伊豆山の天狗の詫び状(ファンタジー)
伊豆山に起こったファンタジー
悲しき悲劇を山道シリーズ構成
伊豆の伊東市街地から旧修善寺街道の細く曲がりくねった坂道を、私(矢崎慎一)の運転するポンコツ乗用車で、妻の勝子と孝一(長男)、それに郁夫(二男)を乗せて二キロほど走り登って行くと、東善ランド別荘地への、右折案内表示板が眼に入る。
右折をしてみると、更に急勾配の狭い山道になっていて、車では無理ではないかと思えるほど、鬱蒼と生い茂った樹木が、トンネル状に蛇行して延びていた。
十数年ほど前の学生だった頃には、黒部渓谷で難所続きの乗鞍越えをしたほど、無茶な運転をした経験があった私だが、既に四十歳を目前にした今は、些かの尻込み感を覚えてしまい、車を停車させた。
「厭だわ。矢張りこんな坂道を登って行く所に住むなんて、絶対無理よ」と、助手席に坐って不機嫌な表情を崩さずにいた勝子が、正面を見据えたまま、ヒステリックな言い方でごねだした。
一年前に、私が経営していた通信会社が倒産を余儀なくされたため、家族を養う手段として、勝子の全面的な理解を得ぬまま、別荘地の管理職に応募した経緯があったことで、勝子の憤りは理解ができていた。
だが私は、家族を養うための究極の選択肢であって「今更どうしょうもないことだから、解ってくれないか」と言って、無視した状態で車を急坂に向け、前進させた。
ポンコツ乗用車のエンジンは、悲鳴を上げるかのように振動とギシリ音を発し続けながらも、別荘地内の、かろうじて整備された舗装道に辿り着いた。
その左側の眼下には、伊東市街地と大島や初島の、雄大な眺望が広がっていた。
後部座席の孝一と郁夫も、不安げな表情で言葉少なく坐り続けていたが、そのロケーションには表情が一変し、窓から顔を突き出して喜びの声を挙げだした。
勝子の膨れ面だった表情も、多少の和みを見せだしているのが解る。
右側の、一段と高台に面した所には、管理棟と記された文字が確認できて、管理棟下の広い平地にある駐車場に、車を停車させた。
すると何処からか、体格のいい中学生位の男の子が笑顔で擦り寄ってきて、「今日は」と、私の家族に屈託の無い愛嬌顔で、声を掛けてきた」
(2)
「ああ、君は誰かと別荘地に遊びに来ているの?」と、私は訊いた。
「違うよ。あそこがおらんち(家)なんだ」と、少年は指差した。
「管理棟の横の家かい?」
「違うよ、お父は管理者だから、あれがおらんちさ」
私は一瞬、息を飲み込んだ。
「……君は何年生?」
「中学二年になったばかり。弟もいて、小学四年生何だ」
「小父さんも男の子が二人だよ」と言って、車内に坐ったままでいる息子達を、指差した。
「おらんちと、同じ男の兄弟なんだね」
「ああ、そうだよ。君達兄弟と年齢は多少違うけど、似ているね」
「うん。今日、ここに遊びに来たの?天狗の詫び状がある祠に、案内してもいいよ。とても広いし、遊べるんだ」
「なんだい、その天狗の詫び状って言うのは?」
「旅人が通ると、天狗が悪さをするんだよ」
「へぇ、そんな所があるのかい?でも、小父さん達は旅人でも遊びでもなくて、君のお父さんの仕事を、引き継ぎに来たって訳なんだ」
私が言い終えると、少年は赤ら顔になって、何も言わずに何処かに駆け出して行く。
私は、少年の心に傷を負わせてしまったようだと悟り、後悔をした。
少年家族の一端を垣間見る私の胸中には、前任者の複雑な事情を知らされたような気がして、不安を抱えてしまった。
(3)
勝子と子供達を車内に残した私は、広々とした管理事務所内に入って行くと、中央に二十人程が囲んで坐れる、大きなテーブルが設えてある。
既に本社の社員なのか、二人の人物が茶を啜りながら待ち受けていた。
「よう来られましたね。複雑な地形ですから、迷われたんじゃないですか。それに、慣れない急な坂道車を登りきるには、相当、勇気がいったでしょう。それに三十分程前だったが、貴方達の荷物を下したトラックが、帰りましたんですよ。あれだけ大きなトラックでも登れたんですからね、きっとすぐ慣れますよ。その荷物は家ではなくて、ここ、事務所内のその左側に洋室がありますから、その中に仮に置いて貰いました。暫くは荷物をそこに置いたままで、不便でしょうけど、生活をして貰いたいんですよ。こちらにいる今までの管理員さんは、これから家を探すそうでして、今は宿舎に荷物が置けませんから、急いで探して貰いますよ。それで挨拶が遅れましたけど、私は、本社の次長をしています山口です。宜しく。そして、こちらにおられるのが、管理者だった川内さんです」と、次長が紹介をしてくれた。
「私は矢崎と申します。馴れるのには大変時間が掛かると思いますが、宜しくお願いします」私が挨拶をすると、川内は不機嫌そうに坐ったままで、目も合わさずに「ああ」と小声の一言だった。
不機嫌な川内の心情は、先ほど会った息子が、何かに怯えてしまったのかたのかは解らぬが、それよりも引き継ぐ私への嫌悪感だったような態度に思えてならなかったから、多少の察しがついていた。
きっと、この山で育ったんだろうから、二人は山を去り難いと思っている感情が、私への憎悪に変貌しているに違いない。
(4)
「右側にも和室があるんで、奥様やお子さん達には、一先ずその部屋を使っていてくれませんか。その部屋からは、とても伊東市の街並みが素晴らしく一望出来るんですよ」山口次長はそう言って、私を労った。
「仰せの通り、多少の迷で到着時間が遅れてしまい、申し訳ご座いませんでした」
「私は、矢崎さんの入社を強く推薦した一人何ですよ。十数年來、別荘の所有者間との未処理案件を、未だに多く抱えていますから、貴方の起業経歴に期待をしたんです」山口次長は誇らしげな表情で言う。
私はその言葉に、単調な作業よりも、遣り甲斐を感じだしていたのは、私が通信システム会社を経営していた時には、地域住民との説明会や、複雑な案件の処理をしてきた経験上からか、説得には向いている性格だと、自負があってのことだった。
だが、私の脳裏を掠めているのは、仕事上の問題よりも、少年の心を蝕む、家庭崩壊に繋がってしまうのではと、懸念の方が大きな比重を占め出していた。
