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宿神器奇譚  作者: 黒井押切町
戦いの始まり
3/10

台湾から来た女③

 勝が告げられた事実を飲み込むのに時間がかかって、また雅麗に見惚れてしまっている間に、金次の車がやってきた。彼はコンビニエンスストアの駐車場に車を停めると、流れるような動きで外に出て、そのドアを開ける。


「お乗りください、若、魏さん」


「へえ、若って呼ばれてるンだ。私も若って呼んでいい?」


「馬鹿。早よ乗るぞ」


 勝は照れ隠しに大きめの声で促す。雅麗は能天気に「はァい」と間延びした返事をし、彼と一緒に歩き出した。ところが、勝が車に入って座ってしばらくしても、雅麗は乗ってこなかった。一体何をしているのかと車から身を乗り出してみると、彼の予想の斜め上をいく行動を、雅麗が取っていた。


「いい体してますね、おにーさん。金次さんでしたっけ? もしよかったら、今夜どうです?」


 雅麗はセーラー服のリボンを外し、そのチャックを下ろして蠱惑的に微笑んで金次に擦り寄り、彼の胸のあたりを指でつついていた。彼も彼で特に断る様子はなく、寧ろ鼻をだらしなく伸ばしていた。


「雅麗さん? 何やってんの?」


「見て分からない? 誘惑してるんだよ。私は良さげな男を引っ掛けて一晩過ごすことが一番の生きがいなのだ」


「おい待て。中学生だろまだ。何でそんなことやってるんだよ」


「色々あったの。堅苦しいこと言わない。ね、金次さん」


「そうです若。大体、あの組長が居候を許すような嬢さんですぜ。多少の素行不良はあってもやべェ奴じゃあないでしょう」


 金次にそのように言われては、勝は反論できなかった。彼が口を噤んでしまっているうちに、雅麗はチャックやリボンを戻すこともせずに後部座席に乗り込み、金次もどこか浮かれた様子で運転席に着いた。


「金次さん。事故らないでくださいよ」


「毎日、若の送迎を任されている俺の腕を信用してくださいよ。どんなに調子に乗った時でも無事故無違反なんですから」


「律儀なんですね。暴力団なのに」


「任侠団体と言ってくださいよ、魏さん」


 金次は苦笑いをする。一方、雅麗は鼻を鳴らすと、運転席と助手席の間に顔を突き出してきた。その表情はさながら悪女のようで、本当に慣れていると勝に思わせるものだった。


「まァでも、律儀な方が私の体を任せられるし、悪いことじゃないと思いますよ。やっぱり今夜寝ましょうよ、一緒に。こう見えても私結構テクニシャンですし、気持ちいい思い出来ますよ?」


「いいですけど、どこでするんで? ホテルは多分魏さんは無理でしょうし、俺の家くらいしか」


「そこでいいですよ。私が晩御飯食べ終わったら連絡しますから、迎えに来てくださいね。はいこれ連絡先」


 金次の方もこのようなことには慣れているのか、やや淡々とした調子で話を進めていく。勝はそのうち、意図的に話を聞かないようにし始めた。自分が全く関わることのできない世界の話を横で聞いているのは、心地のいいものではない。そして、倫理的には明らかにおかしいのに、雅麗の言動を眩しく思い始めている自分に、勝は違和感を覚えた。

 結局、勝が言葉を発することなく、車が家に到着した。勝が雅麗と共に車から降りると、徳橋組若頭の志田竜太郎(しだりゅうたろう)が門から出て二人を出迎えた。


「若、魏さん。組長が待っています。至急、組長の部屋にお向かいください」


「分かりました、竜太郎さん。雅麗さん、行くよ」


「ほいさ」


 勝は剛吉が待っていると聞いて緊張し始めたが、雅麗の方は余裕綽々といった風で、何が起こるかをあらかじめ分かっているようにも思えた。朝と同じく両脇に構成員の立つ飛び石の道を進んでいるときも、屋敷の中に入ってからも彼女のその態度は変わらない。


