プロローグ
あらすじにも書きましたが、本作の作者はひねくれ者です。「ハッピーエンド以外は認めない」という方はご遠慮下さい。
ここはブラーツ王国。その名の通り王政の敷かれたこの国は、厳格な身分制と封建制とで管理される、五百年以上の歴史を誇る大国だ。その国土は北の大陸の東半分。同じく北の大陸の西半分を支配下としているレイダム王国と、南の大陸の三分の二を領有するヘムダーズ帝国とで「三大国」と称される。
そんな大国の一つブラーツ王国の王城。海に突き出した岬に造られた堅牢な城の一室で、一組の若い男女が対峙している。
「面倒な挨拶は省かせて貰うぞ」
本来他国の王族をもてなすための豪奢な客間。その部屋のソファーに深く腰掛け正面の女を睨むでもなく見詰めるでもなく見ているのは、鮮やかな金の髪を短く切り、海のように深い碧の瞳を持つ若い男だ。長身でスマートな体型の彼だが、良く見れば鍛え上げられた筋肉を纏っている。左右のバランス良くメリハリのある顔立ちは、男らしくあるが決して暑苦しくはない。その顔は、クール若しくはドライと表現した方が爽やかと称するより適切だ。
だが、「神の造形」と称される程整ったその顔に見惚れる者は案外少ない。男と対峙した人間の殆どがその覇気に満ちた鋭い眼光の前に平伏すからだ。出自故のその目力に圧倒され、容姿や地位の“割りに”彼には女が近寄らない。
男の名はラファエル・グエン・ブラーツ。まごうことなきこの国の王太子である。
「断りを入れる程のことではないかと存じます。今やラファエル様はブラーツの王ではありませんか」
そんな絵に書いたような美青年の対面で、同じようにソファーに深く腰掛け、太子相手にも堂々と振る舞う女。彼女もまた、別の意味で鋭い眼光の持ち主である。
深紅の豊富な髪を縦ロールにした彼女は、長身で細身ではあるが女性的な曲線を持つ八頭身の美女だ。少し吊り上がった猫目に通った鼻筋。スマートな顎のラインにふっくらとした真っ赤な唇。そして全てを見透かす如く輝く漆黒の瞳。全体としてきつい印象を受ける顔立ちだが、彼女を美しいと思わない者はまずいない。老若男女問わず、道ですれ違ったら振り返る美しさが彼女にはある。かと言って、男が声を掛けるかと言えば話は別だ。彼女の前では高嶺の華という言葉も退散するのだから。
そんな長身の迫力美人の彼女の名はレアンドラ・グレンデス。グレンデス公爵家の一人娘だ。
「まだ決定ではない」
「決まっているようなモノですわ。ああ。そう言えば、正式に祝辞を述べてはおりませんでしたわね。此度のこと、お祝い申し上げますわ王太子殿下」
高くとも力強い、女王然としたレアンドラの声だが、内容は皮肉以外ナニモノでもなかった。
「それは婚約破棄に対してか? それとも王位継承に対してか?」
“元”婚約者の皮肉に少し腹を立てながらも、物心付く前から叩き込まれた紳士の仮面を被ってラファエルは質問を投げる。
「ふふっ。おかしなことを仰いますのね殿下。わたくしがお祝い申し上げるとしたら殿下がマリア様と結ばれることに決まっているではありませんか。
此度の縁談、ブラーツに永劫の繁栄をもたらすものと考えております。マリア様を迎えれば王国も王家も悠久の安泰を得たも同然。大変喜ばしく思っておりますわ。
それに、我らは本来望むことすら許されない立場。なのに想い合った二人が結ばれることになるのですから、わたくしお二人の幸せを願って止みませんわ。しかしながら、残念なことに直接会うことはもう叶いません。マリア様には殿下から宜しくお伝え下さいませ」
淑女らしく口元を隠して小さく笑ったレアンドラは、さも当たり前のように自らの地位を奪った年下の女に対して祝辞を述べた。中身は間違いなく皮肉ではあるが、その声からも瞳からも妬みや憎しみと言った負の感情を読み取ることは出来ない。彼女の置かれている状況を知らない者が今のやり取りを見ていたら、彼女は純粋に祝辞を述べたようにしか見えないだろう。
「そなたは野心家だと思っていた」
いや、彼女は目の前の男も騙す程の演技力の持ち主だったようだ。
「国の行く末と自らの欲望など、秤に掛けるまでもありませんわ」
これもまた皮肉である。今回は、全てがラファエルに都合良く事が運んだのだ。自らの欲望だけを原動力にした積もりはないが、結果的にはそうなった。彼にはレアンドラの皮肉に対して返す言葉が無かった。
「……本当に良かったのか?」
