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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ラクシエンタ

第1話 光差すラクシエンタ

作者: 小町

 この物語の舞台となるのはラクエンタ旧市街。そこはダンボールと、ベニヤ板の継ぎ接ぎハウスと、安っぽいピンクライトで構成される暗黒街である。欲望が渦巻き、暴力は舞い上げられ そこから見えるはかなき夜空には、帳に吊り下げられた幾千の叶わぬ夢が浮かんでいる。それを下のごみ駄目から眺めるのが、ラクシエンタ旧市街に住み着いた彼らの常である。何たる無常か。ここは、そんな結露が浮くような湿った街である。


 この再開発から取り残された無秩序なラクシエンタへ入る方法は唯一つ。何もかもを失ってから、鉄で出来たドンウォン橋を渡るのである。必要なのは最下級民となる覚悟ただそれだけだ。


 そんなドブ底へまんまと滑り落ちた男が一人いる。名をトレバーという。彼はリストラ、闇金、虫歯。この絶大なる三コンボによってラクシエンタ旧市街へとノックアウトされてしまった。金を失い家を失い家内を失いという三重苦によってもう起き上がれなくなってしまったトレバーは、正しく哀れな持病持ちの羊である。ああトレバー、可哀想に。

 この旧市街へときて彼の仕事は一変した。糊のきいたスーツはスウェットへと変わり、社員証は配給カードへ、サラリーは炊き出しに変貌、そしてセールスはごみ漁りへと、急速に変わっていった。


 彼はこの旧市街においては浮浪者同然だった。だが恥じることはない。ここに住む者皆家などない。廃材を持ち寄って造った犬小屋同然の物体に皆が住んでいるし、本当に犬と一緒に住んでいる者もいる。『審判者』は湾岸方面にある沈んだコンテナを住居にしているし、マンホールの下を我が家と呼ぶ者もいた。下水道は皆にとってイースト川であり、薄汚れたスラムはウォール街なのである。


 ここでも男は表同様(最下級民は旧市街を裏、橋より外を表と呼ぶ)日々せっせと暮らしていた。一かけらのチョコレートをもらう為に配給に並んだり、誰かの小便を温かなスープと信じて飲んでみたり、そこらの動物何かより遥かに野性的な孤児達と共に食料を探す旅に出たりもした。彼らは小さなソルジャーだ。

 どんな政治活動家よりも活発的で、飢餓感を武器とする。その少年達のタスクフォースでの遠征では、見事にエンディナル農場と名の付いたオアシスを発見するに至り、皆で家畜用の飼料を貪り食い、豚を一匹絞め殺して持ち帰っては皆を驚かせた。だがこの心温まる話は次回とする。

 兎に角、ここは、そんな社会からあぶれた者の流れ着く、陽も差さなければ匂いも抜けぬ掃き溜めなのである。


 そんな風にしてここで暮らすこと二か月余り。トレバーにはなんとお友達ができた。お友達といっても人間では無く、ダンボールハウスで共同生活しているドブネズミのトニー君である。彼はダンボールハウスに住み着いた瞬間から、陰惨な顔付に似合わぬ十年来の親友の如き親しみを感じさせ、あらゆる事に精力的に取り組む姿をトレバーに見せつけた。

 気取った風に歩いては余所の牝にアピールしたり、トレバーのすねを齧っては血を舐めたりと、彼は丸々としたネズミのわりに躍動的だった。

 物質的に満たされない生活の中で、トニー君はトレバーの癒しになりえたし、彼との共同生活は馬鹿風な連中とホームシェアするよりもずっと、生活の質を向上させてくれるのだ。


 これはそんな、失業者トレバーと陰惨極まりないトニー君の話である。


 トレバーが旧市街で関わった色々な人物の中に、ウィスパーという男がいる。今回はその話をするが、残念なことにトニー君は登場しない。しかしトニー君は、ママ・ルヴィンの家の鍵やテレビのリモコンよりもずっと神出鬼没で、『火星人』と出会った話や、旧市街でオーロラを見た(通称『ガスレイン事件』)時の話にもちゃっかりと登場する。大活躍するなんてことは稀だが、いつもその愛くるしい身体を使ってトレバーを導いてくれる。


