最終話.アフタープロローグ
「本題?」
ラファエルがおうむ返しにすると、向かいのソファーに座っていた絶世の美女は何故立ち上がった。不思議に思いながら呆けていると、返って来たのは驚愕の答えだ。
「はい。今日わたくしはラファエル様の寵愛賜りたいのです」
――寵愛――
ラファエルは言葉を失なった。彼とて男である。顔と地位にすり寄って来る女に全く手を出さなかったわけではない。経験がないわけではないが、何しろ相手はレアンドラ。十人が十人美女と称する美女である。今まで相手にしていた未亡人や玄人とはわけが違う。
更には、レアンドラは一ヶ月前まで公爵令嬢で婚約者の居た女なのだ。噂を広めず火遊びなど出来る筈はなく、彼女が経験豊富ということはまずあり得ない。初めてである可能性がかなり高い。
なのに、なのにレアンドラは服を脱ぎ捨てている。ラファエルが茫然と見ているしか出来なかったのは仕方のないことではあった。ただ、レアンドラの誘惑はまだまだ続いている。呆けている場合ではない。
「ラファエル様。わたくしに貴方を下さいませ。貴方の子を頂きたいのです」
「何を言って……」
ラファエルにはマリアが居る。当然断るべきだ。しかし、真剣な懇願に、徐々に見えて行く肌に、ラファエルの思考と視線が奪われて行く。
「マリア様が不誠実な方なのはご存知でしょう?」
下着一枚になったレアンドラが一歩一歩徐々にラファエルへと近付いて来る。なんとか目を逸らそうとするが、そこは齢十八の男。目の前の女の裸体を視界の外に置くことなど出来はしない。
「……それとこれとは……」
マリアが清廉潔白な女でないことはラファエルも知っている。だからと言って彼も裏切って良いかと言えばそうでもない。実のところ、落胤であることが証明されたマリアより出自に疑いを掛けられているラファエルの方が立場が弱いのだ。
「今のわたくしは罪人。公爵令嬢ではありません。問題にはなりませんわ」
レアンドラは片手でラファエルの頬に触れ嬉しそうに微笑んだ。初めて見るような優しい笑みにラファエルの心が揺れ始める。
「誰にも告げたり致しませんわ。今夜のことは二人だけの秘密です」
「子が出来なければ側室を持たねばならぬ身だ。無理に秘密にすることもないが……いや、マリアに知られるわけにはいかない。やはりこんなこと出来な――――」
「ラファエル様」
拒絶しようとした男の名を呼びその碧い瞳をじっと覗き込む女。その両手はゆっくりと男の首の後ろへと回された。二人顔は鼻と鼻がぶつかる程近い。
「女にはとても勇気がいることなのです。お分かりでしょう?」
「私で良いのか?」
「ラファエル様でなくては困ります」
少し動いたら口付けてしまうような距離で話しながら、レアンドラはソファーに腰掛けたままのラファエルの膝に股がった。
「私にはマリアが居る」
「マリア様には何人もいらっしゃいますがわたくしにはラファエル様一人しかおりません」
更に身体を寄せた女は両手を男の肩にそっと置きその首に顔を埋めて行く。男の肌に女の吐息が掛かった。
「止めろレアンドラ。それだけはっ」
勘弁して欲しい。そう告げられる前に、脇の下から背中に両腕を回したレアンドラは、ラファエルにギュッと抱き付き胸と胸とを密着させた。
――まずい――
まるで幼子がするようにピッタリと抱き付いた彼女をもて余した彼は、遂に意識してしまった。いつもより高いだろうその体温、女らしいその柔らかさ、いつもとは全く違う淫靡なその匂い。ラファエルの男が反応してしまったのは致し方ないことだ。
ただ、生理現象だから仕方がないで終わらせられる状況ではない。密着している彼女にもそれが伝わっているのだから。
「……何故こんなことを?」
ラファエルはそれを知りたかったわけではない。このまま流されること避ける為だけに思い付いた質問をしただけである。しかし、それが致命的な失敗となった。
「わたくしは生娘ではございません」
「なに!?」
