火地域
しばらくして千影の遣いが手紙をもってやってきた。
場所は上流階級地区にあるレストラン、しかし遠回しに霧は連れて来るなという内容も添えられてあった。
「こちらの店です」
煌の傍らには千歳がついている。
指定された店の中へ入ると千影が立っていた。
煌はコートを脱ぎ千歳に渡す。
「っ、煌様」
煌の姿を見た千影が何か言いたげに眉を細めた。
煌は白いシャツの上に、コバルトブルーのジャケットと半ズボン、そして右目に黒の眼帯をつけている。
「その眼帯は……」
「霧の」
わざとらしく見せつけるように眼帯に手を添え、千影を見上げた。
「この服も霧の小さい頃のなんだ、似合う?」
「似合います!!」
「えぇ」
千影は笑顔で頷く千歳を睨らみ相づちをうつ。
「ご案内いたします、こちらへ」
この店は個室のタイプらしい、千影が扉を開け煌は中へと入る。
すると赤く艶やかな長い髪と揺らめく紅玉の瞳が煌を捕らえた。
「朱鷺姉様、お会い出来て嬉しいです」
朱鷺の後ろには、紺色の髪に左目は紫色で右目が緑色に眼鏡をかけた男が立っている。
眼鏡を取ったら霧に似てるなと姉よりも後ろの男のことを気になったが煌はテーブルの向こうにいる朱鷺に近づき微笑んだ。
「私もよ、煌」
朱鷺は妖艶に笑い返し煌に向かって手を差し出す。
煌は跪くと朱鷺の手を掴み口づけた。
「いい子ね、でも、そんなモノ……お前に似合わなくてよ」
朱鷺は見下ろすと煌の右目へ手を伸ばす。
煌はその手を、避け立ち上がると朱鷺の後ろにいる男の光のない瞳を見上げた。
「姉様、こちらは?」
「……千里よ」
朱鷺が名を呼ぶと彼の瞳に光が宿る。
「朱鷺様、お呼びになりましたか?」
ゆっくりと表情が動き朱鷺に向かって微笑んだ。
「へぇ、霧に似てる」
「!!」
煌の一言に、その場が凍りつく。
「………き、り」
「!!」
千里の瞳から一滴の涙が流れた。
「千里!!」
「に、兄さん」
「あぁ~、やっぱり、千歳ちゃんにも似てる」
煌は千歳の腰あたりに抱きつき、朱鷺が千里にしがみついて叫ぶ。
「千里、せんりっ」
「き……り…」
「っ!!」
「あれ?、泣いているよ、姉様……かわいそうに」
痛いところでもあるの、と首を傾げる。
「き」
「っ、せんりぃ!!」
「ぅぁ、っ、ッと…きさ」
朱鷺は美しい顔を歪め名を繰り返し呼ぶと千里の瞳が朱鷺だけを捉え始める。
「と……朱鷺様…お呼びになり…ま、したか?」
「ぁ、千里」
自分の名を呼び、微笑む千里に朱鷺は落ち着きを取り戻した。
「朱鷺様」
そんな朱鷺の姿を千影は悲しげに見つめている。
「あの……姉様?」
煌は千歳から手を離すと朱鷺の様子を伺った。
「っ、お前……わざと、名前を」
朱鷺が見た煌の表情は嘲笑っているように見え、怒気の孕む赤い瞳で煌を見下ろした。
「どうしたの、姉様?」
朱鷺に見せつけるように煌は眼帯をなぞる。
「よくも許さないッ!!」
「煌様!!」
「朱鷺様!!」
煌に向かって朱鷺は手を振り上げた。
千歳と千影の声が重なる。
煌は避けずに笑みを浮かべたまま朱鷺を見上げていた。
「っう」
朱鷺の手は煌の頬へと振り下ろされ、頬が痛々しく赤くなっていく。
「ねぇ、朱鷺姉様……お願いがあるんだ」
「誰がお前の願いなど」
朱鷺がもう一度、手を煌に向かって振り上げた。
「このことを陛下が知ったら、ふふ」
頬に手を添えながら煌が、ますます楽しげに見え朱鷺の振り上げたままの手が震える。
「姉様、僕の……お願い、聞いてくれる?」
「陛下はお前のことなど私をし、信じてくださるわ、お前が悪いのだから」