 おっと。話をウィスパーに戻そう。ウィスパー(本名ウィスパー・ドドニク)はとんでもなく知的な男で、配給に並ばずとも食物の入手法を知っているし、いつも革命の事を考えている。それは、表と裏を入れ替えてやろうという野望だ。ただ支配者の名前を変えるだけの革新ではないと、ウィスパーはいつも語るのである。何もかも上手くいっていた時代へと回帰し、奴らの頭上にダモクレスの剣をぶらさげてやるのだ。


 ウィスパーは自分の空腹を訴えるのに忙しくしているような人間とは根本から違う。彼と共に立てばあらゆる恐れを排斥してくれるような心強さが与えられ、腹の底に力が湧くようであったし、対面すれば逆に自分の無力さ非力さを、脳に直接叩き込まれるように否応なく理解させられてしまう。

 今では彼ウィスパーとは無二の友人で、たまにチャイニーズレストランへと『少佐』も連れて三人でジンを飲みに行く仲だ。そんな才能と魅力が横溢している彼と出会ったのは、長閑な昼下がりだった。


 ここラクシエンタ旧市街では、毎週日曜日の午後に映画館で公開処刑が行われている。それは嗜好品が絶望的に手に入らないここでは立派な娯楽となっている。毎週多くの者が、友人や、恋人や、家族を連れてくるものだから大変な混雑だ。映画館とは言っても跡地であるから、残っているのはステージとそれから建物の骨組みだけで、椅子はない。だからみんな立ったまま、足を踏み鳴らし、腕を振り、大声を上げて、ステージで起こる死を熱狂と共に見るのだ。


 トレバーは、公開処刑をその日初めて見に行った。その日ばかりはどこを見ても人が多くて、眩暈がしそうになった。映画館に着けば、右手にある深い油溜まりに痩せ老いた犬が沈んでいた。溺れ死んだのか、もがいたように辺りには油が飛び散っている。廃油塗れになった犬を見ていたトレバーだったが、すぐに人の波に押し流されて映画館へと押し込まれてしまった。


 中はペンライトのように頼りない照明しかなく、唯一明るいのは火の焚かれているステージのみだ。ドラム缶には火がくべられ、そこへ何本もの鉄の棒が刺さっている。館内は茹だるように熱く、何かの集会を思わせるが、ステージには手枷の付いた人間が三人いて、ここが確かに刑場であると教えてくれた。

 熱狂に身を任せてから暫くすると、何やら一人の男が壇上へと上がってくる。彼は拡声器を手にもってようこそ皆さまと、拡声器を持たなくても端から端まで聞こえるような声で言った。観客が雄叫びを上げる。今にも彼らはスクラムを組みだしそうな勢いだ。トレバーも、周囲に煽られる様に叫んだ。


 男は、自分の事を『審判者』であると述べた。罪人の罪を推し量り、罰を決めるのだと。まったくの偶然にもトレバーの横にはウィスパーが立っていたのだが、この時は気づかなかった。スラムに舞い降りし『審判者』は観客に口上を述べると、パイプ椅子をある罪人の前に下ろして、座った。

 そして、まるで罪人を拡声器で攻撃するように、名前を聞いた。罪人の女は、怯えを混じらせた声でエリーであるといった。『審判者』は待ち構えていたかのように、聞きましたか皆さまと叫んだ。

「この女はエリーと今言ったのです。エリーだと」

 それから『審判者』は、女性犯罪者の名前についての統計において最も多い名前はエリーだという事実を知っていますか?と観客に聞いた。観客は吠え散らかした。最早彼らは物を理解せぬ獣だ。そうでしょうそうでしょうと『審判者』は頷き、もう一つエリーという名前についての根拠無き考察をひけらかした。『審判者』のその様は衒学者の如くトレバーの眼には映った。


 次の質問に参りましょう。『審判者』は言う。

「貴方の年齢は?」

「31です」

「貴方の大切なものは?」

「……」

 女は突然沈黙した。そして、目尻に涙を浮かばせる。

「貴方の大切だったものは?」

「娘です」

 ほほう。『審判者』はまるで誰もが見落としていた矛盾を見つけてしまった子供のように首を傾げた。

「それはおかしい。この罪状によると、貴方は実の娘を殺した罪でここへ来たとありますが」

 女は、私は何もしていませんと答えた。娘は殺されたのです。本当ですという言葉を付け加えることも女は忘れなかった。途端に『審判者』は、拡声器を振りかざし、まるで彼女が世紀の愚か者であるように糾弾した。