「着任してから既に十数年になられている川内さんだから、この山を去りがたい愛着がおありだと思いますよ」山口次長は、俯き加減の川内に視線を当ながら話しす。
「川内さんはお二人の子供さんがいらっしゃいますよね。先ほど駐車場で長男さんとお話したので知りましたけど、私にも二人の男の子がいましてね、少しだけ年代の違いはありますが、類似した家庭環境だと知って、驚きました」
「そうでしたか……住まいを探す日数の余裕はあったんですよ。でも、息子達の説得が未だに出来ずにいるんです。明日は必ず理解をさせて、住まいを早急に探します」と、川内の重い口も、多少滑らかになった。
「必ず、必ずそうして下さ。それでは引継ぎの話に移りましょう」
山口次長の言葉に従って、膨大な書類を机上に並べだしていた。
すると、川内の少年(長男)が事務所内に無言で入ってきて、立て掛けてあった自転車を持ち出して行くその後ろには、小型の柴犬らしき飼い犬が従っていた。
「一度、話をさせてもらった息子さんでした」そう私が話すと、川内は「長男の和夫」ですと、答えてくれた。
(5)
引継ぎ作業の数時間が経過していた頃だったが、再び和夫が事務所内に戻ってくると、無言で自転車を事務所内に置いて、傍らの飼い犬を連れて、そのまま事務所内から立ち去った。
その少年の暗い表情に、私の心は一段と萎えた。
私は、家族を事務所内の和室に呼び寄せると、間もなく西日が落ちて、辺りの街路灯に纏わりつく羽虫たちだけが、静寂を破って騒がしく舞い踊りだしている。
造成化された為か、この辺りには高い樹木はなく、この日は月光のもと、表玄関前の坂道に出て、山口と川内、それに私の三人で、眩しいほどの夜光を浴びたロケーションを、暫し堪能し続けていた。
「父さん、和夫がまだ帰って来てないんだけど?」
川内の妻だろう言葉が、三人の背に浴びせられてきた。
「えっ、犬と散歩に行ったのは知ってるさ。でも、未だに帰っていないのは変だ?」川内は怪訝な表情を作って言った。
「振り返った私は、奥様ですか、初めまして」と、挨拶をした。
「妻の菊枝です。宜しくどうぞ」菊枝は、深々と頭を下げて言う不安げな顔に、月明かりを呼び込んで青白く浮かびあがっていた。
脇に並び立って聞く私は、その状況に言い知れぬ罪悪感を覚えだした。
「犬は帰っているのに、変よ」と、菊枝が更に不安がる。
「よし、車で一回り山を見て来るさ」川内はそう言い残して駐車場に向かいだすが、山口次長と私も後に続いて車に乗り込んだ。
川内は、山頂に向かって走りだした。
次第に、事務所周辺も探しだし、山裾辺りにも範囲を広げ出していた。
別荘の多くは、傾斜地に長い脚下駄を伸ばした上に建てられていて、建物の床下辺りに、懐中電灯で照らしては隈なく探し回っていた。
慣れ親しんだ山での遭難など、考えられないことだと思い込む私の脳裏には、良からぬ想像が、又しても浮かんできてしまう。
(6)
一旦、家に戻ってみると、警察犬や担任、それと、他の教師達が休日にも関わらずに、捜索に加わるべく沢山集まって来ていた。
再び、私と共に三人も、警察の捜索犬の後に従ってはいたものの、何の手がかりも得ずに、白ぐ間際まで捜索をしていたが、街の友人宅にでもいるのではないかと、誰かが結論付けをしたことで、捜査は一旦中止となって、警察や担任達も山を降りて行く。
私と山口次長は仮眠をとろうと、駐車場内の事務所のワゴン車両に乗り込んだ。
仮眠して僅かな時間だったが、泣きながらの川内に、車両の窓を叩いて起こされた。
川内は、白ぐ車の脇に坐り込み、泣き顔を手で覆っているばかり。
「どうした?見つかったのかい?」山口次長は訊いた。
「案内するさ。手を貸してくれ」川内は、か細い声で呟いた。
山口次長と顔を見合わせた私の脳裏には、孝一や郁夫の姿が重なった。
案内された建物は、昼間なら、事務所の大きなガラス戸越しに望めた別荘であり、その傾斜地の床下が鉄骨材の長い脚で固定された建物だった。
昨夜も確か、道路際から懐中電灯で照らし、探し見た場所だった。
川内は捜索を諦めず仮眠も取らずに、明けきらない夜道を飼い犬を連れて、歩き回っていたと言いう。
その床下の梁に、ロープで吊るされていた和夫の視線は、明らかに事務所の中を凝視していただろう位置にあり、私は耐え難い怯えを覚えてしまった。
ーー離れがたい山への執着心。或いは、そこまで思い詰めさせた原因が他に有っての事なのか?と思いながらも、私の脳裏に浮かんでしまう悪夢を、何とか打ち消せないものかと、心に念じていた。
多くの人が捜索をしたにも関らず、父親だけに発見を委ねたのは、決して偶然ではなくて、少年の山に残りたい強固な意志を、父親に伝えたいのだろうと、私はそう思った。
三人で和夫の首に巻かれたロープを外し、道路上まで担ぎ上げた。
角の道路を左に曲がり、管理事務所棟の隣の宿舎に和夫を運ぶ事にして、和夫の体を支え持つ私の手には、力が入らない。
(7)
体力なら、私は普段から軽い筋肉トレーニングをしていたこともあり、自信はあったはず。
僅かな二十メートル程の道のりも、脚を支えていられない程の苦痛に襲われる。
辛うじて少年の両脚を、腕の中に抱え込んで持ち堪えていたが、きっと、恨みのある人間には、発見も、触れられたくもなかったのだろうと、私は思っていだ。
その日のうちに、警察の現場検証と、全員からの事情聴取を行った後、死因を自害と断定発表されたことを、テレビ速報で放映された。
私の子供達の思いは解らぬが、勝子は、こんな山に住むのは嫌だと思っているに違いないし、それでなくても、伊豆の山奥に行くことには反対していて、強く嫌がっていたのだから、尚更だろう。
こうなれば勝子ばかりか私だって、仕事辞退の意を硬くせざるを得なかった。
葬儀は翌日と、早急な日取りであった。
その日の三日目も、山口次長が居残ったまま葬儀を取り仕切り、勝子も手伝った。
火葬場から戻ると、既に祭場が設えられてあり、テレビ取材が取り囲んでいた。
葬儀には不謹慎な色の背広だったと思うのだが、積み置かれている荷物から取り出す暇もなかったことから、三日間も着のみ着のままでいた事で、そのまま受付を担当していた私だった。
