依頼達成!……と枯渇昏倒
【7月 火の1の日】
アセプトは開いた口が閉まらなかった。
Eランク冒険者で、これまで薬草採取の依頼しかこなしていなかった若者が、スロウエイプの討伐報酬を受け取りにきたのだ。
しかも、その若者は、魔術師で、ひとりで、不光の森に行き、スロウエイプを倒してきたというのだ。
スロウエイプは群れで生活する魔物であり、その討伐には数10人単位の人間が必要となる。
例えDランクの冒険者パーティであっても、複数パーティが合同であたるような依頼だ。ソロでとなればBランクの依頼である。
その、スロウエイプの特定部位を、自分の前に座っている魔術師の青年が持って来たのだ。
「やぁ、アセプト。ごきげんよう」
「あら、いらっしゃい。ブラッド。昨日の今日でここに来ているということは考え直してくれたみたいね」
アセプトがいつもの営業スマイルでそう応える。
「いや、考え直すも何も、今、魔物を倒してきたところさ」
ブラッドは胸を張り、アセプトに自慢げな顔を見せる。
昨日、力こぶを見せたときと同じ顔である。
「あら、そう。ランドタートルでも倒してきたのかしら?」
ランドタートルというのは町の壁周辺にいる魔物である。
もともと亀だったため、背中には並の刃物では通らない固い甲羅を背負っている。
ただ、狂暴化してはいるのだが、何分動きが遅く、はいはいしている赤子くらいのスピードでしか動けない。
もちろん、巨大化もしているため、その巨躯によって体当たりされればそれなりのダメージを食らうのであるが、はいはいくらいのスピードで来るものを避けられない冒険者は、まずいない。
本来、甲羅の中に入るという防御姿勢を持っているはずなのだが、狂暴化によりその姿勢を取ることは無い。
強化された甲羅を持って防御姿勢を取ろうものなら、その討伐難易度は上がるのだろうが、ランドタートルは体当たりに今後の活を見出しているようだ。
ただ、牙も爪もあるため、それなりに危険ではある。いきなり襲いかかられれば命を落とす可能性も無きにしも非ずだ。
魔物出現当初、この鉄にも劣らない硬度の甲羅は盾の代わりになるとランドタートル狩りが大々的に行われたらしい。
しかし、形状に癖があり、加工も難しいことから、既に供給が需要を上回っている状態である。
倒し方は至って簡単。
その打ちごろな頭を、打つなり、斬るなりするのである。
長柄の武器を持つ者ならば簡単に討伐できる。逆に武闘家やナイフなどの近接武器使用者は討伐は難しいかもしれないが、勝てないのならば、敢えて戦わず逃げるのが常道であろう。
「いや、スロウエイプさ」
そう言ってブラッドは討伐部位箱、カウンター脇に置かれている討伐部位を入れるために存在する浅い箱にスロウエイプの耳を置く。
「いや、スロウエイプさ。 ってスロウエイプなんか討伐できる訳……」
と言いかけたアセプトの目の前には、確かにサルっぽい耳が置かれている。
魔物駆逐依頼が始まってまだ数か月であるため、すべての特定部位について完璧に鑑定できるわけでは無いが、確かにスロウエイプのそれに似ている。
というかそうとしか見えない。
「確かにスロウエイプの耳っぽく見えるけど。どうしたの?」
「どうしたのって何さ。討伐してきたんだよ?不光の森で」
「誰と?」
「ひとりで」
「まさか、冗談はいいわよ」
「本当にひとりで倒したんだって」
しばらく口を開けて見ていたアセプトは、まさかそんなと思い直しこう言った。
「だいたいスロウエイプは群れで暮らしているの。1匹だけで現れることは無いわ」
「確かに群れてたっぽい」
「そんな群れていたスロウエイプを1匹だけ倒して、特定部位を切り取って帰ってきたっていうの?それとも、ひとりで群れすべてを殲滅したとでも言うつもり?」