 皆さまご覧ください。この卑しい女を。この顔が見えますか。なんて醜い。彼女は実の娘を殺したにも関わらず、なんと、なんと言い逃れを始めました。これは前代未聞だ。私はここまで酷い物を見たことがない。ああ、神様。私はどうしたらよいのでしょうか。『審判者』がそう言うと、観客は殺せと叫んだ。

「そう、そうだとも」

 拡声器から大きな声が飛んでくる。それはまともな思考を粉々に砕いてしまう。その通りです皆さま。その通りなのです。どんどんと映画館はヒートアップしていく。彼女は本当に私じゃないんですと叫び、トレバーは周りの人間の頭が沸騰してしまうのではないかと心配になった。


「私は今ここで、証拠をつかみました。それは彼女の劣悪な人間性です。皆さまも確りとご覧になったでしょうが彼女程の醜い……」

 トレバーは何だか気分が優れず、工事現場の如く喧しい『審判者』の声すら耳をすり抜けていった。軍隊のように客は足を踏み鳴らして地鳴りが起きていたし、大勢の熱と汗が混じり合い、刺激臭すらここには漂っていた。トレバーはふいに帰りたくなった。自分は、このような物を見に来たのだったか。唯の好奇心に誘われて足を踏み入れたのが、間違いだったのかもしれない。


 トレバーが、映画館を出ようと踵を返して歩きだそうとした時だった。誰かに腕を掴まれた。

 その腕の主をトレバーは見上げた。黒檀のような膚を持つ大柄な男。その男の、心を惹きつけるような眼が、トレバーを捕らえていた。その人物こそがウィスパー・ドドニクであったのだ。とんでもなく知的で、恐ろしく存在感があって、ユーモアも併せ持つ。彼の持つ雰囲気は彼を彼以上の存在に見せる。


 帰りたいのか?そうウィスパーは聞いた。トレバーは頷く。もう少し待つんだ。そうウィスパーは言って人を掻き分けて前へと進んでいく。彼はすぐに見えなくなった。何をしようというのだろうか。トレバーは入ってくる拡声器からの声を遮断しようとした。

「皆さま、エリーの。いえ、この女の判決が決まりました」

 観客が死刑だと叫んだ。『審判者』は腕を高く突き上げて、そうともと叫んだ。

「この女をキャンディの刑に処す」

 そう聞こえるや否や観客達は串刺しだ串刺しだと床を打ち鳴らす。その様は暴動か何かのようで、一種宗教的な恐怖をトレバーは感じた。拡声器から流れる声がピークを迎えた瞬間だった。あらゆる音が遮断された。映画館は静まり返る。無音が、耳に痛いくらいだった。トレバーは突然の静謐に驚いてステージを見上げた。すると、そこには壇上に上がったウィスパー・ドドニクが『審判者』を投げ倒している姿があった。


 観客は口を開け、ウィスパーはドラム缶を蹴り倒す。ぶわっと炎が波のように広まったかと思うとそれは蛙のようにステージに伏していた『審判者』に燃え移った。誰もが叫んで、彼の名を呼んだ。壇上でウィスイパーは、あの眼で(トレバーの勘違いなどでは無ければ)確かにトレバーを見ていた。そして転がった拡声器を彼は踏み壊した。その耳障りな音は『審判者』の断末魔のようだった。



 その後、ウィスパーをトレバーが我が家へと招待したのは言うまでもないことだ。ウィスパーはトニーを一目見て気に入り、またここへ来ると約束し、ラクシエンタ旧市街の最奥へと消えていった。これが、友人ウィスパーとの出会いである。

 もし次回があるなら、きっとその時は少年達のタスクフォースの話をしよう。





連載にすると書かなくてはいけなくなるので短編で

もしあれば第二は『少年達のタスクフォース』か『あなたが好きです』

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― 新着の感想 ―
[一言] 続きが気になる人が、ここに一人はいます。 ので、こっそりアピールしておきます。 続編では、トニー君が活躍することも希望!
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