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#33.大法廷開幕

 オズワルド・キッシュが逮捕されてから三日。二月上旬の王都シャハは一年で最も寒い時季だが、最高位の司法機関である大法廷では早朝の開始間もなくから激論と呼ぶべき熱い応酬が繰り広げられている。


「先程からグレンデス公が仰っている通り、落胤の認定をこの大法廷で行う道理がございませぬ。この法廷の開催名目はそこに居るキッシュ家の令息の審理のみ。事前に何の通達もなく落胤の認定など出来る筈がございますまい」


 この大法廷は常設されているモノではない。立法議会の議場を使い、国家反逆級の大罪を裁く時に開かれる臨時の法廷だ。

 すり鉢状の議場の中央に証言台が置かれ、正面には国王、その両脇は王太子と宰相が固めている。豪奢な椅子に腰掛けている三人から広めの通路を挟み立法議会議員と閣僚が左右に別れて腰掛け、証言台の後ろ側には弁護側と検察側の双方の証人達。その更に後ろには傍聴席があり、噂を聞き付けた下級貴族や関係者の家族によって埋まっている。騒ぎが予想される為騎士も相当数が配置され、常は二百人弱で会議が行われているこの議場には今、四百を越える人間集まっている。

 それだけでも充分な熱気であるが、それを更に加熱させたのは他でもない、この国の王太子ラファエルだ。


「オズワルド・キッシュは落胤説を知っていた。もしこの証言が真であれば、この男の罪科は王家、国家に対する反逆。落胤の真偽はこの法廷の結論を大きく左右するではないか」

「事前通達も無く国家の行く末を左右することを審理するなど承服出来ぬわ」

「事前通達は義務ではない。新たな事案が生まれれば何であれ審議の対象になる」

「かの証言が検察側証人によるものでございますれば、この流れは殿下のご意志によるものでありましょう。ならば落胤の真偽も審理すると通達すべきかと存じます」


 宰相を議長とし、発言者は挙手、指名の上に名乗りながら進んで行く本来の大法廷の姿は影も形もない。議場は既に混沌としている。


「詭弁だな。大法廷の審理の対象になるのは、王家若しくは国家を重大克つ決定的に転覆又は崩壊させ得る事案。事前通達は通例に過ぎず、対象になる事案であれば審理の数に制限はない。もとより、平民の拉致監禁罪が大法廷での審理の対象になる筈がない。通達の折りに察しが付くであろう?」

「それは暴論ですなラファエル殿下。拝察するには肝要過ぎる事態でありますれば、前もって公示するのが筋というモノ。全ての案件を公にし、精査した上で審理を始めなければ、真の裁決など叶いませぬ。此度の事案、猶予が必要でございましょう」


 王太子に対して反論したグレンデス公爵の思惑は実に単純だ。

 ラファエル殿下がグレンデス公爵を断じようとしている。ここ十日程、王都を賑わしたこの噂を彼は知っている。本当に有罪に出来るかどうかは捨て置き、この大法廷で自分が証言台に立たされる可能性については充分に理解しているのだ。だとしたら、ここで審理の対象の拡大を阻止し、自分が対象になる可能性を少しでも減らしておこうと考えるのは当然のことである。

 ましてや、「時間を稼いで態勢を整えられれば自分が裁かれることはない」そう思っている彼が審議の引き延ばしに掛かるのは必然と言える。彼は国王の弱みを握っている。不可能ではない。


 しかし、彼は知らない。


 大法廷を開くに当たって王太子が立てた策を知らない。マリア落胤説を決定的に裏付ける証拠が存在することを知らない。自分を追い詰めようとしている人物が思わぬ場所に居ることを知らない。


 ダン・グレンデスが断罪されることは既定事項であることを、彼は知らない。


「大法廷で審議する事案に肝要でないモノなどございませんぞグレンデス公。それを理由に審議を引き延ばすことなど出来ますまい。ましてや、精査は審理の中で行われるべきこと。精査してから審議に臨むなど、判決を出してから出廷するに同じではありませぬか」

「宰相の言尤もである。大法廷での審理は国家を左右する案件。猶予など見ていたら政が滞り民が乱れる。それとも、国家の柱たる我々が一同に会しながら、論決出来ないなどと申す積もりか?」


 ――そんな恥を晒したいのなら、今すぐこの議場から出て行け――


 宰相と王太子。“今は”共闘関係にある二人が立て続けに発言すると騒ぎは徐々に沈静化し、やがてあるべき緊張感を取り戻した。そして大法廷は進み始める。王太子ラファエルの思惑通りに。


「では先ず、マルチア様が後宮にいらっしゃった時から王宮に勤めている女中ライラ。証言台に」






 マリア落胤説の審理は、マルチアという側室の認定から始まり、その逃亡理由と方法。潜伏先から娘の誕生。そして、マルチアが死んでマリアが孤児院に預けられるに至るまで。全てを事細かに証明することとなった。

 ただその証明は然程難しいことではない。何よりマルチアには純白の髪という稀有な特徴があるからだ。ブラーツ王国では大変珍しい髪色と背格好、おおよその年齢さえ符号すればマルチアがマルチアであると証明出来る。実際それが問題になることはなかった。

