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四月に入った。窯詰めは予定通りに終わり、今、ガスで窯の中をあぶっている状態だ。備前ではゴールデンウイークに合わせて春と備前焼祭りに合わせて秋の二回くらいが窯焚きシーズンとなる。三月から四月にかけてと九月から十月にかけていずれかの備前焼作家の煙突から黒い煙がモクモクと立っている景色がほぼ毎日見られた。
三月はほぼ休みなしで、やっとあぶりに入って緋紗は休むことができた。今夜は何ヶ月かぶりに友達の倉田百合子と食事に出かける。出かけるといっても近所のファミレスで待ち合わせだ。百合子は来週には備前市を去ってしまう。結婚というおめでたい理由だが少し寂しい。――今日はいっぱいおしゃべりしたいな。
緋紗は少し早目に支度をしてアパートを出た。店を挟んだ向こうの道から百合子がやってくるのが見えた。
「おーい」
緋紗が手を振ると百合子も大きく手を振った。
「ちょうどやなあ」
「うん。早めに着たつもりだったんだけどね」
「うちもや」
笑いながら二人で店内に入った。店員に奥の方の静かそうな席を案内してもらう。二人で色々と注文してドリンクバーのジュースで乾杯した。
「百合ちゃん、おめでとう」
「ありがとな」
「今日はおごらせてよ」
「えー。うちがおごろうかと思ってたんだけど」
「いいじゃんいいじゃん。お祝いさせて」
「じゃお願いしようかな。ありがとう」
「今日はあぶり休み?」
「うん。明後日から焚きだすよ。今回は昼間担当だから、夕方からは鈴木先輩で深夜が谷口君」
「そっか。うちんとこは先週終わってん。今日窯出ししたよ。実は結婚式の引き出物入れててな。ええ焼けだった」
「へー。それすっごいいい記念だね。なに作った?」
「こてこてやけど、ペアグラス。紫蘇色が綺麗に出たで。ちょっと温度高めでギラついてるけどおめでたいからええやろ」
「うんうん。いいと思うよ」
「で、緋紗ちゃんのほうはどないなってんねん」
「そうじゃなあ」
緋紗は、かいつまんでこれまでのことを話した。
「大友さんは私のこと、どう思ってるのかわからないけど……。私は好きになったみたい」
「最初っから好きやろ。それ一目惚れってやつやで」
百合子は鋭く突っ込んだ。
「ああ。今思えばそうなんかなあ」
「相手もたぶん好きやとは思うけど。そういうときの男って、どうしたいんかが、わからんよなあ」
「うーん。私もどうしたいんかわからんもん」
「そうなん? 付き合って結婚できたらなあとか思わへんの?」
「正直そこまではちょっと思ったことないよ。なんか想像つかないし。大友さんは一人が好きそうでさ。私は一緒におられたらええかもって思うこともあるけどね」
「そうやなあ……。でも緋紗ちゃんは陶芸できんとあかんやろ? 静岡ってなんかあったっけ?」
「特に何にもないわ。近い窯業地になると多治見か益子か越前かなあ」
「全然近くないやん」
「会いたいとは思うけど先のことまでちょっと考えられないかな。自分のことすらあんまり考えてないし。そろそろどうにかしなきゃな、とは思うんだけど」
「そうやなあ。男ならもう作家になるとか窯元に永久就職って考えるんだろうけど。女がここで一人で作家やっていくってものすごいバイタリティーいるで」
「うん。私は野心もお金もないから備前焼作家ってのはないかな。窯元で職人ってのも合ってないし。
この前ペンション行ってさ。陶芸教室手伝ったんだよ。それが結構面白くてね。特に子供に教えるのが。これって私のハマリかもって思うことはあったんだ」
緋紗は思い出して興奮気味に百合子に話した。
「うんうん。そういうのってええよなあ。緋紗ちゃんに合ってる気がするわ」
「備前は好きだし窯も焚きたいけど唯一思うのが、こんなに焼き物の数って必要なのかなあって」
「今時、引き出物の数も少ないしな」
「ね。ちょっと大友さんのことは保留かな。考えてもどうなるものでもないし。自分のことが先かな」
「陶芸教室なら産地じゃない方がええんやない? 静岡とか」
「だーかーらー。そっち方面は保留だってば」