「話には聞いてたけど、なかなか良い屋敷だね。結構好きかも」


 雅麗は無邪気に言う。しかし、勝は緊張のあまり返答することができずにいた。雅麗の方も彼の心境を察したのか、剛吉の部屋に近づくにつれ、言葉が少なくなっていった。そのような調子で剛吉の部屋の前に着いたものの、勝はその襖を開けるのをためらって、固まってしまっていた。


機車(ジーチェ)。男がうじうじするな」


 我慢の限界に達したのか、雅麗は勝を押し退けて襖を勢いよく開けた。すると、シルクのスーツを着て胡座をかく剛吉が上座の中央に、着流し姿で佇む寛亮が上座の隅の方にいて、勝と雅麗を待っていた。


「座れ、勝。雅麗も」


 剛吉は鋭い眼光で二人を射抜き、顎で促す。彼の視線の先、下座の方には座布団がふたつ並んで敷かれている。雅麗が躊躇わずにそこに正座したのを見て、勝もぎこちなくそこに正座した。それから、勝は息を飲みつつ、剛吉を見つめる。鷹のような眼光はあらゆる者を威圧し、誰の油断も許さない。勝は父、剛吉のことを殆ど知らない。彼が親として接してくれた記憶があるのは、勝が物心ついてからほんの数年だけだった。全組長である祖父の急死によって剛吉が組長に就任してからは、勢力の引き継ぎと地盤を固め直すのに剛吉も美代も忙しかった。そのため数年間は、出所して間も無く、特に仕事の無かった寛亮と、医師免許を剥奪されて転がり込んできたばかりの猛が勝と三栄子の面倒を見た。だが、厄介ごとが概ね片付いた後、美代は家庭に戻ってきたが、剛吉は特に干渉することはなかった。故に、勝は彼との距離感が全く掴めず、苦手にしている。

 しかし、勝の惑いは全く気にしない様子で、単刀直入に切り出してきた。


「勝。お前に仕事ができた。これからお前には徳橋に伝わる宿神器(しゅくしんき)天翔鳳之命アマガケルオオトリノミコトを駆り、そこの魏雅麗と共に上海の黒社会、江竜会(ジャンロンフイ)との戦いに身を投じてもらう」


「え?」


 あまりに突飛な話に、勝は間抜けな声で思わず聞き返してしまった。しかも、剛吉の言葉は初めて聞く単語ばかりだった。勝が隣の雅麗を一瞥すると、彼女は彼のこの反応は予想通りとばかりににやにやしていた。


「普通そうなるよねェ。私が補足したげる。江竜会というのは、さっきも剛吉さんが言った通り上海の黒社会のひとつでね。黒社会っていうのはマフィアね。で、江竜会は元々小さくて無名だったのだけど、最近力を急速に伸ばしてきた。これだけなら全然いいんだけど、最近世界征服とかいう戯言をぬかし始めたの」


「世界征服?」


「うん。そう言い出したのは姜赫雄(ジャン・フェシォン)っていうのが加入してからだから、そいつが原因のひとつなのは間違いない。まァそれはいいとして、その世界征服に奴らが使おうとしているのが宿神器っていう古代兵器なの。奴らは四罪(スィツィ)という伝説の四体の宿神器を発掘しようとしてる。それを阻止しようというわけ」


 勝は、そこまで聞いて考え始めた。剛吉が真面目な顔なのだから荒唐無稽な話でも真実には違いないだろうが、なぜ徳橋組を頼り、自分がその役目を任されるのか、まるで見当がつかなかった。しかし、その反応も予期していたのか、勝が何かを言う前に雅麗が口を開いた。


「宿神器ってのはもう殆ど残ってなくてね。私たちが調べられた中で、宿神器を保有していて、かつ私たちが協力を頼めそうなところは徳橋組くらいしか無かったの。それに、黑侠幫自体、徳橋と無関係じゃないしね」


「どういうこと?」


「黑侠幫の大元は日本統治時代に出来たんだけど、その発展に力を貸してくれた日本人がいてね。その人が徳橋の本家筋の人だったんだ。彼は組としてじゃなくて彼個人として色々助けてくれたみたいだけど。ともかく、そういうわけでうちと徳橋は縁があるの」


