02
「おとうさん」
そう呼びかけた時のことがひとつ、白い天井にぽっかりと浮かび上がった。
生温かい夜風の中、見上げた父の表情は、淡々としているようにもみえた。
「ねえおとうさん、本当にだいじょうぶなの?」
彼は「ん」と短く声を発し、暗がりの中、白い手すりを乗り越えて川原へと降りていった。
お盆の『あげんだい』という行事が、俺の田舎で始まった年のことだ。俺は小学2年だった。
父はなぜか、『言いだしっぺ』の中に入っていた。やろうと言いだしたのは誰なのか知らないが、地域に一軒しかない飲み屋で、どうも急に話がまとまったらしい。
父は俺と3つ上の姉を置いて、近くの公民館へと足しげく通っていた。何をしているのか聞いても、「ん」としか答えない。ようやく「お盆に見てろ」と答えてくれた。
お盆の夕刻、僕と姉は父に急かされて近くの河原へと急いだ。すでに人が大勢集まっていた。
小学生でも剛腕ならば向こう岸にまで石を飛ばせるような狭い川の、これまた狭い中州に、見たこともないような巨大な松明が三本、薄闇の中唐突に立っていた。
松明の先端はそれでも、皆が立っている土手沿いの道から更に数メートルは上だった。
「さあみんなで火ぃつけるぞぉ」
いかにもお祭好きといった明るい声がどこかで響き、わあっと人波が動き出した。
近くの空き地には小さく括られたつけ木が山ほど積まれていた。
世話人らしい人たちが、その赤松の根を細かく束ねて長く持ち手を伸ばしたものに次々と火をつけていった。
集まった人々が我先にとそれを奪い合う。
みるみるうちに、松明に向かって橙色の投げ火が弧を描いた。
俺も、姉ももちろん両手にその火を貰い、えいっ、と勢いよく巨大なマッチ棒のような松明に向けて投げ上げた。
笑いや嬌声、飛ばしたものをとんでもない所に落としてしまいあわてふためく声、人々は野生に帰ったかのように一心不乱につけ火を投げ続けている。
しかし、うまく松明の頭に乗ったものがなく、いつまでたっても大きなかがり火は燃え上がる気配がない。
俺は不安になって、父を見上げた。
「おとうさん」
そこで、父は動いたのだ。
黙って土手に降り、人々がまだ大喧騒の中で腕を振りまくっているその暗がりの隙にすっと入り込み、火の玉があちらこちらに無軌道に飛び回る中、3本の松明のまん中ひときわ高くそびえるその棒を猿のごとく昇っていった。
手には一つ、かがり火を掴んだまま。
やがて、まん中の松明に、ぼお、と炎が上がった。歓声があがる。
「そうだ、上に乗せるように投げろや」
誰かが陽気なだみ声で叫び、更に放物線の数が増えた。
間もなく、左の、そして右の松明にも火が乗った。三本の松明はごうごうと炎をあげ、どんよりと暗い空をいっとき、あかく暖かく染め上げた。
気がつくと、父が隣に帰っていた。
そっと見上げた、その横顔はじっと踊る炎を見つめていた。
俺はいつの間にか息を止めていたのに気づき、ふうっ、と大きく息を吐いた。
「もう帰ろう、投げるもの無くなっちゃった」
姉の脳天気な声が、ぱちぱちとはぜる薪の音にかぶさる。
まん中の松明からがさりと黒い塊が川原に落ちた。きらきらとした火の粉が立ち上った。
俺が父と手をつないで歩いたのは、その晩が最後だったかも知れない。
それから間もなく、俺は「おとうさん」から「父さん」に呼び方を変えた。
あげんだい祭はあの年に唐突に始まり、父は数年は何かと関わっていたようだったが、そのうちに自治体のニュースで取り上げられ、ローカルニュースの話題になり消防車まで待機するようなイベントになる頃には、もうすっかり興味を失ったように集まりから抜けてしまっていた。
何年か祭がくり返された頃、すっかり他人事のように夕餉で杯を重ねていた父に、姉が訊ねたことがあった。
「もうあの遊びはやめちゃったの? あんなに張り切ってやってたじゃん? 最初の時なんてタイマツにまで上っちゃってさ」
答えないかと思ったほどの、かなりの間をおいてから父がぽつりとつぶやくように言った。
「……あれは、母さん初盆だったから」
俺たちきょうだいははっとして、それからそれぞれのタイミングでさりげなく仏間に使っている玄関先の部屋に目をやった。父には気づかれないように。
父が器用にミカン箱を改造して、丁寧に黒く塗りあげた仏壇に、母の写真だけがにこやかに笑っている。
母が亡くなった時にも、その後にも特に父は何も言わなかったので、それまであの松明が母と関係しているなどと一度も思ったことがなかったのだった。
祭は現在、休止となっている。あまりにも大きくなり過ぎたのか、材料を集めるのが大変なのか、規模の拡大が地域の負担になり過ぎたのか。
所詮はそういうものだ。俺はまた天井を見上げる。ふと目をそらせると点滴のバッグからひとつ、小さな泡が上がって消えた。