第一話「キャンプ用品を見に来た。ところが、キスを求められる」
こちらでの連載を再開いたします。
よろしくお願いいたします。
その中は、不思議な空間だった。
とは言え、泊も別に初めて訪れたわけではない。
クラスの友達のつきあいで、一度だけ来たことがある。
しかしその時は、「大きな店だな」ぐらいにしか感じていなかった。
ところがキャンプを始めた今、ここはまるで宝箱だ。
――アウトドア専門店【WILD CATS】・越谷レイクタウン店
店内にもかかわらず、大型から小型まで設置してあるテント。
小型のテントは、なんと天井に逆さまになって吊してある。
ガスコンロや炭コンロと一言で言っても、こんなに多種あったのかと改めて驚く。
カラフルなチェア、大小いろいろのテーブルとこれだけ数が並んでいたら、どれを選んでいいのかわからない。
ネット通販で見てはいたのだが、やはり目の前に並べられるとインパクトが違う。
物欲の誘惑も、レベルが桁違いだ。
どれもこれもがキラキラと輝いている気がしてしまう。
(これはヤバいこと、この上マックス……)
大きなテントの中に入れば、自由な風の香りを想像してしまう。
調理器具を見れば、料理もできないくせに美味しいキャンプ料理を想像してしまう。
チェアに座ってみれば、青空の下で執筆する自分を想像してしまう。
「うわぁ? オレ、とまりんのそんなワクワクした目……初めて見たかも!」
いつの間にか隣に立っていた晶が、まん丸い目をパチクリとさせながら泊の顔を見ていた。
薄い褐色の肌に飾られた、薄いピンク色の唇をOの字に開いたままにしている。
そんな親友の表情に、泊は少しだけ眉をひそめた。
「ほむ。わたしはそんなに、いつもワクワクしていないのか?」
「いやさぁ、なんてーのかな。いつもとちょっと違うんだよ……なぁ?」
言いながら晶が、後ろへ向かって言葉を投げかけた。
それを受けとったのは、少し離れたところに立っていた遙だ。
彼女は長くカールした2本のポニーテールを揺らしながら、「そうねー」とゆっくりと歩みよってくる。
「いつものとまとまのワクワクはー……その時を楽しんでいる感じかしらねー。それに対して今は、ちょっと未来を楽しんでいる感じー」
「なんか……いつもは刹那主義みたいじゃないか」
「そういうわけではなくてー……」
泊の正面に立つと、遙がおもむろに両手で泊の頬をつつむように触れる。
そしてまっすぐに、その色白な美顔へそっと近づけた。
「ちょっと心配だったんだけどー、とまとまっていつも、あまり未来に期待していない気がするのよねー」
「な、なんだそれ? 未来に絶望した覚えはないが……」
「うーん。そこまでではなくてー、絶望もしていないけど期待もしていないというかー……」
「ほ、ほむ……」
別にやましい気持ちがあったわけではない。
思い当たる節があったわけではない。
でも、なぜか遙から目をそらしたくなる。
ところが、かるくとはいえ顔を押さえられているため、視線があまり逃がせない。
「ねぇー、とまとまー……」
そして、その逃げようとする視線を捕まえるように、遙の瞳に真摯な光が宿る。
「な、なに?」
思わず固唾を呑んで泊も見つめ返す。
「今、わたくし……とまとまに期待していることがあるのー」
「……なに?」
「あのねー……」
「ほむ……」
「チュウしていいー?」
「……は?」
「キスよ、キス! キスさせてほしいのー!」
「なんでそうなる?」
「それはー、こんなにかわいい顔を近くに見せられたら、期待してもしかたないと思わないー?」
「思わんわ。自分で顔を近づけて、勝手な期待を押しつけるなよ。……というか、そろそろ注目集め始めているから本気でやめろ」
そう言いながら、泊は遙の手から顔を逃れさせる。
ほうっておいたら、本気で真っ赤なリップで艶やかでプニプニとした唇を容赦なく近づけてきただろう。
