魔王顕現!……と暫時対応
4月 光の2の日 11時52分魔王が顕現した。
世界中の人間の頭の中に声が響く。
「我は魔王。世の混沌をもたらすもの。我は顕現せり。」
ブラッド・ノエルはその時ちょうど自宅で眠っていた。
イスタブルの南西にある貴族区にあるノエル家はアレクサンドリア国内の下級貴族である。
別の仕事をしなければならないほど困窮しているかと言われればそんなことはなく、足しげく王城に通うほど中央に近いかと言われればそんなことはなく。そんな貴族の3男坊。それがブラッド・ノエルである。
強制的に目覚めさせられた挙句頭に響く邪悪な声。おー…この世の終わりっぽい、ブラッドはそう思い、寝た。
ブラッドは特別睡眠に思い入れがあるわけでは無い。
睡眠をこよなく愛し、いつも眠たそう、もしくは眠っているのに、起きている時に尋常ならざる力を出すタイプ……ではない。
なぜブラッドがこんなに睡眠を欲しているかと言えば、エスキュール教授から許容量以上の課題を出され、その課題に深夜まで取り組んでいたためである。
なぜ許容量以上の課題を出されているかについては後述するが、エスキュール教授が彼に対して抱いている期待は並々ならぬものであることが伺えよう。
午前中に魔法学科で講義を受け、午後にはエスカ老師のもとで魔法の修行、帰ってからは教授からの課題である。それが1週間の内6日続くのである。
こんな生活が4年以上も続いているため、ブラッドは光の日くらいは昼まで寝ていてもいいんじゃないかと思っていた。
あと5分。正確に言うとあと8分寝かせてくれてもいいんじゃないかと。
そんなブラッドはさておき。
世界は混乱する。魔王が現れるのは1000年ぶりである。「1000年前に現れたらしいよー」くらいにしか伝えられていない。
どんなことが起こるのかさっぱりわからないのであるが、自らが魔王と名乗った以上、混沌をもたらすとか言っちゃってる以上ろくなものではないだろう。
アレクサンドリア王は至急、歴史学の権威であるヒトリウス-シークワルドを召還し、魔王についての情報を集め始めた。
そんな便利な魔方陣が王城とシークワルド家を繋いでいたかと言うとそういうわけでは無く、単に呼ばれて王城へ出向いたまでのことである。
そんな混乱の中、イスタブル上空に翼を生やした悪魔が現れる。
後にレッサーデーモンと呼ばれるそれらは、その手から魔法を放ち町を攻撃し始めたのだ。
それを目撃した衛兵および住人の驚きは大変なものであった。どう見ても魔方陣を使用していないからだ。この世の魔法は全て魔方陣の行使によって発現する。そんな常識が打ち破られたのである。
恐ろしい悪魔が町を蹂躙し尽くすかに思われたが、現れたレッサーデーモンの数は非常に少なく、衛兵と王国騎士団の手によって即座に殲滅された。
※※※
王城内では十数人が座れる大テーブルに、イスタブル近郊の主要な貴族が集まっていた。
そのテーブルを見渡す玉座にいるのは当代のアレクサンドリア10世である。
宰相だけは椅子に腰かけず王の横に立っている。
「ヒトリウス、魔王とはなんなのじゃ」
「魔王とは混沌をもたらすものだと伝えられております。」
「それはさっき魔王本人が言っておったわ!他には無いのか!」
「まぁまぁ、落ち着け」
激昂しているスタンバ宰相をなだめながら、アレクサンドリア10世はヒトリウスに尋ねる。
「1000年前にも魔王は現れたと聞いておるが、1000年前には何が起きたのじゃ」
「1000年前、魔王が現れる前にあった国は全て滅び、すべての知識は燃やされ、すべての武具は壊されたと伝えられております。この知識というのは書物であり賢人であると、また武具というのは武器であり武人を指すと解釈されております。」
「わかった。魔王はそういった存在なのだな。倒すべき存在であり、強大な存在であると」
「その通りでございます。陛下」
「して、その1000年前の魔王はどうやって倒されたのだ」
「幾人かの勇者達が少数精鋭にて魔王を打ち破ったと伝えられております。」
「勇者とはまぁ、絵物語のようなものが本当にいるのか?」
「この平穏な時代に勇者と言われましても私にはわかりません。ただ、勇者には万人が見ても勇者であるという証があったそうです。」
「その証とはなんじゃ?」
「その証がなんであったかについてまでは伝わっておりませぬ。」
「うむ……困ったものだな。」
「ではまず勇者を募りましょう。証を持って勇者と名乗り出たものを国を挙げて支援するというのはどうでしょう。」
スタンバ宰相が提案すると王はしばらく考え込み
