第七話「わたくしは自由だ。けど、不自由だ」
――自由ってなに?
それは遙が、中学生にあがる前ぐらいに悩んだテーマだ。
そして中学三年生になった頃、悩まなくなったテーマでもある。
――結論、世の中に自由などない。
人はどこまでいっても「世の中」にいるかぎり、しがらみの中で生きなくてはならない。
無理にでもしがらみを捨てるなら、「世の中」を捨てなくてはならない。
それこそ人が入りこまない秘境や、無人島にでも行かなくてはならないだろう。
しかし、現実問題としてそんなところで生きていけるわけがない。
独りで生きてなどいけない。
自由は不自由なのだ。
だから自分の自由のなさを嘆く必要はない。
むしろ、自由がなくても、なにひとつ不自由のない今の生活に感謝するべきなのだ。
遙は、これからの長い人生をそう考えると決めていた。
泊と出会うまでは。
(また好き放題に食べてるわねー……)
遙はスマートフォンに届いた泊からの写真を見てクスリと笑った。
どうやらソースかつ丼を食べたらしい。
女の子が一人で食べる物としてはどうなんだろうとも思うが、大好きな相手の楽しそうな写真は見ていて幸せな気分になる。
遙が知っている人間の中でも、泊は珍獣に近かった。
しがらみの中でも、不思議と自由奔放に生きている様に見える彼女。
それはたとえるなら、檻の中に閉じこめられていても檻の中を自分なりにコーディネートして楽しみ、さらに隙あればコッソリ抜け出すことを狙っている油断のならないペットのようだ。
気まぐれで、勢いに任せて行動する、行動の読みにくい猫。
だけど憎めないし、そんな彼女の行動を見ているのが楽しくて仕方がない。
彼女を見つけたのは、本当に偶然だった。
たまたま自宅で働いているメイドの1人が読んでいた小説がきっかけだった。
その時、あまりに暇だった遙は、戯れにその小説を読ませてもらったのだ。
面白かった。それがすごく面白かったのだ。
遙が普段読んでいる文学的な小説に比べて、決して上手い文章ではないとは思う。
そして設定もかなり強引な気がする。
しかし、神の力を持った主人公が、力をただふりまわすのではなく、周囲のしがらみを考えながらも、それを壊していく生き様が読んでいて爽快だったのだ。
その生き様自体が冒険だった。
すぐさま、その作者の他の作品も読んでみたいと調べさせたところ、優秀なメイドたちはなんと作者の隠された素性まで調べてきたのだ。
そしてその正体が、なんと同じクラスの生徒だと知ったときには、さすがに遙も驚いたものだった。
(楽しいのかしらねー……一人で行くキャンプってー……)
スマートフォンから顔を上げる。
前方では、男女二〇人ぐらいの同級生や上級生たちが食事をつまみ、ジュースを飲み、そしてカラオケで歌っていた。
それを部屋の一番奥の席で、彼女はボーッと見はじめる。
「遙様、おかわりはいかがですか?」
スマートフォンの操作が終わったことに気がついた女生徒の一人が、そそくさと葡萄ジュースの入ったピッチャーを持ってきた。
その周りには、他にも数人の女生徒たち。
ここにいるメンバーは、遙がスマートフォンを操作したら邪魔をしないということをきちんとわかっている者たちだ。
遙がしっかりと教育した賜である。
「ありがとうー。いれてちょうだいー」
「はい。かしこまりました。……あの、遙様は本日は歌われないのですか?」
ボブカットの黒髪の少女が遠慮がちに訪ねてくる。
そんな彼女に、遙は優しく笑顔を作る。
「ええ。あとで歌うかもしれないから、今は皆さんで楽しんでくださいねー。わたくしは皆さんの楽しんでいるところを見るのも大好きなのですから-」
「は、はい。ありがとうございます」
嬉しそうな顔で遙のコップにジュースを注ぐと、そそくさと下がっていく。
他の女生徒たちは、遙の左右に少し間を開けてニコニコとしながら座り華を添えた。
(かわいい子たち……なのだけどねー……)
ここにいるメンバーは、容姿や家柄などを遙が認めた生徒たちだ。
そしてこの場所は、父親の系列会社の一つが営業しているカラオケボックスの貸し切りフロア。
飲食も場所代も、すべて遙がだしている。
(カラオケボックスだからって、普通の高校生のように遊んでいる……わけではないわねー……)
自分で選んだメンバーと、自分で選んだ場所にいる。
それはある意味で「自由」なのだろう。
しかし、それは本当に「自由に選んだ」のだろうか。
それに、フロアの入り口や店の外には、メイドやボディガードたちが立っている。
きっとこの部屋の中もカメラで監視されているのだろう。
