第二話「滝を見に行った。しかし、その前に食べていた」
「ほむ。山に挟まれていますよ。挟まれていますよ、ソロさん!」
「そうだな」
「道路の反対側に川ですよ。川ですよ、ソロさん!」
「久慈川支流の滝川だ。この上流に袋田の滝がある」
「あ! 鮎の塩焼きが売ってますね。鮎の塩焼きですよ、ソロさん!」
「それは昼にでも食え」
「おや? あっちには――」
「――いいから、少しおちつけ」
「ほむ。大丈夫、おちついていますよ。おちついていますよ、ソロさん!」
営野の言葉に、泊は目を輝かせたままうなずく。
だが今度は、スマートフォンを取りだして、周囲の写真を撮影し始めた。
やれやれと、営野は小さくため息をつく。
話を聞くかぎり旅行慣れしているはずの泊のテンションが、妙に高い。
なぜこんなにウキウキとしているのか理解できない。
(しかし、我ながらなんで……)
それは、ほんのちょっとした気まぐれだった。
今朝方、寒いだろうとモーニングコーヒーを泊にさしいれした時のことだ。
泊も袋田の滝を見に行くと言っていたことを思いだし、会話の流れでつい一緒に行くかと誘ってしまったのだ。
普段の営野なら、絶対にしない行動だ。
ましてや、相手は女子高生である。
端から見たら、事案発生もありうる話だ。
いや。端からではなくとも、泊なら真顔で「通報しますか」とか言うシーンだろう。
しかし、泊の反応は予想外だった。
誘った直後、泊は丸く大きい目をパチクリとさせ、「ビックリ」と書いてあるような顔をしていた。
その表情で、やっと営野は自分が言ってしまったことに気がつく。
だから、慌てて「冗談だ」と否定しようとしたのだ。
しかし、彼が言えたのは「じょ」までだった。
持っていたコーヒーをこぼすのではないかという勢いで、泊は「行きます!」とかぶせてきたのだ。
無論、自分から言いだした手前、こうなれば断ることもできない。
結果、泊を自分の車に乗せて、袋田の滝の入り口にある小さな観光街までやってきたのだ。
(朝方、あんなことを考えていたから寂しくなった……は、ないな)
少し内心で自嘲する。
そもそも相手は十二支が一回りしても少し足らないぐらい年が離れた女の子だ。
そう言えば、遠縁の妹のように可愛がっている子と同じ歳である。
そんな子供に、どうこうという感情をもつわけがない。
(いや、そうか。家族と言っても、妹や娘みたいな感覚は……って、あれ?)
ふと気がつくと、泊の姿がなかった。
川沿いの【滝の駐車場】という有料駐車場に車を駐めて、ここはそこからの一本道だ。
ならばと少し先を見てみれば、右手にある小屋のような建物の横から、ひょっこりと泊が姿を見せる。
そして、こちらに向かって手を振りはじめた。
(もう、あんなところに……)
やはり自分とは違う、若いなと思いながら、早足で近寄ってみる。
泊の横にあるログハウスのような小屋は、駅のキオスク程度の大きさしかないようだ。
それが二軒建っている。
宿の駐車場に建っていて、横には大きな看板があり「豊年万作」などどと書いてあった。
「ソロさん、遅いですよ。はい、これ。ソロさんの分」
渡されたのは、よくスーパーの惣菜などが淹れてある透明の小さなフードパック。
持ってみるとわずかに熱を感じる。
中身はキツネ色した、クロワッサンの生地のような四角い食べ物。
真ん中に十字に切れ目が入って、中に何か具材が覗いていた。
蓋のコーナーには三角のシールで「アップルパイ」と書いてある。
ただ、フードパックは二つ分の大きさがあったが、すでに一つは空になっていた。
もちろん、その空いた部分にあった分は、泊の手に紙ナプキンごしに収まっている。
「なぜ、いきなりアップルパイ?」
「ほむ」
と言いながら泊が指さした先には、大きく「奥久慈りんご使用の自家製アップルパイ」と書いてあった。
道路の裏に回ってみると、小屋は売店のようだった。
上の方には「せせらぎ屋」と書かれた看板がある。
ちなみにもうひとつの小屋は、ソフトクリーム屋さんらしい。
「わたしの完璧な事前リサーチによると、ここのアップルパイは絶品らしく、週末は午前中に売り切れてしまうこともしばしば。だから、まずはこれを押さえておかなければなりませぬ」
「なりませぬ……はわかったが、その完璧な事前リサーチって食べ物に関してだけじゃないだろうな」
「そっ、そんなことは、なきしもあらずんば虎児を得ず……」
「意味がわからん。……でもまあ、確かにうまそうだが」
「ですよね。それはわたしのおごりですから、食べてください。わたしも、さっそく……」
サクッといい音を立てて、泊がかぶりつく。