驚いたラファエルだが、これはラファエルの気持ちを楽にするための嘘だと考えた。貴族令嬢の見本のようなレアンドラがそんなことをする筈がない。婚約者を裏切るような真似を彼女がするわけがないと。
だが、彼女が次に放った言葉はラファエルは此処まで辛うじて繋ぎ止めていたモノを吹き飛ばすこととなる。
「わたくしの純潔を奪ったのは、一番身近に居た血縁者です。わたくしの意思に反して……」
レアンドラのこの言葉に偽りは無い。あるのは誤解を生じさせる計算だけだ。
事実、彼女の純潔は血縁者によって無理矢理奪われた。書面上の血縁者によって、僅か十四の時に。信頼を寄せていたその人物の裏切りは彼女のその後の人生に多大な影響を及ぼしている。今までも、そしてこれからも。
それは兎も角、ラファエルが想像したのは当然別の人物だ。彼にしてみれば、レアンドラの身近に居た血縁者、しかも男など非常に限られている。一人しか思い浮かばない。真実とは全く違う人物を思い浮かべたラファエルだが、彼は怒りを通り越して憎悪を覚えていた。
――父親が娘を――
ラファエルの感情はレアンドラの思惑通りに動いていた。情欲とは全く別の感情ではあるが、彼が自らの衝動を抑えられなくなったことに変わりはない。
「レアンドラ。君は……」
「ラファエル様」
見詰め合った二人は、
「忘れさせて下さいませ」
深く深く口付けた。
レアンドラが賭けた一世一代の奇跡。彼女がそれに勝ったと確信したのはこれから約一年後のことである。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「え!? 元のゲームが手に入ったの? 凄い!」
「良く見付けたね。高かったんじゃないの?」
あれ? これは……。
「相変わらず興味なさそう」
「そんなことないよ」
「嵌まったモノの値段なんか気にしないでしょう?」
「そーだよ。なんにも考えずにバイト代つぎ込んじゃうじゃん」
夢だ。久しぶりの前世の夢だ。
「そんなことより、元のゲームってどれぐらい違うの? レオンハルトの声違う?」
「同人ゲームだもん。声は入ってないよ。そもそもレオンハルト居ないし」
「なーんだ」
「レオンハルト居ないなら逆ハー簡単だね」
うん。マリア様も簡単に攻略してた。
「あーそーだねぇ。まだそこまで行ってないけど」
「簡単かはどうでもよくない? シナリオの方が大事だよ」
「うん。いまいちだもんね逆ハー」
「まーねぇ。あ、そう言えば元のゲームの逆ハーエンドって逆ハーエンドじゃないらしいよ」
逆ハーエンドが逆ハーエンドじゃない? なにそれ?
「じゃあなんなの?」
「トゥルーエンド」
・・・
あれ? 今前世の夢を見てたのに……ダメですね。思い出せません。まあ今さら前世を思い出した所で意味はありません。ゲームが終わったのは十年も前なんですから。
「起きたのかエリミア?」
「ん、うん」
目を開けるとそこにあったのは見慣れた夫の顔、ではなく、
「レアラ様? ……何故此処に?」
王都に出て来てはいけない人の顔でした。
「レアラではなくてレアンドラよ」
「え!!?」
レアンドラ様? そう言えばレアラ様は縦ロールではありませんね。
「何故こんなところに?」
「わたくしが陛下と一緒にブラーツに来ていることすら知らなかったの?」
いえ、それは知っていましたが……。
「貴女が臨月だと言うから会いに来たのよ。時間がないからこんな朝になってしまったのは申し訳なかったわ」
「わざわざごめんなさい」
「謝ることではないわね。寧ろ謝らなければならないのはわたくしの方でしょう?」
それは昔のことでですか?
「レアンドラ様は幸せですか?」
私の唐突な質問に少し驚いた表情を見せたレアンドラ様ですが、
「幸せよ」
本当に幸せそうな笑顔でそう返してくれました。
「じゃあ謝らないで下さい。私が望んでいたのはレアンドラ様の幸せですから」
「……ありがとうエリミア」
逆ハーエンドを迎えた悪役令嬢は、とても幸せなその後を送っているようです。
これにて本編完結です。最後までお付き合い頂きありがとうございました。
明日の更新は登場人物設定です。