 勝は剛吉と寛亮の方を伺ってみた。二人とも、物言わずに首を縦に振る。これも真実であるようだと判断し、勝は次の質問に移ることにした。


「じゃあ次。何で俺に白羽の矢が立ったの?」


「君が天翔鳳之命に選ばれているから。宿神器は乗る人を選ぶの。その人以外には扱えない」


「天翔鳳之命が選ぶのは、元服した徳橋の跡取りと決まっているんだよ。だからお前以外にやれる者がいない」


 剛吉は雅麗に続けて告げる。その口調は、かなり高圧的なものだった。勝には彼が苛立っているようにも思えた。そのように思い始めると、勝も勝手に苛立たれる筋合いはないと、だんだんと腹が立ってきた。その上、意味不明な事情で訳の分からぬことをやらされると考え直すと、更に反感が募っていった。だが、勝の態度を勘付いたのか、剛吉は鼠を萎縮させる蛇のように恐ろしい目で、勝を睨みつけた。


「お前に拒否権はない。やれ」


「待てよ剛吉。そんな言い方じゃ勝は納得せんよ。お前さんは実の父親だから尚更だ」


 剛吉が言い放った直後、これまで一回も口を挟まなかった寛亮が口を開いた。彼はそのまま勝の前まで来ると、しゃがんで勝と同じ目線の高さに合わせた。


「なァ、勝。気持ちは分かるよ。俺も剛吉も、かつて通った道さ。勝と同じくらいの歳に、いきなりハジキとダンピラ渡されて、他の組との抗争に駆り出されてよ。できることならお前に俺と同じ思いはして欲しくない。宿神器のめんどくせェしきたりがなけりゃ、俺が代わりに行ってやりたい。何たって、兄貴の孫で忘れ形見なんだから」


 寛亮はそこで一息ついて、勝を見つめ直す。彼の目は優しいままだったが、その中に厳しい光があることを、勝は悟った。


「命懸けの戦いになるだろうし、自分の知らないところで勝手に進められた話に乗れないのは当たり前だよな。だけど、勝が戦わなかったことで、もし世界征服が為されたら、勝は後悔しないか? 戦わないという自分の選択に、責任が持てるか?」


「無理だよ、寛亮さん。そんなことは」


 勝は弱々しく首を横に振る。すると、寛亮はにっと笑って、勝の両肩を強く叩いた。


「ならやるしかないな。安心せい。徳橋の男は喧嘩に強いのさ。それに、俺たちとは違って勝には世界征服阻止って大義名分がある。誰でも、立派だと言ってくれる戦いができるんだ」


 勝は沈黙した。寛亮の言うことは理解できるが、何とも言えないわだかまりが、胸の内で渦巻いている。勝はその正体を明らかにすることは出来ないが、それのために世界の危機から目を背けるのはとても情けないことのように思えて仕方がなかった。


「やる。やるよ。雅麗さん、寛亮さん。それに親父」


 勝は顔を上げて、毅然として宣言する。寛亮と雅麗は満足げににやりとしたが、ただ一人剛吉だけは気難しい表情を浮かべていた。彼はそのまま立ち上がると、廊下の方に向かって歩き出した。


「今からお前に天翔鳳之命を見せに行く。雅麗と叔父貴も付いてきてくれ」


 勝に顔を見せずに、ぶっきらぼうに剛吉は言った。彼の反応が薄かったのを勝は不満に思ったが、恥ずかしくなってその感情を否定してから、彼の後を追った。

 一行は今は使っていない一室に入ると、剛吉がそこの中央の畳を二枚剥がした。すると、そこに現れたのは金属製の扉だった。彼はその扉を解放し、現れた階段を、懐中電灯を片手にして降り始めた。彼の後に迷わず着いて行く寛亮に続いて、勝は恐る恐る階段に足を置いた。