目の前の下り坂には学生達が長蛇の列をなし、鳴き声だろう、どよめき音となって聞こえていた。
(8)
「山口次長さん、お帰りの日に突然で恐縮ですが、色々と考えて見ました。やはり、就任はご辞退をさせて頂きたいと思いに至りました。ご不幸を招いた一端は私にありますし、私の家族も嫌がっていますから、折角、お骨折り頂きましたが…」と、私は恐縮ながらそう辞意を切り出した。
「えっ!今更何を言うんですか?貴方に何の責任があると言うんです。和夫君を山で御供養出来るのは、引き継ぐ貴方家族に委ねる以外にはないんです。多少の縁でも、和夫君が愛した山を守ってやって下さいませんか。仕事の引継ぎも既に終わっていることですし、もう、後には引けない状況だと言うことは、解って下さい」山口次長は、懇願するように私に言った。
「このまま、川内さんに継続して貰ったらどうですか?」と、それでも私は食い下がる。
「それは出来ないから、新規に募集したんです。こんな時期に真実を言うのは不謹慎ですが、川内さんは、金銭トラブルで会社を首になったんですよ。ですか、継続雇用は出来ないんです」
私には、返す言葉が見つからなかった。だが、それよりも勝気な妻の説得をどうしょうかと思いが強く、説得できなければ単身でと言うことは、採用条件で認められていないため、私は打開策を見出せないでいた。
もう始まったのか?苦しみの天罰か?それとも天狗の詫び状ならぬ戒めか?などと、私は自暴自棄に陥った。
「矢崎さん。ご家庭の諸事情もおありでしょうから、無理は重々承知している積りです。だけど、敢えてお願いするしかないんですよ。二・三日で管理事務所が無人化してしまうことは、とても本社は許しませんから。私の立場上からも、お願いするしかないんです」再び山口次長が懇願をする。
私には、断る手段を見つけられずにいた。
「引き継いで少年の供養もしてくれと、次長は言うんだが、家の子供達は気に入っているようだし、何かの影響は出ないとは思うんだけど、勝子は、やはり駄目なんだろう?」私は勝子に、断られることを想定しながらも、恐る恐るそう訊いた。
「私が供養をするわよ。どぉって事ないでしょう」
反対するであろうと予想していた勝子が一転、そう言いきった。
勝子の強心には私は感服するしかなかったが、ふと、忘れていたことを思い出した。
勝子は高校時代から、宗洸学会と言う組織に入信していることを思い出して、結婚した直後には、幾度となく毛嫌いだけで反対しきっていた時期が、私にはあった。
(9)
だが、今では手を合わせる所作は、生活の一部として溶け込ませていた勝子であったから、日常、全く気にも留めずに暮らしていたことで、それが気付けない要因だと私は気づいた。
宗教活動だけは、異常なほど熱心な勝子であったから、納得できた。
翌日の勝子は、私の前で仕方なさそうに振舞いながらも、何故か、溌剌としだしてみえていた。
孝一の転校手続きを済ませた後の私の多忙な日課が始まった。
孝一は小学校へ、勝子は伊東駅前の商店街で日課のように下ろし、買い物をしながら、孝一の学校帰りの少年野球が終わるまで時間を潰し、私には帰るコールをしてくるのが日常であった。
来年はまた、郁夫の入園が控えているので、管理職に支障が起きないような工夫を、今からしておこうと思っていた。
こんな時には、妻への家事分担を考えてしまうのだが、勝子の気性を考えてしまうと、穴の開いたボートに乗り込むような、勇気が必要だ。
何の趣味もなく、仕事への協力する熱意も全く感じられない勝子には、今更、不平不満を言ったところで、害あって一利なしと諦めていた。
常に、行動は自由にさせていなければと、言い知れぬ脅迫観念みたいなものを抱え込んでいた、私であったから。そんな勝子の行動が、たまに気になることがあり、こんな時間まで何時も何をしているんだろうと思ったりした、多少の疑問はあったが、勝子のヒステリックな性格上、触らぬ神に祟りなしと、打ち消していた。
(10)
だが二年後に、宗教団体の伊東支部に、勝子が入り浸っていたと言うことを、孝一の学友の父兄から勝子の留守中に電話があって、その電話に私が出たことで、勝子の行動パターンは、把握ができた。
「そうか、宗教だったのか」私は多少の安堵感が広がった。
その日、勝子を迎えに行った帰りの車中、勝子は私に電話が有ったでしょう?」と、私の気持ちを試すかのように切り出した。
「あったよ。宗教仲間なんだろう?電話があったよ」
「そうよ、怒るっ?」
「いや、別に責めないさ」
「そう……あの和夫君の供養をしているの。私がご供養するって約束したからだけど」
「そうか、そうだったのか。俺も当然供養をするべきことをしてないし、感謝をするよ」
勝子の説明に私の疑問は薄らぐが、それにしても、毎日欠かさず生活を犠牲にしてまで、長時間を費やす供養は度が過ぎていると、不可解な思いもあった。
(11)
私が郁夫の幼稚園に入園してからは、最低で往復四、五回程も山の昇り降りが日課となっていて、ボイラー焚き温泉と、簡易水道の水質検査や設備管理が私の主な仕事であって、慣れないボイラー焚きには、故障続きで、苦闘の日々が続いていた。また、別荘地開発当初の、雑誌にも掲載されたと聞いていた、大きな諍い事が、未だに別荘所有者組合側と、会社間で醜い争いが尾を引いていた。
十数年もの間、未だに温泉使用料金が、住民から一切、会社に払われていないと言う問題等が横たわっていて、仕事に費やす時間の余裕が欲しい私は、神経が休まらないでいた。
多忙な仕事の期間だけでも、勝子を強引に説得すべきと思う私だが、勝子に面と向かって「家にいて、仕事の手伝いをしてくれ」などと言葉にした場合、すぐに熱川の近距離に住む勝子の両親の許に行き、私のことを露骨に、無いことを有るかのごときに誹謗するに違いなく、挙句は気性の荒い実家の母親を巻き込んで、私の許に乗り込んでくるだろうことは、過去の生活歴からは、容易に想定できることだった。
極力、今も昔も問い詰めることはしてこなかったし、出来ないでいる。
