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#28.閣議

 北の大陸の東半分を領土とするブラーツ王国の王都シャハ。王宮の端に存在する行政府では、冬期休暇中に広がったある噂によって騒ぎが起きていた。

 休暇明け初日の今日は、例年ならば新しい年を迎えたことによる儀礼的な業務が仕事の大半を占め、実務的な業務の少ない比較的穏やかな日の筈である。しかし実際のところは、噂を聞き付け殺到した貴族達と行政府で働く役人、騎士達が玄関先や庭で揉み合う異常な事態が起こっている。怒号が飛び交い今にも殴り合いに発展しそうなそのやり取りとは対処的に、行政府の中核閣議室ではこの国の中枢を担う為政者達によって腹の探り合いが起きていた。


「火の無いところに煙は立たないと申します。表の騒ぎを鑑みれば真偽の程は明らかなのではありませんか? それとも、これ程多くの貴族達が平民の娘一人に踊らされているのでしょうか? だとしたら嘆かわしい限りです」


 息子をそのまま30代後半にしたような外見のこの男の名はセイムルト・グレイナー。現在この国の宰相である彼は、騒ぎの元凶となっている少女マリアを奪い合う四人の男の一人ハイムルト・グレイナーの父親である。知的な笑みを浮かべながら皮肉を言うその姿には余裕すら感じられる。


「確かにその通りだ宰相殿。貴殿まで平民の小娘に踊らされているのだから嘆かわしいことこの上ない。まさかラファエル殿下まで年端もいかぬ娘子の妄言に惑わされるなど思ってもおりませんでしたな」


 宰相の皮肉に対して皮肉で返した男はダン・グレンデス。財務大臣を勤めている彼は、言わずと知れたこの国の腐敗の元凶だ。神々しさすら感じる清廉な雰囲気の娘とは対称的に、歪んだ心根が滲み出た根っからの悪党面を持つ男である。そんなダン・グレンデスからは国王や王太子に対する敬意すら見ることが出来ない。


「それは殿下、いや、王家に対する侮辱ですぞグレンデス公」

「主君に対して忠言申し上げるのも臣下の勤め。学園卒業前の娘子に王太子殿下が誑かされているのならば、それを諌め諭すのも我らの役目ではありませぬか。グレンデス公には何の否もございませぬ」


 グレイナー率いる保守派と、グレンデス率いる革新派。それぞれの構成貴族がそれぞれの派閥の長を援護する。この構図は、前宰相レイクッド・グレンデスが自ら身を引いてから約6年、ずっと変わっていない。


「役目と言うのなら真偽を確かめることが先である。私見で嘘と断じて忠言など言語道断。それは正しく王家を蔑ろにする言に相違ない。嘘と言うのであれば、嘘である証が必要である」

「それは真逆ではございませんかキッシュ伯爵。

 御落胤である証は必要でございますが、御落胤でない証は必要ございません。ブラーツ王家の血を引き、尚且つ継承が破棄されていない。その証が示されて、初めてその娘は王族となります。

 逆に言うならば、マリアなる娘は今現在一平民に過ぎませぬ。平民の少女に現を抜かしている殿下に対して諫言申し上げるのは、忠義以外何物でもございません」

「グレンデス公が侮辱したのはラファエル殿下であってマリアという娘ではない」

「マリアが平民である以上、ラファエル殿下の言動は諫言申し上げるに値致します。諫言、進言が侮辱だと言うのであれば、何故国王を補佐する閣僚なるものが存在し、閣議なるものを行わねばならぬのです。わたくし共が今此処に居るのは、国王陛下一人では国事の全てを負担出来ないからに相違ありませぬ。陛下が負担仕切れぬモノを分担し、時にご忠言申し上げる。これが我らが役目ではありませぬか」

「そんなことは言っておらぬ」

「それは論理のすり替えというものだろうクロフォード侯爵。そもそもグレンデス公は――――」


 グレンデス公爵を蛇蝎の如く嫌うキッシュ伯爵と、その意見を真っ向から否定したクロフォード侯爵。派閥の二番手同士の応酬に他の閣僚達も混ざりそうとは呼べない閣議は進行して行った。マリア落胤説は勿論のこと、数ヶ月前の失踪事件の真相と各貴族の応対も議題に含め、派閥の面子も絡んだ不毛な言い争いとなって。


 そして、時刻は夕暮れ。表の騒ぎは騎士達によって鎮静化されたが、中身の無い閣議は続いている。


「そもそも落胤の子供なんぞに継承権は認められんだろう」


 ブラーツ王国の王族女性に王位継承権はない。王位継承を認められるとしたらマリア自身ではなくその息子である。更には、一度外国籍となった王族にも継承権は認められない。先王には弟が居たが、ヘムダース国籍となった彼はもう絶対に王位を継承することはない。


