12
「着いたよ」
富士山のふもとの高原だ。標高が少し高いのか風がひんやりする。車を降りてバッグを運んでくれながら、「寒い?」 と、直樹が心配してくれた。
「大丈夫です。上着持ってますから」
岡山も静岡も暖かいし新幹線や駅は人ごみで暑かったくらいなので、緋紗は少し薄着だった。久しぶりに涼しい風を感じる。少し風に当たっていたい気もしたが、初日から体調を崩すといけないと思いなおしバッグからジャンバーを出して羽織った。
そこへオーナーの吉田和夫と妻の小夜子がやってきた。
「ただいま」
直樹が声をかけた。
「おかえり」
二人そろって直樹に返した。和夫は小柄だががっちりしていかつく、小夜子は女性にしては大柄で華やかな雰囲気のある美人だった。
「オーナーの吉田和夫さんと奥さんの小夜子さんだよ」
二人の印象的な容貌と迫力に少したじろいだ緋紗だったがとても優しい笑顔で、「よくきてくれたわね」 と、小夜子に言われ頑なにならずにすんだ。和夫も「よろしくね」 と、いかつい顔からは想像できないくらいの気さくさで話しかけてきた。――よかった。怖くなさそう。
「初めまして。宮下緋紗です。よろしくお願いします」
緊張したがとにかく名前を言って挨拶した。
「ひさちゃんね。よろしく」 と、言ってすぐ二人は直樹に向かって、「彼女連れてきたの?」「野郎じゃないのか」 と、興味津々そうに話しかける。
「男なんて言ってませんよ」
しれっという直樹に二人は顔を見合わせて『まあ!』というような顔をした。
「大丈夫ですよ。彼女はそこらへんの男より使えると思います」
笑いながら直樹はペンションのほうへ向きを変えた。
「そういうことじゃなくてねー」
小夜子はやれやれという表情でまた和夫の顔を見た。
「あいつ、ほんとマイペースだよなあ。まあいいや。じゃ明日から手伝ってもらおうかな。今日はうちのペンションの案内とか仕事の説明とか直樹にしてもらってよ」
「はい」
小夜子がフォローするように、
「ひさちゃん、心配しないでいいのよ。さきに直君に泊まる部屋に連れて行ってもらってね。ああお昼ご飯まだなんでしょう?あとで食堂へいらっしゃいな」
歌うようなふんわりとした様子で言われて少し緋紗は落ち着いた。直樹が、「こっちだよ」というのでぺこりと二人に頭を下げてついて行った。
「いつの間にあんな娘できてたのかしらねえ。静岡の娘って感じじゃないわよね」
「あいつのプライベートは謎だからなあ」
久しぶりに起こった事件のように話し合っていた。
駐車場から少し歩くとペンションの全容が見られた。
「うわーすごい。ログハウスだー。大きいー」
「このログハウスはね。オーナーの手作りなんだよ」
「へー。」
どっしりとした丸太小屋で重厚な雰囲気があるが、日当たりがよく明るいので温かみを感じることができる。周りにはモミの木が植えられており、少しだけオーナメントが飾りつけられていた。それらがこのペンションを異国のような童話の世界のような雰囲気を醸し出している。
「ここが玄関だけど、今回はお客じゃないから裏口から出入りするね」
「はい。了解です」
玄関の前のやはり木でできた階段の前にペンションの看板が、切りっぱなしのような板で作られていた。『ペンション セレナーデ』――セレナーデ……。小夜曲。奥さんの名前かなあ。
建物の右側に周ると屋根がないが高い柵で覆われた場所がある。
「ここが温泉だよ。屋根がないから雨が降ると入れないけどね」
「そうなんですか」
真裏には木造のプレハブが建っている。
「ここがオーナーの陶芸のアトリエだよ。後で見せてもらおうか」
「はい。是非」
緋紗はオーナーのアトリエに興味津々だった。
直樹が裏口の木のドアを開ける。
「どうぞ」
入って左手に二階へ続く階段がある。
「上だよ」
階段を上がる直樹にキョロキョロしながら緋紗はついて行く。二階に上がって一番奥に進む。
「ここね」
直樹が靴を脱いで上がり緋紗の荷物を小さなテーブル付近に置いた。緋紗もあがって見回した。
「かわいい」
赤いじゅうたんが敷き詰められ白木のベッドが二台置かれている。カラフルなキルトでできたベッドカバーを手で触ってみる。設備は洗面とトイレくらいしかないようだ。こじんまりしているが狭苦しさを感じないのは木のぬくもりのせいだろうか。
「お昼ご飯いこうか」
「あ、はい。素敵な部屋ですね」
「うん。しかもこれだけ木に囲まれてると建物の中って感じがしないよ」
そういわれてみると視覚的なものもそうだが、香りも違うし空気も程よい暖かさと湿り気を感じる。緋紗は深く呼吸をして木の香りを吸い込んだ。
