土地域 嫉妬
霧は煌が何か背に隠したのに気づいていた。
「煌様」
白雪が雀に手を引かれいなくなると霧が険しい表情で煌を見下ろす。
「何を隠されたんですか?」
「あー、ばれちゃった」
「煌様?」
見下ろされる険しい瞳に千歳も加わり、煌は観念したように笑い背に隠した手を出した。
「なっ!?」
「っ」
ナイフの刃を掴み、血が滲んだ手に霧と千歳は息を呑んだ。
「これぐらい平気」
「……」
「煌様も、早く手当てしましょう、こちらに!!」
「……自分でするよ、血が止まればいいしね、あの子のこと執務室で話をしよう」
「では……手当てしながら話をしましょう、煌様、救急箱を持って来ますから」
千歳が煌に微笑むと霧の肩を叩く。
「ありがと、行こう……霧」
執務室に向かう途中で流れる血と汚れたナイフを洗い流し、タオルで押さえる。
「……ふぅ」
ナイフを机の上に置き、煌が椅子に座ると霧が真剣な表情で煌に近づいていく。
「霧?」
「……」
霧は返事をせずに煌の前で膝をついた。
「!!、痛いよ……霧」
傷ついた手の手首を掴むと、タオルが床に落ち傷口が見え血が滲んでいた。
「……離せ」
煌の表情と声音が変わり霧の肌が粟立つ。
手を離してしまいそうになるのを霧は堪え、そのまま手首を引いて自分の頬に煌の手を押しつける。
「霧!!」
「貴方の血に触れることを、どうか許してください」
「駄目だ、許さない!!」
霧の頬を濡らしていく、自分の血に堪えられず力任せに手を引いた。
手に力が加わり、さらに血が滲むのが二人には分かる。
「お忘れですか、煌様……貴方の血が私の頬に触れたのは一度じゃない」
「忘れてない、ただ……あの時と今とじゃ血の量だって違う」
煌が目を伏せると手を頬に霧は擦り付けた。
「ぁ、嫌だ、霧、ゃ」
霧の頬が赤く染まっていくと煌が怯えた表情になる。
「触れるな……お前が一番、解っているだろう!!」
霧の胸に手をついて煌は離れろと押した。
「霧が霧じゃなくなったら……僕は……どうすれば」
霧は一度、手を離し煌を引き寄せ抱きしめる。
「……口にしたらでしょう」
「でも分からない、自分のことも、だから……怖い」
「煌様、聞いて下さい」
霧が震える体を抱きしめたまま頭を撫でると煌が力を抜く。
「貴方に拒絶されるぐらいなら……寵愛がほしい」
「なにを……拒絶なんて」
抱きしめていた手を離し霧は煌の瞳を見つめた。
「私に手当てをさせていただけないんでしょう」
「だって、それは」
「私を気づかってくださるのはわかっています」
煌を見つめたまま霧が切なげに微笑む。
「でも大切な貴方が怪我をしているのに……触れることを許されない」
そっと煌の傷ついた手に、もう一度、触れようと霧は手を伸ばした。
「っ」
煌の身体が微かに震えるのが霧には見えたが伸ばす手を止めず掴む。
「煌様、どうか……」
「霧……っ」
霧は眼差しで声で触れた手で乞う、二人の視線が重なった。
「どうか……許すと」
霧がもう一度、煌の言葉を待つように見上げた。
煌めく瞳が迷いに揺れる。
「ぁ」
霧が掴んでいる煌の手の甲へ、いつかのように口づけを落とした。
「……」
「……」
二人の視線がもう一度、 重なり合う。
「霧の……ばか」
こう言う煌の呟きは照れ隠しだと霧は知っている。
「はい……煌様」
「……許すから」
弱々しい声が霧には愛おしく聞こえた。
「あんまり……痛くしないでね」
「……かしこまりました」
霧が少し間を置いて意地悪く笑い煌は慌てる。
その後、千歳がタイミングを見計らったかのように執務室の扉を開けた。
霧も頬についた血を洗い流し三人はソファーに座る。
「……煌様、手を」
霧が優しい手つきで煌の手当てをしていく。
「……しかし、あの子……白雪はどうやって、ここに来たのか」
千歳は二人を微笑ましく見つつ訝しげに口を開いた。
「……志郎が関係してるみたいなんだよね」
包帯を巻ながら霧は煌の声に耳を傾ける。
「……白雪から?」
千歳の問いかけに煌は首を振った。
「霧が追いかけた二人がいたでしょう、志郎のところの使用人だ」