「落胤でしょうが養子でしょうが、王族と認められた婦人の息子ならば王位継承権が与えられた前例がございます。この程度のことをご存知ない方が我が国の行く末を左右する会議に列席なさっているとは思いませんでしたな」

「前例では全て国王自身が落胤を落胤と認めております。国王が亡くなられたのち落胤が登場し、その息子に継承権が与えられたことなどありませぬ」

「今までそのような事例が無かっただけであろう? 今回は初めての事案ではあるが、認められない理由にはならんな」

「こんな事例が認められて堪るか」


 この不毛な言い争いは派閥争いが主な原因だが、実はもう一つ大きな要因がある。


「陛下はどうお考えでしょう?」

「……難儀である」


 ブラーツ王国国王ラルフェルト・グエン・ブラーツ。この男が閣議開始から殆ど口を開いていないことが、無益なこの論争を終わりの無いモノに変えている。


 ただこれは仕方のないことではある。彼が国王に就任したのは九年前、先の国王が急死した直後のことだ。その時彼は27歳。海千山千の貴族達と渡り合うには若く、王位に就くことは無いと思っていた彼が学び直すには遅すぎる年齢だった。それでも政務を怠るわけにはいかない彼が国庫を食い物にしている貴族に頼らざるを得なかったのは、彼生来の優柔不断さだけに寄るモノではない。寧ろ、追い詰められて藁にすがった故である。


 そして、これにはもう一つ大きな理由がある。


「しかし陛下。結論は出さねばなりませんぞ。マリアなる少女を先王陛下の落胤と認めるのか認めないのか……」

「証がないのだから認められる筈がない」

「証拠が在るとしたら王宮の内部、それも我々が立ち入ることの出来ぬ在王宮や後宮でございましょう? 調べることすらせずに断ずるべきではございませぬ」


 彼は仕立て上げられたからだ。


「王宮内に在るならば疾うに見付かっておるわ。貴公は王家が王宮内の書物を管理出来ていないと言う気か?」


 王国を牛耳るこの男ダン・グレンデスに、


「侍女や執事個人所有物まで管理してはいますまい」

「そんな物が証拠になるものか。必要なのは先王陛下の印璽のある書物だ」


 ――――の殺害犯として。


「印璽のある書物があれば良いのですねグレンデス公」


 グレイナー公爵の確信めいたこの一言は閣議室に数瞬の沈黙をもたらした。


「……そんなモノがあればな」


 不気味笑みを浮かべた宰相に警戒心を抱きながらもグレンデス公爵は強気な姿勢を崩さない。それがのちに致命的な結果をもたらすとは知らずに。




 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 南の大陸の三分の二を領有するヘムダーズ帝国の帝都アクアファルナ。その中央に鎮座するヘムダリウス城は、三大国一の国力を持つこの国を象徴する広大で威圧的な城塞である。その最央部に位置する皇帝の間では今、南北両方の大陸の命運を左右する決断が下されようとしている。


「アテナ様は何と?」


 アテナ。それはこの国の貴族でも殆ど知らない皇女の名だ。彼女の顔を知っている者など城内でも一握り。存在すら危ういような末席中の末席の姫である。但し、


「準備が整った」

「準備? いったい何の?」


 皇帝ステファノスの側近でさえ、彼女が今どこで何をしているのかは知らない。事実ヘムダリウス城内に彼女は存在しない。


「出迎えをするぞ」

「出迎え……と申しますと?」

「アテナを出迎える。ふっ」


 不敵に笑う皇帝の考えは理解出来ないと諭した側近は、何をすべきかを考えた。


「どのように出迎えるのでしょう?」

「一ヶ月後、重要塞戦配備で第一艦隊全艦に出航を命じる。目標はブラーツ王国王都シャハ。旗艦ヘムダリウス」

「ヘムダリウス!?」


 側近が驚くのは当然だ。ブラーツ王国の首都シャハに向けて第一艦隊を出すと言われただけで驚愕するには充分であるが、ヘムダリウスは皇族のみが使うことが許されたヘムダーズ帝国が誇る最強の軍艦である。加えて、ステファノスは自分以外の皇族の男を一人として信用していない。詰まり、


「……陛下自らシャハまで?」

「他に誰が勤まる?」


 側近に返す言葉が無かったのは、ステファノスの放つ威圧感に圧倒されたからではない。その言葉が是であったからである。ヘムダーズの皇族の人材不足は深刻で「中途半端な野心を持つ小物ばかり」この評価が家人の間でも一般的だ。


「しかし陛下。ノバーノは……」

「ノバーノか。ふっ」


 側近は今度こそ皇帝の不敵な笑みと威圧感に圧倒された。


「我が血族に逆らったらどうなるか、見せてやろうではないか。なあ、アテナよ」





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