郁夫は幼稚園の卒業で、迎えの私の車に乗り込むと、ウインドーを一杯に空け放って身を乗り出すと、園の友達に笑顔を振りまきながら、別れの手を振り続けていた。
その帰り、孝一が出場する少年野球の試合日だと知っていたことで、応援かたがた市営球場に立ち寄ると、既に試合は後半に差し掛かっていて、孝一が、ピッチャーマウンドに立っていたことには、驚かされた。
(12)
以前、私が孝一に遊び程度に野球ボールで投げ方を教えたことは有るのだが、その延長で、地域の少年野球に入っていること知ってはいたのだが、こんなに逞しくマウンドに立つ孝一を、想像もしていなかった事だから、呆気に取られながら見守っていた。
普段から、テレビの野球観戦などに興味がなかった筈の孝一が、何時の間にか、ピッチャーとしての逞しさを見に付けたのかと、親馬鹿ながらも誇らしくも思えていた。
「父ちゃん、兄ちゃん野球していたの?」郁夫も不思議そうに私に訊いた。
「一年ぐらい前から少年野球はしていたよ」
「僕もやるよ」
「お前は未だ出来ないだろう。でも小学生になるんだから、何かのスポーツをやるといい。それより今日の夜、お友達の加賀美君から、家でお別れの花火を上げるから来てと、言われていただろうよ?」
「あっ、そうだ。早く帰ろう」郁夫は野球の興味よりも、花火に興味を移しだした。
家で夕食を済ませていた郁夫は、嬉しそうに土産物を箱に詰めて花火を上げに行く準備をしだしていた。
「貴方、早く来て観てよ。テレビニュース」隣の部屋から勝子が叫んだ。
なんだろう?と私は思いながら隣の部屋に行くと、天城峠の道端で、ロックされた乗用車内で、ガソリンを被った一家三人が、焼身自殺を遂げてしまったと、報道されていた。
更には今日、郁夫が行く筈の友人宅の家族と知って、私は勝子と顔を見合わせた。
余りにも痛ましい情報に、私は、亡くなられた川内和夫の状景が脳裏を過ぎり「またか」と、一言呟いた。
話すのは当然なのだが、はしゃいでいる郁夫に話すのは躊躇った。
友人をも巻き込む痛ましさゆえ、ショックが大き過ぎて、説得方法が解らない。
「貴方、郁夫に話さないと、行く気になっているのよっ」
勝子はさして、動揺を隠さずにそう言った。
(13)
「解っている。でも、郁夫のショックを思うと、話し方が解らないんだ」
「そんな事を言っている場合じゃないわよ。もう直ぐ出かける時間じゃないの?貴方が話さないなら、私が話すから」と言い終えて、車に花火等の荷物を積み込んでいる郁夫の許に、勝子は歩み寄って行く。
郁夫は勝子から話を聞くと、車内に一人で閉じこもり、勝子や私の呼びかけにも動じず、ドアを開けようとはしない。
ウインドー越しに見る郁夫の眼には涙はなくて、どうやら、親の嘘だと思っているのだろうと、私にはそう感じてしまう。
仕方なく、スペアキーを持ち出してきた私は、強引に郁夫を車から引きずり出して、家の中に引き込んだ。
私は郁夫を坐らせた前で「本当の事だ」と言い聞かせると、泣き顔を畳にうつ伏した。
数日間の郁夫は、性格が一変したかのように無口になっていて、特徴だった明るさも、笑顔も消えていた。
郁夫の小学校入学を控えた早春に、書き置きすらなく勝子も家出をしたのか、親元にでも行っているのか解らないのだが?ともかくも、早朝から誰も気付かないように、朝食も作らず何処かへ出かけてしまっているのは、初めてのこと。
街に降りるのであれば、私に送って貰う習慣であったから、街ではなくて、この別荘地内の何処かで、山菜取りか何かをしているのかと思うことにした。
だが、午後四時を回っても勝子の帰宅を見ない。
(14)
不振を抱いた私は、宗教団体の知人や勝子の母親にも電話で訊くが、「電話の一つも無かったし、また、貴方が何かしたんでしょう?」と、何時もながらの嫌味を、私に言うだけだった。
私は伊東警察に行き、人探しを申しでた。
担当官は「また何かね?」と、担当官は訊く。
詳細を話す私に「次から次と神隠し見たいに、何やらこうたらと起こる山やなぁ。なんせ、あの山は、天狗様のお怒りを呼び起こすといけねえさ。ともかく、この紙に思い当たる先を網羅して置いてくれや」と言った。
それから何の手がかりも得られず、一ヶ月程が経過していた私は、その探す間も仕事を放置する訳にもいかず、子供二人の心のケアーを考えながらも、時間の許す限り勝子の消息を尋ね歩いていた。
勝子は、伊東市に移住する前の浦安市に住んでいる時だが、一度だけ不貞の経緯があった。
二男の郁夫が三歳頃だったか、店主一人だけの小さな電気屋で、三時間程度のパート勤めを二ヶ月間ほどしたことがあり、後にも先にも勝子の知人から頼まれた、この一度だけ経験をした仕事だった。
三歳児は、まだ手が掛かり過ぎるため「家で郁夫の面倒を見てくれないか?」と私が頼んだことで、勝子の抵抗も無く翌日にその店を辞めた。
その週の土曜日の夕方のことだった。
家族と夕餉を囲んでいる時に、勝子宛の電話が掛かってきた。
何やらコソコソと「解りました、そうします」と、事務的に話す勝子の様子が変だと、私は思っていた。
夕食を済ませた勝子は「隣の友人よ。今から宗教の集会があるそうだから、郁夫を連れて行ってくわ」と、私と孝一を残して家から出て行った。
(15)
二階の寝室部屋の窓からは隣の玄関口が望め、確かに勝子と郁夫が隣の家に入って行った。
だが、十一時が回っても帰ってはこない。
郁夫だけでも家に戻して貰おうと、隣の家に電話を掛けてみた。
「今は奥様(勝子)の手が離せませんから、郁夫ちゃん、もう少し預かって置きますね」と、友人らしき婦人が対応してくれていた。
「いや、もう遅いので、ご迷惑でしょうから郁夫だけでも家に帰るように言ってくれませんか?」と、苛立ちを抑えて言った。
「そう言われても、私、困るんです?」
「なぜ困るんですか?それなら今、私が迎えに行きますから」
「解かりました。それなら、一人で郁夫ちゃんを帰します」
婦人はそう言って、間もなく郁夫が家に戻って来た。
「郁夫、母ちゃんは?」
「母ちゃんいなかった」
私は、悪い予想が的中したと思った。
