第一五話「キャンプ飯といえばカレー。でも、焼肉も捨てがたい」
――カタカタカタカタ……。
泊の叩く小さなキーボードの音が、喧騒の中を渡っていく。
喧騒と言っても、耳障りなものではない。
たまに聞こえる、遠くの笑い声や、走っている子供の声。
風に揺れる木々の葉のこすれる音。
鳥の鳴き声。
それはある意味でホワイトノイズ。
耳には入ってくるが、頭の中には届かない。
心の平穏を作ってくれる喧騒だった。
(伏線を回収し……ここで第一章のクライマックス……)
だが、泊の心は平穏でも空想はフル回転。
物語は、面白いようにまわってくれる。
(このシーンはこれでいいか。……よく頑張ったぞ、主人公!)
自分の生み出したキャラクターがいい感じに動いてくれて大満足。
思ったように書けたときほど、やり遂げた感を味わえる。
一呼吸入れて、割り箸に手を伸ばす。
そしてテーブルの上にあったポテチを取ろうとするが、驚いたことに最後の一枚。
いつの間にか、一袋を食べてしまったらしい。
そう言えば、すっかり喉が渇いてしまっている。
(ほむ。口の中……脂っこいな……)
ちょうどいいから休憩にしようと、ふと視線を動かす。
すると隣のサイトで、やはり椅子に座ってPCを操作していたソロの姿が目に入る。
その片手には、やはり箸があり泊が先ほど土産に買ってきたポテトチップスがつままれていた。
さすがに泊ほど早く食べているわけではないようで、まだ十分に残っている。
「…………」
声をかけたわけでもないのに、ソロが泊に顔を向けた。
自然に目が合う。
なんだろうと、泊が思っているとソロがコーヒープレスのポットを片手に掲げた。
「…………」
その意図を読んで、泊はコクリと首肯する。
泊は自分のステンレスコップを手にすると、席を立ってソロの側に近づいた。
そして差しだされた手にそのコップを渡すと、ソロがすばらしい提案をしてくる。
「アイスもできるが?」
「ほむ。ぜひお願いします」
まだ昼間は暑いからありがたい。
ちなみに直射日光を浴びながらだと、PC画面も見えにくい。
そのために太陽の方向に合わせて木陰を求めながら椅子を動かしていたぐらいだ。
やはり外で活動するなら、陽射し避けのタープは欲しい。
――カランッ……
横にあったクーラーボックスに入っていたロックアイスが、泊のコップの中でクルッと回ってトリプルアクセル。
さらにたっぷりのコーヒーが注がれる。
まだ淹れて間もないのだろう。
そこに注がれる間、コーヒーは白い湯気を立ち上げながら、ロックアイスを小さくしていく。
あっという間に黒曜のような湖が出来上がる。
「濃い目に淹れてあるからさほど薄くないだろう。少し冷してから飲めばいい」
「ほむ。あらかじめアイスにすることを考慮していたんですか? ホットと言ったらどうしたんです?」
「お湯で割ればいい。まあ、子供の内はカフェインとりすぎもよくないから、薄い方がいいかもな。……そうか。ハーブティーとかもいいかもしれない」
「……もうキャンパーというより、できる執事のような人ですね、ソロさん」
「俺のキャンプ研究の一環だ。あと、これな……」
ぶっきらぼうにテーブルに出されたのは、例のミルクポーションが入った袋。
泊は礼を言いながら、また四つほどつかんでいく。
「……ちなみに、こういうのはサポートには入らないんですか?」
少し悪戯っぽく尋ねると、ソロが鼻を鳴らす。
「こんなのご近所付き合いみたいなもんだろう」
「……ですね。ありがとうございます」
ニコリと笑ってから、泊は頭をさげた。
そしてそれ以外、特にお喋りもせずに席に戻る。
(ほむ……。なに、この気持ちいい間……)
絶妙なタイミングで目が合い、言葉少なく淹れられたばかりのコーヒーを勧められる。
気を使う会話などなく、かるい挨拶のようなコミュニケーションのみ。
それは他人の時間を潰したり奪ったりするのではなく、シンクロして時間を濃厚にするような交わり。
泊が今まで感じたことがない、心地よい絶妙な距離感。
なんとなく今まで、ソロとの会話は親友二人との会話に近いと思っていた。
しかし、どうやら違うようだ。
友達は一緒にいたら、やはり何か一緒にやりたくなってしまうし、会話しないといけないような気がしてしまう。
ところが、ここにそんな空気はない。
(ほむ。そうか。これが別々の時間を一緒に過ごしている感覚……)
コーヒーを飲もうと口元まで持ってくると、その表面に傾きかけた太陽が朱色の光をかざしていた。
それでやっと時間の経過を感じる。
時計を見ると一七時を過ぎていた。
(お湯を沸かすだけだから、まあもう少し後でいいか。ポテチでお腹がまだ膨れているし。……待てよ。ソロさんは今日はなにするんだ?)
