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ハッパ売りの少年

作者: 影絵企鵝

 クリスマスイブ。都会のど真ん中では若い男女がところかまわずデートだ何だとはしゃぎ合っている。手を取り合って抱きしめ合って、ドーパミンにずぶずぶと浸かって、まるでこの世界には幸せな事しかないんだとでも言いたげだ。明日は平日、夜も明ければ仕事仕事仕事と、すっかり現実に引き戻されるのだろう。そんな事は百も承知、今ばかりは誰もがそんな事実から目を背けていた。


 そんな喧騒を他所に、少年は真冬の路地裏に立っていた。その背中は冷え切った壁に預けている。身に纏うコートは春物の薄いトレンチコート。ホワイトクリスマスを凌ぐにはどうしたって頼りない。ポケットに手を突っ込み、肩を軽く震わせながら、彼は冬木立のように立ち続けていた。

 やがて、周囲をちらりちらりと窺いながら、一人の痩せ切った男がやってくる。その手に皺くちゃの万札を握りしめて、ずかずかと彼は少年に近づいてきた。少年はちらりと見遣ると、溜め息交じりに手をひらひらさせる。あかぎれだらけの手だ。

「あるよ。右のポケットだ。一つだけ取れよ。誤魔化したら半殺しにすんぞ」

 落ちくぼんだ眼の男はこくりと頷くと、万札を握りしめたままの手を、コートのポケットに押し込んだ。万札をポケットの底に沈める代わり、彼は小さな袋を一つまみ、素早く手を抜き取った。

 男は眉一つ動かさず、万札の代わりに握りしめたものを胸に抱え、バタバタと路地からいなくなる。その不潔な背中を見送り、少年は溜め息をつく。

――クリスマスイブだってのに、それ(・・)しかする事ねーのかよ。

 そんな奴がいるからこそ、少年は塵取りの隅のような世界でも生きていられるのだが。ぐしゃぐしゃの紙幣を丁寧に押し広げ、彼は皺だらけの肖像画をじっと見つめる。


 少年はいわゆるハッパ売りだった。どこの輩とも知れない、いかがわしい奴らの作ったクスリを、街頭に立って売り捌くのが仕事だ。手元に残る利益はおよそ一割。十万売り捌いて、ようやく一万。七面倒で危ないだけだが、もう少年にはそれしか無かった。


 クリスマスイブは日本で一番子どもが仕込まれる日なのだという。腕利きのバイヤーさえ雇えないヤク中が、お相手に恵まれている筈もなく。その寂しさを紛らしたいのか、少年の下は盛況だった。男を見ても女を見ても、生き地獄に押し込まれた餓鬼のような顔をしている。少年は軽蔑半分、同情半分の面持ちでそんな彼らから金を受け取り、薬を配った。

 やがてしんしんと雪は積もり、人足は遠のいていく。一人になった少年は、彼方から漏れ聞こえてくるクリスマスソングだけを頼りに、空腹や眠気に抗っていた。

 だが、それも限界があった。少年は顔を顰めてポケットを探る。手元には十五万。これだけあれば好き放題に温かいところで飯にありつける。しかし、分配前の金を使い込んだことが知れようものなら、簀巻きにされて真冬の東京湾へ放り込まれても仕方が無い。

――ここまで生き延びてきたんだ。こんなところでくたばれるかよ。

 少年は財布を探る。引っ張り出したのは、半ば干からびたハッパの一包み。ある時、陽気な売人がお前の分だと押し付けてきたのだ。

 舌打ちした。クスリに興味なんて無かったが、今この場で、厳冬の寒さを誤魔化せるようなものはこれしかない。使い方を説明するためのパイプを取り出すと、ハッパの粉をそこに押し込み、じっくりとあぶり始めた。

 煙をじっくりと肺に溜め込むうちに、世界はゆるりと昏くなっていく。意識は遠のき、少年にどこか別の世界を幻視させる。


 そこは暗闇だった。電気も止められたアパートの中で、少年はじっと膝を抱えていた。


 少年は眉根を寄せる。頭がぐるぐるとして気分が悪い。彼は呻いた。こんなのを見るために落ちぶれた彼らがハッパを吸っているのではないはずだ。もっと吸えば、世界が変わるに違いない。少年はそう信じて、再び煙を吸い込んだ。


 テーブルの上に、ジャンクフードの包みが乱暴に置かれていた。少年はテーブルに飛びつくと、飢えた野良犬のように、紙袋へ頭を突っ込み、包みの底に沈んでいたポテトの一欠けらさえ摘まんで食べた。それが一週間ぶりの食事だった。


 猛烈な吐き気に襲われた。少年は排水溝の前に膝を折り、雪を掻き分け胃の腑から湧きあがってきた物を吐き散らかす。むっと漂う生ぬるさと生臭さに鼻を潰されそうになりながら、少年は呻いた。本当に彼らが、こんなものを見ているのだろうか! 訳も分からず這いずり回った地獄のような日々を夢見ているのだろうか?

 そんな事は無い。彼らにもしあわせな時代はあったはずだ。自分はしあわせにありついた事が無いから、こんなものしか見られないのだ。少年は意地になった。ハッパでさえ自分を救う事は出来ないのだと証明してやろうじゃないか。少年は燻るパイプをもう一度咥えた。


 目の前には厚化粧の女がいた。訳の分からない事を喚きながら、少年のことを何度もヒールでぶった。お前がいるから男が出来ないだの、何で生まれてきたのだの、身勝手な恨みを吐き出し続ける。

 その時、少年はされるがままであった。幼い少年には、ただ女が機嫌を直してくれることを信じてただ蹲っている事しか出来なかった。

 しかし今は違う。もうケンカの仕方は知っていた。少年は転がっていた何かを引っ掴むと、喚き続ける女に向かって、その角を叩きつけた。

「全部お前が悪いんだ!」

 鈍い感覚が少年の手元に伝わる。しかし少年は構わず、倒れ込んだ女の頭に向かって、何度も何度も手にしたものを振り下ろし続けた。女が潰れたトマトのようになるまで、少年はその手を止めなかった。止めたらやり返される。そうなったらそれで終いだ。


 気が付いた時、少年は牡丹色の雪の上に立っていた。目の前には、ぐちゃぐちゃになったクスリの売人が倒れている。右手には粉々になったビール瓶。クリスマスソングもいつの間にか止んでいた。

 ポケットに手を突っ込み、有り金を全て引っ張り出した。十五万。これだけあれば、この街から出るくらいは出来る。少年は潰れた幻想を一瞥し、路地を駆け去った。




 翌日、路地裏で血に染まり、薬物の粉に塗れた男の死体が見つかった。抗争の末の刃傷沙汰だろうと、野次馬さえも気に留めないのだった。


 おわり 


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