2 第1話 加速 後編
時間の流れが著しく速くなったことであっという間に暗くなった。
ガタンゴトン、ガタンゴトンと駆けていく電車の明かりが、高架下を怪しく照らしては暗くし、照らしては暗くした。光に照らされた瞬間だけ、悪夢のような光景が夜闇に不気味に浮かんだ。
全身を返り血に染めた女が立っていた。服装からして、今日ゲリラライブを見ていた子供たちを引率していた女性教師だと思われる。小綺麗な衣服の慎ましやかな装飾が同じだった。けれどもうあのときのような人間味は、その魔的に歪んだ表情からはこれっぽっちも感じられない。すっかり中身だけが入れ替わったみたいだった。
彼女の足元は赤色の絵の具をめいっぱいぶちまけたように汚れて、ごろごろと小さく刻まれた肉片も大量に転がっていた。
「こんばんは、坊や。大きく成長した子供は、どんな味がするのかしらねぇ」
「……なるほど」
ギアスは悟った。この辺り一面にぶちまけられた血肉が、あの子供たちのものなのだと。しかしまだ戦闘経験の浅かった時代のように怒りが湧き上がってくることもなく、彼は穏やかなままだった。
「……ギアス」
「大丈夫。ちょっと悪い夢見てるだけだ」
暗闇で見えにくいが、女性教師の両腕が長い触手に変わっていたのがやっと見えた。シフォンはその細長い腕を胴体に巻きつけられ、しっかり抱え込まれていた。精神的にもとてもまともに喋れた状態ではないよう。
よほど恐い思いをしてしばらくは逃げ惑っていたようだ。シフォンの長い茜色の髪はばさつき、着ていた制服は足元へいくほど血で汚れてしまっている。うるうると訴えかけるような目をしていたがギアスの余裕綽綽な声を聞いたら大人しくなった。
化けた女性教師が嘲笑する。
「あら、肝が座ってるじゃない。それとも開き直ってるのかしら?」
「……うちのが世話かけたな。今度からはぐれないようにってよく聞かせておくよ。今日のところは許してやってくれねぇか?」
暗闇でも彼女がむっとしたのが分かった。
「何? そのスカした態度。気に食わないわ。覚悟はできてるのかしら?」
「うるせーんだよ、もう丸腰なんだからさっさと返せ鬱陶しい。もう終わってるからアンタ」
「? ……な!」
「考えてもみろよ。さっきアンタの後ろを走ってった電車、普通のスピードだったろ?」
女は言われてやっと異変に気づき、あっけにとられて空いた口が塞がらないよう。"破壊"という能力を持つギアスは、彼女に遭遇したその瞬間にはもう時間を操るという妖の能力を破壊してしまっていたのである。
ガタンゴトン、ガタンゴトン……。60倍のスピードで駆け抜けていた電車はもういつも通りの速さで高架の上を走り去っていく。シフォンを抱えたまま立ち竦んだ女性教師の間の抜けた顔が照らされては暗くなった。
「ほら、ぼーっと突っ立ってねぇで、さっさと返せって」
「! や、やめ、やめて……」
女の声が恐怖に震えだす。一体何が起きたのか、彼女の体はみるみるうちにさらさらと音を立てて砂に変わりはじめたではないか。
さらさらさら……。砂に変わっていく恐怖にもがくことも、一番最初に足が消されたのでできない。踏みつけられた虫ケラのようにくねくねと無様に蠢きながら死を待つばかりである。
シフォンが捕らえられていたほうの触手も砂になって、彼女は魔の手から解放される。堰を切ったように泣きだしながら一目散に駆け戻ってきた。
「言ったろ、ちょっと悪い夢見てるだけだ」
シフォンはギアスの服を涙で濡らしつつ小さく頷く。
砂に変わっていく妖と化した女性教師を尻目に慰めてやっていると、彼女が何事かをわめきはじめ、ギアスはやはり鬱陶しそうに視線を向けた。
「ったく。ありきたりなセリフがよほど好きみたいだからオレも言ってやるよ。さっきまでの勢いはどうしたんだ?」
「くっ……。くっ、か、から、体が……、私の体が崩れていく。一体、なにをしたの。一体、おまえは……!」
「オレも知らん。そんなのあの世で神様にでも聞け。オレはただアンタの"全てを破壊"しただけだよ。あまりにも弱いからそんなアホみてぇなことが通用するのさ。まったく、ろくに運動にもなりゃしねぇ。一応言っておくが、自業自得だからな」
