台湾から来た女⑤
勝が風呂場から出て板の間に行くと、ちょうど美代が食事をテーブルに並べている最中であった。そして何より、三栄子が何食わぬ顔で食卓についていることが驚きだった。
「三栄子、珍しいな。どうしたんだ?」
「私が誘ったの。せっかくだし一緒に食べよって」
質問には三栄子ではなく雅麗が答えた。彼女は台所にいて、色々と手伝いをしていた様子だった。
「いやァ、雅麗ちゃん、要領よくて助かるわ。やることなすことテキパキやれて。うちの子に欲しいくらい」
美代はたいそう機嫌が良かった。彼女の言葉通りの理由でもあるのだろうが、やはり三栄子と一緒に食事をとることができるのが嬉しいということだろう、と勝は推察した。
「えへへ、ありがとうございまーす」
雅麗も嬉しそうだった。猫を被っている様子はなく、勝は彼女の態度が紛れもなく本心からのものだと確信できた。彼女は勝と三栄子の間に鼻歌を歌いながら座って、やけにニコニコとしていた。
剛吉と寛亮、猛が来るのを待ってから、勝たちは食事を始めた。この屋敷に住む者全員が揃って食事をとるのは久しぶりのことで、また新しく雅麗もいることから、勝は新鮮な気持ちだった。
「雅麗ちゃん、いい体してんなァ。どうだい。この笠島猛と今夜、深夜のデートにでも洒落込まないかい?」
「食事中にそんなこと言う人は感心しませんねェ。それに、今夜は先約があるんです。残念ですが、また今度ということで」
猛のセクハラを雅麗は澄まし顔で流した。その間も彼女の箸は休まることなく、夕飯のカレーライスを次から次へと口に放り込んでゆく。勝から見れば、ちゃんと噛んでいるのか不安になるペースだった。その様を、美代は頰を綻ばせて眺めている。
「どう雅麗ちゃん、おいしい?」
「はい。とっても! 最高です!」
「まァ、嬉しい」
美代は目を細めた。一方で勝は、市販のカレールーを使っているのだから、美代の料理の腕はあまり関係ないのではと思ったが、口にはしないでおいた。
「あ、そうそう。私、結構料理得意なんですよ。良かったら、明日の晩御飯は私が作りましょうか?」
雅麗は物を口に含みながら切り出した。勝はその言葉で、彼女の荷物の中に料理道具があったことを思い出した。実際の腕の程は未知だが、少なくとも料理好きであり、腕に自信があることには違いないと見た。
「ええ、いいの? じゃあお願いしようかしら」
美代は特にためらうことなく快諾した。剛吉と寛亮も何も言わない。外部の者が料理をするということに、警戒している様子はなかった。
「やった! じゃあ炒飯にしますね! 三栄子ちゃんも一緒に作ろ?」
「なんでうちもなの?」
「女の子ときゃっきゃうふふしながらお料理するのが夢だったから!」
雅麗はややはしゃぎ気味で言った。三栄子の方は、目を丸くして引いていたものの、ある程度の理解は示しているようだった。
「まァ、いいけど。そういうのは嫌いじゃないし」
三栄子は照れながらも、笑顔で承諾した。雅麗の関心は、今のところ勝に対して向けられることは無さそうだった。そのことが、勝の心を苛立たせた。その理由は彼自身にもはっきりとは分からなかったが、三栄子が雅麗とすぐに打ち解けたのがやはり悔しいか、自分が蔑ろにされているような気がしているからか、もしくはその両方か、くらいには絞り込めた。
「なんだァ、勝? 三栄子に魏の嬢ちゃんを取られて拗ねてんのか?」
酒の入っている寛亮が、ニヤニヤして勝をからかってきた。その内容が概ね当たっていたために、勝はむっとなって唇を尖らせた。
「違うし! そんなじゃない」
「そんなムキになって否定すると、ますますそうなんじゃねってなるがな」
同じく酒を飲んでいた猛も会話に加わってきた。勝は助けを求めて辺りを見回した。しかし、美代は楽しそうにコロコロ笑っているだけで、雅麗には鼻で笑われ、三栄子には舌打ちされ、剛吉には無視された。
「はは、将来の組長もこれじゃ形無しだな。もっと頑張りんさいな」
猛は冗談めかして言うが、勝はそれに対しては力なく作り笑いをすることしかできなかった。もしかしたら、今が組長になる気は無い、という機会なのかもしれなかったが、彼は口にはできなかった。そう言ってしまったら、この場の空気がどうなるか、分かったものではない。少なくとも今の団欒の時間は消え失せることは確かだ。
「おい剛吉。黙ってねェでなんか喋れ。じゃねェと勝がどんどんシケちまうぞ。酒いるか?」
寛亮は今の勝の雰囲気が気に入らないらしく、それを打ち破るためか大声で剛吉に話しかけ、350mlの缶ビールを一缶差し出した。剛吉の方は、一瞬だけ面倒臭そうに顔をしかめたが、すぐに表情を和らげ、それを受け取った。
「じゃ、叔父貴の言葉に甘えるか」
剛吉はすぐに封を開けると、ぐいっと一缶分を飲み干した。ぷは、と息を吐いた後の彼は、いつになく機嫌が良さそうに見えた。
「そうだなァ、あれはちょうど、俺が20歳の時だったかな。K市の大脇組がうちにちょっかいをかけてきたときの話だ」
「お、始まったぞ。剛ちゃんの武勇伝。酒入らないとやってくんないから貴重も貴重」
「家族の前で披露するのは初めてだよな。度肝抜いてやんな」
剛吉が切り出すと、猛と寛亮が囃し立て始めた。雅麗は興味津々で、三栄子も少しだけ惹かれている様子だったが、勝はそこまで気分が乗らなかった。