「もう遅いから、孝一も郁夫も寝るように。父さん少し用事で出掛けて来るよ。明日の朝一番には、大泉のお婆ちゃん(私の母)が家に来る事になっているんだ。何時ものように、沢山のお土産を楽しみにしていていいんだよ」
そう言い残し、私は階段を駆け下りて、駐車場の車に乗り込んだ。
(16)
私は車を走らせながら、会合があるとか言っていたのだが、誘い出したのは、パート先だった電気屋の主人に違いないと、直感が働いた。
私は修羅場を覚悟して、小さな電気屋のそばに行くと、横付けされていた何時もの軽トラックが、見当たらない。
この辺りの数件のラブホテル周辺を、数時間も走り回っていたが、控えめの目立たないホテルの駐車場には、汚れた暖簾が掛かっていて、その隙間から覗けた見覚えのある軽トラックに、やはりショックを受けてた。
確信できた私は、もう終わりだなと、呟きながらも怒りを抑えつつ、私は家に引き返した。
妖雲の明けきらない五時を回っていた頃だったが、子供らの寝顔を見る気にもなれずに、ビールを飲み干すだけだった。
朝の九時頃に私の母が家に来たのだが、日曜日で子供らを起こさなかったため、未だに寝込んでいる。
何時もより、口数の少ない私に違和感があったのか「体でも壊しているの?」母はそう言って、私の顔色を窺きだした。
「そうじゃない。勝子の奴に、腹を立てている」
「また喧嘩?そう言えば勝子さん何処に?」
「あいつ、昨夜から未だに家に帰ってきていないんだ」
「何しに出掛けているのさ?矢張り喧嘩で?」
「喧嘩じゃないよ。許せないのは、夜、遅くまで郁夫を友人宅に預ける小細工までしやがったことが、許せないんだ。子供をだしに使ってまで浮気をする勝子には、愛想が尽きたんだ」
「浮気って、本当の事かい?」
(17)
「ああ、本当だ。明け方に確信できる状況を掴んだ」
「まぁ…子供の成長期に何て事をしてくれるのさ、勝子さんは?」
「もういいんだ。会社倒産させたばかりの時期でもあって、あいつは別れたがっているんだろうよ?だから、パートに出た事もない勝子が、勝手にパート勤めをしたその心境の変化は、理解はできる。でも、子供まで騙す行為は許せないんだ」
「それで今日、母に来て貰ったのも、会社の残務整理が大方済んだから、家族共々住み込める職場を探そうと思っていて、就職先を見つけるまでの間だけど、二人の子供の面倒を見て貰うために、家に母さん来て貰えないかと相談をしたかったんだ。まだ、確定した話ではないんだけど、そんな中、今日、予想外な展開が起きてしまったんで、就職探しどころか、離婚話が先行する羽目になりそうだ?」そう話し終えると、玄関ドアが開けられる音がした。
時計は午前の十時半を回りかけていて、玄関に脱がれた母の靴を見て躊躇しているのか、なかなかリビングに入ってはこない。
「入れよ、勝子!」私は怒鳴った。
郁夫も起き出して「どうしたの?母ちゃん」と、郁夫の声がした。
郁夫の手を握りながらリビングに入ってきた勝子の俯き加減の顔を、私は凝視した。
「本当にホテルに行ったの、勝子さん?」母は、そう露骨に訊いた。
母の前で、勝子は罰が悪そうに振舞いながら「朝帰りして御免なさい、お母様。でも、子供の前で変なことを言わないで貰いたいわ」と謝った。
「謝ることが違うでしょうよ?郁夫は部屋に行って、兄ちゃんと一緒にこれ食べてなさい」と母は言い、郁夫に土産物袋を手渡した。
(19)
「もう謝らないでいい。それより別れ話をするべきじゃないか?それが先決だ。子供を養う身の振り方を考えるうえで、就職先や母の協力が絡んでくることだから、早急に決着を付けるべきだ」そう私は激怒した。
だが結果は、勝子とは今まで通りの生活維持で、二人で努力を重ねると言う勝子の涙に私の心は折れて、そんな曖昧ながらも、元の鞘に収めてしまっていた。
――私は、あの電気屋の店主の元へ、拠りを戻しに行ったのかも知れないと、当時の浦安市での出来事を思い出していた。
私は、子供を残してまで、勝子を探しに浦安市の電気屋に行くことには、屈辱感を味わうだけだと思っていた。
強引に引き戻したところでなお更に、虚しさを増幅させるだけであり、何の解決にもならないだろうと思う私は、暫く仕事や子供達に心を配ろうと決意した。
母の勧めもあって、知人の東京にある貸家に移住することを、可能にしてくれた。
小学校と中学校にそれぞれ通い出す日が近づいていた子供達は、移住することはまだ知らずにいたが、すっかり明るさを失っていて、私のホローも効果が無く、益々暗さが顕著になりだしていた。
このまま山に留まることは、許されないと思えてしまう災いが、次から次へと発生していることで、私はこの地に留まることへの、嫌気が増していた時期の、移住話であった。
そんな日に、常に出入りしていた指定の配管業者が事務所に飛び込んできて「お宅の、ちいさい方の坊ちゃんだと思うけど、馬場の平の三島方面への峠道を、一人で降りて行ったようだった。『どこに行くんだ。熊がでるぞっ』と、大きな声で叫んで脅したが、声は届かなかったようで、振り向きもしなかった。あの道は、手入れも無くて危険な箇所が多いんだ。暫く弁当をほう張りながら戻るだろうと見ていたが、戻ってきそうになかったさ。そんで、矢崎さんに知らさなければと思った訳さ」業者は私に話した。
家族を連れてボイラー室から直ぐ上の馬場の平には、よく遊びに行くところだし、天狗の詫び状の小さな祠を見に行ったこともある。
(20)
この(柏峠)草むらは、今では獣道になっていて「この道を行くと何処に行くの?」何て、郁夫に訊かれた事がある」と、思い出した私は、息を呑んだ。
「確か、中伊豆や三島、勝子の御婆ちゃんの家がある、熱川の方にも行けるんじゃないかなぁ何て、以前に言った覚えが有るんですよ。だから、母を捜しに行ったのかも知れないんです?直ぐに探しに行きますけど、手伝ってくれませんか?お願いします」
「解かりました、遭難でもしたら大変だから、直ぐに行きましょう。
まだ、そんなに山を降りてはいない筈ですよ」
二人は共に事務所から二百メートル程の距離を、馬場の平の草原目指して急いで駆け上がり、右に位置した少し高台にある天狗の詫び状の、小さな祠の前で手を合わせて、無事を祈願した。
