#44.ベタ島の揺れた日
その日、ベタ島は揺れた。
ベタ島はレイダム王国とブラーツ王国との交易に利用される“中立の”島で、港こそ大きいが、定期的に船が来なければ飢えてしまう自給自足が不可能な小島である。故に、交易に来た商人達の態度が多少悪かろうと島民は許容せざるを得ない。
とは言え交易の利潤は大きい。両国の中継点として発展したこの島の商人達は自警団を組織しており、横暴な商人、貴族達を撃退することも少なくない。二つの大国を相手にしながらどちらにも属さない彼らは、自分達で自分達の身を守っている。
ただ、今回は相手が悪かった。
レイダムの第二王子ハロルド。大国の王子であると同時に比較的小さな規模ではあるが派閥の長を務める男である。おまけに、今回は罪人移送の責任者として来たというのだ。
――王子がそんなことをする理由は良く解らないが、ある程度の横暴は許容するしかない――
ベタ島の商人達がそう身構えたのも仕方がないことだ。しかし、上陸した第二王子は何をするでもなくただ移送船を待っているだけだった。島で一番良い部屋を抑えはしたが、そんなことは王子ならばそれは当然のこと。なんの不思議もない。「何をしに来たんだ?」という疑問を持つと同時に商人達は肩透かしを食らった気分でいた。
そして来た移送船。“彼ら”のことを遠目に眺めていたベタ島の島民達は、この日の出来事を忘れないだろう。
先ず島民達が驚かされたのはハロルドが桟橋まで出て行ったことである。移送船に乗っているのは罪人と役人、そして監視役の騎士だけの筈。ハロルドが出迎えなければならない人間が乗っているわけがないのだ。なのに彼は移送船の横まで行き、罪人らしき女をエスコートして船から下ろしたのである。これだけでも充分驚かされたわけだが、島民が本当に驚愕したのはその直後だ。
あろうことか彼は、エスコートした女の手を取りながら跪きその甲に口を付けたのである。その女が仮に元王女だとしても今は罪人。国外追放となった平民の筈である。一国の王子がそんな女の前に跪きキスをするなど信じられない。身分を傘に不遜な物言いばかりする貴族を嫌と言う程見て来た島民達がその光景を幻と考えたのは必然である。
次に驚かされたのも第二王子の行動だ。他の罪人達を部下達に丸投げしたハロルドは、女をエスコートして馬車に乗り込んだ。そして王子の抑えた部屋へと女を連れ込んだのだ。島民の大半が通常では考えられないこの行動に当然驚ろいたが、一部はそうは思わなかった。美し過ぎるその女の顔を見たことによって王子の気持ちを理解してしまったが故に。
――美女や佳人といった言葉では到底及ばない絶世の美女をモノにする。ハロルド王子はその為に島まで来た――
島民達のこの推測は正解である。事実彼は彼女を迎えに来たのだ。だが、ハロルドが女を部屋に連れ込んだ数時間後、島民達はその推測が無意味だったことを知った。海を埋め尽くす黒い大船団を見て。
ベタ島の港街から見える海を黒く染めた大艦隊の名は、ヘムダーズ帝国海洋騎士団第一艦隊。
ヘムダーズの第一艦隊と言えば、南の大陸と北の大陸の間の海、中海の覇者である。ベタ島でその名を知らぬ者など居ない。
二十年前までこの海に蔓延っていた海賊を征伐し、その後の交易と拠点開発の時代をもたらしたのが先のヘムダーズ皇帝だ。そして第一艦隊は中海の治安維持を主任務としている。詰まり島民が安定した交易が行えるのはヘムダーズとその第一艦隊のおかげなのだ。
――彼らの不興をかうわけにはいかない――
第二王子のことなど頭から消し飛んだベタ島の島民達は、直ぐ様港に集合した。あの艦隊相手に戦う方法などあろう筈がない。ならば島民達の取る手段はただ一つ。ただただ平身低頭。媚びる、謙る、胡麻をするの集中砲火である。
しかし島民達に大きな誤算があった。この時第一艦隊の指揮を採っていたのはその程度の扱いなら日常的に受けている男だったのだ。自分達の歓迎を見向きもされずに受け流された島民達は困惑しながらその男のやることを見守るしか無かった。何故ならその男は、他ならないヘムダーズ帝国の皇帝だったのだから。
ヘムダーズはレイダム以上の大国である。その皇帝とあらば、レイダムの第二王子のハロルドとは比較にならない。それがなんてことはない交易用の小島、ベタ島に上陸したのだ。ある島民が「夢でも見ているのか俺達?」と漏らしたのは仕方のないことである。
されども話は此処で終わらない。ハロルドの居場所を島民から聞き出した皇帝が、部下百人程を引き連れ第二王子が滞在中の宿に乗り込んのだ。ヘムダーズとレイダムは決して友好国というわけではない。王子と皇帝の対峙など早々起こることではないのに、それが行われているのがベタ島の宿。