 問題となったのは――――


「結局のところ、そこに居るマリアなる娘が先王の子であることは一切証明出来ていませんな。碧い瞳は確かに珍しいが、純白の髪程ではない。実際王家の血を引く貴族では時折見られる。それだけで王族と認定することは出来ませぬぞ」


 グレンデス公爵の指摘はまったくもってその通りで、今のところこの法廷でマリア落胤説を是と認定することは出来ない。証拠が示されていないのだから当然だろう。然れども、此処からそれを覆すことが出来ないわけではない。

 例えば、国王ラルフェルトが証言台に立ち宣誓した上でマリアが先王の落胤だと断言すれば、その証言を否定出来るモノなど有りはしない。王政を敷く国の国王たる権限とはかようなものだ。但し、それが出来ればの話である。


「マルチア様の出産時期から考えてその子供の父親はリドガルド陛下以外にありますまい。後宮で暮らしていたのは分かっているのですから、他の男など――――」

「後宮に出入り出来た男は先王陛下だけではございませぬ。過ちが無かったと証明出来ますかな?」

「側室であろうと王族に対して不行状と断ずるなど無礼であるぞ」

「例え王族に対する侮辱になろうと今は事実を確かめるが先決。証拠がないのならどんな可能性も否定すべきではありますまい」


 保守派の貴族がグレンデス公爵に対して反論したのをきっかけにして議場は再び騒然とし始めたが、この男は平然と正規の手順を踏んだ。


「グレイナー公。発言の許可を」


 不思議と議場に響いたその声の主はこの国の次期国王だ。


「一同静粛に。王太子殿下のお言葉である」


 宰相が声を張り、少しすると場が静まる。傍らに置かれていた一冊の厚い本を手にして立ち上がった王太子ラファエルは、検察側証人席の白い髪の少女をチラリと見た。

 数刻前、緊張した面持ちで証言台に立っていた愛しい女性。彼女が証言したのは自分への想いだ。「私は良いです。でもラファエル様には幸せになって欲しいんです」大法廷の証言台で話すことではないがラファエルに更なる活力をもたらすには充分だった。

 想い人から視線を逸らしその碧い瞳の奥をギラリと光らせた王太子は閣僚達の座る方へと視線を向ける。そして、一際悪人顔の男のことを睥睨した。


「フィオナ・ルオール」


 王太子がその名を口にしただけで動揺した男が二人。一人はラファエルが睨み付けている男ダン・グレンデス。もう一人は――――


「彼女はマルチア様の侍女として後宮に入り、主が居なくなったあとは下働きの女中として王宮に仕えていた。そして九年前、先王陛下が亡くなった後に謎の失踪を遂げている」


 持っていた本をかがげ衆目に晒したラファエルは言葉を続ける。


「これは彼女が残した日記だ。此処には様々な記述がある。彼女は知っていた。マルチア様が妊娠していたことも。その子供の父親が先王リドガルド陛下だということも。陛下がマリアの為にマルチア様を追わなかったということも。それから――――」


 言葉を切ったラファエルは、後ろを向き階段を五段程登ると、あるページを開いた日記を目の前の人物に渡した。その行動に少なくない疑問の声が漏れたが、王太子はそれを無視し振り向いて話を続ける。


「いざと言う時の為、リドガルド陛下が証を残して置きたいと考えていたこともフィオナ・ルオールという女は知っていた。故にこの日記は証明した。マリアが先王陛下の落胤だということを」

「侍女の日記に何が書いてあったとしても証拠には成りませぬ。今必要なのはマリア嬢が先王陛下の子だという確かな証ですぞ」


 グレンデス公爵の言うことは間違っていない。侍女が自らの日記に書いたことなど証拠として採用される筈はない。ましてや、落胤かそうでないかの証拠としては不充分どころか参考にもならないだろう。しかし――――


「其処に居るマリアなる少女は先王リドガルド陛下の落胤である」


 この大法廷が始まって以来数時間、殆ど口を開いていなかった人物が口を開き明確な断言をした。その論調に疑問を持つ者は無数に居たが、それを口に出す者は殆ど居なかった。当然だ。マリア落胤説をハッキリ是と認定したのは、


「何を言っているのだ! 呆けているか!」

「呆けているのは貴様だダン・グレンデス! 陛下に対してなんて口を聞いている!」


 寄りにもよって国王に罵声を浴びせたグレンデス公爵。それに怒声で返した宰相は、この大法廷で今の状況を予想し得た数少ない一人である。王太子との共闘がその一因だが、最も大きな理由はフィオナの日記の存在を息子がある人物から聞いていたからだ。


 貴族らしくない派閥の長同士のやり取りで議場は再び騒然とし始めたが、王太子が口を開く素振りを見せると直ぐに終息を見せる。


 そして、真実が告げられた。


「あの日記の最後のページにはこういう記述がある。「マルチア・ルアン・ブラーツが産んだ娘マリアの父親はリドガルド・グエン・ブラーツである」明らかに他と筆跡が異なるその文章の終わりには、国璽が捺されている」


 ――マリアは先王陛下の落胤だ――





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