13
次々にやってきた予約客により賑やかになってくる。緋紗は要領をつかんでいないので言われることを言われるようにやるのに一生懸命だ。そんな緋紗を優しく見る直樹を、また優しいまなざしで小夜子が見ていた。
入浴したり、土産物をみたり、あちこちで賑わっていたがそろそろディナータイムがやってくる。
「じゃ直君、そろそろお願いね。部屋の前に掛けてあるから」
「わかりました」
小夜子に頼まれて、直樹はよく手を洗って厨房を出て行った。
「なにがあるんですか?」
「待ってて。お楽しみ」
「もうその辺にかけて私たちも食事にしましょうよ」
食堂に客が揃ったところで和夫が料理の説明をしていた。
「ごゆっくりどうぞ」
挨拶をすると料理を選ぶ客たちでたちまち賑やかになった。最初の料理を取る第一波が終わるころピアノの演奏が流れてきた。ショパンのノクターンだ。――あれ?小夜子さんいるのになあ。
新鮮な水菜を食べながら不思議そうにしていると小夜子が指をさし、覗くように合図した。食堂を覗くと直樹がタキシードを着てピアノを弾いていた。
少しだけアップライトされて直樹が浮かび上がっている。ジェルで少し髪を撫でつけているようで、いつもより硬質なフォーマル感が出ている。
見惚れていると和夫が入ってきて、「あいつ何でもできて嫌味な奴だよなあ」と、笑う。緋紗がぽかんとしているのを見て小夜子が「ピアノ聴くの初めて?なかなかうまいのよ。しかも今日は情感こもってていいじゃない。いつも渋々だけどね」 と、説明した。
食べることも忘れて聴き入った。次にカルメンのハバネラを弾き始めた。
「ちょっと~。何弾きだすのよ」
びっくりして身体を乗り出す小夜子に和夫はなだめに入る。
「まあまあ。よくわからんが弾きたいんだろ。」
――この前観たカルメンだ。一緒に観たわけじゃないけど。
小夜子には悪いが、少し嬉しい緋紗だった。またショパンに戻ったらしい。緋紗は音色にうっとりした。ちらっと見た直樹の姿がとても素敵に見えた。
そろそろ演奏も終わりそうだ。時間的にラストの曲を弾き始めた。――あっ。これ。
「なにこれ~」
「これ何だったかな……」
小夜子は不満そうに口をとがらせ、和夫は記憶をたどろうとしている。ジャズのようだが実はゲームミュージックのジャズアレンジだ。クラッシック畑の小夜子は知らなかった。
「今日はなんかやりたい放題ねえ」
「いつもショパンしか弾かないのにな」
その演奏も終わり直樹は立ち上がって客席に向かって一礼するとスタスタと階段を上がっていった。パラパラと拍手が聴こえた。そろそろディナータイムも終了だ。
和夫が締めのあいさつに向かった。
「お客様が引けたら片付けお願いね。まだゆっくりしてても大丈夫よ」
「ありがとうございます」
緋紗がお茶を啜っていると直樹が着替えて戻ってきた。小夜子が開口一番文句を言った。
「ちょっとー。選曲変えるなら言っておいてよー」
「すみません。僕の演奏はだれも聴いてないと思って」
「やーねえ。みんな聴いてるわよ。ところで最後のはなに?」
「なんでしたっけ?」
「まあ……いいわ。上手かったしね。去年より雰囲気すごくよかったわよ。じゃご飯にして」
小夜子は複雑な気分でほめてお茶を啜った。直樹はとりあえず少しのびてしまったパスタをくるくるフォークに巻きつけて食べ始めた。小夜子とのやり取りが終わったので緋紗も感想を告げに行った。
「あの。素敵でした。カルメンも」
「ありがとう」
「あの最後のもよかったです。ゲームのバトル曲ですよね」
「え。知ってるの?」
直樹がフォークを滑らせそうになったが落とさずにうまく元に戻した。
「ああ。あれかあ。俺もやった俺もやった」
和夫も興奮気味に話した。
「誰も気づかないと思ったんだけどな」
悪戯っぽい目で直樹は緋紗をみた。
「あれ、ゲームなの~? やーねー男って」
小夜子は聞きつけて、すぐにぷぃっと食堂へ片付けに行った。片付けが終わると九時を回るところだった。、
「そろそろあがっていいよ。ご苦労様」
「ああ眠い。お風呂入って寝るわー。じゃみんなお疲れ様」
小夜子はエプロンを脱ぎ捨てて部屋へ向かって行った。
「じゃお先です」
「お疲れさまでした」
「また明日よろしく頼むな」
「はーい」
二人で厨房をでた。階段を上り部屋に戻る。
「疲れた?」
「少しだけ」
肉体的な疲労よりも緊張感による疲れだろう。
「お風呂に入って寝よう。明日も早いからね。平気?」
「全然平気です」
二人で浴場に向かった。
「じゃまたあとで」
「はい」
入り口で二人は別れた。
緋紗は身体をゆるゆると洗い広々とした湯船につかって伸びをした。美肌の効果を期待しながら身体を深く沈める。――よく入った。
髪をタオルでこすりながら脱衣所を出ると、グリーンのパジャマ姿の直樹が水を飲みながら丸太の椅子に座っていた。
