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宿神器奇譚  作者: 黒井押切町
戦いの始まり
7/10

黑侠幫②

 N鉄道の空港特急でI駅から乗ること約50分、C国際空港に到着した勝と雅麗は、そのまま台湾のT国際空港行きの飛行機に乗った。それが離陸したのち、雅麗は予定をまとめたルーズリーフを見ながら勝に話しかける。


「何度も言ってるけど、向こう着いたら君のスーツ買って、それから高鉄でX駅まで行くからね。あと、残念だけど台湾観光は出来ないからそこんとこよろしく」


「ああ、分かったよ」


 勝はうんざりしながら雅麗に返答した。というのは、特急で移動している間、雅麗がマシンガンのようにひたすら喋り続けていたことによる。つまらない話ではないため最初のうちは勝も付き合っていたが、ただの世間話が歴史の話になり始めた辺りで聴くのをやめ、ただ相槌を打つだけになっていた。最終的には性善説がなんだとか韓非子の思想はどうこうという話に発展していたが、全く頭に入って来なかったためにその内容を詳しくは覚えていない。


「なんでそんなに疲れた顔してんの?」


「お前が喋り続けるからだ。そんなに饒舌だったかお前」


「そりゃまあ、暇だったから? まァあと、人が沢山いるとこだと喋んなきゃいけないかなーみたいな。でもこれは日本の文化じゃなかったね。悪かったよ」


 この言葉に対し、勝は歯切れの悪い応答しかできなかった。素直に謝られると、彼はどうしても言葉を失ってしまう。このような状況に陥るたび、勝は己の矮小なるを自覚せざるを得なかった。雅麗の上に立とうとする自分を、否応無しに見せつけられてしまうからだ。このことを自覚すると、勝は軽く自己嫌悪に陥る。


「おーい。顔が暗いぞー」


 雅麗がおどけた調子で言い、勝の目の前で手を振った。それではっとした勝は笑顔を作って誤魔化したが、彼女は勝の心を見透かしたように鼻で笑った。


「何かお悩みなら、聞いてあげてもいいよ?」


「無いよ、悩みなんて。あってもお前に言うほどのことじゃない」


「強がっちゃってかわいいなァ。おねーさんに甘えてもいいんだよ?」


 雅麗のその言葉を聞いた途端、勝は耳まで真っ赤になった。馬鹿にされているように感じ、怒りと悔しさ、そして恥ずかしさが綯い交ぜになったような、複雑な気持ちになった。それで、勝は平静を保つためには、一旦話の流れを打ち切るほかなかった。


「俺は寝る。向こうに着いたら起こしてくれ」


「子守唄でも歌ってあげようか」


「ふざけんじゃねェ」


 勝はそのように吐き捨てると、雅麗とは反対の向きに体を向けて目を閉じた。疲れからか、すぐに眠りにつけた。次に目を開けた時には、飛行機は既に止まっていて、周りの乗客が次々と降り始めていた。


「着いたよ。ほらさっさと行くよ」


 雅麗が肩を叩く。勝は促されるまま、寝ぼけ眼のまま席を立ち、雅麗と共に飛行機を降りた。それから入国審査を終えて空港から出る頃には目は完全に醒めており、精神的にもやや余裕を持って雅麗と合流できた。


「よし、じゃあスーツ買ったげるから、着いてきて」


 雅麗は勝と合流するや否や、すぐに方向転換してショッピングモールの方に向かって歩き出した。彼女の足取りは、心なしか日本にいた時よりも軽いように思える。その理由は、勝が今感じている空気を考えれば明らかだった。


(新鮮だけど、何となく違和感というか、変な気分だ)


 周りの喧騒は日本語ではなく台湾華語が殆どで、聞き慣れた単語は一切耳に入ってこない。目で見えるもの自体は日本にもよくあるもののはずなのに、ただ言語が違うという事実だけでここまで強烈な違和感を感じるとは、彼は飛行機から降りるまで思いもしなかった。


