#42.レアラを訪ねて
グレンデリア郊外の旧グレンデス邸でラビエラ様を見付けた私達は、翌早朝にレアラ様の居るという山村に向けて出発しました。丸三日掛けて国境の山脈の麓の街に辿り着き、そこで馬車から馬に乗り換え険しい山道へと入ったのです。そして、一つ間違えれば谷に落ちてしまうような狭い山道を進むこと半日、山奥にある小さな集落に辿り着きました。
如何にも「自給自足の生活を営んでいます」と言いたげな閉鎖的なその集落は、小さな盆地に三十件程の家が並ぶだけの寒村です。盆地の中心に小川が流れ、その周りに小規模の畑、畑より一段高い盆地の縁に木造の家や納屋が点在していて、それより上に視線を移すとそこに在るのは広大で深い森だけ。そんな場所です。
だからレオンハルトがこう思うのも仕方がありません。
「宰相を勤めた人が本当にこんな山奥に住んでるのか?」
「レアンドラ様がこんな所に住んでらしたとも思えません。何故このような場所を……」
「レアンドラ様はこの村での生活が気に入っておられるようでしたよ。森に入って狩を楽しまれることもあったぐらいです。何故此処を選んだかはレアラ様にお会いになれば解ります」
私を腕の中に座らせて馬を操るレオンハルトの質問に最後尾のリヴィが疑問を重ね、それに答えたのは先頭を行くラビエラ様です。リヴィの声は然程大きく無かったのにラビエラ様まで届いたのは、此所には小川のせせらぎの音と土の道を歩く馬の蹄の音しかないからです。静かな良い所と言えばその通りですが、正直、田舎過ぎます。
「レアラ様に“訊け”ではなく、“会えば解る”とはどういうことでしょうか?」
「言葉のままです。レアラ様に一目会えばこんな山奥の寒村を選んだ理由はお解りになるでしょう。わたくしが申し上げても構いませんが、もう此処まで来てしまったのですからお会いになられた方が説明するより早いかと存じます」
百聞は一見に如かずですか。理由は全く想像が着きませんがラビエラ様が嘘を吐いているとも思えません。レアラ様に会うのを楽しみにして置きましょう。
「着きました。このお屋敷です」
ラビエラ様に案内されたのは、集落の一番奥、他の家屋が建てられている盆地の縁より一段高い石垣の上の木造の一軒家でした。塀に囲まれているわけでもないそのお家は“屋敷”と表する程大きくありません。丁度私が学園で使っていた棟と同じぐらい、日本だったら田舎の農家の母屋がこれぐらいだと思います。周りよりは大きいですが、前宰相が住んでいるとは考え難いです。
「普通の家だな」
ボソリと呟きながら軒下に馬を止めたレオンハルトは、颯爽と馬から飛び降りたあと横抱きにする形で私を馬から下ろしました。勿論私は乗馬服姿でスカートなど履いていませんが、
――やっぱりお姫様抱っこって恥ずかしいよぉ――
私が羞恥心に悶えている間に三人は近くの柵に馬を繋ぎ、四人で玄関まで歩いて行きます。この集落の中では立派と称せるその玄関扉をラビエラ様がノックしようとすると後ろから声が掛かりました。
「誰かと思えばラビエラか」
声のした方に振り返ると、そこに居たのは頭から全身を覆う大きな毛皮を被り、右手に狩ったばかりの兎を二羽ぶら下げた壮年の男性です。如何にも狩人という装いですが、背筋がピンと伸びた立ち姿は王都の貴族でも中々見られないような高貴な風格を宿していますし、腰にぶら下がった剣は騎士の良く使う長剣です。只の村人にはとても見えません。
「ご無沙汰しておりますレイクッド様」
「息災かラビエラ。こちらの方々は?」
やっぱりレイクッド・グレンデス様でしたね。良く見ると深紅の髪色も瞳の漆黒もレアンドラ様と同じです。堂々とした立ち姿を含めてレアンドラ様はお父様よりお祖父様に似たようですね。
「皆様、此方がレイクッド・グレ……今は姓がありませんね。前宰相のレイクッド様です」
あ! レイクッド様は今平民だから私の方が目上になるわけですね。先に紹介されたことに驚いてしまいました。
「御目に掛かれて光栄に存じますレイクッド様。エリミア・トーグと申します」
「エリミアの婚約者でレオンハルト・ケイムスと言います」
「エリミア様の侍女のリヴィです」
「この集落の纏め役をしているレイクッドだ。こんな山奥まで伯爵家のご令嬢が何の用ですかな?」
集落の纏め役……最初から予防線を張りましたねレイクッド様。
「こちらにレアラ様と仰いますレアンドラ様の親友の方がいらっしゃると伺いました。お会いして色々とお尋ねしたいことがございます」
「レアラ……何を訊きたい?」