三年弱という微妙な時間ではあるが、ラファエルはレアンドラの婚約者として共に学園生活を送って来た。今は強い想いを抱く相手が居るとは言え、つい先日まで自らのパートナーを務めていた傾国の美女に対して情が湧くのは当然のことだろう。
「大事の前の小事に情を移していたら王など務まりませんことよ。レイダムの第一王子グラハム様は強い野心をお持ちの方。陛下や父のようなモノが国の中枢に居座っていたら、ブラーツはレイダムに呑まれてしまいますわ。殿下にはわたくしの事などに気を割く前に一刻も早く貴族達を掌握して頂かなくては」
皮肉にも、王太子に意見するレアンドラのその姿は、国母にこそ相応しい堂々たるモノである。
「先のグレンデス公ですら保守派の年寄連中には手を焼いていた。父相手よりはマシになるだろうが、王位継承の正当性が増した所でおいそれと従う連中ではない。奴らを従わせるには時間が掛かる。焦るだけ無駄だ」
レアンドラの祖父、前宰相を例に出したラファエルだが、話しているうちにレアンドラの指摘は別のことであることに気が付いた。というのも――――
「王が若返ったのですから貴族はそれに倣って代替わりすべきです。年寄には引退願うだけで充分ですわ。問題になるのはマリア様の“ご友人”。まさか、学園と同じように過ごしていて政務をお執りになれると思っているわけではございませんでしょう?」
ここ迄のやり取りで最大の皮肉を込めながら、レアンドラは微笑んだ。その言葉さえ聞いていなければ万人を魅了するような女神の微笑である。
「……解っている。後宮に入れてしまえば下手なことは出来ない」
「それで皆様納得して下さいますか?
それにマリア様は平民として育ったお方です。学業成績は優秀な方ですから政務そのものはこなしていけると思いますが、社交に不慣れなのは間違いありませんわ。賓客を、特に国外からの賓客をもてなすのは簡単なことでは――――」
「そなたが口出すことではない!」
鋭い眼光を更に鋭くしたラファエルが声を荒げてレアンドラの話を遮った。
「わたくしとしたことが出過ぎたことを申しました。申し訳ございません」
直ぐに謝ったレアンドラだが、その声にも顔にも謝罪する気持ちは全く浮かんでいない。
「……いや、良い。大きな声を出してすまなかった」
「驚いてもおりません。謝る程のことではございませんわ」
レアンドラの社交辞令的な返しを最後に二人に沈黙が落ちた。
今日のこの会合は、レアンドラからラファエルへと持ち掛けた“最後の”挨拶で、“本来”話さなければならないことは一つもない。故に一度話題が途切れるとお互い話すことがない。「さようなら」の一言で解散になってしまうわけだが……。
「それで、これからどうする気だ?」
暫しの沈黙を破りラファエルが話題としたことは、ある意味一番訊きたかったことで、ある意味一番訊きたく無かったことだ。
「あら? 心配して下さるの?」
小首を傾げ少し上目使いに自分を見詰めて質問する超絶美人のその姿にラファエルは少し動揺した。一年前の彼ならばその美しく愛らしい仕草に恋に落ちていたかもしれない。
「心配とまではいかないが、そなたが不幸になるのは目覚めが悪い」
「先程申し上げた通り、王が気を割く必要はございませんわ。父の罪はそれだけ重いモノなのですから」
「そなたに罪はない。だが守ってやることも出来ない。もどかしい気持ちはある」
現グレンデス公爵を自分で裁きながら、その罪が娘まで及んでしまうことには少なくない抵抗を覚えたているラファエルだが、それと共に王となる者にとってこの程度の決断は序ノ口であることも理解している。彼の父は幼少期を共に過ごした幼馴染を断頭台に送っているのだから。
「自ら臣下に課している法を自らで破ってしまったら、王家の権威は地に伏してしまいます。国家反逆の罪は一族郎党死罪。それを酌量され国外追放の身となったのに、これ以上慈悲を頂くわけには参りませんわ」
自らの考えを肯定する目の前の美女の笑顔が愛しい女性の無邪気な笑顔より美しく見えたラファエルには返す言葉が無い。客間には再び沈黙が訪れた。
「本題から外れた話はこの程度で十分ですわね」
暫しの沈黙を破ったレアンドラの顔には笑みが浮かんでいる。それはラファエルがこれまで一度も見たことのない魅惑的な笑みだった。
「本題?」
そんなモノがあるのかとラファエルが疑問に思ったのは当然のことである。彼はただ、此所に挨拶をしに来たのだから。
「はい。今日わたくしは――――」
翌日。レアンドラはブラーツ王国の王都シャハの港から西へ旅立った。