「なあ、雅麗」


什麼事(シェメシー)——じゃなかった。何?」


「やっぱ、周りが台湾の言葉だと居心地がいいの?」


「そりゃそうだよ。当たり前じゃん?」


 雅麗はやや呆れた様子で告げた。分かりきったことを尋ねるなとも付け加えた。勝は軽く謝る一方で、自分の感じている違和感は自分だけのものではないという事実に少しだけ安心した。


(良かった。これなら不安も少しは払拭できるってもんだ)


 つまらないことではあるが、初めての海外で、しかも行く先がマフィアとあっては、どれほどささやかなことでも勝にとっては安心材料足り得た。


「ぼさっとしない。ほら、早く早く」


 テンションがやや高くなっている雅麗は、勝の服の袖を引っ張って急かす。勝はその振る舞いにどぎまぎしながらも、彼女の後に着いていった。


        ***


 台湾高鉄のX駅を降りて外に出ると、季節は冬だというのに勝は汗をかき始めた。彼は仕方なく上着を脱いだが、下着が冬用であるがために、それでも暑いことには変わりがなかった。


「K市って暑いな」


「あったかいと言うべきだよ。勝が日本の冬を想定した格好なんかするからそういう目にあう」


「教えてくれたってよかったじゃないか」


 勝が文句を言うと、雅麗は馬鹿にするように鼻で笑い、勝のズボンのポケットの方に目をやった。


「そこに入ってるスマホは何かな? 満足にネットが使えない環境でもないんだからさ、自分でそのくらい調べるのが普通でしょ」


 勝は返答に窮した。このように言われては、はいその通りですとしか言えない。その悔しさの中で歯を食いしばっていると、二人の前に黒塗りの高級車が止まった。そしてその運転席から、スーツ姿の無精髭を生やした若い男が現れた。

 彼は勝の方を見て台湾華語で何やら話し始めたが、事前に勉強をしてこなかったおかげで、何を言っているのか理解不能だった。辛うじて「呉鴻鈞(ウー・ホンチー)」と名乗ったのだけは聞き取ることができたので、勝に自己紹介をしているということは漠然と分かった。


「『初めまして、僕は呉鴻鈞。君は徳橋勝君だね。これからよろしく』って言ってるんだよ。ほら、鴻鈞さん手を出してるでしょ。握手しなよ」


 雅麗が呆れた様子で言う。彼女の言葉の通り、鴻鈞は手を差し出していた。勝はすみませんと日本語で言いながら、その手を握った。


「まったく、ホントに何にも準備してないんだね。簡単な挨拶くらい覚えてきてよ。つか、そんな体たらくで入国審査はどうやって切り抜けたの」


 握手を終えたところで、雅麗が勝を軽蔑するような目を向けてきた。勝は、非は己にあると分かってはいたが、立て続けに馬鹿にされては、反駁せねば気が済まなかった。


「あんときゃハンドブックがあったんだよ。あと、どうしても分からなかったら英語で頑張った」


「英語出来るんだ。そりゃ意外。まァ、黑侠幫じゃ英語喋れる人も少ないから、あんま意味ないけどね。むしろ日本語できる人の方が多いよ。ジジイは特に」


 雅麗は勝の苛立ちをスルーして、鴻鈞の車に乗り込んだ。またしても敗北感を覚えた勝だったが、その肩を鴻鈞が優しく叩いた。勝が彼の方を見ると、彼はふっと微笑んで勝から手を離して運転席に着いた。


(なんか、いい人っぽいな)


 少し気を良くした勝は、雅麗に対して抱いた負の感情などは一旦忘れて、すぐに鴻鈞の車に乗り、後部座席の雅麗の隣に座った。


        ***


「鴻鈞さんはマジいい人だからね。うちにいるのが不思議なくらいの聖人。事情があったらしいからしょうがないんだけどさ。ちなみに私のセフレで功夫(ゴンフー)の師匠だよ」