観察されてる? 何で? 警戒されているのでしょうか? 見た目は40代ですが本当は60を過ぎている方ですし、腹の探り合いなんてとても敵いません。それでも警戒は解いて貰う必要はあるのがなんとも……。長兄は想像以上に大変な使命を私に託したよですね。
「レアラ様はレアンドラ様に“ゲーム”の事をお話になったそうですね。私も“ゲーム”の事を知っています。このレオンハルトも。それを知ったレアンドラ様は「レアラは私に会ってくれる」と仰っていました。レアラ様に会わせて頂けませんか?」
レイクッド様がゲームについて何処まで知っているかは判りませんが猜疑心を持たれたままでは話になりません。博打みたいなモノも必要です。
「……レアンドラが何を目指していたのか、それは知っているのか?」
レイクッド様の声に今までの数倍の威圧感が加わり怖いぐらいです。真剣になった雰囲気もレアンドラ様そっくりですね。
「「逆ハーエンド」ですよね? それとも、グレンデスを潰すことが目標だったという答えの方でしょうか?」
直接本人から聞いたわけではありませんが、レアンドラ様はダン・グレンデス様を死罪に追い込みグレンデス公爵家を潰すことを目標としていたのだと思います。ただ、それだけだと説明出来ないことが幾つかありますけど。
「ん? レアンドラからレアラのことは聞いていないのか?」
え? なんか話が噛み合ってない?
「レアラ様のことと仰いますと?」
お祖母様の侍女というのが嘘だったんですから、レアラ様がどこの誰なのか全く知りません。考えてみると当たり前のことなのに今になって……。
「肝心のことを聞いていないのなら会わせるわけにはいかない。お引き取り願おう」
「あのことについては伏せておいででしたが、レアンドラ様はそれを後悔していらっしゃいました。だから私にエリミア様をレアラ様の元に案内するよう仰ったのでしょう。会わせてあげて下さい。“ゲーム”の事を知っているエリミア様にならレアラ様も会いたがると思います」
ラビエラ様? ……全然話に付いて行けなくなってしまいましたね。
「……昼食はまだかな?」
「はい」
「遠路遥々良く来たなお客人。兎鍋で良ければ振る舞おう」
一応家には入れてくれるようですが信用されている気は全くしません。でも、何をどう警戒されているんだかがさっぱりです。
貴族の籍を外れようとレイクッド様は前宰相です。こんな山奥でも中央のゴタゴタはご存知でしょう。私のもう一つの目的も警戒しているとは思いますが、それ以上にレアラ様に会わせたくないという雰囲気を感じます。私がレアラ様に会うことに何故そんな警戒心を抱いているのか見当も着きませんが、ラビエラ様のお陰でどうやら会わせて頂けるようですし、今は考えるだけ無駄でしょうか?
着替えて来る。と上の階へ行ったレイクッド様。代わりに私達をダイニングルームへと案内したのはラビエラ様です。こんな山奥で貴族みたいな生活をしているとは思いませんでしたが、客人を案内する使用人などは居ないようですね。
ただ、隣の台所では中年の女性が昼食の準備を進め、ここに来る間には上の階から若い男性と子供の泣き声が響いて来ました。他にも外から複数の人の気配がしています。貴族は血縁の無い使用人が屋敷の中で生活をしているのが当たり前ですからね。レイクッド様の元?部下が何人か一緒に生活しているのでしょう。
「このお家には何人でお暮らしなのですか?」
「今は四人の筈です」
「四人? もっといらっしゃるように思いますが……」
私の質問にラビエラ様が答え、続いて出て来たリヴィの疑問に答えたのは、
「私はもう貴族ではない。使用人と同じ屋根の下で寝泊まりすることはしないのだよ。昼は一緒に働いているが、夜は皆自分の家に帰る。このような田舎の集落ではこれが普通だ」
レイクッド様です。
その三人は家族ということですか? 奥様はもうお亡くなりになっていますし、グレンデスの親戚なんて殆んどが脱税やら横領やらで裁かれた筈です。それ以外も連座で……。
「……レイクッド様。レアラ様には会わせて頂けるのでしょうか?」
「レアラは二階に居るが今は無理だ」
「今は……私がレアラ様に会うことに何か問題があるのでしょうか?」
「心配しなくとも本人が会いたがっているのだから夜までには会える。少し手が離せないだけだ。それよりもう一つの用件を済ましてしまおうか?」
……見透かされているのでしょうか?
「もう一つ?」
「私を中央まで引っ張って来いと言われたのだろう? マルコスの奴に」
バレバレですね。