その先の、獣道にも思えてしまう草を踏みしめながら、降りて行く。
後に文献などで調べたところ、万治元年(千六百五十八年)の昔は柏峠街道を越えて三島や中伊豆、修善寺、天城山方面への主要な商業道だったと記されてあった。
確かに何か通ったような、草を踏み潰した新しい形跡が認められていた。
「何歳のお子さんなんです?」歩きながら業者は訊いた。
(21)
「七歳で、この四月から小学一年生なるところです」
「天気に恵まれてはいますけど、それにしても勇気と冒険心のある活発なお子さんですね」
「活発と言うよりは、母に会いたいんでしょう。ですから、熱川の実家に母が居ると思い込んでいて、それで会いたい一心で行ってしまったんでしょう?」
「お父さんに話したら、良かったんでしょうにねぇ?」
「いや、子どもながらに私に気遣ったんでしょう。そう言う子なんです」
「複雑ですね?小さなお子さんを残してまで、何処へ行ったんでしょう、お母さんは?」
業者は疑問を投げかけるが、私は無言で歩き続けていた。
行けどもいけども郁夫の姿は現れないことから、堪らず大声で郁夫と叫びながら、降りて行った。
「もうこの辺りから、草を踏み潰した形跡は無いですね。何処か途中で降り道を変えたのかも知れないが、さて、何処の道にそれたのか?弱りました」そう業者は言った。
「では、一旦戻りましょう。実家にも電話をして置きながら、警察にも捜索願を出したいと思います」
私はそう言って、空しさを噛み締めながら、再び戻りの山道を登り始めた。
事務所に戻っても郁夫の姿はなくて、孝一も野球の練習に出かけていて留守だった。
熱川の勝子の実家に電話で詳細を話しておき、業者にはお礼を言って別れた私は、車に乗って伊東市の警察に向かっていた。
「またまた、あんたかね。今度は何ね?」
馴染みの受付担当官が、私を見るなり横柄な対応見せた。
(22)
「今度は二男の息子の捜索をお願いしたいんです。出入り業者が子供を目撃していて、馬場の平から獣道を中伊豆方面に降って行くのを見たそうで、一緒に探しに行ってきたんです。でも、見つからず警察に捜索をお願いしたいんです」勝子に引き続いて、郁夫の捜索も依頼した。
「今度は息子けぇ。獣道って、柏峠の、おお昔しにいわれていた修善寺街道のことけぇ?」
「そうです。その峠を半分ほど降りた所で、形跡は途絶えてしまったんです」私の訴えは、小さな泣き声に変わっていた。
「解かったから、明るいうちに捜索に出ましょう」そう言う担当官の眼差しは、真剣だった。
私はその帰り、伊東市内にある毘沙門天の、仏現寺に存在すると言われていた、天狗が詫びた巻物が祭られていると聞く寺に赴いて、激しくも厳かに祈祷をして頂いた。
大規模な、ヘリコプターも使う捜索だった。
峠道の上からも下からも大捜索隊は同時に開始され、身の丈にも迫る一部分の草刈をしながらだったが、既に三日目に突入していた。
危険箇所に重点を移し、最後の捜索日に捜査員達は何やら不穏な動きを示しだしていた。
峠道から中伊豆側に反れた崖下に、捜索隊が召集されだしていた。
何と三日間もの間、崖下に突き出した巨木に抱かれたまま、気を失っている郁夫が発見されたとの知らせを受けた。
(23)
救助には困難を極めながらも救出されて、新、修善寺街道の上り口にある国立病院に搬送されたのだが、顔も体も見る影もなく窶れ、複雑骨折がひどく、危篤状態が続いて六日目のことだった。
やっと手術にも耐えうる体力が回復したとのことで、大きな手術が施された。
結果、郁夫は三ヶ月後に後遺症も残さずに退院できて、体力と笑顔も悪夢から覚めたかのように吹っ切れていて、明るさが戻っていた。
その後、孝一と郁夫の心情を確かめる私には、どうやら二人共、この山を去りたいと思っているようだと、悟るのだった。
郁夫を三ヶ月間の遅れの小学校に行かせるよりは、東京に帰って学校を編入させようと、私は決意した。
孝一と郁夫を伴った私は、仏現寺に祈祷の効果を、報告方々お礼に参じた。
「いやはや、大規模な捜索でしたなぁ。テレビにかじり付きで、無事を祈願しておりましたぞ。それにしても松の木が、君(郁夫)の体を支えていたとは驚きでした。元気になられているようだし、本当に良かった。第二の伝説になりかねない出来事でしたからね。万治元年、この寺に日安和尚がいて、旅人達に毎夜、悪さをする天狗を戒めようと、その馬場の平草原にある、一本の老松樹の上に住むと言う樹木の下に赴いて、七日間の祈祷をあげ続けた末、その満願の日に、松の巨木を伐らせて、天狗が詫びた巻物が、掛けられていたと言われています。その後は悪さをされることもなくなっていて、その巻物は、この寺で大事に今も祭ってあるんです」住職は得意げな表情を浮かべて話す。
「そうでしたか。奇跡ではなく、守られたと私も思っていたんです。本当にありがとう御座いました。生涯、ご恩は決して忘れません」
私はそう言って、孝一や郁夫にも深々と頭を下げさせた。
(24)
「この子達の母の捜索にも、ご利益があればいいのですが、山を去る心残りはそれだけなんです。母を慕って捜す息子の心情を、この出来事で思い知らされましたから。山を去る前に帰ってきてほしいと、思わずにはいられませんでした」と、私は心情を吐露するのであった。
「貴方の奥様には、残念ながら救いようはありません。行いが卑しく、清らかさを失った者には、天罰が下るのみですからね。救い等の虚しい祈祷は出来ないのですよ、悪しからず」
住職は、私を含め、乱れた生活境遇に苦言を呈すが如き、強烈な戒めを下された。
東京で貸家住宅に入居することになり、引っ越しの前日に荷物をまとめ始めていたが、珍しく、熱川の勝子の母親から電話が掛けられてきた。
「貴方、会社を辞めて引っ越すんだって?勝子も見つからない内にコッソリ逃げて、置き去りにする気なのね、貴方は!」母親は、露骨な物言いだった。
「報告が遅れましたことは、お詫びをします。でも、引っ越すことは誰から聞いたんですか?それにしても、置き去りとか逃げるとか言われるのは心外ですよ。散々探しても見つからずに、未だに連絡の一つも来ないんですから。テレビを観て知っているとは思いますが、お母さん、郁夫が一人で母を探しに柏峠を降った心情、少しでも慮って下さいませんか。もうこれ以上、この山の災いを受けたくはないんです」
