11 第5話 仲間
日付けが変わる頃になっても、スカイは眠気すら感じていなかった。
眠気どころか、そもそもまだ寝る気がない。掛け布団を腹の上ではなく背中に敷いて、大の字で天井を見上げていた。
(まさか、アイツがこんなことになるとは……)
ギアスとはつい昨日まで人間界で一緒に人間として、平和に笑い合っていた。それが亞界化のせいで全て狂ってしまった。
いつのまにかギアスは異世界側にいて、そのうえ1年も経験を積んだことになっている。なかなか数時間で理解できることではなかった。
いつかは迎えなくてはならない時期が来るとは分かっていたが、こんな一瞬のうちに展開するとは誰が予想できるものか。しかも未来から来たというギアスの娘のシフォンは、半クローンという問題を抱えている……。まるで、重たい内容の物語を一晩で佳境まで読み進めたようだった。
コンコン……。出し抜けに、控えめなノックが聞こえてきた。
コンコン。また聞こえたと思えば、今度は扉の向こうから声が続いてくる。
「……、スカイ。起きてるでしょ?」
フィジーだった。
スカイは咳払いして、
「ああ。入れよ」
答えるとすぐに、暗い部屋の床にオレンジの光が細い線を引いた。光の線は太くなりながら、体を起こしたスカイとフィジーとを繋ぐ。逆光になってよく見えないが、フィジーはパジャマにしているお気に入りの白のパーカーを着てフードを被り、てるてる坊主みたいだった。けれど、気分は晴れとはいかないらしい。
音を立てないようにそっと部屋に入ってきて、何も言わないまま、スカイのベッドの脇に腰掛ける。月明かりがふんわりと入ってくる窓の前だ。フィジーの背中は月の光に陰った。やはり元気がない。
スカイはどうしたのだろうとフィジーの横顔を見つめ、かける言葉に迷った。朝日に透ける若葉のような生命力溢れるフィジーのグリーンの瞳には薄く涙が浮かんで、月明かりを反射していた。
胸が痛んだ。10年以上もの付き合いだが、フィジーがこんなに辛そうにしているところなんて一度も見たことがなかった。
「……、言いたいことは、分かってる」
しばらくして、やっと言葉をノドの奥からひねり出せた。しかし、だからどうしたというのだろう。次は何を言えばいい。何をしてやれる。スカイは再び困惑した。
フィジーはフードを両手で引っ張り、目元を隠す。けれどとうとう頬に筋を引いた涙は隠せていなかった。
「分かるわけ……、ないんだから。私が、分からないのに。……ゴメン」
「いいよ。続けてくれ」
フィジーは泣き顔を見られるのが嫌だったようで腰を浮かせかけたが、止められてまたベッドに座り直した。心なしかさっきより顔を背けているよう。
「何言いにきたのか分からないままにされたら、気になって眠れない」
「……じゃあ、ギアスたちには言わないで。気にするだろうから」
「分かってる。約束する」
フィジーは袖で涙を拭い、ぼんやりとうつむいた。涙は流しても、必死に堪えていた。ベッドにもっと深く腰掛け、膝を抱えた。
「ギアス、ずっと、独りだったのかな。前はあんな、なんていうか、クールっていうか、静かっていうか、そんなんじゃなくて、もっと元気で、明るかったのに。亞界化前の1年、どうやって過ごしてたんだろう。まるで誰の助けも借りずに、シフォンちゃんのことも、メネスとのことも、色んなこと、全部自分一人で背負いこんで今までやってきたみたいに見えた。……私、怖くて聞けなかった。その1年、私たちとはどう接してたのか。だって……、だって私たちが一緒だったら、あんな悲しそうな人になるわけないじゃん。これから、どうしたらいいんだろう。ただ、ギアスが壊れていくのを見ているしかないようで、嫌だ。亞界化前の、私たちの知らない私たちも、ギアスが変わっていくのを見ているしかなかったみたいに思えて、嫌だ。幼馴染なのにそうやって手をこまねいて見ているのが、まるで私たちの運命みたいに思えて、すごく……、気持ち悪いよ」
「何かしてやりたいって、そりゃオレも思うよ」
気がつけば、フィジーの向こう側の肩を支えていた。彼女の元気のない口調とは反対に、涙は静かに勢いを増して頬を濡らしていた。
「そう、何かしてあげたい。でも、それ以前に受け入れられない。だって、昨日までのギアスと別人なんだもん。私たちにとってはたった1日もあったか分からないくらいのギアスとのブランクが、1年分にもなってるんだもん。もう、色んな感情が込み上げてきて、おかしくなりそう。とにかくショックでさ。これだけ変わられちゃうと、まるで……、まるで前のギアスに死なれたみたいに、悲しくて。……前のギアスに会いたい。今のギアスは、私の知ってるギアスじゃない。どうにか、できないかな」
「多分、どうにもできないんだろうよ」
「え?」
耳を疑った顔でこっちを向いた。喜んだ顔、怒った顔、笑った顔をするところしか見たことがなかったから、フィジーこそ別人のようだった。
「そんな、何言ってるの」
「別に諦めとか、そんなんじゃない。ただ、ギアスはギアスだと思うんだ。今も、亞界化前も。アイツが変わったとか、一人で背負ってるとか……、そりゃ心配だけど、それがアイツのやり方ってこともあるんじゃないか」
「どういうこと?」
「アイツは単純に強がってるんだよ。下手くそに大人ぶって、自分一人で大丈夫だから心配すんな、みたいな態度とって。オレたちにーー」
スカイはフィジーの顔を指差して、
「そういう顔、されたくないんだろうよ」
「……嫌だ」
涙は女の武器というが、純粋なフィジーはそんなもの持ち合わせていない。堪え切れなくて仕方なく涙だけ見せても、表情はどうにかポーカーフェイスに堪えていた。しかしもう、涙だけとはいかなくなり、とうとう泣きわめく赤ん坊のようにしゅう、ぅ、と小さな顔を悲しそうに歪めてしまった。
「そんなの、嫌だよ。ギアスが遠くに行っちゃうの見てろって言うの?」
「ああ。笑って見てろって言うんだ。それが、今のオレたちにできることじゃないか?」
フィジーははっとして瞳を大きくする。はあぁ、ぁ、と、深いため息をついた。
「……、そっか、そっか。ギアスは、私たちには側にいて欲しいだけなんだ。いつもの賑やかな友達でいてくれればそれでいい、ってとこかな。ギアス、変わってないや。なんて、勝手なヤツなんだろう。結局こんな思いさせといて、そりゃないよ。こっちは寂しくて、心配で、たまらないのに」
フィジーは抱えた膝に顔を埋めて丸まった。ますます流れ出す涙を隠すように。
彼女は自分の部屋へ戻るのを忘れていたようだ。スカイが気を使ってそっとしていたら、寝息を立て始めた。
仕方なくベッドは譲り、自分は床に転がる。絨毯もふかふかなのでそれほど悪くはなかった。
再び、天井を見上げた。スカイもフィジーに同感だったが、気丈にしていようと思いながら、眠りに就いた。