平日の夕方とは言え、客はそれなりに店内にいる。
その中で、制服姿の女子高生3人というだけでかなり目立つのだ。
おかげで近くにいた二人連れの二〇代の男たちが、鼻息荒く「百合か? 百合なのか?」とつぶやきながら、なにかを期待する高揚した横目をこちらに向けてくる始末だ。
いい見世物である。
しかもわりと学校とも近い。変なことをすれば、すぐに噂になってしまう。
遙に「けちー」と言われるが、そういう問題ではない。
「まったく、真面目に聞いて損した」
その泊の後悔を晶が楽しそうに笑う。
「アハハハ。……ってか、そんな難しい話じゃなくてさ。とまりんって、期待していないというより、先のことはなーんも考えていないって感じだと思うぜ」
「それはそれでムカつくわ……」
「だって、なんとかなるなる的な、行き当たりばったりで、先のことなんて考えてないだろ?」
「酷い言われようだな……」
「とまりんの料理しているところを見ているとよくわかる」
「うぐっ……。で、でも、これでも売れっ子小説家だぞ。小説を書くときは、先々のことは考えているんだからな」
「へー。じゃあ、プロットとかいうやつ、ちゃんと作って書いているんだっけか?」
「うっ……」
晶の揶揄する声に、泊はたじろいでしまう。
自分がどのように書いているのかという話は、雑談で彼女たちに少しだけ話してしまっている。
あからさまなウソは通用しない。
だからつい、赤いリムの裏で目を泳がせてしまう。
「な……なんとなくは……作っているしぃ?」
「なんとなく? 全部じゃねーの?」
「うぐっ……。そ、そこは……ほら……その場のノリも大事だしぃ? いきおいとかぁ?」
「やっぱり行き当たりばったりじゃん」
晶の勝ち誇った顔が泊の癇に障る。
「ほむぅ……。で、でも、もう今までの泊とは違うのだよ、晶くん。キャンプは前準備が大事! だからこれからは、計画性のある、できる女になるでござるよ!」
「ああ、わかった、わかった。……でさ。できる女は、ここに何を見に来たんだっけ? 冬用胃袋だっけ?」
「臓器売買かよ。ってか、冬用の胃袋ってなんだよ。保温できる胃袋かよ。……わたしが見たかったのは、冬用寝袋。実物を見てみたかったんだ」
三人はそのまま寝袋の展示してあるコーナーに向かう。
棚には、多くの寝袋が箱に入れられ積まれていた。
その上には、いくつもの展示用寝袋が逆さづりにされている。
「なんか……干物みたいだな……胃袋の干物……」
「胃袋ネタ、まだひっぱるのか」
そう言われると、モコモコとした形が内臓に見えなくもない。
ただ胃袋というより、どちらかと言えば腸という感じか。
「胃袋の干物っておいしいのかしらねー?」
「味の心配の前に、胃袋じゃないし、干物じゃないし」
ツッコミながら、泊は寝袋の一つを触ってみる。
かなりフワフワとしていて、厚みがあるのがわかる。
(ほむ。けっこう違うな……)
この時期は冬に向けて、保温性の高い厚手の商品ばかりが並んでいた。
赤、緑、オレンジ、さらにチェック柄とデザインはかなり豊富である。
とくにツートンカラー的なものが意外に多いようだった。
これなら、かわいいのを探すこともできるかもしれない。
それに厚さも肌触りもわりと商品によって異なった。
「ってかさ、とまりんはもう寝袋をもってんだろ?」
「ほむ。持っているけど、テントと一緒に安売りしていた貧相な感じのもので、冬には使えそうにないんだよね。今はまだ平気だけど、11月末あたりだと、たぶん風邪をひく。12月あたりだと、たぶん死ぬ」
「えー。そもそも真冬にもキャンプするのー? わざわざ寒い中、行くなんてー。温かいおうちで暖炉の火に当たっていた方がよくないかしらー?」
「都会の普通のお宅に暖炉なんてないと思うけど……」
