第一章:学園迷宮
「あ? いまお前、何て言った?」
恐ろしく低い声が僕を射抜いた。
汗ばんだ両の拳をきつく握り、僕はもう一度、同じ言葉を繰り返す。
「あ、あのっ……、やめてあげて、下さい。その人、い……嫌がってますよ」
声の節々はみっともなく震えていた。現に両膝もぶるぶる笑っている。
対峙しているのは3人の上級生、だと思う。同学年には覚えのない顔だった。彼らに囲まれるようにして、1人の少年。こちらは下級生かもしれない。すがるような視線を受けて、僕は折れかけた意志を強く持ち直した。
僕の通う真賀詰学園には体育倉庫と呼ばれる場所が2つあって、その内の“第2体育倉庫”は滅多に人が寄り付かない。日当たりも悪いし校舎からもやや距離がある。生徒はおろか教員すら好んで近づかないこの場所を、体よく溜まり場にする人たちがいるーー
「“やめてあげて”ー、だって。カッコいいねえ。キミ、こいつの知り合い?」
金に染め上げた髪を掻き上げ、1人の男が近づいてくる。恐らくこの人が主犯、リーダー格。
「なんか勘違いしてない? 俺らはただ、こいつにちょっと金、借りようとしてただけだよ」
それってただの恐喝じゃないかーー言いかけた言葉を寸前で飲み込む。
「でさあ、結局なに? やめなかったらどうすんの?」
力強い腕が伸び、僕の襟元を掴む。そのままぐい、と引っ張られて、険のある顔が超倍率。全身から一気に冷や汗が吹き出した。
「おっ、お金が欲しいならそのっ。アルバイトとか……どう、でしょう?」
恐る恐る告げた瞬間、3人の口からどっと笑声が上がった。
「アルバイト、アルバイトしろだって。ヤバイわ、こんなん笑うわ」
「見た感じこいつ、1年か2年だろ。後輩に諭されるとか人生初じゃね」
一見してにこやかに笑っているけれど、彼らに改心した様子は微塵もない。つり上がった口元からは悪意が滴っている。
「まずい」と思った瞬間、僕の腹部に拳が刺さった。迷いのない、喧嘩慣れした一撃だった。あまりの痛みに膝が折れ、咳き込みながらその場に倒れる。
「あんま舐めてンじゃねぇぞ、チビ。ヒーロー気取って何様だ、あァ?」
“ヒーロー”、その単語だけが明瞭に鼓膜を打つ。追ってもう一発、容赦のない蹴りがやって来た。
「弱っちぃくせしてでしゃばりやがって。うざってーな」
一瞬の呼吸困難、咳き込む暇もない追撃。昼に食べたもの全部、今にも戻しそうな痛みだ。
「も、もうやめて下さいっ。お金、お金ならあげますからっ」
泣き出しそうな下級生の声と、「最初からそうしろ」と笑う下卑た声が響いた。
ちかちかと瞬く視界に映るのは、あまりに理不尽な略奪。胸の奥がざわついた。“許せない”ーー明確な怒りが意識を灼く。
「…………っ」
震える手を伸ばし、金髪の足首を掴む。これだけ殴られれば覚悟も決まるというもの。
「……んだァ、その目はよォ?」
名も知らない上級生は苛立ちも露に言った。振り上げた拳は数秒後、言うまでもなく僕を襲うだろう。
「やめとけ亮! さすがにこれ以上はやべーって」
「うっせぇな! こいつ、なんかムカつくんだよ!」
取り巻きの制止も無視して、亮と呼ばれたヤンキーは僕の頬を殴り付けた。ばきっと鈍い音。ひときわ強い衝撃とともに激痛が走る。
僕は痛みに呻きながらーーだけど強く、上級生たちを睨み付けた。
「こいつ……っ!」
さらなる追い討ちがやってくるーー覚悟を決めて歯を食い縛った、瞬間だった。金髪の頭に突如“飛んできた上履き”が命中した。「いでっ」と苦悶の声が聞こえたのと同時、颯爽と現れる影がひとつ。
「お前ら、俺の親友になにしてやがる!」
180センチ超えの長身。端正な顔立ち。部活動で鍛えたらしい、逞しい四肢。彼はそう、僕の憧れーー
「やべえ、元だ! 逃げるぞ!」
取り巻きの1人が青い顔で叫んだ。亮という名のヤンキーも明らかに動揺している。
「くそがっ……! オイお前、覚えてろよ」
お決まりの捨て台詞と舌打ちを残し、3人の不良集団は脱兎の如く逃げ出した。
「待てコラ! 逃げるなお前らっ!」
「良いよ。もう放っておこう」
その後を追いかけようとする“ヒーロー”、もとい元勇人を引き留める。
勇人は納得いかない様子で、けれど不安そうに僕を除き込んだ。
「随分とやられたな。平気か?」
「なんとかね。勇人が来てくれなかったら、さすがに危なかったけど。……いてて」
頬とお腹に手を添えながら、僕はふらふらと立ち上がった。




