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 特に意識もしないうちに四十九日も過ぎた頃、俺の再入院が決まった。


 今度はまるで何も残さないよう、家の隅々まで片付け始める。

 父が使っていたベッドや布団も、そのまま業者に運んでもらった。

 何でも引き取ります、と書いた幟を立てた2トントラックが、他の家具も気軽に積みこんで行ってくれた。

 もっと早く来てもらえれば、父親ごと運んでくれたのかも知れない、いや、俺だってベッドに寝たまま引き取ってくれるだろう、そう思って焼酎のボトルを手から提げたまま、トラックのテールランプを見送っていた。


 がらんとした可愛らしい平屋には、まだごちゃごちゃと細かいゴミが残っている。押入れには結構、古くからの物が詰まっていていくら退治してもいつの間にか沸き出しているようだった。

 燃やせるものだけでも自分で、と隅に残っていた段ボール箱をまた庭に持ち出す。

 マリリン・モンローの絵が出て来たので丸まった筒のまま、箱の上に載せて外に持って行こうとした、が、玄関先でそれだけ落としてしまったので、とりあえずそのままにして先に進む。


 今度は誰もギャラリーはいなかった。

 季節はいつの間にか、秋の終わりを迎えていた。


 焼却炉の周りに、吹き溜まった落ち葉が山になっていた。それをかき分けるようにして、俺は箱を近くに据え付けた。 

 箱を開けて、中身が燃えそうかどうかだけ確かめながら無造作に簡易焼却炉に突っ込んでいく。すぐ隣からはずっと以前から「いい加減に庭で焼くのは止めたほうが?」という目で見られていたが、今日はその連中すら留守のようだった。

 やがて、紙の焦げる香ばしい匂いが漂い、ぱちばちと火のはぜる音が響いた。

 俺は一歩下がり、更に箱から燃やせるものをより分けては火にくべる。


 あれだけ始末したと思っていたノート類がまだあった。今度は、ちゃんとした家計簿の形をしたものだった。年代からみて、母のつけていた記録のようだった。母が亡くなったのは姉が小学5年、俺が2年の冬だったから、結婚してから13冊の家計簿がそこにはきっちりと収められている。

 日記も両端についており、細かい几帳面な文字が並んでいた。1日も抜けることなく、日々の暮らしが綴られていた。驚いたことに、姉や俺が生まれた日の記録まであった。後で書き足したのだろうが、明るくて大雑把だったという覚えしかない母の、意外な一面を見た気がした。

 書かれている内容には碌に目もくれず、俺は機械的にそれを燃え盛る火の中に突っ込んだ。

 今度は一冊も取り落とすことなく、記録は黒い炭となっていく。

 誰の目にも触れず一度も読まれたことのない書物、それは世の中にどのくらい存在するのだろうか。俺はまた、ぬるくなった缶チューハイを取り上げて一口喉に流し込んだ。


 ようやく全てを焼いた、と思い見ると、箱の底に敷いてある包装紙、その下に更に同じくらいの量で、似たような家計簿がきっちりと詰められているのに気づいた。

 母の独身の頃のものだろうか、年代を見ると全て、もっと新しいものばかりだった。

 もしかして、と頁をめくる。


 父の筆跡だった。しかも、相変わらずの斑加減。三日坊主というより、思いついた時に思いついただけ記録した感がある。1月はどこも比較的真面目に埋められていて、3月くらいには少し空きが多くなり、9月になぜか、びっしりと書込みがあって年末に申し訳程度に1行2行。

 驚いた事に、日記はごく最近、と言っても父がそれなりに動き回れていた4年程前まで続いていた。「細々と更新中」という表現にぴったりな頻度ではあったが、確かにノートだけは毎年、新しい物を買い求めていたようだった。

 年代が新しい物をどうして箱の底に敷いたのか、理由は解らなかったがどちらにせよ、俺に判断できるのは「ここで燃やせるかどうか」だけだったので、躊躇わずに束にして掴み、まん中で開いてまた一冊ずつ、焼却炉に投げ込んだ。

 なぜかふと、手が止まった。家計簿の項目はまっ白、なのに日記にはたった1行こうあるのが目に入った。


「アキラ、でかした。トップセールマン」


 俺が営業で働いていた頃のものだ。

 セールマン、て何だよ。俺は手を止めて、その文字をじっと見つめた。日記はその前後数週間はほとんど何も、書込みはなかった。その文字すら、幻かと思えた。


 お前は、一体誰のために、そして何のために働いているんだ


 所長の声が急に耳元で響いた。

 俺は上隣の屋敷に目をやった。あの大きな樹が、青い空にくっきりと枝を伸ばしているのが見えた。

 残りの家計簿を火にくべ終わると、俺は熱でひりひりする顔をこすりながら家の中に戻り、玄関先に落ちていたマリリン・モンローを拾い上げた。


 そうして、この物語を書いた。


 艶然と笑みを浮かべる鉛筆画と共に、この拙い数枚の記録を残して俺はここから去ろうと思う。

 残されなかった記録、それがあったというだけの報告に過ぎないが、それでも少しは、俺も何かをやり遂げたという感覚が欲しかった。

 それは、瀕死の老人に包丁を押しつけて去るよりも、もっと前向きで健全な行為だったと信じたい。

 家を出る前に、もう一度だけあの樹を見上げてみよう。

 高い梢のてっぺんに、俺は見るかも知れない。

 命綱なしで、誰かのために、何かをし遂げようとする不器用な人の影を。

 そして俺は今度こそ呼びかける。



 お父さん、と。






 了

最後までおつき合いいただきありがとうございました。

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