だからこそ焚き火が楽しいのだが、そのことを言っても通用しないだろう。
彼女の家には普通に暖炉があるのだから、わざわざ寒い外でやる焚き火の楽しさはわかりにくいかもしれない。
そもそも泊とて、つい最近まで焚き火が楽しいなど思いもしなかったのだから。
「それにキャンプって夏のイメージがあるけどー……」
「ああ、それはそうでもないらしいぜ」
遙の疑問に答えたのは、意外にも晶だった。
「キャンプ通には、冬キャンプの方が人気らしいからな。まあ、ベストは春や秋らしいけど」
「あらー、そうなのー?」
「知り合いにキャンプが大好きな人がいて、そう言ってたんだよ。実際、その人も夏より秋から春にかけての方が頻繁に行っているしな。むしろ、真冬に行く時なんか、いかに寒さ対策するかを喜々として考えていたぜ」
晶の知人の話を聞いて、ふと泊はソロを思いだす。
彼ならば、きっと「研究だ」とか言いながら、晶の知人と同じように喜々として寒さ対策するのだろうなと想像してしまう。
「でもー、どうして夏より冬なのかしらー? 冬だったら、外でバーベキューも寒いでしょうー? 海や川で遊ぶこともできないわー」
「うーん。まあ少なくともオレの知り合いは、海や川で遊ぶことがあんま目的にならんみたいだぞ。それより、キャンプそのものを楽しむらしい。雰囲気とかだと思うけど」
ふと泊は、何をするでもなく景色を眺めていたソロの姿を想いだす。
泊も一緒になってしばらく景色を楽しんでいたが、あの何もしない時間が非常に贅沢に感じたことは確かだ。
「あと夏より冬がいいのは……たとえば、寝袋だけどさ」
そう言いながら、晶が目の前につるしてあった寝袋を指さす。
「極寒の雪山とかでもない限り、寒いときはこういうぶ厚い寝袋の中で厚着すればどうにかなるじゃん? あとキャンプに持っていけるストーブとかもあるしさ」
晶の説明に、遙、そして泊もうなずく。
「でもさ、夏の暑いときって脱ぐにしても限界あるじゃん? それに、ポータブルクーラーってあるけど、種類は少ないし、あまり効かないし、重いし、高いし、うるさいらしいしさ」
「へー。そうなのねー」
「もちろん、クーラーつけられるキャンピングカーならいいんだろうけど、テントだと暑さ対策って、あとは小型扇風機をつけたり、全面メッシュにして風を通したりするぐらいしかできないんだって。野郎はいいけどさ、それ女性だと不安じゃん?」
「ほむ。確かに……」
「あと夏は、汗もひどいし、日焼けも気にしないといけないし。それになんといっても、やっぱ虫がヤバいらしい」
「ほむほむ。虫は嫌だね。この前のキャンプでもまだ蚊がいて……」
「そうねー。とまとま、刺されたと言っていたわねー」
「ほ、ほむ……」
泊は記憶をたどって、わずかに頬に熱を感じる。
あのとき、痒み止めを貸してくれたソロの姿が脳裏にあった。
さっきから思いだすのは、ソロのことばかりだ。
まだキャンプに二度しか行っていない泊にとっては、キャンプの思い出はそのままソロとの思い出になってしまう。
「でもー、晶ったらずいぶんと詳しいじゃないー? 実はキャンプ好きだったりー?」
「……別に。好きじゃないよ」
顔を覗きこむような遙のしぐさに、晶はあからさまに憮然と顔をそらす。
「どっちかと言えば嫌いかな。これは単にカズ……詳しい知りあいからの受け売りだ。だから、キャンプ事情みたいなのは知っていることもあるけど、道具とかよく知らんしね」
その雰囲気は、これ以上の詮索不要と物語っていた。
晶の性格は、泊も遙もよくわかっている。
言いたくないことは、頑として言わない。
「ほむ。どっちにしても、わたしは執筆のために行くのだから、季節は関係ないのだ。夏でも冬でも行きたいときに行く、それがわたし」
話を切り替えた泊は、干物のように吊るしてある寝袋をひとつずつ吟味し始めるのだった。