――信じられないようなことばかり起こる日だなぁ――
半ば投げ槍になる島民達に更なる驚愕が襲う。
どんなやり取りがあったのか、皇帝はハロルドから絶世の美女を奪って宿から出て来たのだ。罪人の筈なのにどういうわけかドレスに着替えていた女を横抱きにし宿から連れ出した皇帝。直ぐに船へと戻った彼は、第一艦隊と共に水平線の向こうへと消えて行った。
ベタ島の島民達はのちにこの日のことをこう呼んだ。
女帝誕生の日
勿論これは、“女帝”レアンドラの噂が世界中に轟いたあと付いた名である。
ヘムダーズ第一艦隊の旗艦ヘムダリウス。ベタ島を出港してから一時間足らずの船室で今回の功労者に労いの言葉が掛けられていた。但し、事情を知る極一部の者のみが集められて。
「フィアナ・ルオール。証言ご苦労であった」
「ありがたきお言葉にございます皇帝陛下」
フィアナ・ルオールと自分。この出会いが無ければ今回の策略など全く成立しなかった。そう考えるステファノスにとってある意味一番の功労者が彼女である。
「褒美は望む通りに与える。考えておけ。次に――――」
次に呼ばれるのはヘムダーズの手先としてブラーツで暗躍する一家に生まれたこの男だ。
「オズワルド・キッシュ。派閥対立を演出した貴殿の手腕、見事であった」
影でレアンドラをサポートしていたオズワルド。彼の一番の功績は皇帝の言葉に尽きる。マリア落胤説を信じている振りをしてハイムルトを煽ったり、実際マリアを監禁し燻っていた派閥対立を晒させたり、はたまた、自らが逮捕有罪となり、グレンデスの取り潰しで保守派に傾いた勢いに歯止めを掛けたり。オズワルドの功績は大きい。
「御目に掛かれて光栄にございます陛下。わたくしなんぞさして役に立ってはおりませぬ。お言葉は身に余る栄誉にございます」
片足を立てて床に跪きながら豪奢な椅子に腰掛ける皇帝に向けて深く頭を下げたオズワルド。ことの真相を知る彼は、隣の女性が同じように跪き顔を伏せていることに違和感を覚えていた。
「ぬしへの褒美は望み通りとはいかないが、ヘムダーズでも不足ない暮らしを約束する。そしてレアンドラ・グレンデス。いや、今はレアンドラだな」
名を呼ばれ皇帝を見詰めたレアンドラは穏やかに笑っていた。
「はい」
「レアンドラ。お前はレアンドラだ」
「はい」
成る程。そういう意味もあったのか。オズワルドは不思議な会話の意味を考え納得した。
「論功はこれで終わりだ。褒美は考えておけ。お前は来い」
「畏まりました」
論功を早々と切り上げた皇帝は立ち上がると直ぐに隣の部屋へと向かい、来いと言われたレアンドラがついて行く。残ったオズワルドとフィアナは顔を見合わせたが、何も言わずにその場は解散した。皇帝の真意がまさかそこにあったとは。口には出さずに納得して。
そして、レアンドラとステファノスが向かったのは――――
「あ、んっっうん」
寝室に入った途端男は女をベッドに押し倒し深く深く口付けた。貪るようなそれは離れていた時間を惜しむように長く続く。最初は少しもがいて抵抗を見せた女もやがて自分から欲するように男の唇を吸った。
「陛下っ」
離れた唇を惜しむように女の吐息が漏れる。それは実に淫靡な響きを宿していて男の情欲を更に刺激した。
「レアンドラ」
名を呼んだ男は再び女の唇を塞いだ。初めは啄むように、徐々に深く、やがて貪るように。
二度目の激しい口付けを終えた男は馬乗りの体勢になり、徐にドレスを破り棄てた。すると露になった女の美しく豊かな胸。自分を抱くように両手でそれを隠した女は頬を紅く染め上目遣いに男を見上げる。睨むような目付きではあるものの、拒絶するような言葉は一切出て来ない。満足気に見下ろしながら男は女に問い掛ける。
「恥ずかしいか?」
半裸になった絶世の美女は、黙って頷いた。
「直ぐに慣れる」
嗜虐的な笑みを浮かべた男は女の上半身を撫で回し始めた。荒々しいそれに激しく反応した女の耐えるような吐息が幾度となく漏れる。
そして、女の柔らかさを堪能した男は下半身に手を伸ばした。下着を下ろそうとする男の手に慌てて自分の手を重ね抵抗する仕草を見せた女。されども、
「嫌とは言わせない」
「……優しくして下さいませ」
有無を言わせない男の言葉に女は引き下がった。
「アテナ。お前は無理だと解って言っているな?」
「お兄様は意地悪ですから」
「二度とそう呼ぶな」
「陛下もですわ」
やり取りをしていて少し冷静になったステファノス。しかし、その歪んだ欲望を抑える積もりは全くない。
「早く我らの血を継いだ子を孕め。我が最愛の妹アテナよ」




