19 第8話 レインズへ 前編
あれから数日、結局ソニアのことは怒らせっぱなしでギアスは準備を進めた。シフォンの寿命は刻一刻と迫っているのだ。一々些細なことに構ってはいられなかった。
修行先はレインズで決まったが、準備は少々面倒だった。年中、それも四六時中大雨が降り続ける異常気象の国であり、道路はもはや川を成し、交通手段は屋根付きの船か潜水艦が推奨される。つまりレインズまでは車などで移動し、そこから船か潜水艦に乗り換えなのだ。けれど、これが運のいいことにスカイが水陸両用車を出してくれることになった。
レインズをさらに北へ行ったところ、人間界でいうところのスウェーデンとノルウェーの南部に位置するスカイズという国がスカイの活動拠点であり、水陸両用車はそこに置いてあるというのでわざわざ持って来てもらった。
こうして2日間かけて出発の準備が整ったのだが、ここでシフォンは夏休みまでもう少しあるのでキサルニアに残り、学校へ行くと言い出した。
「おいおい、何でだよ。一応オレたちはこのキサルニアの王の保護下にあるんだから、一言言ってもらえば学校くらい何とでもなるんだぞ? シフォンも付いてこいよ」
「ふんっ。ギアスなんかしーらないっ」
城の周囲を囲む草原の真ん中でシフォンはぷっくりと頬を膨らませてそっぽを向く。ギアスは眉を歪めて困ってしまった。
「もうスカイもフィジーも用意できてるんだし、付いてこないと独りぼっちで寂しいぞ?」
「独りぼっちじゃないもん。学園に行けば友達いるもん。寮だからコワくないし」
1年も一緒にいて、シフォンが怒っているところを見たのはこれが初めてだった。
シフォンは日曜なのに可愛らしい学園の制服を着て、全身でキサルニアに残る主張をしていた。
「何怒ってるんだ?」
「だって、ギアス悪いんだもん。ソニア先生怒らせっぱなしだし、お店のお姉さんのことだって、何とも思ってないみたい。どうしちゃったの?」
「……そういうことか。忙しいんだよ。やることだらけだからな。仕方ないんだ」
「仕方ないなんて……。もう! 絶対行かない! ふんっだ」
「お、おい待てシフォン!」
シフォンはますます腹を立て、ててててっと城へ駆けていってしまう。あっという間に中に入ってしまった。
さらさらさら、と初夏の涼しい風が吹いて草原に波を立てていく。無駄な清々しさに余計イライラした。
(くそ、シフォンにイライラするんじゃない。……まったく、確かに、どうかしてるかもな)
ふう、とため息をつき、ギアスは城を見上げた。しばらく待ってみてもシフォンが出てくる気配がない。甘えん坊のシフォンがこれだけの態度を取るとは相当なことだった。
《付いてこないと独りぼっちで寂しいぞ?》
寂しいのは、ギアスのほうだった。全てシフォンのためだというのに、どうしてこんな目に遭わなくてはいけないのか……。
「ギアス、そろそろ行こう。一応、シフォンちゃんの気が変わらなかったときのことを考えてソニア先生にお願いしといたし、キサルニアに残しても問題ねぇよ」
「……、はあ〜あ」
スカイに急かされ、ギアスはやれやれと両腕を広げて首を振った。
○○○○
結局、シフォンはキサルニアに残しての出発となってしまった。妖との一件の後で念のため持たせていた端末で何度かやり取りしたが、やはりシフォンの気が変わることはなく、キサルニアにUターンすることなくいよいよレインズに入った。
うんざりするような雨雲が空一面を覆い、シャワーのように大量の雨がスカイの水陸両用車の屋根をこれでもかと叩きはじめた。ワイパーはフル稼働でフロントガラスを右へ左へ行ったり来たりし、川と化している車道の両脇に壁のようにそびえ連なる鈍色のビルの群れを見せては隠し、見せては隠していた。
「ああ〜〜、シフォンちゃあ〜〜ん。どうしてあなたはシフォンちゃんなのお〜〜」
「ロミオかお前は」
早くも雨にうんざりしているフィジーにスカイが絡んだ。
「シフォンちゃんがいればなぁ〜、こんな雨でもテンションマックスだったのになぁ〜〜。もう、ギアスが怒らせちゃうから〜」
「……そうだな」
「ん? ギアス、もしかして落ち込んでんのか?」
「うるせぇ」
ギアスは目に見えて落ち込んでいた。降り続く大雨で全くと言っていいほど外の見えない車窓から向こう側をぼんやり見つめたまま早3時間。修行よりシフォンのことで頭がいっぱいになっていた。
「親子ゲンカってお前らでもするんだな」
「ケンカするほど仲がいいんだよ」
ペチッ、パチッ。ギアスは頬を叩いて顔をぶるぶる振った。
「ダメだダメだ。ただでさえ雨で気分悪いのに、これじゃまずい。切り替えよ。無理にでもテンション上げていこう」
「あんま無理すんな」
「そんな素早く諦めさせにかかるな」
スカイは楽しそうに笑って、
「まあ、シフォンちゃんにはキサルニアに残ってもらって良かったかもしれないぞ。最近、この辺では妙な噂があるらしいからな」
「はあ!?」
フィジーが声をあげた。
ギアスもレインズの噂のことなど何も聞いていなかった。スカイの次の言葉を待った。
「この辺の水中には半魚人種って呼ばれてるタイプの妖が住んでるらしいんだけど、最近その数が数日のうちに半分くらいにまで減ったらしいんだ。長い間レインズのウーバスタンドとは対立してたみたいなんだが、生き残った半魚人種たちが匿ってくれって頼みに来たらしい。で、生き残った半魚人種はもうレインズのウーバスタンドに匿われたやつしかいないんだとさ。"仲間がチビに消された"って言ってるらしくて、今は捜査中なんだとよ。ちなみにヒョウガからの情報だ」
「スカイ、まさかそのチビって、スマイルズのことか?」
スマイルズ。それはこの異世界で猛威を振るうメネスの一人のことである。ウーバスタンドの能力は生命力や生命エネルギーと呼ばれるエネルギーをもとに生み出され、炎や雷を操ることができるのだが、稀にこのエネルギーを多く持って生まれることがある。すると、そのエネルギーの高さが成長を阻害し、本来なら20歳前後までの姿には成長できるはずのところが14、15歳程度で止まってしまう、チルディッシュという症状を起こす。スマイルズはその典型であり、子供の姿をしていながら並みのウーバスタンドの何倍もの能力を持つ怪物なのである。
スカイ曰く、詳しいところはまだ分からないが、スマイルズがレインズに潜んでいる可能性はあるだろうということだった。