直樹について食堂へ向かう。階段を下りて広いところに出た。さっきは気が付かなかったが食堂の角にグランドピアノが置いてある。
「もしかして奥さんの」
「うん。小夜子さんはピアニストなんだよ。今はここでしか弾かないけどね」
「へー」
陶芸の世界以外にあまり触れていない緋紗には色々新鮮なことばかりだ。
「ちょっと厨房をのぞこう」
直樹は食堂の奥の厨房へ向かった。緋紗は迷子にならないようにぴったっりついて行く。
「和夫さん、います?」
「おう。すぐできるよ。食べるか?」
「はい。ありがとうございます。ちょっと覗かせてください」
「どうぞどうぞ」
緋紗は厨房に通された。和夫がオーナー兼コック長だ。カレーのいい匂いがする。オールステンレスで機能的なこの厨房はログハウスと相反するような気がするが、働く側にとっては気が引き締まるような場所にみえる。
「とりあえず食堂のテーブルに座んなよ。今、忙しくないから」
軽く覗いてから緋紗は直樹に促されて食堂に戻りテーブルに着いた。楕円の木製のテーブルに生成りのリネンのテーブルクロスがかかっている。オーナーのお手製だろうか小さな粉引きの植木鉢に小さなクリスマスローズが植えられている。
緋紗が陶器とクリスマスローズの柔らかい白さに見入っていると妻の小夜子がコーヒーを運んできた。
「一応私からも仕事の説明をしておくから、そのあと直君に詳しく教えてもらってね」
「はい」
緋紗は背筋を伸ばした。
「ふふふ。そんなに固くならないでね。今はまだお客様はいないの。夕方四時から五時くらいに五組みえるわ。女の子三人組とカップル三組、それと家族四人様ね。みんな一泊の予定よ。明日は六組ね」
このペンションは部屋が十室あり二部屋がファミリー向けで、あとはカップル向けだ。観光地から少し離れているので満室になってしまうことがないが、飛び入りも稀にあり半分くらいの部屋は埋まるのだった。
「今日はディナーを手伝ってもらうくらいかしら。明日は朝から色々お願いしちゃうけれど」
綺麗に巻いた髪を束ねてお茶を飲んでいる小夜子は堂々とした大人の女性という感じだ。緋紗は少しみとれて、「頑張ります」 と赤面しながら返事した。
「さて、じゃ直君あとよろしくね。そうそう今晩はほんとごめんね。後で部屋に持っていくから」
「しょうがないですね」
そっけなく言う直樹をよそに「じゃあとでね、ひさちゃん」と、手を振って厨房へ向かった。緋紗は二人きりの時の直樹しか知らないので吉田夫婦に対する素っ気なさが不思議に見えた。
「じゃ一階の案内をするよ。さっきの厨房はもういいね」
「はい」
直樹は席を立って玄関の方へ歩く、さっきは階段で見えなかったが大きな暖炉があった。
「ここがロビーだよ」
「暖炉、本当に使ってるんですか」
「うん。僕が薪割りしてるんだよ」
少しだけ火種が残っているようだった。本格的に火をつけるのは客が来る夕方以降なのだろう。
「こっちがお風呂。ここは男女別。一応お客さんの入浴時間は十七時から二十時が主だけど、僕たちは二十一時以降だね」
「わかりました」
「外の温泉はもちろんいつ入ってもいいけどね。冬に夜中はきついかな。夏なんかはカップルが夜中に入ってるけどね」
「へえー」
「そこの部屋がオーナーたちの部屋」
前を素通りして玄関前にやってきた。
「ここがフロントだね。そこの小さなショップの会計もここでやるんだ。レジ使える?」
「難しいですか?」
「ううん。普通に電卓みたいに使ったら――」
「ふんふん。大丈夫そうですね」」
少し土産物を眺めてみる。特産物らしいものが少しとお菓子、そしてオーナーの手作りらしい湯呑があった。
「可愛らしいものを作るんですねえ」
いかつい和夫から想像しにくかったが、陶芸家は案外自分の容姿とかけ離れたものを作ることを緋紗は知っていた。
「だね。無骨ものそうなのにね」
くすりと笑いながら直樹は歩いた。――結構言うんだ。
玄関からでてさっきと逆のほうへ向かった。
「こっちに菜園があるんだよ。ここの料理に使ってるんだ。全部じゃないけどね」
「いいなあ。自給自足のような生活ですねえ」
「なかなか不便だよ? 娯楽は少ないし」
「そうですねえ。ネットさえ、きてればなんとかなりそうですけど」
「だね。ネットは欲しいね」
二人で同意しながら歩いた。
「ここが薪割り場。今日はもう十分みたいだから、明日また暇を見てやるかな。ひさはしなくていいよ」
「そうですか? 一応できますよ?」
「そう。頼もしいね。でも力仕事は僕がやるよ」
普段の弟子生活では、男も女も関係なく力仕事や薪割りをしている。そのため直樹に女性扱いされていると思うと嬉しかった。