振り上げた手を下ろし、朱鷺の声が震えだした。
「陛下、僕が悪いのです」
「っ……煌」
「姉様、姉様に……お会いしたくて、わがままを」
悲しげに瞳を潤ませ語る姿は愛くるしく庇護欲を駆り立てる。
「姉様はお忙しいのに」
「お戯れは程々になさいませ、朱鷺様を愚弄するなど煌様だろうと私が許しません」
千影が守るように朱鷺を背に隠し睨むと千歳が煌の前へ出た。
「姉さん、貴女こそ煌様に意見を述べるなどと……立場をわきまえてはいかがですか?」
「ッ、千歳、貴様も兄と同じ道を取るか!!、この地域に住まう者は全て朱鷺様の物、優先すべきは朱鷺様だ、それをッ!!」
千影が怒りに、まかせて拳を作る。
「すぐに手を出そうとする、野蛮だなぁ」
煌は、また千歳の腰に抱きつく。
このまま、あの時と同じように千歳の腹を殴れば煌に当たってしまうと千影が唇を噛んだ。
「確かに火地域にあるモノは朱鷺姉様のモノ、でも姉様は優しいから僕が欲しいって、お願いしたらくれるよ、ねぇ?」
千影の後ろにいる朱鷺の身体が跳ねた。
「……何が望み?」
「!!、朱鷺様」
虚ろな瞳のまま朱鷺の傍に控える千里を煌は指差す。
「この人が欲しい」
朱鷺に向かって言っているのだというのに煌は千影を見上げ笑う。
「いいよね?」
「っ」
「ふざけないでよッ!!」
朱鷺が千影を押しのけて怒鳴る。
「この人は私のモノなのッ、私だけのモノよ!!」
私のモノだ、と繰り返し喚き散らし、テーブルの上に並べられた皿やグラスを掴み床に向かい投げつける。
「煌様、危ない!!」
千歳が破片から庇い煌を抱き竦めた。
「っうぅ」
飛んだ破片が朱鷺の手の甲を掠め傷をつける。
「朱鷺様!!」
朱鷺の傷から血が流れ、床を濡らす。
「……千里」
心配し駆け寄る千影の名ではなく、朱鷺は千里の名を呼んだ。
「朱鷺様」
千里は血の流れる朱鷺の手を強く掴むと唇を寄せた。
「んん」
傷口に夢中で舌を這わせ血を嘗めとる。
「んふぁ、く」
「ふふ、くすぐったいわ」
朱鷺が勝ち誇った表情で煌に視線を寄越した。
「この人は私がいないとダメなの、ふふ…私の血がなくては動けなくなる」
「そうですか、では彼の弟夫婦がほしいです、姉様」
「!!」
「好きになさい」
「ありがとうございます」
千歳と千影は驚いた様子で朱鷺はどうでもよさそうに答えた。
「千歳ちゃん、ケガは?」
「あ、ありません…あの」
「さぁ、帰ろ」
千歳は立ち上がり何か聞きたそうに口を開いたが煌が手を引く。
「煌様、愚弟が貴方の役にたつとは思えません」
「……」
千影が千歳を馬鹿にしたように笑い睨んだ。
「兄と弟、そして甥まで、僕らに選ばれて……嬉しいだろう?」
千影の表情が一瞬、悔しげに歪む。
「っ、それは千歳にも寵愛を授けると」
「ふふ、千歳ちゃんと雀ちゃんはとても仲良しなの、千影も知っているでしょ」
煌は千影を馬鹿にしたように笑んだ。
「そんな二人に寵愛を?、僕だけを見るように?」
朱鷺の血を夢中で貪る千里に煌は視線をやる。
「僕には、そんな真似できないなぁ」
「ふ、千影、ぁ…放っておきなさい…ん、煌はまだ子供なのよ」
朱鷺は千里を見つめ吐息を漏らす。
「姉様、僕はこれで失礼します」
「ぁ、ん…千里ぃ」
聞こえていないだろうなと思いながらも煌は朱鷺に微笑んだ。
「煌様お送りいたします」
「千歳ちゃんがいるから大丈夫、明日には帰るから手続きは今日中にしてね」
千影は渋々と言った様子で頷くと扉を開けた。
「それじゃ、また会いに来るよ」




