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03

 母が早くに亡くなってから、父は再婚もせずに、近所の大きな農家の手伝い仕事をしながら俺たちきょうだいを養っていた。

 元々雪深い地方で生まれ育ち、中学卒業とともに勉強が嫌で家を飛び出したのだが、そのまま北海道の親戚の家に入って2年ほど酪農の手伝いをしていたのだと言う。

「マサあんちゃんはね」

 何か親戚の集まりの時、父の郷里で叔母が笑いながらこう言ったことがある。

「北見で、見合いさせられそうになってぇ、そんで逃げって来ちゃったんだよ、はあ」

 それで故郷を通り越し、花のお江戸も通り越して何故か静岡にやって来た。

「ここは雪がなくていい」

 一度だけ、そう言ったこともあった。

 最終的に現在の場所に落ちつくまでにはまだ何ヶ所か放浪したらしい。


 ずっと昔、姉が広告の裏に父の年表を作って指を折って数えてからこう聞いたことがあった。

「北海道が2年で、17で出てから、静岡で落ちついたのが22……間はどこにいたの?」

「あちこち」

 父が語ることばは、どこか東北のにおいがした。

 いつも会話は短くて先が続かなかった。


 不自由したという記憶は特にない。

 母がいないのも、中学の間は少し寂しく感じた時もあったが、父がずっと世話になっていた『本家』の小母さんなどが何くれとなく面倒を見てくれた。高校受験前の下見や学生服の採寸にも付き合ってくれた。

 高校、大学は奨学金制度をフルに使わせてもらい、授業料免除の申請もいつも受理された。


 姉も同じく、大学まで何不自由なく過ごした、気が付いたら彼女は海外への留学が決まっていた。

「あきちゃん、父さん頼むね」

 そのことば一つだけ置いて、彼女は羽ばたくようにどこか視界の果てへと飛び立っていった。その後会っていない。

 父は最初の内こそは大層心配したように

「カズコから連絡こないか」

 とよく言っていたが、父さんに連絡が無いものを俺にある訳がない、と何度か言ってやるうちにようやく大人しくなった。

 いや、その頃にはすでに親父と呼んでいたかも知れない。

 俺もその頃は充実した学生生活を送っていたので、父の寂しさに気づく余裕すらなかった。


 サークルの吞み会があって、帰りが遅くなった。飲んでない友人に近くまで送ってもらい、俺はよろめきながら家に向かう。

 姉はもう家に居なかったので、俺が少なくとも3年にはなっていた頃だと思う。

 家に着くと、うちの中は真っ暗だった。


 珍しいことではなかった。

 父は夕飯の後、よく近所の一軒きりしかない飲み屋に出かけて行った。

『本家』から独立してからは、お情けで譲ってもらった家の狭い敷地以外には土地がなかったため、彼は近所の塗装屋に弟子入りし、その頃にはそのペンキ屋の従業員となっていた。

 仕事のことはあまり話さなかったが、50過ぎてから何故今更ペンキ屋に? と聞いたら

「昔は看板描きになりたかった」

 と一度だけそう答えた。

 どこまで真面目なのかは判らなかったが、ずっと後になってから片付けをした時に彼が若い頃描いたらしいマリリン・モンローの肖像が出てきてその時の言葉を思い出した。

 どこかの映画館でもらったらしいポスターの裏に、鉛筆で丁寧に、陰影までかなりそっくりに描かれていた。絵を習ったと聞いたこともなかったので、完全に独学だったのだろう。この絵が描かれたのはきっと、北海道を出てから彷徨い歩いている最中だったに違いない、と何となく思い、そのまままた丸めて押し入れに戻していた。

 しかし父は、そのペンキ屋で働き出してから少し酒量が増えていった気がしていた。

 飲みに行く回数も増えていたようだ。


 いつものように茶碗と箸、小皿が流しの中にきっちりと積み上げられていたので、俺はそれらをざっと洗い、かごに伏せてから冷蔵庫からビールを出した。

 テレビをぼんやり眺めながら、それにしても親父遅いな、と少しだけ気になった。

 たいして面白くもないドラマなのに最後まで観て、ついでに来週の予告も観てからようやくサンダルをつっかけて外に出る。

 秋とは思えない冷たい風が、トレーナーの裾をはためかせる。

 送って来てもらった時はもっと暖かかったのにな、そう思いながら前の畑を通り抜け、飲み屋の方に数十メートルだけ歩いていく。

 しかし、あまりの寒さに急に酔いが醒め、俺は踵を返して家へと戻った。

 玄関に立った時、

「おい」

 どこかから、短く呼びかける声。きょろきょろしても声の出所が判らない。

 しかし、父のようだった。

「どこだよ」

「ここだ」

 少し探してしまった。暗がりの中、敷地の境に畑の主が植えていた柿の木、その根元に父は長く横になっていた。

「何してんだよ」

「涼しいから」

 酔いつぶれてしまったようだった。

 俺と同じで、父も酒が弱かった。もう少し歩けば家に入れたのに、どうしてそんな微妙な場所を選んだのか理解に苦しんだ。

「凍えるぞ」

「雪は降らねえ」

 そういう問題じゃねえだろ、俺は多分そんな事を言いながら、父の腕を引っぱって起こし、家へと連れ帰った。


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