「俺がまだ若頭になったばかりの時だな。この屋敷で組員のほぼ全員で宴会やってどんちゃん騒ぎしてたらな、大脇組がいきなりカチコミかけてきやがったんだ。そこで真っ先に乗り込んできたやつにな、俺がちょうど持ってた一升瓶でぶん殴ってそいつのダンピラ奪ってからは大暴れよ」
「懐かしいなァ。確か俺もあん時、大脇組の連中をフルボッコにしてやったなァ。そんでお礼参りん時にダンピラ一本で 5、6人ばかし斬り殺してやったら懲役20年になっちまったがな。がはは」
「寛亮さん。それだと寛亮さんの武勇伝になっとりゃあすが。私は剛吉さんの武勇伝が聞きたいの」
剛吉を差し置いて自分のことを話し始めた寛亮を、美代が軽く苦言を呈する。寛亮は「これは失敬」と謝るも、その顔は笑っている。ここまではお約束の流れのようなものなので、彼だけでなく他の者も笑顔だった。しかしやはり、勝は笑えなかった。堅気で生きるためには笑ってはいけないのだと自らに言い聞かせた。しかし、なぜ堅気で生きるのかという自問には、分かっていることだったが勝は詰まるばかりだった。反社会的だからといえばこの場合は立派な理由だが、その理由付けに納得できない自分がいる。
勝がふと家族の方に目を向け直すと、彼らが眩しかった。雅麗、更には三栄子までもが、この上なく輝いて見える。彼らにあって勝には無い物がそうさせているのだろうとは思うものの、勝にはそれが何なのか、皆目見当もつかなかった。
結局、勝は悶々とした心のまま、家族との食事を終えることとなってしまった。
***
食事を終えて自室に戻ったのもつかの間、勝は雅麗に、着替えるから、と部屋を追い出されてしまった。刺青は見せてきたくせにと彼はため息をつきながら、縁側に腰掛けて庭園を眺める。そうしていると、塀の外に屹立している電柱が池に映り、更にそれに雅麗の裸体が重なって見えた。実際に彼女のそれを見てはいないため妄想したものだが、それでも勝はこの上ないくらいにそそられてしまっていた。
「なんてこと考えてんだ俺。あんなアバズレ、別にどうってこといいし。もっとお淑やかな人がいいし。いくら見た目可愛くたってあんな性格じゃ、女の子との同棲ったって素直に喜べないし」
「私も君のような、カスみたいなションベンタレの童貞小僧じゃなくてもっと大人な男の人が良かったなァ、なんて」
勝の呟きに、着替え終わったらしい雅麗が反応し、彼の頭上から話しかけてきた。明らかに侮蔑の意に満ちたその言葉に、なにくそと勝が顔を上げると、つい言葉を失ってしまった。見惚れてしまったのも事実だが、それ以上に、彼女の格好に呆れたのだった。
「お前、なんだ、それ。ゴスロリ?」
勝はなんとか言葉を絞り出した。雅麗が着ているのは、黒を基調とした、白のフリルが付いているゴシックロリータのワンピースだった。また、アクセントとしてなのか、その首には黒革のチョーカーが着けられている。彼女は勝の声色が気に食わなかった様子で、眉間に皺を寄せた。
「そうだけど。私がゴスロリ着ちゃいけないわけ?」
「いや、ええと、意外で、なんというか、ええと似合ってるかなとか? そういうのかも、いや、そうだよ」
雅麗の不機嫌を直したい自分と、どうして直す必要があるのか、という自分に挟まれて、勝はしどろもどろになってよく分からぬことを口走った。一方で雅麗の方はより一層顔をしかめたが、すぐにその表情を消した。
「その顔は似合ってるって思ってないな。ま、君の趣味に合わせてやってるわけじゃないし、気にすることもないか。今の歳くらいじゃないと、ゴスロリ着にくいからね」
雅麗は早口気味に喋ると、わざとらしく大きくため息をつき、大仰に体を伸ばした。そして、彼女は勝に軽蔑するような目を向けると、踊るようにくるりと回って彼に背を向けた。
「つまらないことしちゃったなァ。早く金次さんに気持ちよくしてもらわなきゃ」
「こらまて。お前、俺と寝食共にするんじゃなかったのかよ」
「週四日くらいは君と一緒に寝てあげるよ。寝るったってセックスはしないから期待しないでね」
「しんわタァケ。さっさと行け」
「へいへい。行ってきまァす」
雅麗はようやく歩き出した。その声には明るさが戻っていた。怒りがすぐに収まるというのは彼女の弁だったが、今の様子を見ればそのように言うのもよく分かった。
「うーん、でもあれは怒りがすぐ収まるというよりは情緒不安定なんじゃね? いや、不安定というだけなら、俺も同類か」
勝も、今日一日の心の動きを振り返ると、人のことが言えないような気がした。同じことを何度も考えたり、雅麗に関する今の状況に対する心証がころころ変わったりと、およそ安定しているとは言い難い。
更に、雅麗のことを同格の者として見直すと、勝は劣等感を禁じ得なかった。同じく不安定かもしれないが、彼女は彼女なりの信念を持っているように見える。しかし、勝には、そのようなものがあったとしてもそれはあまりにも脆弱なものだ。確固たる信念があれば、タイミングを選ばずに家を継ぐ気は無いと宣言できるはずで、それができないということは、勝の心の芯は無いも同然だ。
勝には、小さくなっていく雅麗の背中を不意に追いかけたくなった。だが結局、勝は足を動かすことができず、彼女が離れるのをただ眺めるのみだった。