「ごめんごめん」
百合子も同じように自分のこれからを考えることが緋紗と同様あったのだ。今は人生のパートナーに巡り合った。これからは二人の人生を二人で考えていくのだろう。
「百合ちゃんが幸せそうで嬉しい」
緋紗はポツリと呟く。
「ありがとな。緋紗ちゃんだって好きな人ができて幸せそうやけどな」
「うん」
そう。緋紗は今幸せだった。だからこそ、これより先のことや今以上のことが想像できなかったのだ。
「もしなんか変わったら教えてや」
「もちろん。真っ先にね」
緋紗は自分と同じような状況で気持ちもよくわかってくれる百合子が居なくなってしまうことに改めて寂しさを感じたが、百合子の新しい門出を心から祝福した。
直樹は岡山駅から赤穂線に乗り換えて伊部駅に向かった。岡山市から遠ざかるにつれ山や畑ばかりが窓から見えてきた。――どんどん田舎にいくな。
窓の外の田舎風景を見ているとぽつぽつとレンガ造りの煙突が見えてきた。地元の工場とは違って趣のあるものだ。伊部駅に着くころにはもう何本も煙突を見ていた。――これだけ陶芸家がいるってことか。
感心していると伊部駅に着いた。時間は五時過ぎでまだ明るかったが駅にある喫茶店はすでに店じまいし二階のギャラリーも締まっているようだった。――終わるの早いな。
小さな駅前の広場にタクシー乗り場があり一台だけ客待ちをしていた。暇そうにしてる運転手に合図をした。
「ビジネスホテルまでお願いします」
「どうぞ。伊部の?」
「ええ。そこから松尾さんって作家さんの工房は近いですか?」
「ホテルの手前だよ。そこによる?」
「いえ。ホテルでいいです」
三分も走るとホテルに着いた。駅前もそうだったが人通りは少なく車もあまり通らない。
ホテルの道を挟んで大きな池があり、その池の真ん中に新幹線の高架橋が通っている。不思議なところへ来た感覚でチェックインを済ます。受付に今夜の予定によって遅くなると告げ、部屋のキーを受け取った。今はまだシーズンではないらしい。部屋は空いていて特に予約もしていなかったが広いシングルルームをとることができた。
スーツを脱いでツナギに着替えた。デニム生地で綿百%だから大丈夫だろう。そして静岡の銘菓と緑茶を手土産に松尾の工房へ行くことにした。受付で教わった通り、タクシーで来た道を道なりに戻ると煙突から煙が出ている工房があった。とくに看板が出ているわけではなかったが煙ですぐわかる。
少し坂を上るとレンガの敷かれた道が見えてきた。広々とした駐車場があり、工房らしい和風の平屋があった。そのもっと奥に煙突があって窯場の灯りが漏れている。玄関らしいものもインターホンらしいものも見当たらないので、とりあえず窯場を目指して歩いて行った。――敷地広いな。
少し歩くと、豊かだが白髪の、初老の男が椅子にゆったりと腰をかけて居るのが見えたので直樹は声をかけた。
「ごめんください」
「はい」
くるっと顔を向けて誰だろうという顔をされたがすぐに、「ああ。緋紗の?」 と見当を付けてきた。
「おーい。緋紗」
窯に薪をくべ終わった緋紗に男は声をかけた。
「あ、着いたんですか」
嬉しそうな顔で緋紗が迎える。
「先生。この前話した、大友さんです」
「大友です。今日は見学させていただきに来ました」
直樹は恭しくお土産を差し出した。
「これはこれは。遠いところから。ここにどうぞ」
「ありがとうございます」
緋紗の師・松尾が親しみのある笑顔で椅子を差し出した。直樹は腰かけて緋紗の作業を眺めた。
「これから、あの前側の口に薪を何十本かくべて、温度があがったら横から焚いてくとこです」
松尾が今の状況をゆったりとだが、てきぱきとした口調で説明をしてくれた。
「すごいですね。こんなに明るい火は初めてです」
直樹は素直に感想を告げる。
「折角みえたんじゃから横に入ったら緋紗と焚いたらいいですよ」
「ありがとうございます。まあ、邪魔しないように気を付けます」
窯場は窯が雨に濡れないようにスレートの屋根と、波型トタンの簡易な扉がある程度の建物で、地面も剥き出しだ。風が強いと砂埃が舞う。ほぼ屋外での作業のようだ。――開放的なんだな。