「いや、倒したのは1匹だけだな」
「ほら、じゃぁその耳を切り取っている間、他のスロウエイプは黙って見ていたっていうの?だいたい、1匹だとしてもどうやって倒したの?」
「まぁ、色々な幸運が重なって、1匹は倒した。で、その頭を持って、猛ダッシュで逃げた」
信じられない。
ちょっとは仲良くなったと思っていたブラッドが、こんな子供みたいな嘘を付くとは……
アセプトはちょっとだけガッカリしながら再度尋ねる。
「……色々な幸運っていうのは?」
「えーと……障壁……盾みたいなのを持っていて、そこに上から飛び掛かってきたサルが上手いこと当たって……首が落ちた?」
「首が落ちた?じゃないわよ。そんなので落ちる訳ないでしょう」
「いやー本当にそうなんだって。なんていうか……なんて言ったらいんだろうね?」
「私に聞かれても、わからないわよ。じゃぁ、他のスロウエイプ達は?その幸運が何度も続いたのかしら?」
「いや、たぶん。ビビッて近づいてこなかったんだと思う」
「ビビった?あなたに?スロウエイプが?」
「……」
「ブラッド、悪いことは言わないわ。正直に言いなさい。誰かから買ったのか、何処かで拾ったのか知らないけど、自分で倒して初めて経験になるのよ」
「……」
「いいじゃない。今はそんなひょろひょろのカリッカリだけれども、これまでのように鍛錬を重ねれば、きっと立派な冒険者になるはずよ」
「……」
「私だって、あなたが頑張って来たのは見ていたのよ。だから大丈夫。そんなに焦らなくてもいいのよ」
「……」
「まずは体力作り。依頼をこなせる体を作って、身長だって特別低いわけじゃないんだから、大丈夫、それなりに見られるようになるわ。そうしたら、何処かのパーティに入って……」
「……」
慰められている。そして励まされている。
おかしいな。
ブラッド!あなた凄い魔術師だったのね!ってなると思ってたのにな。
「いや、アセプト違うんだ。なんていうか本当に……」
「あっ!もしかして誰かに強化魔法かけてもらってから行ったの?」
ブラッドが既にこの不毛なやり取りに飽きはじめていたというのもある。
もういっそ嘘つきましたって言った方が楽なんじゃないかと。
「うーん……そういうことにしとうこうかな……」
あーこれが冤罪事件で自白する人間の心境なのかと考え始めたときに、それでもマシな話が出てきたため、つい肯定してしまった。
もう無理だ。これ以上、説得できる気がしない。
「そう。ならごめんなさい。疑ってしまって。でも、やっぱり強化魔法を使用してというのは自力とは言い難いわね」
「あー。うん。そうだね」
「あっ でもすごいわ。ひとりで……ひとりっていうのは本当?」
「あ、あぁ。それは本当だよ」
「そう、一人であの森に行っただけでも勇気があるわよ」
「あぁ。そうだね。えーと。あれだよ。自分の魔法の実力を試しに行ったら、運よく勝手に相手が自滅しちゃってさ。そういえば俺なんにもしてないね……」
「そう。そうね、実力を試すというのは大事ね。でもスロウエイプはダメよ。次から見かけたら逃げるのよ」
「次からってことは、依頼受けられるのか?」
お、ついに俺も討伐依頼受けられるのか?
と思ったが、即座に否定される。
「まだ、先の話だけどね」
そう、ですよね。
あーそうなるよなー。
どうやったら認められるのかと考えてみたけれど、やっぱりあれだね。
スロウエイプが強すぎるんだね。
俺が倒したって信じてもらえない。これは恐らくアセプトだけでは無いだろう。
実際ここで、障壁の魔法を使うっていうのも手だけど……
あぁそうすれば良いのか!
小さな障壁を作って見せればいい。そうすれば信じてもらえるのでは?