ふと気になり、泊はこっそりとソロの方をうかがう。
すると案の定、彼は席を立つ。
横目でちらちらとみていると、テーブルの上に銀色の板状の物が載せられた。
いくつかの部品になっているようで、それはあっという間に組み立てられる。
(ほむ。聖火台か?)
それはピラミッドをひっくり返したような形をしていた。
下の方は、フレームの台座で支えられている。
大きさは、一〇数センチ四方。
高さも泊の前腕よりも短いぐらいである。
そして上には、金網が乗る。
(あ。ソロ用のグリルか……)
そういえばと、キャンプのアニメでも小型の焚火もできる四角い箱が出てきていたことを思い出す。
でも、それはいかにも焼き鳥などを焼くような炭火焼き台だった。
ソロのは聖火台のような、まさに焚火台という形をしている。
それにアルミホイルが敷かれ、その上に丸い炭らしきものがのせられた。
(これは……これはまずまちがいなく定番……。くっ。こちらも対策を取らなくては負ける! 飯テロで殺される……飯コロされる!)
ひとまずコーヒーをゴクリゴクリと飲んでから、テントに戻ってコンロをもちだす。
テーブルに設置してCB缶をセット。
さらに小さなケトルを取りだして、それに水を入れて沸かし始める。
そしてコンビニで買ってきた、カレーメシの封を開ける。
(ほむ。カレーと言えば、キャンプ飯の定番。すなわちカレーメシとは、いわばキャンプ飯の概念。それが簡単にすばやく食べられることで、概念を掌握できる! それには、この秘密兵器を使うしかあるまい……)
それはコンビニで一緒に買ってきた、温泉卵。
(これをカレーメシにのせて食べることで、カレーメシはパワーアップし、グレート・カレーメシZに進化する。そしてカレーメシという概念は、具現化されるのだ)
少しばかり興奮して思考が支離滅裂気味の泊は、「わたしだって、ちょい足しぐらいならできるんだからね」とばかり、ソロを横目でドヤッとうかがう。
だが、そこにソロからの先制攻撃が始まったのだ。
――ジュュュュゥゥゥ~~~……
それは果てしなく食欲をそそる、肉の焼ける音。
さらに脂が垂れて燃える炎が、あの小さなグリルの上で舞っていた。
(えっ? 炭ってそんなにすぐに火がつくものなのか? なんか苦労すると聞いていたんだけど……)
予想外に早い攻撃に、泊は戦略の失敗を知る。
炭火は面倒、そう泊は聞いていた。
火をつけるのも大変だし、火が安定するまで時間がかかると。
そんな気楽にできるものではないと思っていたのだ。
しかし、ソロは炭を入れてからわずか一、二分ですでに肉を焼き始めている。
それどころか金網の上では、玉ねぎらしき野菜もいつの間にか炙られていた。
(玉ねぎ輪切り……いつ切ったのだ? ……まさか、すでに切ったのを持ってきていた……だと!?)