直樹は自分の仕事場との違いを感じつつも、薪の燃える音、熱気や乾いた空気になんとなく原始的なものを感じ好感を持った。
「先生。ゴマが光ってきましたよ」
緋紗が松尾に告げる。
「どれ」
すたっと席を立って松尾が窯の中を覗きに行ったので、直樹も邪魔にならないようについて行った。
「そろそろか」
鋭い目つきで松尾は作品を見る。なるほど壷やら花瓶やらの表面にピカピカ光る点が見える。あれが緋紗が言っていた灰が溶けてきた状態なのだろう。
「五十本突っ込んで蓋せい」
「はい」
緋紗は薪を五十本用意して窯の口の付近に立てかけた。そして鉄っぽい蓋をどかし焚口を開けた。手際よく左右真ん中とまんべんなく薪を放り込む。そして今度は煉瓦製のふたをして、泥で封をし始めた。
直樹は緋紗のこの一連の動きに感心して見入っていた。緋紗の顔は熱気で赤くなっており全身薄汚れていたが、それが精悍さを醸し出していて魅力的にうつる。そして休む間もなく窯の横側に行き小さな焚口を開け始めた。そうしていると男が二人やってきた。
「こんばんは」
それぞれ松尾に挨拶をし、直樹の方にも軽く名前を告げに来た。
「鈴木です」
「谷口です」
「大友です。よろしくお願いします」
「こちらこそ」
鈴木は直樹より少し年上だろうか貫録があった。谷口は緋紗に近い。二人とも人慣れしていて親しみやすそうだ。――結構気さくなんだな。
直樹のもつ『陶芸家』のイメージも少し変わった。
「緋紗、大友くんと焚いてやれ。鈴木と谷口でそっち頼む」
「なおー、大友さんこっちです」
言い直して緋紗は直樹を自分の持ち場のほうへ呼んだ。
窯は穴窯というらしく一本の長い筒のようなトンネルのような形状をしている。全長七mくらいだろうか。大きな長細い繭のようだ。緋紗が軍手を貸してくれた。十五センチ四方くらいの焚き口にさっきくべていた薪よりも細い薪を使って火を焚く。
長さが八十センチで太さはせいぜい五センチ角くらいだろうか。『小割』と呼ぶらしい。主に赤松のようだが雑木も混じっていた。横側の焚口は八か所あってチョークで番号を振ってある。
前から順番に二つずつ焚いて行くらしい。一番を少し焚いていると松尾から指示があり緋紗が二番の焚口を開け始めた。
「じゃ大友さんは一番焚いてください。こうやって薪を少しずつ中に入れて一定の火の量を保っているんです」
緋紗が見本をみせた。焚口にくべられている薪からはじゅうじゅうと樹液が出るものあり、触ると熱いが火や煙は窯の中に吸い込まれていくようで、焚き手に熱波がかかることはなかった。
「お風呂を焚くのとか七輪で火をおこすのとは違って煙くないんだね」
「ええ。窯の『引き』っていうものがあるからなんです。こうやって火を引っ張ってくれないと温度も上がらないし全然焼けないんですよ。『引き』は窯の傾斜と煙突の高さにかかってるんです」
緋紗の説明を直樹は聞き入った。薄暗い窯場で焚口から漏れる炎の光が、薪が燃えるのを見守る緋紗の横顔にチラチラうつる。こうやって窯を焚き、ロクロを回す緋紗は堂々としていて力強く気高い雰囲気すらある。直樹は美しいと思った。
薪が燃え尽きそうだ。
「前行きまーす」
緋紗は反対側の鈴木と谷口に声をかけた。そして燃やしている短くなった薪を窯の中に落とし、燃え盛る窯の中へ五本くらい新しい薪を投げ入れた。
「次やってみます?」
「うん。熱そうだね」
「素早くやらないと火がついちゃいますからね」
「谷口君は昔、軍手に火がついて大慌てしたことがありますよ」
「気を付けるよ」
直樹も要領を得て窯を焚いた。緋紗が言うように、火の色を見て燃える音を聞いた。作業的には単調だが不思議と飽きはこなかった。木を燃やす行為は直樹にとって相反するような作業だが、これによって新しい何かが始まって、また木を育てる一連の流れが見えるような気がする。
自分と緋紗が連続した流れの中に繋がっているような気すらする。言葉にならない興奮と鎮静、創造と破壊、意識と無意識など二極性のものが溶けて交わるのを感じた。
そうやって真夜中まで横焚きは続いて最後の焚口を焚き終えた。




