#39.悪役令嬢vs第二王子
時は遡り五日前の昼下がり。レアンドラ他国外追放者達の乗った移送船は、シャハ湾を抜け王都南西のベタ島という交易用の小さな島に至った。国外追放者はこの島でレイダムの船に引き渡されるわけだが、船が港に付いた途端レアンドラはある人物の出迎えを受けていた。移送船が港に入ると、護衛に守られながら桟橋まで出て来たその男は、レアンドラに手を差し伸べ船から下りるのをエスコートした。粗雑な作りの灰色のローブ、罪人服姿の彼女に魅惑的な笑みを向けたその青年は、
「ありがとうございますハロルド殿下。まさかこんな場所までお出でになるとは思っておりませんでしたわ」
「君がレイダムに来るのだから当然だよレアンドラ。――――我が共犯者殿」
船から降りたレアンドラに更に一歩近付き耳元で囁かれた最後の言葉。仮にこれが他者に聞こえていたとしても、今彼らの周りにその意味を正しく理解出来る者はいない。
「第二王子の道楽に付き合わされる騎士や従者に同情致しますわ」
「貴女にそんな格好は似合わないな。早くレイダムに来て着飾った姿を見てみたい。僕の選んだドレスを着た貴女はさぞ美しいでしょう」
囁きを無視したレアンドラの皮肉は素通りし、あろうことかその場で跪いたハロルド。周囲の動揺を無視した第二王子は罪人の手の甲に軽く口づけた。
「……戯れが過ぎますわ」
「あまり広くは無いが、この島で一番の部屋を取ったんだ。来てくれるね」
非常識な王子を嗜める言葉を又もや素通りし、自然な仕草でレアンドラをエスコートするハロルド。少し戸惑った表情を見せたレアンドラだが、ハロルドの案内に従い岡に向かって歩き出した。
「一番の部屋と仰いますと……?」
「慣れない船旅は疲れただろう? 出航は明日だ。今日は部屋でゆっくりして欲しい。残念ながら貴女の為に作られた物ではないがドレスも用意した。気に入ってくれると嬉しい」
「国外追放となったのはわたくしだけではありませんわ。ドレスを着て移送される罪人など示しが付かないでしょう。部屋も同様です。他の方と同じ場所で構いません。お気遣いは嬉しく思いますが、移送が終わるまではお受け出来ませんわ」
これが正論なのはハロルドも理解しているが、彼はそんなこと気にするなと言わんばかりにレアンドラへ笑顔を向ける。そして、再び彼女の耳元に口を寄せたハロルドは護衛にも聞こえないように小さく囁いた。
「例の件のお礼もありますからどうぞお越し下さい。それとも、此処で述べた方が良いでしょうか?」
「……わたくしが頷いたらハロルド様が困るのではありませんか?」
レアンドラの囁きにハロルドが返したのは姿勢を正したあとに浮かべた元の魅惑的な笑みだ。
「勿論ですレアンドラ嬢。では参りましょうか」
多少強引なエスコートに付いて行ったレアンドラは後に少し後悔することとなった。
レアンドラが連れて行かれたのは、小山の上、切り立った崖の傍に作られた旅宿の一等室だ。無駄に部屋数のあるそこで白いドレスに着替えさせられた彼女は、ハロルドに命令された侍女によって港街と海を一望出来るベランダへと案内された。
港と海を眺めながら優雅にお茶を楽しめる広々としたベランダ。三月上旬はまだ外でお茶をするには早い時季だが、日が出ていて風の弱い今日なら丁度良いぐらいだ。暖かな日射しの下爽やかな風に吹かれながらお茶を楽しんでいるの見目麗しい男女のうちの一人が国外追放の身となったばかりだとは誰も想像出来ないだろう。
ただ、そんな良い雰囲気の場所に移ろうとも二人の駆け引きは続いている。護衛が視界の端に見切れてはいるものの、今度は本当に二人キリで。
「まさか無実の男を終身刑に追い込むとは思っていなかったよ」
「なんのことかしら?」
持っていた紅茶のカップをテーブルに戻し、レアンドラは目の前の男に微笑みながら首を傾げた。
「今日は惚けてばかりだね。オズワルド・キッシュだよ。彼は無実だろう?」
「さあ。わたくしは存じ上げませんわ。ただ、オズワルド先生がマリアさんを本気で愛してらしたのは間違いありませんから、独占する為監禁したというのも不思議ではありませんわね。それに、先生以外の犯行は難しいという結論が出たからこそ裁かれたのではありませんか?」
「マルチア様とフィアナ・ルオールが使った秘密の抜け道を何故オズワルドが知り得たんだい? ラルフェルト陛下ですら今回初めて知ったんだったよね?
それから、共犯者は誰だい? 抜け道から彼の教官室の床下まで穴を掘って繋げるなんてことは一人で出来る筈がない。キッシュ家の家人は裁かれていないし、いったいどこの誰がオズワルドに協力したんだい?