 移動中、勝が鴻鈞に抱いた印象を雅麗に話すと、彼女はそのように返した。勝は、その言葉の途中まではいつも自分のことを下に見ている彼女が褒めるのだから相当だろうと考えたが、後半の言葉のインパクトのおかげで、その感想は忘れてしまった。


「なんだって?」


「功夫、つまりカンフーの師匠。鴻鈞さん、とっても強いんだよ。勝も習ってもらうから頑張ってね」


「そっちじゃねェよ。いや、そっちでもあるけど、俺が言いたいのはそうじゃなくて。ってか何だ。習う? カンフーを、俺が?」


 勝が様々な要素のおかげで戸惑っていると、雅麗が嫌味ったらしく笑い出した。


「気になってたのはセフレって部分? これから戦いに身を投じるってのに呑気だねェ。カンフーの方に注目しなよ。繰り返すけど習ってもらうからね。少なくとも最終的には映画の中のイップ・マンとかブルース・リー、サモ・ハン・キンポー並みになってもらうから」


「宿神器でそんな動きが出来るのか」


「やれると思えば宿神器はやってくれるよ。宿神器は搭乗者のパートナーであると同時に分身にもなってくれる。その証拠に、私の凰も、鴻鈞さんの麒麟も、ちゃんとカンフーできるし」


 あまりに簡単そうに彼女が言うので、勝は逆に疑いを強めてしまった。しかし、元々宿神器という存在自体が彼にとっては荒唐無稽なものなので、すぐに本当かもしれないと考え直した。


「それが本当なら、宿神器って凄いんだな。でも、敵もやってくるわけだろ、そういうの」


「いや? 後で撮っておいた映像見せるけど、雑魚は大体洗練されてない喧嘩殺法だよ? 窮奇は特殊能力、檮杌はパワー頼りの戦い方だけど、それでも動きには無駄が多いの。そういう訳だから、カンフー覚えると超有利なのだ」


 雅麗は自信満々に断言した。あまりに自信に満ち溢れていたので、勝はそれだけでカンフーに対して乗り気でなかったのが急に前向きな気持ちになってきた。

 勝のカンフーに対するやる気が固まってきたところで、車が止まった。車を降りた勝の目に飛び込んできたのは、見る者を圧倒するような巨大な鉄の門だった。それはすぐに開かれ、勝の視界には、住宅地の中に存在するにはあまりに不釣り合いな、高い丘と、その上に建つ木造の豪邸が映った。


「す、すごい」


「初代幫主が昔から続く名家だったからね。それに、アレの取り引きとか、他には台僑とかこの辺の漁師とか、昔は台湾総督府からもごにょごにょしてるし」


「ごにょごにょ、ねェ」


 勝も身を置いている環境が環境なので、その内容は概ね理解できてしまった。勝が呆れている間に、雅麗と鴻鈞が台湾華語で何かを話して、彼の車が出発した。


「あれどこに行くんだ?」


「車庫。私たちは父さんのところ行くよ」


 雅麗は慣れた様子で黑侠幫の敷地に入っていく。勝は躊躇していたが、すぐに意を決して足を踏み入れた。道中では所々に見張りと思しき柄の悪い男がうろついていたが、彼らは雅麗を見ると即座に会釈をしていた。


「偉いんだな、お前」


「ここ数ヶ月だよ。江竜会との争いに宿神器が必要になって、私が凰に認められたから、地位が上がっただけ。それまでは十三女の私なんかカスみたいなもんだったから、めちゃくちゃ大変だったんだよ」


