 笑いながら言う直樹に緋紗は少女のように胸を焦がした。


「また」

「また」


 直樹が手を振って階段を上って行くのを静かに見守る。そして彼のそばに居たいと思った。



 直樹が階段を降りるとちょうど岡山行きの電車がきた。向こう側にいる緋紗に手を振って電車に乗り込む。動き始めると緋紗も帰って行った。窓から景色を眺めると低い山々が並び所々ピンク色に染まっている。――好きだから抱かない。

 初めて緋紗が好きだと自覚した。しかし好きな気持ちだけでは付き合っていけないと自分のことと緋紗のことを交差して考え始めた。

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