第1話
「どうしてなんだ!」
生い茂る木々が行く先を暗く閉ざす深き森を前にして、低い男の怒号が響いた。
「どうして僕を捨てようとする!?」
「分かって下さい、あなたを連れて行くことはできないんだ」
顔を真っ赤に染めてわめきちらす、重厚な鎧を纏った中年の男の名はベルト・フィッシュという。もとより端正とは言いがたい顔つきだったが、今は怒りによって醜悪なまでに顔が歪んだ戦士だ。
戦士に相対するのは美麗な青年。陶磁器のように滑らかな素肌に切れ長の眼尻、女性と間違われそうなほど中世的な顔立ちでありながら、力強く鋭い瞳をのぞかせている。それが美しさとのギャップを生み、彼のもつ神秘的な雰囲気を底上げしているようだ。
青年の名はアルビーク・ロスト・フランツ。勇者にしか抜けないという伝説の剣をたずさえて、魔王討伐のために長い旅を続ける勇者であった。
年はまだ若く、ベルトの半分より下の年齢だ。
怒りをあらわにする中年と、困ったように眉を潜めた美丈夫が並び立つ姿は、互いの立場を色濃く象徴している。言い争う二人を眺める他の仲間たちの視線を見れば、武が悪いのは明らかに戦士だ。
一番近い位置でどうしたものかと思案する魔術師の青年、ナハト・フェッツェロイ・レイニーガードは、ここに至るまでの道のりを思い返していた。
魔王を目指す道のりは比較的に順調だった。
勇者の力は強く、彼の下に集った仲間たちもまた破格の能力の持ち主だったからだ。
圧倒的な戦闘力を誇る勇者アルビーク。
範囲攻撃なら右に出る者がいない魔術師ナハト。
舞踊と武闘を合わせた破壊力の持ち主、女武闘家ラトリー・クー。
癒しの奇跡を行使する後衛の要、治癒術師のエイシャ・マルズ。
そして、攻撃力はさほどでもないが異常なまでの自然治癒力と頑丈さを誇る、大盾を構えた戦士ベルト・フィッシュ。
バランスのとれたパーティだった。少なくともナハトはそう思っていた。
盾役の戦士が敵を引きつけ、その間に勇者と武闘家が一点集中で突破口を開き、魔術師がなぎ払う。
治癒術師のサポートによって、今まで犠牲が出ることがなかった。
ワンパターンな戦術ではあったがその効果は絶大。
しかし、今目の前に広がる森に着く前の戦闘は、今までとは格が違った。
いつも通り戦士を前面に出し、彼が攻撃を受け止めている間に攻撃の準備を整える。
何も問題は無い。そう考えていた。
大盾を構えた戦士が、盾ごと魔物のたった一撃で地面に倒れ伏すまでは。
かつてない、強大な魔物。
戦いは熾烈を極めた。
多くのトラブルに見舞われながらも、勇者の的確な指示によってどうにか魔物を倒した勇者達は警戒を最大限に高めながらなんとか森の前まで辿り着いたのだった。
荷物を降ろし全員が一息ついて腰を落ち着けている間に、少し離れた場所で魔術師は勇者にある相談事をしていた。
『この先に進むのに頼れる盾だった戦士、ベルトはもはや足手まといになる』
それを盗み聞いた戦士は、怒りのままに勇者に詰め寄ったのだった。
「納得できるか、ここまできて足手まといだから連れて行けないだと!?」
「落ち着いてください、そういう意味じゃない!」
勇者の肩を掴み、わめく戦士
それを眺める女性二人、武闘家と治癒術師の目も困惑にゆらいでいた。
先程からずっとこの調子なのだ。冷静になれない戦士が、ずっと勇者の言葉を遮っている。
魔術師と勇者は、なにも考えなしに戦士を置いていくと言ったわけではない。
戦士の身を案じてこそ、この先に連れて行けないと判断したのだ。
勇者はこの戦いで一人の死者も出さないと決めている。
だからこそ、戦士を連れて行く訳にはいかない。更に強くなると予想される魔物の攻撃を受け止め続ければ、いくら盾役として今まで活躍してきたの彼であっても、いずれ死んでしまうのは明白だったからだ。
「アナタのためを思って言っているんです、ベルトさん!」
その言葉は本心から戦士を思っての言葉。けれども純粋な善意は、時として人を最も傷つける。
受け取る側がどう取るかは別なのだ。
「僕のため? 何を勝手なことを言ってるんだアルビーク。僕はまだ戦える、役に立つ。回復力だって問題ない!」
「そうじゃないんだ……何をしているんですか?」
戦士は狂気にかられたように口角から泡を飛ばし鎧を脱ぎ去り、ナイフを逆手に持つ。
大きく振り上げた刃物は、深々と彼自身の身体を縦に斬り裂いた。
「ひいっ!」
武闘家が迸る鮮血から目を逸らし、治療術師が彼女を庇うように抱きしめた。
目の前にいたアルビークはその血をまともに浴びてしまい、驚愕に目を見開く。
仲間の反応をよそに、自傷行為に走った戦士は痛みを感じている様子もなく、喜色満面といった感じで周りを見渡した。見る間に彼の傷口からはか細い煙があがり、ばっくりと開いて血をこぼす皮膚が再生していく。
「ほら、どうだ? 僕はどれだけ傷ついたって治る。盾として、みんなを守れる!」
「ベルト、さん……」
勇者は困り果てた様子で言葉につまった。
そういうことじゃない。アナタの能力を疑っている訳ではない。それ以上に、これからの戦闘は激しくなるかもしれないんだ。
けれどそんな言葉の数々は、彼の口から出ることはなかった。
もう、戦士には何を言っても通じないと、そう思ってしまったのだ。
優しく伝えるだけでは、死んでほしくないという思いだけではダメなのかと、仲間を想う勇者は押し黙ってしまった。
「な? アルビーク、まだ疑っているんならもう一回やってやるよ。僕は、まだ、」
「もう止せベルト!」
決意を固めた表情で、魔術師が戦士の腕を掴んだ。
勇者に任せるつもりだったが、もうらちが明かない。
心を鬼にしてでも、勇者のために彼を説得すべきだ。
そう判断した魔術師が、憎まれ役を買って出たのだ。
「離せナハト、お前も僕が邪魔だっていうのか!」
「ああそうさ!」
思わぬ力強い肯定に、戦士がビクッと反応した。
勇者のように優しい口調ではない、明確な拒絶の意思をこめた声だ。
戦士の表情が、泣きそうなほど弱々しくゆがむ。
魔術師は追い立てるように言葉をつづけた。
「これから先の戦闘は、今までよりもずっと激しくなる。さっきの魔物よりももっとに強いヤツが出てくるのは間違いないんだ。そうなったらベルト、あんたの盾は意味がなくなってくる。攻撃に耐えることが出来なくなるんだからな!」
淡々と告げられる役立たずの烙印に戦士の顔が徐々に絶望に染まっていく。
「盾で重要なのは、攻撃を受けても倒れない頑強さだ。盾が使えないなら、重要になるのは分散して機動力を活かした戦闘になる。だから、分かるだろうベルト?」
そこまで言って魔術師は言葉を区切った。追い詰められた戦士は、聞き訳のない子供のようになんとか希望を掴もうと、魔術師を見上げている。
「だ、だが、」
「機動力もなく、遠距離攻撃もできないアンタじゃ邪魔にしかならないんだ。この先を無理に進むのなら、役立たずのアンタはそれこそ……無駄死にする羽目になるんだよ」
その言葉を聞いた戦士、ベルト・フィッシュの胸の内には、かつてないほどの憎悪が生まれたのだった。