更に言えば、九年前は使えた抜け道が今は崩れ、王宮と学園の行き来が不可能になっていたというのも都合が良すぎる」
抜け道の本当の出入口は舞踏会館のトイレの床下で、事件発生以降会館は閉鎖されていたことからこそ、オズワルド・キッシュの犯行であると判断されたわけだが――――。
「それがわたくしとどう関係しているのかが解りませんわ」
「「各貴族の騎士達の動きを随時報告して欲しい」そう言ったのは君だろう? あの時君はマリアを連れ出す時機を図っていた」
「不届きな貴族が居ないとも限りませんもの。派閥の関係ないレイダムの騎士団にお頼みするのが最善策でしたわ。そもそも、何故わたくしがマリア様を拉致監禁などしなければならないのでしょう?」
この件では揺さぶりが利かない。そう考えたハロルドは次の手に出る。
「なら襲撃犯の件は? 何故貴女はあの時「後始末はきちんとしろ」などと仰ったのでしょう? おかしな言葉です」
「後始末……何のことでしょう? ああ、「自分のしたことの始末は自分で」と言ったアレのことでしょうか? あれは、ハロルド様が色を好む方ですから、女性に何かした時は自分で責任を取れ、という意味ですが……いったいどんな誤解を与えてしまったのか想像も着きませんわ。襲撃犯とはどなたのことでしょう?」
しかし全く意味が無かった。ハロルドとしては弱味を掴んで主導権を握る算段だったわけだが、レアンドラはびくともしない。
――仕方がない。じっくり攻めるか――
レアンドラは絶世の美女だ。下手をしたら兄に持っていかれると思いベタ島まで出て来て揺さぶりを掛けたが、目論見通りとは行かなかったわけだ。
――まだ時間はある。勝負はこれから――
ラファエルという最大のライバルが消えた今、一番有利なのはハロルドなのだ。速攻が無理なら遅攻。それもダメなら搦め手。
――どんな方法でも良いから落とす――
ハロルドのこの決意は無駄に終わる。僅か数時間後に。
「しかし、僕としてはもう少し荒れて貰った方が嬉しかったんだけどね」
「それは高望みではございませんか? グレンデスが潰れてもラファエル様とグレイナー公爵家とでマリア様を争っておりますわ。今のブラーツは決して平穏ではございません」
「それでも革新派が思った以上に荒れなかった。クロフォードは案外やるね」
「来た」
小さく呟いたレアンドラの視界には、目の前にハロルド、彼の肩越しに港、右に街並み、その奥の正面から右後方には海が広がっている。そして今、港の奥、水平線の近くにチラリと見えたモノが在ったわけだが――――
「ん? 何?」
「お気になさらずに。何でもありませんわ。クロフォードは確かに跡取りを含めて優秀ですわね。グレンデス程ではないにしてもグレイナー公爵家に対抗出来るお家ですわ」
「そのグレンデスを潰した君を裁かなければならなかったラファエル殿下には同情するよ」
そうは言ったハロルドだが、此所までのことが全てレアンドラの計算ずくということまで気付いているわけではない。彼はレアンドラが証言台に立ったという事実を指して言っただけだ。
彼女の立てた計画は誰にも悟られてはいない。
「わたくしのことを気遣って下さいましたわ」
「……君もラファエル殿下のことを気にしているのかい?」
らしくない。ハロルドは質問しながらいつもの調子でないことに気付いた。
「わたくしが? 何故?」
「君達は婚約者だったんだ。政略でも多少の情は湧くモノだろう?」
「湧かないと言えば嘘になりますが政略は政略。恋や愛とは別物ですわ」
「君はそういったモノを信じているのかい? 以外だな。もっとドライな女性だと思っていたよ」
「あら? いつも愛だ恋だ囁いている殿下がそんな事を仰いますの?」
女を口説くことに慣れたハロルドにとってこの程度の会話は日常的なことだ。だが、今日は言葉が出て来ない。本気で調子が悪いことに気付いたハロルドは仕切り直すことにした。
「海風は体に良くない。一旦中に入ろう。晩餐後またここに来てくれるね?」
立ち上がってエスコートしようと手を差し出したハロルドだが、予想外にその手は掴まれなかった。
「僭越ながらご忠告申し上げます殿下。もっと視野を広く持って下さいませ。一面だけを見ていたら物事の本質は掴めませんわ。ご自分で成されたことがご自分だけに利があると思ってはいけません」
「何を……」
言い出しているんだお前。という言葉は呑み込まれたが、ハロルドの顔には充分それが浮かんでいる。
「加えて言わせて頂くなら、今まで起こったことが全てではございませんわ」
「……君はいったい」
「過去にだけ目を向けていては見えなくなるモノもございます。気をつけて下さいませ」
ニッコリと笑うレアンドラから目が離せなくなったハロルドは、次の瞬間更に目を丸くすることとなった。
「わたくしが此処に来ることは二度とございません。迎えが参りましたので」
「迎え?」
レアンドラの視線がハロルドから外れその後ろに向く。釣られて振り向いたハロルドの視界に入ったのは、
「なっ!!」
海を埋め尽くす黒い軍艦の大船団である。息を呑む第二王子の言葉無き疑問に返って来たのは、
「ヘムダーズ帝国海洋騎士団第一艦隊です。皇帝自ら迎えて下さったようですわ」
同席する淑女の少し喜色を孕んだ声だった。
「ヘムダーズの皇帝……」
「私をレイダムに連れて行きたいのなら、ステファノス帝に勝つ以外ありませんわね」