私は、退院したばかりの郁夫への見舞いごと一つ言わない母親には、腸が煮えくりかえるほどのショックを受けるが、極力自重して反論をした。
(25)
「子供が可愛くない母親はいないんだから、勝子も、帰ることも連絡をしたくても貴方を怖がっていて、出来なかったのよ?」母親は、私に非があるが如きの物言いだった。
「お母さん、私がいつ勝子に暴力を振るったと言うんですか?勝子のそんな虚言に惑わされたような、冗談はやめて下さいよ!」
「肉体的な暴力ではないわさ。貴方は以前、勝子が浮気の間違いをしてしまった以後、貴方は何事も無かったかのように、簡単に元の鞘に収めてしまった寛容には、文句の付けようはないわさ。だけど、貴方はその日に母親まで家に来させていて、勝子に大恥をかかせようと企てて、一切、不貞を咎めることも無く無視し続けたことの演出が、勝子には重い負担になっていたんだわさ。その日常の冷酷な無視が、勝子の心に傷を負わせてしまい、取り返しがつかないほど深めてしまっていることが、貴方の暴力なのよ」母は、あてつけな詭弁を弄した。
「私の母親に家に来て貰ったのは、前々から来てもらう事が決まっていて、偶然にもあの日、勝子の帰還に遭遇したんです。それに勝子を無視していた訳では無くて、傷に触れないほうがいいだろうと思っていたんですよ。もう止しましょう。これまで大変お世話になったご両親さんではありますが、もう話す気力が失せました。これからは子共達と私の道を歩みます」私はそう言った後、もしや勝子が母親の電話口に居るのではないかとの、想像を巡らした。だが、もう拠りは戻せないと、判断せざるを得ない私の心中だった。
「勝手ですが、私が離婚届けに署名捺印して、お母様の住所に送付させて下さい。役所への提出は勝子に任せたいと思いますから、勝子と連絡が取れ次第、私の意志をお伝え願いたいのです」私は、勝子と縁を切る決断をして言った。
私の一方的な話に激怒したのか、更に母親の言葉にならない甲高い喚き声が、電話の受話器から漏れ出だしていた。
私は、受話器をそっと置いた。
(26)
気持ちの悪さと言うか、明日、引っ越しをする荷物の整理も覚束ないほどの落ち込みが酷く、何もかもが嫌になっていた。
その日の四時を回った頃、手帳を掲げて見せて、伊東警察だと名乗り、二人の署員が家にやって来て「この大量の荷物は何だね?まるで引っ越しの荷物みてぇだが」と言う。
「そうです。明日引っ越すんですよ」私は多少の違和感を覚えながらもそう答えた。
そこに孝一が帰ってきた。
「お帰り。今日は歩きでか?」と、私は孝一に訊いた。
「うん、最後だから、歩いて見たかったんだ」
「そうか、今日はお別れ会もあるから、迎の連絡は遅いだろうと思っていたんだよ」
「俺、断ったんだ」と、何の未練もないかのように、あっさり言った。
「夕飯、支度をするから少し待っててくれなっ」
「うん、解った」
「君は野球やっているだろう。あのピッチャーの?知ってるよ、俺、野球好きだから。さっきも坂を歩いているのを車から見てさ、あの投手の選手に似ている何て、二人で話していたんだよ。そうだったのか、ここが家だったのか」と、話した。。
孝一は、ちょこんとだけ頭を下げて、家の中へ入っていく。
「いや、今日は、そんな雑談をしに来たんではないのだよ。あなたは昼近く、何処に居ましたか?」と、唐突に訊いてきた。
(27)
「えっ、何処って、事務所と家に居ましたけど」
「熱川に行っていたことは解かっているんだ?」
「えっ、いや、行っていませんよ」
「奥さんと、実家前で会っていたんじゃないのかね?」
「会っていませんよ」
「実家の母親の話では、あんたが別れ話をしに来たと言うのだよ」
「いや、確かに別れ話は母親と電話でしましたけど、あくまで、母親からの電話に応対しただけです」
「別れ話を母親にするんかね?」
「話の成り行きで、別れ話になってしまったんですよ。調べれば直ぐに判るはずでしょう?」
「あんたは、奥さんの捜索願いを出していますよね。妻の居所が判っていながら、捜索願いを取り下げないのは、不自然じゃないのかね?」
「勝子の居所は未だに知りませんよ。もし実家に勝子からの連絡か、あるいは訪ねた場合には手渡して貰おうと、離婚届けを母親の住所に送って置くことを、お願いしたんです。だとしても、家族で引越しをする日を知らせてなかったのは軽率でした。私の方から前もって話て置くべきでした。そんな時にタイミングよく、御実家の方から電話が掛けられてきましたから、その電話で勝子への連絡を母親に頼んだのですよ。そもそも、何が有ったと言うんですか?」
「あんた、家族の引越しは明日には出来ませんよ。奥さんの死亡に不審がある以上、あんたには、このまま署に同行して貰います。亡くなられた状況などは、今ここでは、あんたに話す訳にはいきませんから」
「亡くなったとは、どう言いうことですか?」
「あんたに説明なぞ、不必要ではないのかね?」
(28)
「何を言っているのか、私には、ちんぷんかんぷんで解かりませんよ。勝子が亡くなっていると推測するのは勝ってだけれど、とはいえ、縁起でもない戯言を聞かせないでくれ?」と、私は怒りを込めた。
「はっきりさせるから、このまま署に同行してもらう。すぐ支度をせえや」署員は鋭い眼光を、私に向けて言う。
私は、部屋の窓から覗いて涙を拭う孝一と郁夫を見て、窓に近づいて行き、心配するな。今日、運送屋さんから家に電話があるからな、事情があって明日の引っ越しは延期するとだけ伝えておいてくれと頼み、もし今日、家に戻れない場合、家事の分担と孝一は郁夫の面倒を見てやってくれ、頼むぞ」と言い聞かせていた。
私は、塩の匂い漂う伊東警察署に連れられて行き、古びた署員の少ない閑散とした瀟洒な建物の中に連れ込まれ、二階小部屋の椅子に坐らせられた。
「あんたには、殺人容疑が掛けられている」いき成り刑事らしき担当官から、そう言い渡された。
「何が有ったのか?話して下さいよ、知りたいんです?」