しばらく口をモグモグとさせると、まず丸い大きな目がカッと見開く。
そして、まるで蕩けるように目尻がたれて頬が赤く色づく。
(うまそうに……)
そう思って営野が見ていると、彼女が親指を立て、なぜかしたり顔を見せた。
たぶん「うまいから食べてみろ」ということなのだろう。
それならばと、営野もフードパックからアップルパイを取りだして一口、がぶりとかぶりつく。
「――!」
かるいサクサクという音のあと、すぐに訪れるザクリという歯ごたえ。
当たり前だが、それは中に入っているりんごだ。
このりんごの一片が、非常に分厚い。
その分、りんごの味が非常に濃く舌にのってくる。
そしてそれを包むバターの香りが鼻に抜ける。
(サクッときれがいい中に、ジューシーな甘さとわずかな酸味。……なんだろう。飛び抜けて何かがうまいわけじゃないけど、すごく味わい深いうまさがある)
あえて言えば、やはりりんごのインパクトだろう。
今まで食べたことのあるアップルパイよりも、りんごの存在がしっかりと感じられる。
アップルパイという菓子を食べていると言うより、まさにりんごをパイ包みにした料理を食べていると言った方が正確な気がする。
「うまいな……」
「ほむ。おいしい」
そのまま二人は、緩やかに右に曲がる道を並んで歩く。
右手には、食事処やおみやげ屋が並ぶ。
店頭には、鮎の塩焼きに、こんにゃく商品が目立つ。
やはりこの辺りの名物なのだろう。
古風な面構えの建物もあり、観光街の色を強くうかがわせる。
しばらくすると突き当たりに見える道は、左に折れる。
そこには滝川を渡る橋があった。
幅は二車線ぎりぎりで、よそ見しなければ三〇秒ほどで渡れてしまえそうだ。
その下には、透明度の高い川が、小さな岩を撫でながらさらさらと流れている。
「ほむ。いい雰囲気ですね……」
やはり泊は、喜々として写真や動画を撮りまくる。
橋を渡ると、その雰囲気はさらに情緒あるものになった。
古風というより、まさに昔からあるような土産屋さんがずっと左手に並んでいる。
どこか時代にとり残されたような、昭和の香りが漂う店の並びは、それだけで「違うところにいる」という旅行気分を味わわせてくれる。
「ほむ。あっちにも塩焼き、こっちにも塩焼き……神が……神がわたしに、鮎の塩焼きを食べろと仰っている」
「その神さまは、袋田の滝の観光大使かもしれないな」
一方で、アップルパイを食べ終わった泊の方は、多くの店頭で販売している鮎の塩焼きが気になって仕方ないらしい。
ただ、確かに目は食べ物に奪われていたが、いつの間にか手には小型のスタビライザーを構え、そこにスマートフォンを取りつけて動画を撮影を開始していた。
彼女は車の中で、「この辺りの雰囲気も小説の参考になるかもしれない」と言っていた。
たぶん、そのための資料として先ほどから写真をこまめに取ったり、こうして動画を撮影しているのだろう。
なんだかんだと言って、彼女は成すべきことは成している。
まだまだ子供だが、そういう部分は年齢に関係なく尊敬できる部分だ。
「ほむ。階段に花でハートが……」
途中、道の横に上へ続く階段があった。
しかし、その階段はとても登ることができない。
階段の各段には、花が植えられたプランターがずらっと並べられているからだ。
しかも、ただ並べられているだけではなく、ハートマークが作られていた。
「ああ、なるほど……」
営野は、そのプランターで作られたオブジェを見て納得する。
それはここがどういう場所だか、あらかじめ知っていたからだ。
ところが泊は、どうやらわからなかったらしい。
横で小首をかしげている。
「ほむ。なにがなるほど?」
「なんだ、泊。食い物のことだけじゃなく、リサーチはバッチリだったんじゃないのか?」
「そ、それはもちろん、バッチリサーチですよ……」
「ほう? だったら、これが作られている意味もわかるよな?」
「ほむ。も、もちろんです」
「……そうか。なら、ここに一緒に来られてよかったと?」
「ほむ? ……え、ええ。もちろんですけど……?」
「そうか。……お。あそこが入り口らしいぞ。やっと滝が見られるな」
「ほむ……」
後でここがどういう場所か知れば、泊は死ぬほど後悔するだろう。
我ながら趣味が悪いなと思いながらも、そのシーンを見るのが楽しみになっている営野だった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
※参考資料:話に出てきた物の写真等が見られます。
http://blog.guym.jp/2019/07/scd004-01.html
※次回は、2023年05月09日12:00に公開です。