「あ アセプト、あのちょっと、これ見てよ!」
ブラッドは両手の指を器用に動かし始める。
眼前の中空に魔方陣を記述していくのだ。
不光の森と同様の障壁の魔方陣を記述、そして完成した魔方陣に魔力を注入し始めたブラッドは……その場で昏倒した。
※※※
アセプトは、また開いた口が塞がらない。
ちょっと見てよと言った青年が、なにか空中をマッサージするような、素振りを見せた後、いきなり倒れたのだ。
すぐに他のギルド職員を呼び医務室に運んでもらう。
「この子はいったい何がしたかったのかしら……」
アセプトが蔑み、いや憐みの目を向ける。
やがて目が覚めたブラッドは、アセプトが既に仕事を終え帰宅していることを知ると、医務室を借りたことへの感謝を、そばにいたギルド職員に述べ、そそくさと帰宅したのである。
魔力枯渇一歩手前であったブラッドは魔法起動に必要な魔力が足りず全魔力を使い果たし、昏倒した。
熟練の魔法使いであれば自分の残存魔力量を把握するものであるが、やはりブラッドにはそこまでの熟練の技術は無かったのである。
というか枯渇寸前だったことを忘れていた。
※※※
「あー……ひさしぶりに昏倒してしまった」
家に帰ったブラッドは自室に飛び込むと、ベッドの上に座り、一人ごちている。
とりあえず。座っていた良かった。と、とにかく失禁しなくて良かった。
魔術師はある意味、昏倒慣れしている。魔力量を計る際にほぼ必ず昏倒するからである。
だが、その際には倒れて頭を打たないよう細心の配慮をするし、失禁しないように、しても少量で済むように水分摂取制限も行ってから行う。
なんにせよ、昏倒としたとはいえ、そこまでの醜態を晒さずに済んだことは幸運であると言えよう。
ただ、そんな魔力が最後の一滴状態だったことに気づかなかったことに反省だな。
全然気にしてなかった。
確かに消滅の魔法を全開で使用したが……よく考えればあの場で昏倒していた可能性すらあるな。
次からは気を付けよう。
ブラッドの描く魔方陣は他人からは見えないため、アセプトから見れば手をめちゃくちゃに動かしていたようにしか見えなったであろう。
せめて、魔方陣を描いていたと認識してもらえればまだ良かったのだろうけど、無理だろうな。
なんだよ老師ー、もっと普及させてくれよー、マイナーすぎるよー
魔方陣を中空に描くというのは魔力の直接利用を行っているということである。
人間は魔力を火球に変えることはできないし、魔力から水を作り出すこともできない。
魔方陣を通じて魔力を神に供することで、魔法が発現するのだ。
ただ、魔力というものは存在しているし、その魔力を用いてなんらかの形を創るということはできる。
魔力形状化といい、それを研究している学問の事を、魔力形状化学というのだが、どマイナーな分野である。
まず、魔力形状化自体にメリットが無いからだ、魔力の塊を相手にぶつけるよりも、その魔力を用いて魔法としたほうが威力は大きくなる。
良く使用する魔法であれば符にしておけばいいし、突発的に魔力を形状化させなきゃいけない状況というのはなかなか訪れない。
よって、魔力形状化という技術は廃れてしまっている。
イスタブルでそれを唯一研究し続けていたのがエスカ老師という変わり者だ。
以前は学園の教授だったらしいが、今では町の外れに庵を構え、一人でひっそりと……まだ研究を続けている。
ブラッドは、そのエスカ老師の元で魔力形状化を学び、魔力によって魔方陣を描く術を身に着けている。
普通の魔術師はそんなことはしない。
必要に応じて、筆と紙を用いて魔方陣を描けばいい。
わざわざ魔方陣を描くために貴重な魔力を使用する必要は無いのだ。
ブラッドは傍目から見ればとても無駄な、奇特な魔術師であると言えよう。
ブラッドはその両手のすべての指を使用して魔方陣を描くことができる。
ほんとに、傍目には空中マッサージであろう。
あの、揉むぞー揉むぞーという手付きに似ている。女性の前でやってはいけない手つきである。
その手つきを、うっかりテンションが上がってアセプトの前でやってしまった挙句に昏倒とは。
次からどんな顔をしてアセプトに会えば良いのか……
ブラッドは恋する乙女の様に枕に顔をうずめた。
続く