「……面識がある者だったのですか?」
霧は包帯を巻く手を一旦、止め口を開く。
「いや……隠れて話しているのを聞いたんだ」
「えっ」
「なっ」
「ふふ……その時、見つからなかったら志郎に殺されるって話してた」
二人の様子がおかしかったのか煌は笑いながら話していた。
「……志郎殿、ですか」
嫌そうな表情で霧は包帯を巻く手を再び動かした。
「不審な所と言えば水地域からの運搬車が増えたことぐらいですね」
霧は煌の手に包帯を巻き終えた。
「煌様、もう少し緩めますか?……大丈夫ですか?」
包帯が巻かれた手を少し動かして煌は微笑んだ。
「大丈夫、ありがとう」
霧は安心したように煌に微笑み返す。
「確か……今日、水地域からの運搬車があったはず」
千歳が思い出したように口を開いた。
「水地域か、僕は会ったことないんだけど、蒼の寵愛を受けたのは志郎の妹、接点といえばそれぐらいだと思うけど……」
「……志郎殿の妹が」
「!」
先ほどではないが霧と千歳は驚いているようだ。
「……今朝、運搬車のことを聞いた時、はぐらかされているようでしたね」
救急箱に包帯やハサミを片づけながら霧は煌を見た。
「白雪は何か知らないでしょうか?」
千歳は思案顔で煌に伺う。
「そうだね、聞く価値はあると」
「っ……私は反対です」
霧の一言に煌と千歳は驚いた。
「それに直接、志郎殿に揺さぶりをかけた方が……私が行ってきますので煌様は安静にしていてください」
「霧、落ち着きなさい」
千歳がなだめるように肩を叩く。
「っ、その傷は……あの女がつけたのでしょう」
悲しげでいて悔しげでもある表情で包帯の巻かれた白い手を霧は見つめた。
「霧、あの子はナイフを持っていた……怪我をして怯えて僕にナイフを向けた」
そう言って煌は霧に包帯の巻かれた手を伸ばす。
伸ばされた手を霧は仄暗い瞳で見つめると、その手を両手で包んだ。
「僕の手が傷ついたのは、自分からナイフを掴んだから」
「それでも……貴方にそうさせたのは……」
仄暗い光、憎しみを瞳に宿したまま霧が呟いた。
「あの子は僕と同じなんだと思う……霧と出会う前の僕と」
「煌様?」
「?」
分からないと言いたげに霧と千歳は煌を見ている。
「一人、なんだよ」
煌の呟きに二人は目を見開く。
「霧……」
包まれた手を煌は見つめて嬉しそうに微笑んだ。
いつの間にか霧の瞳から仄暗い光は消えていた。
「僕は、あの子を屋敷に住まわせようと思う」
言いづらそうに煌は霧と千歳を見る。
「っ」
霧は何も言わず目を逸らして俯いてしまった。
「……霧は嫌?」
「はぁ……全く」
俯いたまま返事をしない霧に千歳が溜め息をついた。
「千歳ちゃん?」
「煌様、もちろん……私は賛成です、雀も喜ぶと思いますよ」
そう言って煌に近づくと千歳は頭を撫でる。
「ありがとう、でも」
頭を撫でる手を嬉しく思いながら霧を見上げた。
「っ」
煌の視線から逃げるように霧は、さらに俯く。
「霧、ほら……煌様が待っているよ」
「……」
千歳が呼びかけでも霧は口を開かなかった。
「……霧」
「ぁ……」
弱々しく自分を名を呼ぶ煌の声に顔を上げたが口を噤んでしまう。
「いい加減にしなさい」
「っ……」
千歳がポンポンと霧の頭を撫でる。
「いつまで、やきもち、妬いているんだい?」
「え!?」
「っ!!」
煌が驚いて霧の顔を見ると真っ赤に染まっていた。
「……」
「……」
千歳と煌は、じーっと霧を見つめ話し出すのを待つ。
「……っ、煌様の」
その視線に耐えきれなくなったのか霧は声を上げた。
「お好きなように……私のことなど……っ!!」
早口で言う霧の肩に煌は頭を乗せる。
「霧、怒ってない?」
「怒ってなど、いません」
耳元で心配そうに聞こえる煌の声に霧は正直に答えた。
「じゃあ、霧」
乗せた頭を退け両肩に腕を伸ばし正面から霧を見る。
「……やきもち?」
意地の悪い笑みを浮かべた煌の顔が霧の瞳に映った。
「……」
霧はまた目を逸らしながら小さく頷く。
「霧、かわい!!」
「!!」
煌は霧の首に腕を回し抱きしめた。