「ロビーに行ってみる?暖炉がついているよ」
「はい」
ロビーの暖炉ではゆるゆると火が燃えていた。柔らかいソファーに二人で腰かける。
「窯の初日みたい」
「窯焚きってすごい火なの?」
嬉しそうに火を見る緋紗に直樹は尋ねる。
「火がすごいっていう感じじゃないですね。もちろん、いっぱい薪をくべたときは中でゴーゴー燃えますけど。どっちかっていうと千二百度超えてくるときの熱と光がすごいかな。もうまぶしくて目に残像が残るくらいですよ」
「へー。千二百度か。一回見てみたいな」
「窯を焚くと興奮しますよ」
――見せてあげたい。
緋紗はそうだ、と思い出したように直樹に質問した。
「直樹さんはピアノが趣味とかなんですか?」
「ん? ああ。そういうわけじゃないよ。兄がなんでもやりたがる人なんだよ。しかも飽きっぽい」
思い出してあきれたような顔つきをしながら直樹は続けた。
「ピアノはもともと兄貴が始めてね。なかなか熱心だったから両親もこれならとピアノを買ってやったんだ。僕が四歳で兄貴が六歳のころかな。買ったら今度全然弾かなくなってね。ピアノがもったいないからって僕にまわってきた訳さ。ほかにも色々おさがりがよく来たよ」
やれやれと言ったふうだ。
「ああ、それで。和夫さんが直樹さんはなんでもできるって言ってました」
「好きなことをやってきて出来るってことじゃないんだけどね。じゃそろそろ部屋に戻ろうか」
静かに階段を上がり部屋の前に立つ。
「じゃ、また明日」
「はい。おやすみなさい」
部屋に入り緋紗はベッドに深く腰掛ける。
「ふうっ。なかなか疲れたなあー」
普段肉体労働で慣れているはずなのに、やはり初めての場所、人、仕事は身体に強い疲労をもたらせる。しかし久しぶりに有意義な休みになりそうだとすぐに深い眠りについた。
まだ薄暗い早朝、起き出した直樹はよく眠っているだろうと、緋紗を起こさず仕事に向かった。
「おはようございます」
厨房では和夫が準備に取り掛かっていた。
「おう。おはよ」
「ひさは、少し遅れます」
「いいよいいよ。女の子は大事にしてやらないとな。うちの女王様も夢の中だ」
ハハッっと笑って和夫は卵を割っている。直樹も微笑んで野菜を洗い始めた。
うっすら日が差し込んで光で緋紗は目が覚めた。――ん? どこ、ここ。
ハッとして起き上がった。直樹はいない。慌てて支度をし、宿泊客がいるので音をたてないようにこっそり階段を降りた。
「遅くなりました。すみません」
「おう。おはよう。慌てなくてもいいよ」
慌てる緋紗に和夫が優しく言った。
「ひさ、おはよう」
直樹ものんびり作業をしていた。
「何をしたらいいですか?」
「うーん。うちの女王様もまだだしな。みんなの朝飯でも用意してもらおうかな。直樹ちょっと教えてやって」
「はい」
無機質な返事の直樹が緋紗に指示する。
「ここにトーストとコーヒーがあって……」
直樹に教わり、コーヒーの豆をひいていると、華やかな声が聞こえた。
「おっはよー」
「おはようございます」
「ここで一緒に食べましょうよ」
「そうだな。ほとんどもういいから飯にしちまおう」
和夫は手を止めて直樹にも座るように促す。緋紗も厨房の片隅のテーブルに食事やコーヒーを運び、席に着いた。
「ゆっくり食べていいからね」
と、小夜子に言われたがすでに緋紗は和夫と直樹同様に食べてしまっていた。
「早いわねえ」
小夜子はまだ半分も食べ終わってない。
「早く食べる癖がついてしまって……」
「弟子ってやっぱり大変なのかい?」
和夫の問いかけに緋紗は思う出すように応える。
「そうですね。楽ではないです。肉体労働がほとんどですし。作品を作るのに追い込みがかかっているときはご飯を食べる時間も惜しんでって感じです。でも食べないでやってもイライラしていいものができないから絶対食べますけどね」
「下積み時代ってなんでも大変だよな。でもそれをやってるのとやってないのじゃ人生全然違うからな。頑張れよ」
「はい」
和夫の激励に緋紗は明るく返事をして食器を下げた。
そろそろ朝食にやってきた客で食堂がにぎやかになってきた。メニューは決まっているので客が席に着いたら出していく。そんなにバタバタ慌てることはないが、こういう接客サービスに不慣れな緋紗は緊張でギクシャクしていた。直樹をちらっとみるとスマートに運んで下げている。自分の不器用さを恨めしく思いながら、とにかくできることをこなしていった。
客が引けたころ食器を下げている緋紗に「もうここはいいから陶芸教室お願いするよ」と、和夫が頼んできた。
「和夫さんにも教えてあげて」
「もう僕一人で大丈夫だから」
小夜子も直樹もそう言うので、緋紗はアトリエに向かうために裏口を出た。