なんと用意周到なことなのだろうと、泊は戦慄する。
しかも、すでに一枚目の肉が、ソロの口の中に消えていった。
たとえ目をそらそうとも、絶え間ない肉の焼けるサウンドが心を揺さぶってくる。
(震えるぜハート……じゃない。これはまずい。すでに戦況は不利だ……このままではカレーメシという概念装甲が破られ、飯コロも時間の問題……)
まだこちらは、お湯さえ沸いていない。
いや。もうすぐ……もうすぐわくはずだ。
熱い援軍が来るはずだ。
そうすれば、グレート・カレーメシZが目覚めてくれる。
だが、それまで精神が耐えられるのかと、泊は拳を強く握りケトルを睨む。
「フッ。肉が欲しいか……」
まるで敗北した勇者を前に、力を与えようとする神か悪魔のような声が聞こえる。
「肉を求めるのか、少女よ……」
「ソ、ソロさん……」
「肉が欲しいなら与えてやろう。ただし、対価は頂くがな」
「ほむ。対価……だと……」
「そう。この肉……豚カルビとトントロが欲しければ、対価を払い契約するがいい」
「対価とは……」
「決まっている。その若き肉体で払ってもらう」
「なっ、なんですって……ま、まさかそれって……。その大きなタケノコテントの片づけを手伝えなんていうんじゃないでしょうね!?」
「当たり……」
「当たりなの!?」
「ああ……当たるとは思わなかった……」
「ほむ。そんなにしょげないでくださいよ。せっかくボケていただいたのに、すぐに当ててしまってすいません……」
「謝られてもあれだが……。実は、ここ数日のように寒暖差があると結露が酷くてな。屋根の部分がポリコットンという材質で、純粋なコットンよりはましなんだけど、それでも水分を吸って重くなる。昨夜の雨で湿気ものけきっていないしな。明日は干している時間はほとんどないから、なるべく水分を吸い取ってしまいたい」
「ほむ。ケースが濡れるからですか?」
「いや、コットン系はすぐ干さないとカビてしまうんだ。でも、これだけでかいと、干す場所もタイミングも難しくてな。それから、グランピングのためにいろいろ道具を持ってきているから片付けが大変で……」
「年寄りソロなのに無茶するからですよ……」
「年寄り言うな……。それで契約するのか?」
「……ほむ。よかろう。契約を結ぼうではないか。成約の証に、その肉を我が貰い受けようぞ。……というわけで、さあ、どんどん焼いてください。若いので、たくさんください。カレーメシに入れて食べます」
「本当に遠慮がないな、きみは……。その代わり明日の朝は、こき使わせてもらおう」
「ほむ。若いから平気ですよ。遠慮なくどうぞ。……あ、肉に合う黒胡椒にんにくというのがありまして。これ、使ってみましょう!」
「おお。いいな。……ってか、こんないい物があるなら、朝のラーメンにも使えばよかったのに」
「……ああっ! そうでしたああぁぁ! ベストオブ不覚、イン・マイ・ライフ!」
「……意味が分からん」
「ほむ。『一生の不覚』ということですが?」
「普通に言えよ……」
その日の夕食。
泊は「スーパー・グレート・カレーメシZZ」にありつけた。
それは黒胡椒にんにくを加えた、肉追加カレーメシ。
(胡椒の香りもガーリックの香りも、食欲をそそりまくる。熱が加わるとより香り立つぞ。味がしまってスパイシー。元がインスタントとは思えないパワーアップ。描写するなら語彙消失のうまさ!)
思いがけぬ変貌を遂げたカレーメシを口にしながら、「さすが肉、強い」「黒胡椒にんにくを買った自分、偉い」と心で語彙力のない賞賛を贈る。
ともかく、その日の夕食もたっぷりと「嬉しい」を味わえたのだった。
ただし、翌日。
早朝から始まった片づけの手伝いは、本当に遠慮なく働かされてかなり大変だったのである。
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※参考資料:話に出てきた物の写真等が見られます。
http://blog.guym.jp/2018/12/scd001-15.html