#31.太子の決断
レアンドラにグレンデス公爵の大罪を明かしたラファエルは、その直後、マリア失踪事件に関して緊急の報告を受けた。マリアが最初に監禁されていた地下空洞が学園内で発見され、そこで犯人のモノらしき頭髪が見付かったのだ。加えて、その空洞を使用し犯行が可能だったのは一人だけ。
ラファエルは直ぐにそれらの証拠を精査。半日も掛からずに事件が解決に至るのは間違いなくなったが、ここで一つ問題が起きた。
――派閥のバランスが崩れてしまう――
主犯とおぼしき男を捕らえ裁くことは簡単であるが、それは今の勢力状況を大きく崩すことになる。ラファエルにとって非常に都合の悪い方向へと。
そこで一計を案じた彼は、その報告から一週間学園には戻らずに東奔西走している。失踪事件の解決を保留し、マリアを先王陛下の落胤と認めさせ、グレンデス公爵を追い詰める為に。これを同時に解決すれば彼の思い通りことを運ぶことが出来るわけだが、全てが上手く運ぶ筈がない。目下、問題は主に二つある。
一つは時間。マリア落胤説騒ぎが始まってから既に一ヶ月近くが経過し、保守派と革新派の対立は今までと比較にならないほど激化している。正に一触即内戦と言える程。故に、現時点での派閥対立の最も大きな原因である落胤説の結論をこれ以上引き延ばすのは難しい。
そしてもう一つの問題は――――
「やはり決め手に欠ける」
王太子執務室の豪奢な椅子に腰掛け資料を眺めながらラファエルが呟いた。夜更け故にただ一人室内に残っていた太子の側近サリムは、寡黙なラファエルには珍しい独り言に言葉を返すべきか逡巡する。
ここ一週間、ラファエルの為に動き回ったサリムにはその意味も充分に理解出来ていたが、何せ相手は王太子だ。相槌を打つだけなのも憚れる。だが聞こえているのに応対しないのもまた無礼である。
しかしその迷いは無駄に終わった、ラファエル自身が継いで言葉を発したからだ。
「マリアも、グレンデスも、どちらも中途半端で決め手に欠ける。やはり父上を頼るべきだろうか?」
「お言葉ではございますがラファエル様。マリア様を王族とすることも、グレンデス公爵を国家転覆の罪で裁くことも、陛下のお力無くして成し遂げることは出来ませぬ。申し上げ難くございますが、此度の沙汰、太子の権を超過するものにございます」
まさか国王を頼らずに公爵を死罪に追い込む気でいたとは思ってもいなかったサリム。慌てて苦言を呈した彼をラファエルは睨むでもなくじっと見た。その碧い瞳に滲んでいるのはとある決意だ。
「マリアを落胤だと承認するのは確かに父にしか出来ないことだろう。だが、グレンデスを追い詰めるのは私だ。いや、父であってはならない」
落胤を王族と認定することより公爵を死罪に追い込むことの方が遥かに大きな権限を必要とする。そんな当たり前なことをこの王太子が考えていない筈がない。だとしたら主の言葉が意味することは何なのか。サリムは少しの間沈思黙考する。
「ラファエル殿下。もしかして貴方は――――」
やがて彼は一つの結論に達した。
マリアを落胤と認めるのは国王にしか出来ない。
確かにその通りなのだ。マリアが産まれた時ラファエルは二歳。落胤説を知るまで、その母親で先王の側室、マルチアの存在すら知らなかった筈である。だとしたら、ラファエルがマリアを先王の落胤だと主張したところで一切の説得力がない。故に、マリアが落胤であると認定出来るのは現国王ラルフェルトだけである。
そして、グレンデス公爵を断ずるのは国王であってはならない。
重要なのは「ラファエルでなければならない」ではなく、国王で「あってはならない」ということだ。現国王はダン・グレンデスの傀儡。これは全貴族周知の事実である。この事実を鑑みてラルフェルト国王がグレンデス公爵を裁いたとしたら、一見するとそれで王家はその権威を取り戻すと思うだろう。しかしながらそれは真逆である。