 珍しく、雅麗の表情に翳りが見えた。何があったのか非常に気になるところではあったが、勝はその野次馬根性が浅ましいとして、そのことは忘れることにした。

 勝たちは屋敷の中に入ると、迷路のような廊下を抜け、最奥部の忠信の部屋の前に着いた。


「開けるよ」


 雅麗はノックもせず、そのドアをやや乱暴に開けた。部屋の内装は金の輝きが目立つ豪華なもので、部屋には必要最低限の物しか置かない剛吉とはかなり対象的だった。


「あ? 雅麗と勝君かァ!」


 奥から、男性の流暢な日本語が聞こえた。それから台湾華語での男女の会話が聞こえ、半裸の若い女性が数人、慌てて部屋から出て行った。彼女らが通り去った後、雅麗は苦虫を噛み潰したような表情で舌打ちした。そのような雅麗の態度とは反対に、男の方は皺の多い顔を綻ばせて、陽気に勝の側に近寄ってきた。


「俺が黑侠幫幫主、魏忠信(ウェイ・ヂョンシン)さ。徳橋の流儀を曲げちまったみたいで申し訳ねェが、これからよろしくな」


 勝の肩をばんばんと叩きながら、忠信は空いた手で勝の手を取って握手を交わした。その次に勝の全身をまじまじと見て、学生服をぺたぺたと触りだした。


「学ランかァ。俺の青春の日々を思い出すなァ。俺、勝君と同じ歳くらい時は喧嘩ばっかやっててよ。家が貧乏だったのもあって学ランはズタボロだったが、それが勲章みたいなもんでもあったなァ」


「父さん。関係無い思い出話するんだったら出てくけど」


 雅麗はそのように低い声で言い、忠信を睨み付ける。勝は、雅麗がここまで不快感を露わにするのが珍しく思えた。確かに何回か彼女がそのような態度を取ったことはあったが、余裕のある様子だった。だが今回は、一切の余裕がなく、ただ苛立っているように見えた。


「そんなにカッカするなよ。あと二時間くらいしたら勝君の歓迎会なのに、今不機嫌でどうする」


「知らないよ。それよりさっさと本題入って」


「はいはい。では勝君。聞いてると思うが君の天翔鳳之命で江竜会の宿神器と戦ってもらう。これまでは雅麗と鴻鈞だけでやってたが、戦力差の点で苦しい戦いが続いてな。そこで、勝君に来てもらったというわけだ。最初は上手くやれなくてもいいが、最終的にはぜひ、世界征服などと思い上がった連中を叩き潰してくれ」


 忠信は勝の両肩をがっしりと掴む。勝は彼の勢いに呑まれて、思わず首を大きく縦に振ってしまった。その様子を見た忠信は、わざとらしく大笑いをし始めた。


「流石! 勝君なら頷いてくれると信じていたよ! 何たって剛吉の旦那の息子だもんな!」


 忠信の言葉を最後まで聞いた途端、勝は急に虫の居所が悪くなった。中途半端な思いで家を継ぎたくないと思っている彼には、父である剛吉になぞらえられるのは、いかなる罵倒よりも心に堪えることだった。


「父さん! 話は終わったでしょ。勝は私の部屋に連れてくから」


 勝が何かを言う前に、雅麗が忠信を怒鳴りつけ、勝の手を痛いほど強く引っ張って部屋から出ようとした。勝も慌てて会釈をして、忠信の部屋から退出した。

 部屋から出た後も、雅麗は勝の手を離さずに大股で廊下を歩いていった。幾ら何でも異常に思えたので、勝は引っ張られながら彼女に尋ねる。


「どうしたんだよいきなり」


「ああ言われるの、嫌いでしょ。家を継ぐ気は無いみたいだし」


「気付いてたのか。それで、気遣ってくれたのか?」


 勝が問うと、雅麗は彼から手を離し、鼻で笑った。


「冗談。私はね、あのクソッタレが調子に乗ってるのが心底ムカつくだけなの。特にアイツが、家族がどうこう言うのは本当に許せない。反吐がでる。いつか絶対ブチ殺す」


 勝は息を飲んだ。これほどまでに余裕無く、しかも激怒している彼女が、つい数時間前に笑顔で自分のスーツを選んでいた少女と同一人物とは、勝には到底思えなかった。自分は、ここにいてはいけないのではないか——勝は、そのような思いまで抱いていた。

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