「その前に、あんたから話すことがあれば、事は早いんだがね」
「勝子は家を出て行ったまま、あれ以来は、一度も会ってはいないし、電話の一つも掛かってこないんですよ。何度訊かれたって同じです。だから、話しようがないのです」
「母親からの電話だったことは、あんたの主張通り確認はできたんだ。だがなっ、電話後にあんたは、その勝子さんが居るに違いないと思い込んで、それで、熱川に行く気になったってことも考えられる。そうでなければ、その時間帯に、あんたは何処にいたんかね?証明してくれや」
「息子達と一緒に居たことは、証明できる」
(29)
「郁夫君の一人だけが家にいて、長男は野球しに行って居なかった訳だから、郁夫君には既に訊き込んでいる。事務所であんたが荷物を作っていると思っていて、その息子は住まいの部屋で、テレビゲームで遊んでいたと言うのだから、証言にはならないのだよ。他に、証言者は居ないんかね?」
「兎も角、業者も居ないし、周囲の別荘の住人達も、あの日は見かけていなかっから」
「それならば、容疑は晴れん」
「だから、状況説明を先にしてくれませんか?」
「じゃ、容疑内容を話すから、貴方も誠実に答えなさい」
「いいですよ」
「勝子さんとあんたが、別れ話を実家の前で直接していたと言う証言を、母親がしているよ。真相は、これからあんたの取調べの内容に掛かってはいるんだが、その後、勝子さんは実家に戻っては来なかったと、証言をしていた」
「えっ、やはり勝子は電話口に居たんですね」
「その後、両親は勝子を心配して辺りを探し回ってみたが、見つからなかったと言うんだ」
「勝子のお父さんも、家におられたんですか?」
「いたと言うことだよ」
――勝子の父は物静かな温厚を絵に描いたような人柄で、孝一と郁夫の孫を、以前から自分の子供のように接し、可愛がってくれていた。
そんな勝子の父は、常に恐妻には頭が上がらずにいて、存在感は全く無に等しかった。
「父親の何か、証言はあったんですか?」
(30)
「何を訊いても判らんと言うばかりで、口を閉ざしていたのか、無口だったのか?」と、担当官は言う。
「あの父親なら、嘘は付けない人ですよ。私に疑問があるのなら、ぜひとも母親の居ないところで、真相を訊き出して下さいよ」
「それはそれとしてだが、あんた、東岸ホテルを知っているだろう?」
「何処にあるんです。知りません」
「そのホテルの裏道に、切り立った崖があるのは知っている筈だ?」
「知りませんよ」
「その崖下に、あんたの妻の勝子さんが、落ちたか落とされたかして、死亡していたんだよ」
「本当に妻なんですか?妻が死んだなんて、見るまでは信じませんよ」
「実家のご両親は、既に勝子だと言う事を、確認しているよ」
「当然、あんたの確認も必要だけど、母親の証言もあって、あんたには容疑が掛けられていたために、尋問が先だった」
「あの母親は、そうまでして、私が憎いのか解からない?」
「もう既に、この件はテレビでもニュース放映しているし、息子さんたちもショックを受けているだろうから、可愛そうだよ。あんな山の中に置き去りになっている事を考えると、寒気がするよ」
「だったら、もう帰して下さい」
「無実が晴れるまでは、帰すことは出来ないからね。だから、実家の母親に、子供達を一時でも預かって貰ってやるし、安心しろや」
「駄目だ、それだけは。あの母親は、あの天狗のように何を企んで悪さをするのか、解からない人だから?」
「では、施設を探すかね?」
(31)
「そんなことをして貰うまでもなく、何も関わっていないんだから、直ぐに私は帰れるはずだ」
「まぁ、あんたが熱川に行ってないことさえ証明できれば、簡単な話なんだがね?」
「今日はもう疲れただろう、あんた?ゆっくり休んで明日また戦おう」
「これから何時になっても解き明かしたいんだ」
「俺も人間だ。あんたに付き合うのも限界がある」担当官が言うと、突然、扉が開かれた。
私服の警察官が、担当官になにやら耳打ちをしだしていた。
「勝子の父親と息子達が、こんな夜にも関わらず、当署に来ているんだそうだ。会うかね?」と、私に訊ねた。
「ええっ!本当ですか?会いますとも」
三十分くらい待たされた後、泣きはらしたであろう息子達を引き連れて、父親が部屋に入ってきた。
担当官が話し出したのは「父親から全てを聞いた。やはり貴方が正しかったようだ。病的な母親の証言などは嘘で、矢崎君とは電話で話しただけだったと、証言されました。何でも、電話の後に、勝子さんは部屋に篭ってしまい、気がついたら勝手口の扉から外に出た様子があったと聞きました。そうですよね」担当官は、父親の表情に視線を移し、再び確認を促した。
「間違いはありません。あの婆さんは虚言癖があるんです。あの日、婆さんから、こっぴどく八つ当たりされた勝子は部屋に篭っていて、気が付いたら外に出てしまっていたんです。勝気な勝子は、そのまま海に飛び込んだと思います」無口な筈の父親の、よどみない証言を聞く孝一と郁夫は、署内に響き渡るような大声で、泣き出していた。
「何でも、息子さん達が熱川の実家にタクシーで乗り付けて、父親に懇願をして警察に連れて来て貰ったそうだ。その道中、息子さん達は父親から話を聞いていたそうだが、父親も明日には単独で警察に来て、真実を供述する積もりでいたそうで、一足先に、孫のからの熱意に、一日早めたんだそうだ」
やはり、勝子は実家にいたんだ。御婆さんに騙され続けた甘さが、私にはあった。
勝子を死に追い遣ってしまった責任を痛感した私は、どう子供らを慰めたら良いのか、勝子に対して犯した無慈悲と言うか、冷酷な振る舞いを悔いるのだった。
只管、父親にお礼の深いお辞儀をする涙顔の私だが、傍らに擦り寄って来た孝一と郁夫が、無言のまま私の腕にしがみ付いてきた。
父親は帰りがけ「貴方に恨みなど全くありません。我侭に育ててしまった娘への罪は、むしろ親にあるんですから。せめて、勝子の弔いは実家ですることだけは、貴方に許して貰いたいんです」と言う。
「当然、私達家族も実家に出向き、勝子の成仏を一緒に祈りたいんです」と伝えるのであった。 完了 登場人物はフィクションである。
悲しき悲劇