それはもちろん、遙の安全のためである。
安全と自由のトレードオフ。
(怖くないのかしらー……とまとまはー……)
なにか今日はいつも以上にいろいろと考えてしまう。
いや。泊がキャンプを始めてから、こういうことを考えることが一段と多くなってしまったのかもしれない。
「あのぉ、梅島さん……」
この場で珍しい呼び方をされ、遙は視線を上げる。
するとそこには、いつものメンバーではない男子生徒が一人で困惑した顔を見せていた。
今回、特別に遙が直接招待した客である。
「あらー、秋葉くん。楽しんでくれていますかー?」
「ああ、もちろん。誘ってくれてありがとう」
少しのかわいらしさを残しながらも男らしい整った顔つきは、さほど太くない眉毛のためか、すらりとした輪郭のためか。
スポーツ少年ながら、いつも清潔感があり汗臭さを感じさせない爽やかなイメージ。
同学年だけではなく、上級生の女子からも注目され、すでに告白されまくっている一年生の彼。
されど彼が誰かになびくことはない。
彼が好きなのは、遙が大好きな彼女だけなのだ。
「ところでさ、ちょっと聞きたいんだけど……」
そう言うと彼は遙の周りの生徒たちを見た。
その瞳の言わんとすることを理解した遙は、周りの者たちに少し離れているようにお願いという命令をする。
周りの者たちは、彼を訝しんだ目で見ながらもすぐに指示に従った。
「ごめん。気を使わせて」
「いいのよー。呼ばれた理由、気になったんでしょー?」
その問いに、彼は素直にうなずく。
とりあえず、彼を横の席に座るようにうながすと、じっとその顔を見つめた。
やはり何度見ても目鼻口と整っている。
男の子の顔ではあるのだが、厳つくはなく目許もわりと切れ長で鼻筋も通っていた。
女装させてもかわいいのではないかと思ってしまう。
その上、頭脳明晰で運動神経抜群だというのに、性格も悪くないと来ている。
こんな男に言い寄られて、なびかない女子が何人いるだろうか。
「な、なにか顔に……ついているか?」
「いいえー。ただねー、きれいな顔だなぁーと思って-」
「うぐっ……男としては微妙だけど、ありがとうと言っておくよ。それで僕はなんで呼ばれたの?」
「わたくしがあなたに、興味があったからよー」
「……え?」
遙の言葉で、素直に赤面する。
このわかりやすさは、本当によく「彼女」に似ている。
「ぼ、僕はそのぉ……」
「ええ。わかっているわー。とまとま……泊ちゃんが好きなのよねー?」
真摯な双眸を向けてうなずく。
遙に対して揺れ動かされもしない、この一途さも、やはり似ている。
「別にわたくし、あなたのことを好きとかそういうわけではないのよー」
「……え? あ、そうなの?」
「ええ。本当に興味があっただけなの-」
「そ、そうなのか。勝手に勘違いして……恥ずかしいな」
純朴そうな照れた顔。
こういうところも、やはり「彼女」を思い浮かばせる。
「でも、なんで僕に? やっぱり泊関係?」
「ええ、そうねー。どうしてあなたが、あそこまで泊ちゃんのことを好きなのか……ちょっと聞いてみたかったのよー」
「そ、それは……昔から好きだったからよくわからないけど。かわいいし、おもしろいし、すごいし……」
「おもしろい、すごい……って、それ女の子への褒め言葉なのかしらー?」
「え? ……ああ、そうか。変だよな、あはは……」
自分の言葉で無邪気に笑ってみせる。
「でもさ、あいつ今日もソロキャンしてるらしいんだ。なんか……すごくないか?」
「ふふふ……。そうね。なんか、すごいわねー」
すでにこうして二人で話すことになれてきたのか、彼から緊張感はうかがえない。
遙に対して媚びず、なびかず、自然体で接してくれる、純朴なわかりやすい少年。
性別こそ違えど、彼女――晶にそっくりなタイプなのだ。
(本当に残念だわー。いい異性のお友達になれたかもしれないのに……)
その時、またスマートフォンがブルッと震えた。
手に取って見ると、泊からのメッセージが送られてきていたようだ。
それと一緒に、楽しそうな泊の写真も送られていた。
彼女の手には「えごまのジェラート」というものが持たれているが、その味のコメントはいつも通り酷いもの。
遙はクスリと笑ってから、「語彙力ーwww」と返事を送る。
「なんか楽しいメッセージでも?」
「あ。お話中、ごめんなさいねー。大したことではないのよー」
きっと、彼には送られていないのだろう。
だが、その泊からのメッセージや写真を彼に見せるどころか、教えるつもりもない。
(本当に残念。とまとまのことでいろいろと楽しいお話もできたのに……恋敵でなければねー)