表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/10

08

 木に上るどころか、膝下までの高さがあるベッドにも上るのに苦労するようになり、海苔の佃煮の瓶すら自力で開けられない、いや、菓子パンの袋ですら手が震えて破れなくなった父のために、俺は良い施設はないかあちこち探し歩いた。

 さすがに酒を飲んでばかりいられない状況だったせいか、その時の俺はいつになくしゃんとしていた。髪も短く刈り、髭もあたり、昔のスーツを着ていかにもこざっぱりした男のフリをしてあちこちの施設を見学して回った。

 父は徘徊を繰り返し、俺が不在の折にもたびたび家を抜けだしては、近所の家に勝手に上がり込んだり、独りで土手を下って川原に呆然と座りこんでいたり、と話題にこと欠かなかった。

 失禁や便を漏らすことすら頻繁になり、いくら紙おむつとは言え、家の中には絶えず動物の飼育小屋にも似た不快な匂いが漂っていた。俺は神経質に濡れた雑巾を持ってあちこち拭きまわり、何度も洗濯を繰り返した。

 下半身脱がせたままでも父はぼんやりと、俺がシャワーで体を流してまたおむつを穿かせ、ベッドに導くまで俺の傍に背後霊のように佇んで待っていた。


 ついに、父が家の中で倒れているのを見つけた時には「ようやく」という思いしかなかった。

「だいじょうぶか」

 それでも、そう声をかけて揺さぶってみる。

 父は不明瞭な口調でなにかつぶやいた。

「何だ?」耳を近づけるとこう聴こえた。

「カズコか」

「俺のどこが姉貴に見えんだよ」そう毒づいてやると、ふう、と息を吐いて

「もう、放っとけ」

 とだけ言って、あとは目をつぶった。

「俺を犯罪者にするつもりか、ヴォケが」そう言い捨てて部屋を出る。

 ダイアナ妃も確か、死の間際に「放っといて」って言ったんだよな、俺は119をダイヤルしながらそんな事を思っていた。


 しかし、父は死ななかった。

 そのまま入院、そして、意識が朦朧とした状態のまま別の老人向け病院になだれ込むように入院。空きができたのは奇跡だと言われたが、かつて一度そこを見学に行った時に、実は気づいていた……そこから出る時には裏口から家族に見送られてしか方法はなく、しかも、その頻度はかなり高いらしいと。


 一切の医療的行為は不要、と入院当初のアンケートに書いたにも関わらず、それからずっと父の容態は安定していた。

 代わりに俺は、みるみるうちに衰えていった。

 家の中に溜まった酒瓶だけが、俺の生活記録だった。そして結局、酒屋の前から病院に直行。

 詳しい検査の結果、治しようもない腫瘍の転移が見つかった。

 俺は、父より早く人生のゴールに達しようとしていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