火地域
「ただいま~」
帰ってきた煌の顔を見て霧と雀が息を呑んだ。
「煌様、早く冷やさないと、こちらに座って下さい」
千歳は煌をソファーに座らせると雀に氷を持ってくるようにと頼む。
「何が……あったんですか」
「ちょっと、姉弟喧嘩しちゃっただけ」
「千歳様!!」
雀は焦った様子で氷嚢やタオルを千歳に渡す。
「口の中は切れていませんか?」
千歳は頷く煌の腫れた頬にタオルで包んだ氷嚢を当てる。
「っぅ」
冷たさと痛みに顔をしかめると千歳からタオルを受け取った。
「僕のことはいい、悪いけど君達には明日から僕の地域に来てもらう」
「!!」
「わかりました」
雀は困惑した様子だったが千歳はすぐに頷いた。
「生活に必要な物は用意させるし、明日中にもっていけないものは人を寄越す」
煌は言い聞かせるように三人を見つめた。
霧は煌の頬を見つめたまま動かない。
「雀、時間がない急いで用意しよう」
「は、はい」
二人の姿が無くなると霧は口を開いた。
「その頬は」
「おいで、霧」
自分の隣を煌は叩き、霧を待った。
「……」
「千里に会ったよ」
煌は隣に座った霧に寄りかかる。
「彼も連れていけたら良かったんだけど、ごめんね」
霧は自分に寄りかかる小さな身体を受け止めた。
「……煌様が……そんなこと、私のことを気にする必要はありません」
この人は両親を奪った女の弟。
母と同じ黒い瞳を綺麗だと自分を離さないと言い、出会って間もないのに、赤く腫れた頬を見て怒りが沸くぐらい絆されている。
いつの間にか、煌が自分を見上げているのに霧は気づいた。
「霧のばか」
霧は思わず見返すと不機嫌そうというのではなく、悲しげな表情をしている。
右目を覆う眼帯が無くなり視界が広がって、この人の表情がよく見えるはずなのに何を考えているのか分からない。
「ふふ、霧は本当に正直だね、いっ、う」
「だ、大丈夫ですか?」
笑ったせいか頬に痛みが走り煌は顔を歪めた。
「少し横になった方がいいのではないですか?」
煌は涙目で頷くと霧の膝を借りて横になる。
「貸して下さい」
「ありがと」
霧は煌から氷嚢を取ると具合を見てから、もう一度、頬へと当てた。
「……今日してきたことは、霧の為じゃない、自分の為だから、全部」
煌が弱々しく笑う。
霧の手に自分の手を重ねようとして止めた。
「僕は狡くて汚いから、これで霧が少しでも……僕に絆されればいいってやったことだよ」
「煌様」
霧は弱々しく笑う煌の瞳を覆う眼帯を取り、見つめ優しく微笑んだ。
「ありがとうございます」
「……なんで」
白と金が混じる瞳が大きく開かれる。
「煌様がしたことは私の為でも、ご自分の為でもあると認識しておきます」
霧は自分の言葉で動揺した煌が何故か可笑しくて嬉しい、そんな感覚にもう一度笑った。
「好きにすれば」
「かしこまりました」
初めてあった時、興味がなさそうに僕を見ていた。
他の人は違う瞳、媚びるでもなく妬むのでもない。
色のない瞳だと感じた。
それが何だか嬉しくて、気になって話かけてみたら楽しくて、もっと仲良くなりたい、離れたくないと思った。
明日は何をしようか。
「……」
明日のおやつはホットケーキがいいな。
「………」
もう帰らなきゃ。
「っ……ぃ、だ」
また明日、遊ぼうぜ。
「………まっ、て」
そんな顔すんなって、また明日、会いにくるから。
「ら、雷……音」
去って行く背中に手を伸ばしても止められないのは分かっていた。
ああ、これは夢だ、いつもの夢。
それでも手を伸ばせずにはいられなくて、泣いても何にもならないのに溢れ出して止まらない。
行かないで。
嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌。
離れないで、届かないのは分かってる。
それでも、それでも手を伸ばすことをやめれなくて。
いつも自分の手が空をきって目が覚める。
「ぁ」
けれど手に温かな感触がして目を開けた。
頭の下に柔らかな感触がある。
「煌様」
「き……り?」
「大丈夫ですか?」
霧が心配そうに見下ろして煌の手を掴んでいた。
「ん」
呆然としつつ、煌は喉を押さえ起き上がる。
「水を持って来ます」
水の入ったグラスと濡れたタオルを持ってきた。
グラスを受け取り渇いた喉を潤す。
「ありがと」
煌は空になったグラスを渡し微かに笑う。
受け取ったグラスをテーブルの上へ置くと霧は煌の隣へ座った。
「煌様、こちらを向いて目を閉じてください」
「ん」
煌は言われた通り目を閉じ顔を向けると濡れたタオルが触れ、目元や頬を拭う。
「沢山の話をして」
「?」
唐突に霧が話し出し煌は目を開けた。
「過ごしたりしたら変わるのかも……しれないのでしょう?」
紫と黒の瞳が真っ直ぐに見つめている。
煌は呟き頷いて、とても嬉しそうに笑った。
「霧、僕は……守れなかったんだ」
拭ったはずの雫が笑う煌の大きな瞳から、また溢れてはこぼれていく。
「また明日って言ったのに……っ、あの子は雷音が死んだって聞かされて信じられなくて探して」
「煌様」
霧が優しげに呼び抱き寄せると、煌はそのまま胸にしがみついた。
「僕のせいだ、僕のせいで消えたんだ、雷音もあの子の両親も僕が近づき過ぎたせいで……殺された」
胸にしがみついたまま霧を見上げる、その瞳は縋るように信じてくれと訴えていた。
「っ、アイツが殺した!!、あの男が殺したところを見たわけじゃない!!、ただアイツの眼を見た時に……」
「信じます、煌様」
抱きしめていた手を離し霧は両手で煌の頬を包み涙を拭う。
「霧、僕が霧を霧の大切なものを守るから、だから、離れないで、傍にいて」
煌の姿は幼子が親の温もりを求めるようにも、弟が兄に甘えるようにも見えた。
「私も守りたいです、何も失わないように強くなりたい」
霧の瞳に強い光が宿る。
いつの間にか煌の涙も止まっていた。
「霧、お前は」
煌は霧を見つめている。
煌の声音に霧は肌が粟立ち思わず見つめ返す。
その大きな金と銀が混じる瞳に囚われたかのように体が動かせなくなる。
しかし、不快だとは思わない不思議な感覚。
「自分の手で朱鷺を殺したいか?」
「はい」
霧は瞳に強い光を宿したまま呟いた。
「なら絶対に、その機会をお前にあげる」
ぎゅと煌は掴んだ手に力を入れる。
「でも今の霧じゃダメだ、今の、お前は正直で人を殺したこともない」
不思議な瞳の感覚は消え優しく霧を見つめると愛らしく微笑んだ。
「僕がお前を変えてあげるよ、霧」