「そうじゃな。何もしないよりは良いし、デメリットも無い。自由連合に勇者を囲われるのも厄介であるから、その案で行くとするか」
「ただ、どうやってその証が本物であるか調べるのじゃ?」
「……」
どうやら宰相はそこまで考えてはいなかったようである。
この国に勇者しか抜けない剣であるとか、勇者しか履けないガラスの靴であるとか、勇者のみが使える雷撃の魔法であるとかが有れば良かったかもしれないがそんなものは聞いたことも無い。
「ありますぞ!」
ヒトリウスが声を上げた
「そういえば、数年前に山の中腹で新しい迷宮が発見されました。」
「ゼピュロス迷宮か!」
宰相もここぞとばかりに声をあげる。
「そうです。その迷宮についてクラウス学園のエスキュール教授が調査をしておるのですが、洞窟最奥部に装飾艶やかな剣があり、また都合よく岩に刺さったまま抜けないままであるそうです。」
「いや待て、その報告は聞いておる。その剣が発見された際におぬしに『伝説の聖剣ではないか?』と尋ねたところ、『そのような伝承はありませぬ』と即答したではないか」
「私とて、この世界のすべての歴史に通じているわけではありません。実は聖剣の可能性も……」
「そのまさかがひょっとするってこと?」
スタンバ宰相とヒトリウスの会話に王が割り込む。
「陛下その通りでございます。」
「いやでも、ただの剣だった場合、勇者でも無い人間が抜いてしまう可能性もあるじゃろう?」
「そうなればその者を勇者として魔王討伐に送り出せば良いのではないでしょうか。だいたいにしてこれまで調査に同行したいかなる剛の者でも抜けないのだから、それを抜ける剛力のものであるならば魔王討伐に最も近い者と言っても過言でないのでは?」
「ふむ。うーむ。だがしかし、その勇者でないものが魔王討伐に行き魔王に敗れた場合どうなるのだ?国民は混乱せぬか?」
「陛下のご心配は尤もでございます。されど、なんの希望も無いよりは微かでもひと時でも希望があったほうが良いのではないのでしょうか?放っておけば今のままでも暴動が起きかねませんし。」
「ふむ。では逆に剣を抜けるものが出なかった場合どうなるのじゃ?」
「そうなった場合は騎士団内か宮廷魔術師内で最も強い者を勇者として送り込みましょう。本来ならば最初に出向かなければならない兵力ですし、敗れるようであれば、やはりこの国には蹂躙されてしまうわけですから、まずは聖剣で濁すというのもありでしょう。」
「蹂躙とは……うーむそうなるのか。」
王がそう呟いたとき、宰相、教授、王以外からの声が初めて上がる
「いやいや、それならば我が息子を勇者として魔王討伐に」
「なにっ!そういうことなら我が息子は千人長であるからして、より勇者にふさわしいぞ」
「いやいや私の息子など剣のみならず魔法も達者である。勇者というのは剣も魔法も使えての勇者ではないのか?」
貴族達は自分の家から勇者が出れば、家は安泰、それどころか権力の中枢に近づけるのではないかと皆自家の長子では無い者を推薦する。
「まぁまぁ落ち着け皆の者。剣を抜けるものが出なかった場合はまた合議を行えば良い。それにそれほど剛の者がいるのであれば剣を抜くことに挑戦してみてはどうじゃ」
「抜ければ勇者として魔王討伐じゃ。そなたらはこれから出す募集よりも早くこの情報を知っているわけだから、急いで抜きに行かせれば良い。」
王の言葉に一同は静まる。
「ところで王国としての挙兵はしなくて良いのか?」
「自由連合との連携を取る必要も出てきますし、北方がどう動くかわかりません。もっと言えばどこに魔王がいるかわからないこの状態では挙兵のしようがありません。挙兵するにしても準備や調査が必要でございます。ここは先立達に倣って少数精鋭で……」
「よし、では一時的に勇者の募集をかけるということは決定じゃ。期限はふた月。ひと月もあればこの国の隅まで情報が届くであろう?ふた月経って勇者が現れなければ、合議による勇者選出および、アレクサンドリアからの挙兵じゃ」
「はっ。ではその間に魔王の情報を出来る限り収集いたします。」
こうしてアレクサンドリア城で重要な決定が成された。
少数精鋭の勇者パーティによる魔王討伐プロジェクトが開始されたである。
そのプロジェクトに確実に巻き込まれる。いや既に巻き込まれているからこその主人公である。
ブラッド・ノエルが朝食兼昼食として、ベーコンエッグを焼きその一口目で口から零れ落ちた卵の黄身が彼のズボンを汚した時、
彼が先週買ったばかりの白いズボンについた黄色いシミに激しく狼狽していた時、
そんな大事な決定が成されたのだ。
続く




