6 第3話 未来から来たドール 前編
——数年後。
未来の異世界は地獄であった。
あれだけ高層ビルが立ち並んでいたキサルニアも、360度見渡す限り瓦礫の海だった。
月の光に照らされて蒼白く闇に浮かび上がる遥かな大地は一見神秘的で、壮大な宇宙に浮かぶ一つの星なのだということが見て分かる美しさだ。だが、目を凝らせば瓦礫に混ざって腐敗した地肉や人骨が無数に転がって、冷たい夜風に死臭を流していた。
異世界は滅亡に向かって真っ直ぐに進んでいた。メネスとの全面戦争が勃発し、異世界は敗北。わずか数人の戦力を前に成す術なく、ただひたすらに罪無き死の数を数えていった。
数十億あった人口は数万にまで減少。運良く生き残った者たちは、扉を外の環境に擬態させた避難所に逃げ込み、生活している。このキサルニアであった場所にも避難所があった。それも元が先進国であったためにかなりの広さを持つ地下避難所だ。
今、その入り口を見つけて立ち止まった男がいる。国際連合軍のコバルトブルーの制服に身を包んだギアスだった。そして、彼の背にはまだ幼かったシフォンがおんぶされ、すやすやと眠っていた。
「ここか……」
途方もない距離を何日も寝ずに歩いていた彼の声は老人のようにしゃがれてしまっていた。
傍受されない特殊な無線で避難所内の者に到着を知らせると、1分足らずで扉が開きはじめた。周囲に擬態するよう表面に瓦礫が貼り付けられたフタのような扉だった。
扉が少しずつ浮いていく。拳が挟めるくらいまで開くと、宝石と見紛うほど美しいブルーの瞳がこわごわ辺りを見渡し、やっとギアスと目が合う。
それが誰なのか、ギアスには瞳だけで分かった。ノエルという、ギアスと同い年の女医である。
疑り深く外の様子を探っていた彼女はようやく扉を開け放って出てきた。
ノエルは文字通り胸を撫で下ろし、ほっと笑みを浮かべる。長く下ろした金髪は少し傷んでいるようだが、その他は以前と変わらない、女神のような美人のままだった。
「よかった、お二人ともご無事で」
「ああ、ありがとう。にしても、やっぱりノエルは変わらないな。周りがこんなになってんのも、まるで噓みたいじゃないか。顔見ただけで疲れが吹き飛んだよ」
「うふふ、もう、お上手なんですから」
おそらく、ノエルはキサルニアで一二を争うくらいの美女だ。そんな彼女が生き残ってくれていて本当によかったとギアスは思った。
ノエルは上品に照れながら、いつまでも外にいては危険だからと避難所内へ案内してくれようとする。しかし、ギアスは動こうとしなかった。
ノエルはどうしたのかと怪訝そうにギアスの言葉を待った。
「ノエル、頼みたいことがあるんだ。一生のお願いだ」
「……、はい」
「娘を、シフォンを、育ててやってほしい」
「! ……そんな、ギアスさんまさか——」
ノエルはギアスの思いを察して慌てるが、彼は縦に首を振る。
「戦いは、もうダメだと思ってからが本番なんだ。オレは生きてる限り、みんなのために戦う。そしてもちろん、シフォンのためでもある。でも、オレはもう二度と……、二度とシフォンには、会えないだろう」
「そんな……、そんな」
家族のために死を覚悟した父親の目はノエルのまぶたに焼き付くようだった。
無謀な戦いであることはもちろんだが、相手は残酷なメネスである。そうそう楽な死に方はできないものだと思って間違いない。それでも、涙こそ浮かべつつギアスの茜色の瞳に迷いはなかった。
覚悟を決め、兵士として男らしく構えているギアス。ノエルはいつのまにか彼の胸に縋り付くようにして泣いていた。
ノエルもメネスとの戦闘で最後の家族だった弟を亡くしている。彼女にとっても相当辛い一瞬だったに違いなかった。
「ダメです……、ダメです。せっかくここまで来て、どうして。そんなの、死ににいくようなものじゃないですか。この子にはあなたが必要です。だってもう、この子の家族はあなたしかいないんですよ? お願いします、どうか、この子の側にいてあげてください」
「ノエル。どうしておまえが生き残ったと思う?」
「……ええ?」
こちらを見上げるノエルの目は赤くなっていた。
ギアスは彼女の肩に手を置き、
「おまえの弟が、おまえ一人のために、自分の全てを血の一滴まで捧げたからだ。オレたち兵士は馬鹿な生き物だ。残される者の気持ちを知りつつ、守るためには死ぬまで戦うことしか考えられないんだよ。それ以外の方法が、分からないんだ。ただ、オレたちは国の兵器じゃない。捨て駒でもない。ロボットでもない。何よりも愛おしい家族を持つ、肉の体を持った人類だ。感情ある生き物だ。無駄死にするために生まれてきたんじゃない。家族を守るために、生まれてきたんだ。だから、家族のために、最後まで戦わせてくれ。ここで希望を捨てるなら、生まれてきた意味がない」
揺るぎないギアスの想いに、ノエルはその場にがくりと崩れるように膝を折る。そうして、遂に縦に首を振ってしまった。
ギアスはしゃがんで、背中からそっとノエルの両腕にシフォンを抱えさせる。シフォンは赤ん坊より一回り大きいくらいしかなかった。
「すまない、ノエル」
「……ごめんなさい、ごめんなさい。まだ、こんなに小さいのに。私が、側にいるからね」
寝ているシフォンに泣きながら接するノエルの姿は見れたものではなかったが、ギアスは見届けていた。
しばらくして、ノエルは涙を拭い、こちらを見上げた。
「約束します。私がこの子の義理の母親として、育てていきます。ギアスさんの想いは確かに、聞き届けました。私の血の一滴まで、私の全てをこの子のために捧げます。どうか、神のご加護を」
「ありがとう。……、じゃあな、シフォン」
ギアスも最後は涙声だった。
彼は名残惜しさを振り払うように勢いよく踵を返して駆け出した。
黒い宇宙と蒼白い地平線の隙間へ遠くなっていく。彼の後ろ姿が見えなくなってしまうまで、ノエルは真っ直ぐ見つめて見送っていた。