「男がビクビクして。情けないよ」


 勝の後ろにいる雅麗が、呆れた調子の声で言った。これにムキになった勝は、深呼吸をして気持ちを落ち着かせてから、背筋を伸ばして降りるのを再開した。

 五十段ほど降りると、狭苦しかった階段とは違って解放的な空間に出た。剛吉が壁のスイッチを押すと、勝の眼の前に、全高十メートルほどの巨人が堂々と佇んでいた。しかし、その姿は中国風の鳳凰の彫像がそのまま鳥人間になったようなもので、お世辞にも格好がいいとは言えず、勝には寧ろ不気味にしか見えなかった。中華風の赤を中心とした派手な色合いもまた、勝にとってはかえって不安になる要素でしかなかった。


「これが天翔鳳之命だ、勝。腰のところに人が入るスペースがある。ひとまず、乗ってみろ」


「あ、うん。分かった」


 剛吉に促されて、勝が天翔鳳之命に歩み寄る。すると、それがひとりでにしゃがみ、腰のハッチが開いた。勝がそこに入ると、ファスナーが閉まるように穴が塞がれて、ハッチが閉じた。その直後、操縦席の中が自然に明るくなって、入口の方に外界の様子が映し出された。操縦席の中には明日のようなものもない。形は卵形で、その壁の手触りは絹のようで、その温もりは人肌のようだった。


「想像していたのとは違うな」


 勝は次第に興味を持って、天翔鳳之命の内壁に手を触れていく。すると、何かが唸るような声が勝の耳朶を打った。初めて聞くような音だったが、どのようなわけか、勝にはその声の主と、何を言わんとしているのかが、はっきりと分かった。


「俺の名前か? 勝。徳橋勝だ。君は天翔鳳之命だね? 長いから、(おおとり)でいいかな?」


 勝が親しみを込めて尋ねると、それがまた唸った。同意してくれたようなので、勝は安心して壁にもたれかかった。


「俺、君と一緒に戦うことになった。正直、まだ完全には納得できてないけど、それでも必要みたいだから、何とかやってみせる」


 今度は、鳳の反応が大きかった。勝は、それが応援してくれていると強く感じることができた。剛吉や雅麗の態度が冷たかったのもあって、勝はその応援がかなり心強かった。


「ありがとう。さっきは不気味だなんて思って悪かったよ。君は優しいんだな」


 勝は穏やかに声をかけながら、壁を撫でる。そうしていると、外で雅麗が何やらジェスチャアをしているのが見えた。降りてこいと言っているようだったので、勝は鳳に入り口とハッチを開けさせた。


「今日はここでお別れだ。またな」


 勝の言葉に反応して、鳳も別れの挨拶をしてくれた。勝は新しい友人が出来たような気がして、ささやかな喜びを得た。それを噛み締めていると、雅麗がにこにこして彼の隣にやってきた。


「その様子だと、仲良くなれたみたいだね。よかったよかった。じゃあ宿神器とは何か、説明するね」


 雅麗の言うことには、宿神器とは神の化身であり、それに選ばれた者のみが扱うことのできる古代兵器である。そして、その強さは扱う者の精神力によって左右される。ただし、強い精神力を持っている者が選ばれるとは限らず、逆に思わぬ力が出ることもあり、兵器として扱うには不安定極まりなかった。それゆえに、時代が下るに従って効果的な戦術や強力な兵器などが登場してきて、紀元前のうちに戦場から姿を消し、人々の記憶からも失われた。現存しているものは、個人や団体が伝統的に保持していたものか、富豪がアンティークとしてコレクションしているものかのどちらかであるという。


「言い伝えでは、天翔鳳之命は徳橋の氏神であるそうだ。日本中どこを探してもこの家の文献にしか出てこない神だが、とにかく、この力をチラつかせてきたからこそ、徳橋は神代からどこの勢力につくこともなく、存続することができた」


 雅麗の説明が終わった後、剛吉が付け足した。その後、彼は凄みのある目で勝を見つめる。それを以って彼が何を言わんとしているのか、勝は容易に予想できた。


「だから、鳳を使って負けるのは許されないってこと?」


「いや、負けるのはどうでもいい。だが、完全に破壊されるのは絶対に絶対にダメだ。それだけ覚えておけ」


 剛吉の低い声での忠告は、勝を畏怖させるには十分だった。勝は声を出せずに、首を縦に振ることのみで了承を示した。その様が滑稽に思えたのか、横で雅麗がくすくすと笑っていた。

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