そのギアスの声が最後まで聞こえていたかは分からない。言い終わる頃には全部砂になっていた。
高架下に静寂が戻った。散々振り回した割にあまりにもあっけない最期である。
ギアスは後に残った砂も消し尽くし、完全に女性教師は消滅した。
あとはシフォンが問題だ。幼い子供たちが次々と、それも原形を留めないほどまでに八つ裂きにされていくところを目の当たりにしてしまったのだから、大変なショックだったろう。ギアスは彼女の頭を撫でてやりつつ、そっと記憶を消してやった。
そうすればシフォンもどうにか泣き止んだが、これからが重要である。最後に"受けたダメージの破壊"をしてやろうとギアスは考えていた。これは既に死んでしまった者に対しては施してやれる場合とやれない場合があり、しかもたった一度だけでめまいがするほどまでに体力を消耗する。一か八かとギアスは変わり果てた子供たちを生き返らせてやろうとし、破壊の属性を全力をかけて発揮。
ギアスが瞳を閉じて念じると、辺りを覆っていた血肉に茜色の雷光が地を這うように迸った。血肉はぶわりと煙に姿を変えてもくもくと舞い上がる。さながら魔法のランプから呼び出した煙がアラジンに姿を変えるように、その大量の煙はあの元気な子供たちの姿へ見事に戻っていった。まったく夢のような出来事だった。不安そうに見つめていたシフォンも嬉しそうに満面の笑みを浮かべ、ギアスに抱きついたまま小動物のようにぴょんぴょん飛び跳ねる。
「よかった! ギアスすごい! みんな生き返ったよ! あ〜、よかった〜!」
「そうだな。やっぱりだいぶ消耗するけど、それでこれなら充分だ」
子供たちはあの女性教師に襲われたことを覚えていないよう。暗闇を怖がってみんなギアスたちのところへ逃げてきた。
けれどかなりの人数いるので、一人一人の家を探して地道に帰していくわけにもいかない。ギアスがどうしようかと悩んでいると、そこへちょうど2台の黒い覆面パトカーがやってきた。
1台目の運転席とその後ろの席の窓が同時に開いて、それぞれ金髪ポニーテールの女性警官と水色髪の爽やかな少年が顔を出した。この街、キサルニアの特殊警官であるクレミアとヒョウガである。
「ああ、やっと見つけました! こんばんはギアスさ——」
「わるいな、クレミア。その挨拶やめてくれ」
「うぇ!? なぜです?」
「今はっ倒した気持ち悪い妖怪女の第一声だったんだよ。だからなんか気持ち悪い」
クレミアはいつもテンションが高い人種だ。そのためにどんなしょうもないことでも話が長くなるクセがあるので、大抵ギアスには会話が成立する前に話を終わらせられてしまう。
クレミアが腐ったところで会話の相手はヒョウガへ。ヒョウガはまだ15という若さだが、飛び級を何度も繰り返して16学年ある学園をたったの7年で卒業してしまった神童であり、その後特殊警察に配属、2年後には殉職した総監の後継者となってしまった驚きの経歴の持ち主だった。
外見こそ仔犬のように可愛らしい目鼻立ちをしているが能力的には番犬どころかもはや猟犬や狼の類だった。
「よう、警視総監殿」
「よう、じゃないですよ。夕方から二人とも行方不明になって大騒ぎだったんですから。世界が再構築されて間もないというのに」
「仕方ねぇだろ? こいつが迷子になってたんだからよ」
ポンポンと頭に触れて示されてふてくされるシフォンをクレミアが苦笑いして見ていた。
とにもかくにも、この二人は迎えに来てくれたに違いない。ならば早く送ってもらおうとギアスは思った。何せ"受けたダメージの破壊"などというかなり無理矢理な破壊の能力の使い方をしたために、流石にふかふかの後部座席が恋しいのだ。けれどそう先を急がずともよかった。
「この子らのことは後続の車の部下に任せましょう。まあそれはともかく、お二人とも早く乗ってください。人間界から、スカイさんとフィジーさんが到着しています。ただ、やはり亞界化のことは知らないようで少々面倒です」