アトリエはペンションの雰囲気を変えてしまわない程度の木造プレハブだ。直樹が引き戸をガラッと開けてはいる。
「和夫さん、入るよ」
「おう。あがれ」
「失礼します」
八畳程度の小さなアトリエだ。やはり木の感じが暖かさを演出している。――電動ロクロは一台か。
真ん中に大きめの作業台があり手回しロクロが四台のっている。奥のほうから粘土を取り出している和夫に直樹は話しかけた。
「和夫さん、緋紗は今、備前焼の修行中なんですよ」
「え!?そうなの?早く言ってよ」
「じゃ、今、弟子とかしてるってこと?」
興味津々な様子で和夫は緋紗に聞いてきた。
「あ、はい。そうです」
「へー。じゃあロクロとか得意?」
「ええ。一応できます」
「明日さあ。今晩泊まる家族連れが帰る前に陶芸したいって言ってるんだよ。よかったら手伝ってくれないかな。朝飯の後の十時過ぎだから時間は空いてると思うんだが」
「あの。ほかにお仕事ないでしょうか」
直樹を横目で見ながら和夫に聞いてみる。
「たぶん片付けやら掃除やらも終わってると思うからないと思うがなあ。直樹どうだ?」
「大丈夫ですよ。緋紗、手伝ってあげて」
「え、あ、はい。じゃあ明日お手伝いさせていただきます」
「頼むね」
和夫は親しみのこもった笑顔を見せる。
「じゃ、そろそろ夕飯手伝ってきますよ」
「おう。俺もすぐ行く。後でな」
「失礼します」
ペコっと頭を下げて緋紗は直樹について行った。
ペンションに戻り厨房へ向かった。小夜子が厨房に立っていた。
「戻りました。今日は何をします?」
「今夜のバイキングメニューはサラダバー、煮込みハンバーグ、ボルシチ、鹿カレー、ピザ、冷製パスタ、山菜おこわ、ジェラートね。直君は和夫とハンバーグ担当して、ひさちゃんは私と野菜の用意ね」
「わかりました。緋紗、エプロン貸すからこっちにおいで」
「はい」
緋紗は直樹から割烹着のようなエプロンを受け取り身に着けた。
「じゃ小夜子さんについて頑張って」と、直樹は優しく言い冷蔵庫のほうへ向かった。
「ひさちゃん、こっち来て」
小夜子に呼ばれて緋紗は外へ出た。さっきの菜園へ向かう。
「ここの大根と水菜を使うわね。大根を三本くらい抜いてもらっていい?」
「はい」
小さなスコップを渡され、緋紗は少し土を掘りすぐ抜いた。
「すごーい。抜くの上手ねえ」
大根を抜いただけで大喜びしてくれる小夜子に照れながら、「え、いやー」と続けて二本抜いた。
小夜子は水菜をボールにいっぱい摘んでから興味津々の目つきをする。
「ねえねえ。直君いつもあんななの?」
――あんなってどんなだろう。
「あんなに優しそうなの初めて見たわよ~」
「え、そうなんですか?私はいつも優しいとばっかり……」
「へ~。いつも素っ気ない感じなのにねえ。ううん。悪い子じゃないのよ?なんていうか冷めてるというかねえー」
「ああ。草食男子ってやつですよね」
確かにそう言われるとクールなイメージもある。しかし緋紗と直樹はある意味遊び仲間のような関係なので、和夫と小夜子とはまた違った感覚なのだろう。
菜園から帰るとデミグラスソースのいい匂いがしてきた。和夫がソースの味を見ている横で直樹はハンバーグを焼いていた。――料理できるんだ。
少し感心して緋紗はみた。女二人で野菜を洗い皮をむく。どうやら小夜子は料理はあまり得意ではないらしい。
それでも調理道具を洗ったり片付けたり下仕事を一生懸命やっている。しかし顔色が悪いのかなと思った矢先、小夜子が、「ちょっと休んでいい?」 と、言い出した。和夫が飛んできて「大丈夫か?座ってろよ。何か飲むか?」 と、矢継ぎ早に言い小夜子に寄り添った。
「平気平気。五分座れば大丈夫。心配しないで。今妊娠二か月なの。ちょっと気分が悪くなるだけなのよ。大げさでごめんね」
小夜子の顔色はすこしばかり青ざめている。
「そうなんですか。なんでもしますので言ってください」
「ありがとう。じゃあ、そこの食器棚から食器とカトラリー全部出してくれる?」
「はい。わかりました」
直樹がレモン水をもってきた。
「あら、ありがとう。気が利くじゃない」
そして少し笑ってすぐに自分の作業に戻った。
フロントからチンッ!と音が鳴る。一組目が到着したようだ。和夫が、「案内してくるからあとよろしく」 と、直樹に任せて行ってしまった。直樹は手際よくこなしていく。ディナータイムは十八時から十九時の間と決まっている。短いようだが料理の質をバイキングだからと言って低下させないために設定してあるらしい。今はまだ十六時を回ったところなのでディナーまで余裕だ。




