第4話
「エイシャ、遅いね」
武闘家がぽつりと漏らした。それなりに時間が経っているにもかかわらず、治癒術師が戻ってこないのだ。
「そうですね。野宿で水を使えるなんてそんなにないから、時間をかけてるのかなぁ」
「だとしても、ちょっとかかりすぎじゃないか。ラトリー、様子を見てきてくれないか?」
魔物除けの結界があるといっても、不測の事態が起こる可能性はいくらでもある。魔術師の指示に、武闘家はすぐに腰を上げようとする。
その時、彼らの耳にドサッというなにかが倒れる音が聞こえた。
全員が俊敏に反応し、音の鳴った方向に目を向けると、焚き火の明かりが届くぎりぎりの所に青白いなにかが倒れていた。獣や植物ではない。自然の中では、およそ見ることのない色だ。
「な、なあ、あれって、」
その白い物体が人の形をしていることに、武闘家は気付いてしまった。
彼女は真っ先に駆けだす。その動きは焦りに満ちていた。駆け寄る途中、彼女の呼吸はどんどんと荒くなっていく。
彼女の目に映っているのは、素肌を晒して倒れ伏す治癒術師だったからだ。
遅れて二人も治癒術師に気付いた。
突如として起こった異常事態に、自然と焦りが生まれてしまう。
「エイシャ、大丈夫!」
治癒術師のもとに辿り着き、抱き起す武闘家。彼女はその瞬間、表情も動きも何もかも固まってしまう。事実に気付いた彼女も顔が真っ青になっていく。
「どうしました!?」
「う、嘘、でしょ」
「ラトリー? おい……まさか」
勇者と魔術師もすぐに察した。顔は青く膨張し肌を白く染め上げ、呼びかけてもぴくりとも反応しない治癒術師。ついさっきまで元気に笑っていた彼女が、死んでしまっていることに。
「い、嫌、いや、エイシャ? エイシャ! 冗談でしょ、ねえ!?」
「…………」
「な、んで」
必死に彼女を揺さぶる武闘家に、茫然と立ち尽くす勇者。魔術師は痺れたように動かない頭でその理由を探していた。突如訪れた仲間の死。しかし彼等に、ただ驚いている時間は訪れない。
「ッ構えて!」
途端、森の奥から複数の唸り声が響く。
勇者が咄嗟に盾を構えると同時に、黒い影がいくつも飛びかかってきた。
「な、魔狼か!」
勇者を襲う影をみて、魔術師がすぐに反応した。
真っ黒な毛皮に、血のように赤い双眸。だらしなく開けられた長い口からは舌と唾液を垂れ流す。普通の狼よりも一回り大きく、体も頑強な魔物だ。群れで行動し、素早く警戒心も高い。何より危険なのは牙と爪。魔狼にとって唯一の武器だが、薄い鎧なら簡単に貫くほどの凶暴さを備えている。
一匹の強さはそれ程でもない。だがその虚を突いた襲撃に一瞬、圧倒されてしまう。
「こ、のおっ!」
防戦一方な勇者。魔術師と武闘家も、不意を打たれたことで体勢を崩されて、攻撃に出ることができない。
牙を弾き、爪をしのぎ、ひたすら防ぐ。勇者や武闘家は近接戦に秀でているから、まだ対処は早かった。問題は魔術師の方だ。
彼とて百戦錬磨、近接戦の心得がない訳ではない。しかし決して得意でもなかったのだ。
最小限の魔術を駆使して、何とか致命傷だけは避ける。
三人がそうして何とか体勢を立て直しつつ、無理矢理にでも反撃しようとした時だった。
「な、何なのあれ!」
武闘家のあげた高い悲鳴に、二人もつられてそちらを見る。
森の更に奥、暗く先の見通せないそこにいたのは、視界を埋め尽くす赤い点。
そして構える暇すらなく、津波のように魔狼が押し寄せてきた。
「おいおい、嘘だろ」
文字通り魔物の群れに呑まれてしまう三人。
魔狼の数は尋常ではない。魔物がここまで徒党を組んで襲い掛かってきたこと今までなかった。困惑しながらもまだ全員が無事なのは、今までの修羅場を乗り越えてきた結果だろう。
それでも、反撃に出ることができない。思うように動けない中では、防戦一方なのであった。
「なんでッ、こんなッ、とこまで、魔物がッ! 魔物除けは?」
小さな身体で牙をむく魔狼を殴り飛ばしながら、武闘家が叫ぶ。当然の疑問だ。二人も同じことを考えていた。治癒術師がやられた理由はともかく、魔狼に結界を壊すほどの知能はない筈。
(こいつらの特性、弱点は……)
戦いの中、必死に打開策を探る魔術師。
群れで行動する。機動力を活かした狩りを行う。他の魔物が殺した獲物を横取りする場合が多い。毛皮は硬く、並の剣士の腕では弾かれるほど。知性は人型の魔物ほど高くはないが、鼻と耳が発達している。ポピュラーな魔物ではあるが、凶悪さはその地域によって大きく異なる。
そこで魔術師はふと疑問を覚えた。
だがその疑問が何かまで結びつかない。混乱した頭の中では情報がまとまらないためだ。
悠々と考えている余裕も暇もない。その間にも魔狼は次々と現れる。尋常じゃない敵の波に、チームとしての連携を取ることすら出来なかった。
疑問が溢れる中、必死で猛攻を防ぐ三人。
中でも、生前に治癒術師を姉のように慕っていた武闘家は激しく動揺していた。
その動揺が戦いの中で隙を生む。本来の彼女の実力なら問題なかった相手に、彼女は体勢を崩してしまった。
「い、きゃあっ!」
飛びかかっきた魔狼をいなすことが出来ず、武闘家は数匹に押し倒され地面に組み伏せられてしまう。噛まれることを覚悟した彼女だったが、その予想はなぜか外れた。魔狼たちは器用に両手両足を咥えて、そのまま森の奥へと引きずり出したのだ。
「離せ、離せよッ! この、アルビーク! ナハト!」
武闘家は必死であらがい助けを呼ぶ。いかに鍛えた身体も、獣に四肢を押さえられてしまえば力は発揮できない。
「ラトリー!」
「糞が! この犬ッコロ共!」
助けを求められたが、二人もまた大量の魔狼に囲まれ思うように身動きが取れなかった。その間にも魔狼たちは器用に武闘家を連れて行こうとする。何とか引き剥がし、武闘家は起き上がろうとするがすぐに再び襲われ倒される。
武闘家は抗う。腕と足を振り回し、頭突きをし、力任せに暴れまわる。それでも魔狼たちの猛攻は止まらない。ろくに動かせない腕の代わりに噛み付いてまでも抵抗する武闘家だが、爪と牙が服を裂き柔らかい肌まで伸びて肉を断つ。徐々に体力は奪われていった。
魔狼たちは、それでも抵抗する武闘家を連携の取れた動きで引きずっていく。
魔術師と勇者はそれを視界の端で捉えつつも、何一つ出来ることがない。魔狼たちの動きが、まるで二人を阻害するようなものに変わったことで、更に動きが悪くなる。
「くそッ、ラトリー、ラトリー!」
勇者の叫びも、今この場で何の役に立つのか。
二人が奮闘する中、武闘家は抵抗も虚しく暗い森の奥へと連れ去られてしまうのだった。