先王からラルフェルトが王位を引き継いでから八年。ブラーツ王国の政策は少なからず革新派によって押し進められ、多くの人事が革新派の都合によって動いて来た。しかしグレンデス公爵が居なくなれば革新派の勢力は大きく後退、大幅な方針転換をせざるを得なくなる。これが王家にとって致命的な問題へと発展する。何故なら、ラルフェルトは中立という体裁を取り繕って国家を運営して来た事実があるからだ。公爵が裁かれたあとに国の指針が変わってしまったら、今まで実行されていた「陛下のお考え」が、「グレンデス公爵の考え」だったと露呈してしまう。傀儡だったことを肯定するも同然だ。逆に無理矢理現状の方針を踏襲しようとしても、革新派の力が衰えている状況では実行力に乏しく反発も大きい。何れにしても王家の権威が削がれ、グレンデスの断罪で混迷する国に追い撃ちを掛けることとなる。
故に、グレンデス公爵を断ずるのはラルフェルトであってはならない。
この問題を解決するには――――
「陛下がマリア様を落胤と認めたらラファエル様が?」
「その積もりだ」
――ラファエル様は唯一の王位継承権保持者だ。他に選択肢がないのも事実だが、如何せん18。まだ若造である自分より七つも年下の彼が――
側近の思慮も当然のことではあるが、その程度のことはラファエルの想定の範囲内であったようで、
「サリム。私と父上。どちらが信用出来る?」
彼は側近に答えるに答えられない究極の質問を投げた。
「……お答え出来かねます」
「ならば、この国は変わるべきか、このまま進むべきか。どちらだ?」
「変わるべきかと」
「私と父、この国に変化をもたらすのはどちらだ?」
「ラファエル様かと存じます」
「なら私に付いて来てくれ」
誘導尋問のようなやり取りではあるが、実際サリムには最初から答えは出ているのだから問題はない。サリムに取ってラルフェルトはダン・グレンデスの傀儡となった愚王。仕えるには値しない。
「身命を賭してお仕え申し上げます」
跪いて臣下の礼を取ったサリムをラファエルは少し間満足気に見ていたが、その眼光は直ぐに元の鋭さを取り戻した。
「落胤だと認められたマリアを正妃に迎えれば、今一つ正統性に欠ける父上の王位継承問題も解決する。国は少なからず混乱に落ちるだろうが、王家の権威はある程度回復するだろう」
「はい。しかしそれには――――」
「決め手が必要だ。父が証言台に立てば決め手にならないことはないが……」
証言台に立つのは裁く側ではなく裁かれる側のすることだ。王族や上位貴族にとってはそれだけで屈辱的なことであり、王権が揺らいでいる今は出来るだけ避けるべき事態である。
――そんなことはさせられない――
「ラルフェルト様が証言台に立ったりしたら……」
王家の権威や王族の名誉もあるが、優柔不断なラルフェルトが証言台なんかに立ったら何が起こるか分からない。
サリムの思考は無礼極まりない方向へと走っていたが、こう思う者はサリムだけでは決してない。目の前の彼の上司も、口に出すことは絶対にしないがそう思っているのだ。
「サリム。もう一度後宮の書庫を洗う。日記でも雑記でも、先王陛下暗殺時の状況が今より少しでも分かれば良い。決定的な証拠にはならなくとも、それを参考に新たな証言が取れれば充分だ」
「承知致しました。しかしラファエル様。今日はもうお眠り下さい。貴方が倒れてしまったら元も子もありません」
時刻は正子近く。舟を漕ぐまではしていないものの、瞼が重そうで眼光の鋭さが半減しているラファエル。連日遅くまで動き回っている彼の身体が睡眠を欲しているのはサリムから見ても明らかだった。
「……そうだな」
身体に掛かっている負担を実感しているのか、素直に頷いたラファエルは執務机の上を簡単に整理し始めた。その姿に満足したサリムだが、やがて太子の視線が資料の一つに固定されていることに気が付いた。
「それは?」
「……私個人の為に調べていたモノだ。気にするな」
じっと見ていたその資料が何であるかは気になったものの、次ぎに起きた事態によってサリムの記憶からこのやり取りが消え去った。
「ラファエル様は起きておられますでしょうか?」
「起きておられますが如何されましたか?」
扉の向こうから近衛騎士の声がしてサリムが応対すると、返って来たのは驚愕の言葉。
「―――――様がラファエル様にお会いしたいと正門までお越しになられております」
それは、「決め手」の来訪だった。
そして二日後、失踪事件の犯人が逮捕された。マリアが最初に監禁された地下空洞を使用可能な唯一の人間として逮捕されたのは、キッシュ伯爵家の跡取りとして目されている現当主の次男、
オズワルド・キッシュである。




